ホロウ・ドリーム





(後)


 あんたのことをすべて忘れ去ってやる、と元親が告げたとき、毛利元就は表情の乏しい面にある切れ長の目を、いっぱいに見開いて元親を見ていた。
 孤独は死んでからも永劫に続く、と―――言い放った呪詛の言葉に、毛利の面は歪んだ。歪ませてやれたことにはらわたの中で暗雲のような喜びを感じたのは事実だが、同時に己のしていることに非道い後悔が襲ったのも事実だった。



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 なだらかな丘陵を過ぎると元親は傍にある石に腰を下ろした。ひといきついて竹筒の水を飲む。通りがかった百姓の老人が、本日はお日柄もよく・・・と笑顔で挨拶してくれた。元親も元気に、おう、と応えた。
 それから、じいさん、と呼びとめた。老人は振り返った。
「あのよ。・・・前の殿さんと、今の殿さん、どっちがいいまつりごと、してると思う?」
 老人は困った顔をした。下手なことを(主君への暴言を)言っては首が飛ばないとも限らない、ということだろう。元親は笑って、じゃあそれぞれのいいとこを教えてくれよと頼んだ。
 老人は少しばかり考えていたが、訥々と話しだした。双方にいいところがあるが、といくつか例示しつつ―――けれど、その事実は“前の殿さま”に偏って多かった。勿論、治めた年月の差もあるだろう。それでも、挙げられた話は、元親が頷くものばかりだった。
 ひとしきり話を聞いたあと、礼を述べて元親は老人に金子を渡すと(仕事の邪魔をした駄賃である)、その場を離れた。
 小高い丘へ足を運ぶ。うねりながら続く道は徐々に細く急になるが、すでに何度も通った道だ。
 やがてひらけた場所に出て、元親はひとつ息をついた。
 目の前には五輪塔がある。元親が、仲間たちと一緒に積み上げたものだ。葬られているのは、長くこの土地を統べた男だった。・・・今はもう、この土地は徳川の直轄地になり、彼が全身全霊を傾けて守ろうとした家のものではない。
 元親は持ってきた酒を取り出すと、其処によいしょと胡坐をかいて座った。ふたつ盃を取り出し、注ぐ。
「今日はよぅ。また違うあんたの一面を見つけたぜ、毛利」



 元親が浴びせた呪詛の言葉を抱いて、あの男は此処で永遠の眠りを貪っている。
 あのとき彼は永遠の孤独に怖れていた。死して後も続くだろうと予言した元親の言葉に、怒りととまどいと絶望を震える声にのせて元親を罵り。けれど逃れることもできず。
 彼は、“孤独”を恐れていた。
 ・・・すなわち、彼は“孤独”を知っていたのだろう。
 知っていてなお、あの氷のような面で、鉄のような意志で采配をふるって耐えしのび、中国を、毛利家を守っていた。兵卒、領民、部下だった者たち。誰に出会い、尋ねても、畏れつつ彼の名をどこか密やかに讃えるように、誇るように、彼らは呼んだ。それは敬愛と言っていいと元親は今は思う。
 元親の見つめる先で、虚ろな色が像を結ぶ。戦端を交えるたびに何度も見た甲冑姿だった。表情はいつもどこか遠くを見つめて、その端正な面で痛烈な言を、静かな声で吐く。元親の視界にいた彼は、常にそんな男だったのに。
 俺は何を見ていたのだろう、と元親は思う。苛烈に争っていただけで、殊更に友誼があったわけでもない。同盟を結んだり、破棄したりもあったが、それもあの時代には当然のことだった。うつろいゆく元親の年月の中に確かに毛利はいて―――けれども、忘れ去るどころか、ほんとうの姿はなにも見えてこないことに元親は彼がもう息をしなくなってから気づいた。
 それからだ。元親は、毛利という男の残影を探すようになった。
 


