夕刻になって邸に戻ると小十郎が鬼の面相で政宗を待っていた。
 政宗は暫くの間、じっと我慢して鬼軍師の小言を右から左へ聞き流していたが、例によって政治と縁組の話になると溜息をついた。
「…小十郎、てめぇの小言は聴き飽きたぜ。わかった、オレが“足りない”つってんだから、もういっそ、どっかに戦、仕掛けりゃいいんだろ。そっちのがずっと分かりやすくていい」
 真顔で言うと、小十郎は額を押さえた。
 当然、戦はなくなるわけがない。…けれど無用な戦を起こす必要もない。それを分からぬ政宗様ではありますまいに、とまた正論で諭される。政宗は足元にあった脇息を蹴り倒した。
「――あぁわかってるぜ。だからオレはこうやって面白くない日々を過ごしてるんだろうが!」
「政宗様。主君は耐えることも仕事のうちです。全ての者に理解されずとも、うまく施策が回らずとも、謀略が思ったように進まずとも、それが主君たる者の…」
「…Ah,そういや小十郎。今日オレはいいことをひとつしたぜ?」
「…いいこと?」
 小十郎は話の腰を折られて鼻白んだが、政宗はこのまま誤魔化そうと、昼間の狐の話をした。畜生を助けてやった美談をして、子どもの頃ほめてもらっていたように「それは良いことをなさいましたな」――その言葉がもらえれば、話も丸くおさまるだろうと思っていたのだが、小十郎の反応が非常に悪かったので癪にさわった政宗は、つい例の、不思議な声と会話したことも話してしまっていた。
 小十郎はそちらの話を、むしろ真剣に黙って聞いていた。
 聴き終わると笑うでもなく、それで何を願うおつもりですかと政宗に真顔で問うた。政宗は少し困って視線を逸らして考えるフリをした。
「そうだな…別に、なんでもいいんだが。…お前が五月蠅く言うからな、いっそとびっきりの伴侶を願うってのはどうだ?」
「…伴侶?ですか?」
 小十郎は眼を丸くした。政宗は楽しそうに笑った。
 どういう風の吹き回しですか、実は本当は伴侶が欲しくていらっしゃるのか?と小十郎が戸惑ったように言うのを聞いて、政宗は肩を竦め、いたずらを仕掛ける子供のような貌をした。
 ――そして、自分の願おうとしている詳細を嘯(うそぶ)いた。ただの思いつきだ。だが、それは思いがけず具体的な姿を描いていた。
 小十郎はいよいよ呆れたらしい。深々と溜息をつき、眉根に皺をよせた。政宗はどうだとばかりに胸をはった。
「まるで子供の意地のはりあいですな。…つまりそういう恐ろしげな嫁御が欲しいとおっしゃるか」
「Oh,恐ろしくなんざねぇだろ。条件つきだ」
「…矛盾いたしますな」
 あっさりと小十郎は政宗の出した案の破たんに気付いたらしい。政宗はちっと舌打ちをしてそっぽを向いた。
「なんでもいいんだよ。面白い話には違いねぇだろ?」
「…白日夢でもご覧になられたか。何処かで頭でも打たれたか?仕事を抜けだしたりなさるからです」
「夢じゃねぇよ。オレはまともだ。見てろよ、そのうちオレの言ったとおりの奴が此処に来る」
「…それはそれで願い下げですな。我らが困るだけのことでしょうから」
 突拍子もない話のおかげか、小十郎の小言はそこで終いになった。政宗はやれやれと解放感にひたり――同時に、少し虚しくなった。

