かくれんぼ





北の庄の日暮れは少しばかり早い。
元親と元就は馬に跨り目指す場所へ進んでいた。
何処へ向かっているのかと問うたとき、実のところ元就には元親の行先は分かっていた。同じ隻眼の国主の元だろうと。
案の定、元親は轡を並べる元就へ、機嫌よく応えた。
「独眼竜・・・政宗んとこだ」
「・・・・・・」
「あんたは会うのは初めてだろ?いい奴だぜ」
「・・・いや。会うたことは、ある」
「えぇ?なんだ初対面じゃねぇのかよ、・・・何処で会ったんだ?」
「戦場だ。」
別に隠すでもなく、元就は淡々と応えた。
その応えに、元親のほうが焦ったらしい。いったいいつの戦場だ、敵味方だったのかと慌てて訊いてくるので、元就は少し煩そうに、貴様と同盟を組む直前だと放り投げるように応えた。
「ええと、・・・あんたが本土へ快進撃してたときか?・・・こんなとこまできてやがったのかよ!?」
元親は驚いている。元就はそっけなく頷いた。
「我が僅かに勝った。勝ち過ぎはよくないときりのいいところで手を引いてやったが、さぞ悔しかったであろうな、独眼竜も」
訊かれてもいないことを付け加えて元就はフフ、と笑うと少し胸を逸らした。元親は盛大に溜息をつくと、困ったように額に手を当てた。
なにを悩んでいるのかも勿論元就には分かる。これから伊達に目通りするのであれば、竹千代の元を訪れたときと同じ、すなわち元就の身分をどう隠すかということだろう。しかし徳川のようにはいかないことも予想するは容易なことだ。そもそも伊達は現在も天下を虎視眈々と覗っている。巨大な中国のあるじについてなにも知らぬわけもない。まして、以前伊達の領地へ攻め入り、矛先をまんまと折ったことのある相手であればなおのこと執念深く忘れている筈もない・・・万が一政宗本人が忘れていたとして、傍らに控える竜の右目・片倉が忘れている筈は、万に一つもあるまい。元就の素性を誤魔化せたとしても、あやしいとなればすぐさま探りを入れてくるだろう。
「・・・危険だな」
元親は、呟いた。