 “我は他者に興味が無い、肉親すらも。”
その言葉の真偽を問えば、元の領民たちは顔を見合わせこう言った。・・・毛利様は幼少期に次々と肉親を失い、家臣団から身内殺しの次郎と呼ばれ忌み嫌われて過ごした。御父上の側室が救ってくれなければ餓死していたかもしれないほどに困窮し乞食若子とも呼ばれていた。筆頭家老に城も奪われる屈辱の中を耐えしのび、やがて長じて才覚をあらわし、瓦解寸前だった毛利家をまとめあげた。豊臣全盛期を乗り切ったのも、すべて元就様の采配による。
 そして言うのだ。「仕方なかったのだ」と・・・ああやって心を殺さねば、毛利家も中国も、とっくに潰えていただろう。犠牲を強いても勝たなければならなかった。勝たなければ全てを今度こそ失う。手を差し伸べてくれた父の継室はすでに亡く、毛利は底の見えない孤独の中で、独りですべてを背負ってきた。
 四国を攻めるよう画策したのは大谷と毛利であり、実行したのは黒田だった。野郎共の無念は当然、水に流すことはできない。
 けれど単純ではない。奥底に流れる、そこに至るまでの理由がある。
 何を見てきたのだろう、と、元親は唇をかむ。毛利のことだけではない。家康のことも疑い、三成の本来の性質も当然見抜けなかった。家康の提言がなければきっと、元親は何も考えず三成も斬って捨てていただろう。
 からすめ、と孫市が馬鹿にしたように呟く声が耳に響く。俺は確かにからす(阿呆者)だ、と元親は項垂れるしかない。
 かつて見えなかった毛利の姿を、此処に来て少しずつ再構築する。そんなことをしてもなにが戻るわけでもない。つめたい地面に埋まった男のからだは既に融けて。魂も別の水際へ行き。元親の言ったように永劫の孤独の中で、それでも毛利と中国の行く末を案じているだろうか。自分を早くに置いて逝った肉親たちと、自分を繋ぐ、たったひとつの残された“家”というものを―――彼は、自分の存在の証明そのものとして必要としていたのだろう。
 今は、元親には、わかる。・・・大事なものをたくさん失くしたから。
 そして、家康と三成を見たから。
 家康と自分の違いはなんだったろうか、と元親はよく考える。相容れない考え、相容れない立場の三成を・・・徳川と、信念を背負って豊臣を倒すことを決めてなお、家康はずっと三成を気にかけていた。敵になってもなお、彼を庇った。
「・・・ああいうつながりを・・・“絆”を、俺がもしもあんたとつくれていたら。・・・あんたは、もっと別の人生を歩んでいたんだろうか。なぁ毛利さんよ」
 おこがましいことよ、海賊風情が。と毛利の冷ややかな皮肉が聴こえた気がして、元親は濡れた頬を拭いながら小さく笑った。
「それでもよぅ。・・・俺ぁ、後悔、してる。・・・あんたを殺しちまったことを・・・」
 生きて再会できたときの、家康と三成の喜ぶ姿を・・・幸せそうに抱き合う姿を思い出して、元親は目を細める。
 いつしか頬が濡れていた。
 ただの感傷なのか。いくつもの戦場を共に駆けた男への哀愁か。元親自身の自責の念か。今となってはもうわからない。
 ただ後悔は、波のようにひたひたと元親を濡らす。現在と言う結果にも―――そこへ至った道筋の選択にも。



 虚像は易く浮かび上がる。
 元親の集めた断片的な言葉の、欠片と欠片があわさって、元親の記憶にある毛利という男をかたちづくる。記憶にあるより彼の表情はどこか穏やかで優しく、己の眠るこの小山の上からじっと大地をみはるかす。・・・天下ではない、何も欲しない。欲しいものはきっと、己の存在を証明する“毛利家”と、“中国”―――そして、“敵”。
 虚しい映像に言葉をどんなにかけても応えは無く、彼がかつて在ったカタチを注ぎ込めば注ぎ込むほど、元親は絶望に気づく。喪ったものは戻りはしない。・・・つねにつねに、部下たちに言い聞かせて、己にも言い聞かせてきた言葉だというのに!
「毛利さんよ。・・・いつか、俺もそっちへ行って、・・・まだあんたが孤独、だったら」
 元親は俯いて瞼を閉じる。
「そのときは・・・俺が、ずっと、あんたの相手をしてやるよ。あんたを忘れるためじゃない、・・・あんたを、ほんとうの生きてたあんたを、“思いだす”ためにな」



 元親は杯の酒を飲み干すと立ち上がった。
 またくるぜ、と声をかけて、山を下りていく。途中でふと振り返った。―――そこにはまばらに草の生い茂る道と、僅かに見える五輪塔があるだけだ。
 ひとりにしないで、と誰かが泣いているように思えた。
 元親は笑顔を向けた。
「また、あんたの欠片を探してくるぜ。・・・大丈夫だ、忘れやしねぇよ。」
 そしてひとつ頭を下げる。



 すまなかった、と、詫びていた。
 
(了)


 元親緑ルートについて(以下ネタばれ)
 あのストーリーは、自分みたいなチカナリも家三も好きな者にとってはすごくしんどかった。
普通に受け止めたら、あれは唯一の家三救済話だったと思う。家康と三成、双方のストーリーでは、互いをどうあっても救えないのが、元親という『絆』を得ることで家康と三成双方生き残る。あのあと二人を元親が引きあわせることは十分可能だと思います。
 大谷さんが「残して逝くのか」と呟く死に際に、唯一?三成が「・・・」と、無言になる。刑部にもまた裏切られ、同時に他者に裏切りを強いていたこと(実際は大谷さんは三成のためを思っていた部分もきっとあるだろうけど)、それを見抜けなかった自分を悔いて元親に自分を殺すよう請う。元親はそれをしないで、それまでいた石田三成をかたちの上で「斬って」、「さあ、行くぞ」と呼びかける。自分は、あれは、あんたの未来に行っていいんだぞ、という意味だと思いました。これまでの自分を捨ててかまわないっていう・・・
 家康と一緒に毛利を倒して、あの場に三成はいなかったけど(仲間武将で連れてたけどw)、あのあとを考えたら自然と今回の話になりました。家三的にはもっとも救われる話だと思った。

 ・・・でも、あの話をベースに家三を成立させると、元親は元就を殺さないといけない orz
 
 愛情の反対は憎しみじゃなくて無関心、というのは有名な言葉だけど、「3」の元就はそのこと気づいてたのかな。とぼんやり思います。アニキにだけは憎しみでかまわないから自分のほうを向いていてほしかったのかな。なんかあの元就の怒り方は・・・痛々しくて、泣けた(つД`)