 *

 その夜、政宗は目を覚ました。
 誰かに呼ばれたような気がして起き上がる。
 灯りの燃え差しはまだくすぶっていて、政宗はぼうと暗がりに浮かび上がる焔をぼんやりと眺めていた。
「――来たぞ。可笑しな人間」
 唐突に声が響いた。政宗ははっと顔をそちらへ向けた。
 目の前に不思議な童子が立っていた。振り分け髪を耳元で紐と一緒に編んでいる綺麗な子供だ。
 …だが明らかにこの世のモノではない。それが証拠に、子供の影が現れたり消えたりするのである。影はときに大蛇のようにうねり天井まで舐めつくす大きさになったかと思えば、柔らかい光とともにつと消える。そんな光景を目の当たりにし、政宗はぞっとして少しあとずさった。透き通るような白い皮膚、切れ長の眦に入れた滲む鮮血のような紅もまたこの世のものではない。
 けれど政宗の怯えには気づかないのか、童子は近づき、無邪気に首を傾げた。
「貴様、我を昼間逃がしたな。約束どおり礼をしに来たのだ。貴様の望みを言え」
「――おいおい、マジかよ?お前、昼間の狐なのか」
「いかにも」
 政宗は状況を理解するとぽかんと口をあけ…それから、額を押さえてけらけらと笑った。こりゃァ夢に違いない、と腹のなかで少し寂しく考えたが、それならそれで言いたいように言えばいい。
「わかった。じゃあオレの望みだ。いいかよく聞けよ…」
 政宗は一呼吸置いた。
 …本当はこの場で天下を望めばいいと知っている。きっと小十郎も昼間聴いたときそう言って欲しかったはずだ。
 けれど天下を手に入れる望みは自分で叶えてこそだと思う。誰かに与えられる天下など欲しくない。
(他に欲しいものは――)
 政宗はにやりと笑った。面白いことはとことん面白くすればいい。小十郎に言ったとおりを、だから口にした。
「…つくりものの人形のように綺麗で細くて華奢な…表面は美しいがその心は氷のようだ。頭がよく、したたかで、滅多に激情を顕わにせず…他人を人とも思わず冷酷で…そのくせオレにだけは絶対的になつく。そういう伴侶を用意しろ」
「…伴侶?女でよいのか?」
 狐は不思議そうな顔をした。政宗は鼻で哂った。
「べつに。女だろうが男だろうが構わねぇぜ?今出した条件に合う奴ならな」
(――まぁ、まずいないだろうがな)
 内心で付け足し、政宗はどうだとばかりに狐の瞳を覗きこんだ。何故なら今の条件は矛盾していた。他者を人とも思わないのに、政宗にだけ絶対的に懐くはずがない。政宗もまた人なのだから。
 狐はまた少し首を傾げた――ように、見えた。
「ふむ。おかしな人間だ。そんな願いは聞いたことがない。捻くれているのか?何かの謎掛けか?」
「…うるっせぇな!用意できるのか、できないのか。できないならオレはこの場でお前を狩りの協定どおり殺す。アンタ、約束は守るつったよな?」
 政宗は苛々と応えた。童子はその言葉にぴくりと眉を動かした。
 ――やがて、
「…よいだろう。貴様の願い、しかと心得た。朝まで待つがよい」
 厳かな声がした。政宗は頷いた。――童子の姿は消えた。
「…フン」
 馬鹿馬鹿しい、と政宗は、静まり返る室内でひとり、呟く。むなしく声が反響した。
 幻なんてものはありはしないから幻なのだ。己の心の弱さが見せる、聞かせるものだ。
 政宗はじっと掌を見つめた。
 狐(?)に話したのは、政宗の思うことの裏返しかもしれなかった。ほんとうに政宗が望むのは、先程の言葉とは真逆の――「綺麗でなくとも温かい、血の通った、他者を慮れる者」に傍にいてほしいということかもしれなかった。
 だから、つまらない条件をつけた。
『オレにだけは絶対的になつく』…その一言だけが真実に違いなかった。
「…ほんっとに、crazyだぜ」
一言呟き、政宗は掛け布を頭から被ると強く目を瞑った。