その夜は城下近く、宿場町の一軒の旅籠に泊まった。
元親は夜が明けるとふらりと出て行った。荷物は置いてあったので、そのうち戻ってくるのだろうとさして気にもせず元就は宿の庭先に戯れる鶏を眺めて過ごした。
やがて昼前に元親は戻ってきた。
「これ、着てくれ」
僅かばかり申し訳なさそうな表情で、元親は「それ」を差し出した。
「―――なんの真似だ」
元就はあからさまに不機嫌な表情になった。
元親が元就に着ろと言って渡したのは、女物の着物であった。
襲ねの色目は紫苑で、表は薄色、裏は青(みどり)、季節的にも上品ではあったが、その表色目が元親の好きな紫なのが癪にさわることよ、と元就は憮然と元親を睨む。
元親は首を竦めると、口ごもりつつ言い訳をした。
「あんた。以前俺のとこに人目避けて来たとき、普通に女物の着物着てきたじゃねぇかよ。・・・俺がこれ選んできた理由もわかるだろ?」
「・・・ふん。旧い話を持ち出しおって・・・我を馬鹿にするか貴様」
「違うって・・・」
危険だから、と言う。元就も意味合いは理解できた。最初から、伊達の所領を自由に歩けるとは思っていない。
「とりあえず、これ着てくれよ。どうも政宗は変なとこで勘が働くから、俺に連れがいたことももう知ってやがると思うんだよな・・・そのうえであんただと知れてあんたがあいつにとっつかまりでもしたら、俺も困る」
「・・・ならば我はこの宿で待とう。隠れていればよい。何故女物を着る必要がある?」
「いや、・・・万が一此処まで乗りこまれても、女だと相手が思えば、中国の主とは思わないだろうし・・・」
「―――何故我がそのような無理に付き合わねばならぬ?だったら貴様が伊達に会わねばよかろう!」
元就はすっかり駄々っ子のようになっていた。自覚はあるが言葉が止まらない。
元親は困り果てた表情をした。懇願するように、俺は此処まで来たからには政宗には会わないとかえってあいつへそを曲げるから、と言う。それはそうだろう。元就も頭ではわかっているのである。わかっているが、何故そうまでして(自分を女に変装させて置き去りにしてまで)伊達に会いたいか、と。
また、なにかがきりりと体のどこかに刺さった。元就は俯いた。
(・・・くだらぬな。このような時間も・・・感情も)
元就は、腹が立つと同時に面倒になってきた。
いきなり元親の目の前で、見せつけるように自分の着ていた水干を脱ぎ捨てた。元親が、ぱっと視線を逸らした。それがまた癪に触った。まだ元親の手にあった女物の着物をひったくると、乱暴に羽織った。袷の向きも知らない、帯の結びも知る筈がない・・・どうしてこんなことになっているかも知らない。
どうして痛みがくるかも、しらない。
(・・・知るものか!)
えいと女物の半帯を体の前で結んで、元親にこれでよいかと言い放った。呆れたようにまじまじと元親は見入ってくる。元就はむっとした。
「なにかおかしいならば貴様が直せ。我はこのようなものの着方、知らぬわ!」
「・・・・・・あ、あぁ。そりゃそうだな、・・・」
元親は溜息をついたように見えた。元就は奥歯を噛みしめた。すぅと手が伸びてきて元就の滅茶苦茶に結んだ帯をほどき、着物を肩から落とす。下帯一枚にされて、その仕草が馬鹿みたいに丁寧な分、元就は羞恥に耳まで赤くなった。
「・・・すまねぇ」
元就の顔をちらと見て、元親は慌てたように視線を外すと、あらためて自分の手で着付け直しはじめた。普段野郎共を指図し火炎を吹く武器を扱う荒々しい男がしているとは思えないほど手つきは滑らかで丁寧だった。元就は新鮮な驚きに曝された、何故こんなに手慣れている?
視線で覚えず訴えていたらしい、元親は苦笑すると、女ものの着物はちっと慣れてるから、とだけ言った。元就は、あぁ、と莫迦みたいに頷いてからごくりと唾と一緒に続く言葉を飲み込んだ。・・・妾に着せてやっているのだろうかと思ったのである。
ずきりと胸が疼いたが、元就は、気付かないふりをした。
その後は、ぼんやりと、黙ってされるがままになっていた。元親も喋らない。
すっかり着付けてしまうと、元親はこれでよしと呟いた。もう一枚、別に用意していたらしい花柄の衣を元就の頭から被せる。元就を見つめて元親は一人で納得している様子で頷いた。
「とりあえず、これで、あんたが中国の大毛利とは、ぱっと見誰も思わねぇだろうぜ」
そうして、じゃあ俺は行ってくると機嫌よく言う。元就は眉を顰めた。
「・・・我は邪魔か。手間取らせおって、と腹立たしいか」
「えっ―――」
思わず訊いた言葉に、元親は驚いている。訊いた自分に元就も驚いていたが、ついと視線を逸らせると、そのまま壁際を向き、元親に背をむけて正座した。
「おい、毛利」
「よい。早う、伊達に目通り願ってくるがよかろう。我は此処で書物でも読んでおる」
それからは視線を合せなかった。
「・・・じっとしてろよ。此処で。夜には戻るからよ」
優しい声が話しかけてきたが、元就は返事をしなかった。
やがて静かに元親の出て行く気配がした。
ずきりと、また、痛痒が襲う。





元就は元親に言われたとおり、静かな宿の部屋で一日過ごした。宿の者は一切来ないところを見ると、元親が近寄らないようにと言い含めておいたのだろう。隣の間も誰もいる気配はなく、元就はぽつんと一人きりで部屋の隅で手持ちの書物を読んだり、碁の手順を考えたりしていたが、流石に部屋が翳るころには飽きてきた。
「・・・遅い」
元就はぼんやりと文句を言った。それから立ちあがって縁側に出ようとした、―――女物の着物の裾は狭く、つまづいて転んだ。元親が近くにいなくてよかったことだ。柱にしたたかに額をぶつけて、元就は手でそこを擦りながら小さく舌打ちをした。バカバカしい、こんな着物脱いでしまおうか、と思ったとき、
「―――御免」
襖の外から低い男の声がして、元就は一瞬で身構えた。
返事をせずに、静かに部屋の隅に近寄り、刀を手に取る。
「御免。・・・長會我部殿のお連れ様はこちらか」
再度声がした。元親も元就も、己の身分を明かしていない。なのに家名を呼ばれ元就は一気に緊張した。ほぼ同時に、刀の鯉口を切る僅かな音が響いた。
「―――ッ」
元就は隣の間へ逃げようと襖を開けた。―――そこにはすでに、幾人もの武士がいた。舌打ちをひとつ、元就は刀の鞘ごと目の前の男に突きを喰らわした。手ごたえがあって、男は呻いて蹲る。一気に場の空気が乱れ、ざわつき、我先にと男たちが元就に圧し掛かる。幾人かかわし、また当て身で凌いでいたが流石にもたず、元就はいまいましいと思いながら刀を抜かざるをえなかった。宿の者が来る前に道を作って逃げ出さねばと頭の片隅で考えながら、一歩前に踏み出した。
が、着ているものが邪魔をしてあっと思う間もなく体勢を崩し転倒した。すかさず屈強な男たちが襲い掛かる。刀を突き刺してやろうと構えたが虚しく、横合いから鋭く払われた別の剣に弾かれて元就の手から武器は失われ、離れた畳の上に転がった。
あぁ、と、元就は刀を目で追った。転がった刀の切っ先には元親の荷物が無造作に置かれている・・・紫の花模様の衣。
(・・・長會我部ッ!!)
けれどこんな状況でも、元就は名を呼ばなかった。
誰かが元就を無理やり起こし、後ろから羽交い絞めにした。腕が喉を締めた。叫ぶ前に、闇がどろりと元就の眼前を覆った。