 *

 翌朝、政宗は小十郎の重苦しい声に起こされた。
 隣国が奇襲でもかけてきたのかと政宗は跳ね起き、険しい表情の小十郎を見た。なにがあった、と問い掛けるとじっと政宗を見つめていた小十郎は、…やがて盛大な溜息をついた。
「屋敷の門に、おいでください。政宗様」
「…あぁ?なんでまた」
「いいから早く着換えを」
 小十郎は有無を言わさず政宗を立たせると、小姓たちに言いつけて着換えさせた。それから先導して屋敷の門へと進む。どうやら奇襲ではなさそうだ、と政宗は大あくびをしながら後ろをついて歩いた。
「…これはなんでございますかな」
 小十郎が立ち止まり、指差す先にあるものを政宗は怪訝な目で見た。
 かなり大きな葛籠が其処に無造作に置かれている。なんだこりゃ、と呟くと小十郎がひとつ咳払いをした。
「あけてごらんなされ」
 促され、政宗は怪訝な顔をした。なんでオレが、と反論すると小十郎は、いいから早くと促して退かない。政宗はやがて根負けした。
 そろそろと葛籠に近づく。かさとも動かずそこにある。何が入っているのだろうと政宗は緊張しごくりと唾を飲み込んだ。蓋に手をかけ、一気に――開けた。
「……」
 政宗は呆けたように目を瞠り中を覗きこんで固まり――それから勢いよく蓋をすると、慌てて振り返った。
「おい小十郎!なんだこれは?」
「…一緒に目録がありました。これです」
 小十郎は懐から折りたたまれた紙の束を出した。政宗が怖々とそれを受け取り開いて見ると――果たしてそこには、伊達政宗殿と丁寧に書かれていた。政宗はゆっくりとそれを開いた。

「一、人形のように表面は美しいがその心は氷のよう、頭がよく、したたかで、滅多に激情を顕わにせず他人を人とも思わず冷酷、かつ政宗殿だけに絶対的に懐く、伴侶。届け候。」

「…ええと…」
 政宗はおそるおそる文面から顔を上げ、仁王のように其処に立つ小十郎をちらと見上げると、もう一度、葛籠に近づきそっと蓋をあけた。
 …中には、綺麗な面の者がひとり、すうすうと穏やかな寝息をたてて眠っていた。細身に水干姿で、少年のようにも少女のようにも見える。
「…誰なんだこいつ…」
「さて小十郎はまったく存じあげませんな。なにせ『狐』からの贈り物でございます」
 小十郎のそれは皮肉に違いなかった。小十郎はきっとこう思っているのだろう…すなわち、政宗が遊郭かどこかに遊びに行った際、酒の勢いかなにかでつまらない約束をした。その結果がこの葛籠であろうと。政宗の話した狐の話も、おおかた作り話に違いない――そう考えているのだ。
 政宗は眼を剥いた。
「違うぞ小十郎!オレはこんな…人をモノのようにやりとりはしねぇよ!これは、だから――」
 政宗はそこで言葉に詰まった。恨めしそうに手の中にある「狐」と署名された紙を睨んだ。どう見たって誰かのいたずらのようにしか思えない。そして昨夜話してしまった内容とも、どういうわけか一致してしまっている。小十郎が怒るのももっともだ。
 政宗は額に手をあて呻いた。
(これはつまり…オレが寝ぼけてるのか?誰のいたずらだ?)
「と…とりあえず、この…誰かわからない奴を起こして、身元を確認しようぜ小十郎。迷子か、誰かにかどわかされたのかもしれねェだろ…」
 政宗は至極真面目なことを言うと、葛籠の中の人物をよいしょと抱き起こした。――軽く全体に華奢だったが、両腕に抱きあげたところで政宗は眉を顰めた。
「…おい。オレは『伴侶』つったはずなんだが…?」
 腕の中の人物の寝顔を覗きこむと相手は僅かに身動ぎをした。政宗はさらに顔を見つめた。
 間違いなく顔の造作は一級品に違いない。人形のように整った面だった。細くて華奢でというのも言葉どおりだ。…けれど、政宗がどう確かめてもその身体は女性のものではなかった。
(…まさか…あの狐の野郎、間違えたか?)
 政宗が見つめている先で相手は目をゆっくりと開けた。鷹の羽色に似た薄い茶色の目がじっと政宗を見上げた。