元親は政宗の城ではなく、普段彼が住いしている片倉の館を訪ねた。町はずれに続く農地の、もうすこし奥まったところにある質素な館の門で、名乗る。
時を置かず門番は愛想よく元親を招き入れてくれた。昔馴染みと言っても過言ではない間柄である。
伊達の主は、一番奥の客間を陣取って着流し一枚で暢気そうに煙管をふかしていた。
「Hey、元親。そろそろ来ると思ってたぜ?」
にやりと笑いながら政宗は案内の者に酒肴の用意を言いつけた。元親も慣れた様子で勝手に政宗の正面にどかりと座った。
「そろそろ来るってのぁ。お前のお得意の勘ってやつか?ん?」
「―――まぁな」
「喰えねぇ奴だ」
「アンタも、だろ」
国主同士の話をする、という建前だが、そればかりが目的ではない。元親にとっても政宗にとっても、互いに旧交を温めたくなる貴重な相手だった。お二方は似た者同士ですな、と政宗の守り役である片倉にも以前元親は言われたことがある。隻眼というだけでなく、いろいろと相通ずるところがある。戦の仕方も、新しいものを積極的に取り込むことも、幼いころの負い目や引け目が今の己を作り支えていることも、仲間との距離感や部下としての扱い方も。
だから、元親はごくたまにしか政宗とは会わないとはいえ、会えばいくらでも話せたし時の過ぎるのも忘れる。政宗もそうらしい。恰好つけだからわざわざそんな言葉は言わないが、政宗の翻訳機(と、元親は一度からかったことがある)の片倉小十郎が以前それも言っていた。
しかし。
「―――おい、元親。アンタ今日落ち着かねェなぁ」
急にそう言われて、元親は驚いた。手の中の杯が揺れた。
「あぁ?別にそんなことは―――」
「さっきから外ばっか気にしてんじゃねェか。刺客にでも狙われてるか?」
「馬鹿言うな」
「わからねぇぜ?・・・オレがアンタを狙ってるかもしれねェ」
「・・・お前がそんなことするわけねぇだろ。戯れ言はいいかげんにしとけよ」
元親は勢いよく杯の酒を飲み干すと、だいぶ時間も経ったし、日も暮れる、俺はそろそろ暇乞いすると言って立ちあがろうとした。
「・・・おいおい。何言ってんだ?まだ全然喰ってねぇし、喋ってもねぇだろ。アンタほんとに今日おかしいぜ」
随分飲み食いして喋ったはずだ、と元親は反論しようとして自分の膳を見た。箸のつけられていない皿がまばらにあって元親は愕然とした。はっと、外を見た。まだそこそこに日輪は高く、夕方というには早い。どうして日が暮れるなぞと思ったのだろう?
「まぁ、落ち着け。座れよ、元親?」
政宗に促されて元親は不承不承、座った。いつもと違う自分に気づいて、胡坐をかいた膝に置いた指に力が籠もる。指は膝先に食い込む。自分の着ている衣装の裏地に目がいった。紫の花模様が踊っている。
(・・・毛利)
今朝頭から彼に被せてきたのはこの裏地のもとになった、元親のもう少し若いころに好んで身につけていた単衣だった。荷物の中にあったそれを、自分が元就に被せたのは何故か、漠然とだが理解している。己の身に纏うものとほぼ同じそれを元就の傍に置くことで、なんとなく、自分自身を置いてきたような・・・守ってやれるという安堵感があった・・・
(・・・莫迦げた話だ!!)
元親は唇を引き歪め自嘲した。
元親は切り取られた布と同じだった。元の布がどうあろうと関係なく、離れてしまえばわからない―――
「アンタ一体どうしたんだ。何を悩んでやがる?」
ふいにそう問われて、吃驚して元親は政宗を見た。
「なに?悩む?俺が?んなわけあるか」
「だったら落ち着いて俺のもてなしを受けて、いつもみたいに夜通し語ろうぜ?今晩は此処に泊ってくんだろ?」
「―――」
元親は眩暈を覚えた。確かにそうだ、いつも伊達の所領を訪れたときは片倉の屋敷か、政宗の居城か、もしくは二人で町屋のひとつも借り切って遊ぶ。そんなことさえ失念していた!
置いてきた毛利に自分はなんと言った?
“夜には帰るから”



「・・・すまねぇ、政宗。俺は今回はゆっくりしてられねぇんだ、・・・ちょっと、あって」
「ふーん?・・・誰か気になってるみたいだが。誰だ?」
政宗の眼が笑っていることに元親は気づいた。興味津津、というふうな、・・・もしくは。
(・・・なにか、勘づいてやがる?のか?)
「俺より、大事な相手かよ?―――steadyか?」
途端に元親は、うっと言葉に詰まった。(その単語は無理やり以前教えられて意味を知っていた)どいつもこいつも同じようなことを言いやがって、と竹千代を思い出して内心毒づいたが、べつにそういうんじゃねぇよ、と言葉を濁す。
とりつくしまもねぇな、と政宗は肩を竦めた。
(・・・たとえそうでも、お前に教えるわけねぇだろうが!)
元親の脳裏に、ふいに先ほど置いてきた元就の姿がよみがえる。
思いつきで女の恰好をさせてきたが、着せてみればそら恐ろしいほどに・・・昏い部屋でならば誰も疑わないだろうと思うほどに線が細くほんとうに女のようだった。
(・・・いや、そうじゃない)
元親は否定した。元就はれっきとした男だった。女性らしいところなぞ微塵もない。考え方も言動もその生の在り方も。
(俺が、あいつを・・・縛っておきたかっただけだ)
あの夜からおかしくなってしまった。元親も、―――元就も。
ずっと、怒っているように見えた。正直に件の晩にあったことを話したことは後悔していない。元親は詫びねばならなかった。
けれど、その後、普通に喋っているようで、元就は時折元親をまるで責めるように睨んでいたり・・・そうかと思えば突然にうろたえたり。気分が悪いと言って話を中断することも多い。
(・・・避けられてるな)
旅は続いているが、いつ終わるか時間の問題のように思えて、元親は怖い。
いっときでも離れていてはいけない気がする・・・



唐突に片倉が現れた。
「なんだ?」
「お耳に―――」
なにごとか耳元に囁くと、政宗はなんとも面白そうにくつくつ笑った。そして立ちあがったので、元親は俺はやっぱり帰るぜ、あんたも忙しいだろと言い訳して自分も立ちあがった。けれどすぐに、どうしてか片倉に腕を掴まれまた座らされる。
思わず、腕を振り払い、なれなれしく触るんじゃねぇと呟いてから政宗を睨んだ。政宗は笑って、小十郎、ほうっておいてやれよと言う。そして、
「アンタは俺の大事な客だが、もうひとり、大事な客が来たんでな。小十郎に送らせるぜ元親、今日は楽しかった」
政宗はあっけなく客間を出ていった。元親は茫然としていたが、やがて我に返り立ち上がった。部屋の出口に大股で近づくと片倉が丁寧に礼をした。元親は無視して外へ出た。



宿で元親を待っていたのは、宿の主人の無感情な言葉だった。
お連れ様は出てゆかれました、と。
元親は蒼褪めた。借りていた部屋へ駆け入ると、言葉通り部屋には誰もいなかった。
けれど出ていった、というにしては荷物はそのまま残されていた。部屋は乱れていないかと元親は注意深く観察し、――果たして、自分の置いていった花柄の着物の一部が小さく切り裂かれているのを見つけた。
全身の血が凍るとはこういうことかと元親は自覚した。
「・・・毛利ッ」
からからに乾いた喉から声を振り絞ると、元親は宿から飛び出した。
何度も何度も、いなくなる。何度も何度も、探している。
ずっと前から・・
(畜生ッ)
走りながら、元親は叫び出しそうになるのを堪え、泣きそうになる己を叱咤する。
(何度でも、見つけてやる)
(何度見失っても)
(何度あんたが俺の前から身を隠しても!!)