 ――次の瞬間、政宗は頬をしたたかに、これでもかという強さで張られた。
 至近距離からのあまりの衝撃と痛さに危うく抱いているその人物を取り落としそうになり政宗は思わず抱いたまま地面に膝をついた。
「いッ…痛ェ!おいっお前なにしやがるんだッ!?」
 腕の中の者に怒鳴ったが、相手はつんとそっぽを向き、視線だけで政宗を睨めつけると凛とはりのある高めの声で告げた。
「身の程を弁えぬ者め。この手をどけよ。さっさと我を放さぬか!」
「――なんだと?」
 政宗は思いがけない言葉に最初驚き、次いで怒りに歯ぎしりをした。おいお前オレが誰かわかってんのか、と低い声で脅す――けれど相手はまるで動じた様子もなく、知らぬ、ときっぱりと言った。
 政宗は呆れた。オレを知らないだと?
 その間も腕の中の者は、下ろさぬか!と高飛車に政宗を詰り、暴れる。意地になって政宗はさらにきつく相手を抱え込み、額がつかんばかりの勢いで顔を覗きこんで凄んだ。
「知らねェってんなら、教えてやる。よく覚えておけよ。――オレは奥州筆頭・独眼竜伊達政宗だッ」
 そして、にやりと政宗は笑った。これで少しは怖気づくだろうと。
 けれど、近接した位置にある切れ長の双眸は、まったく怯まなかった。
「知らぬものは知らぬ」
 ――当然相手が畏怖し怯えるものと思った政宗は呆気にとられた。
 この時勢にあって己の名を知らぬ者がいるというのは政宗にとってある意味屈辱だった。舌打ちすると後ろを振り返り、おい小十郎!と呼ばわる。ことの次第を淡々と見守っていた小十郎は表情を変えず短く返答した。
「先に言っとくが、オレがコイツを持ちこんだわけじゃねぇ!オレはコイツを知らないし、どういうわけかコイツもオレを知らないんだとよ!腹立たしいことにな!…だから、オレとコイツは関係ねぇよ、お前のほうで返しておけ!」
 小十郎は小さく溜息をつくと、分かりましたと短く返答した。政宗はまだ腕の中にいる忌々しい者を再度見た。冷たい表情で相手は政宗を睨み上げている。
「おい。名前を教えろ。よりによってオレの名を知らないっていう不届き者だ、さぞや大層な名前をお持ちなんだろうぜ?お前は誰だ。なんで此処に来た?」
 相手はぴくりと眉を動かし、少し目を瞠った。初めて表情に見下し以外のものが浮かんで、政宗はおやと口を噤んで相手を観察した。
「…我は…」
 呟いて、相手はさらに身体を固くした。政宗の身体に手を支え、少し伸びあがって周りを見回す。出来る限り遠くまで見ようとしているように見えた。
 やがてその細い身体は震えだした。政宗は訝しく失礼な相手を見下ろし覗きこんだ。
「おい、お前。さっきまでの威勢の良さはどうした?まるでなにか失せ物を探すみたいに」
 ――と、ぎゅっと相手の手が政宗の背の衣服を掴んだ。しがみついてくる。
 政宗は急な相手の反応に驚いた。なんだってんだよ、と呟くと相手は政宗を腕の中から見上げた。――先程までと違って目元が人間らしく朱色に染まっており政宗ははっとした。
「…誰だ?」
「Ah?…だから言ってんだろ、オレは奥州筆頭…」
「違う!」
 切羽詰まった声だった。
「…我は…誰なのだ?」

(3)