誰かの願いが叶うころ





(1)


政宗は舌打ちをした。
「Ha!冗談じゃねぇぜ、この奥州筆頭・伊達政宗が・・・なんでわざわざ厄介事を引き受けなきゃならねぇんだ?」
忌々しそうにひとつ目を細め、報せを持ち込んだ使者を睨みつける。視線の厳しさに、使者はいたたまれないように首を竦めた。
政宗を窘めたのは腹心の片倉小十郎だった。政宗はじろりと今度は小十郎を見遣る。
「・・・小十郎。俺に意見する気か?」
「政宗様。とりあえずは御使者には御役目大義なこと、別室で休んでいただくほうがよろしいかと」
それを聴いて、使者は助かったとばかりに顔を上げて頷いた。政宗はふんと鼻で哂うと、手で追い払うような仕草で、小十郎お前に任せると言った。小十郎は丁寧な態度で使者を連れ、別室へ案内していく。



「・・・畜生。足元見やがって」
使者がいなくなり、部下たちも全員追い払ってから政宗は独り言ちた。
時代は移り変わり、天下はすでに徳川の元に収束している。伊達は徳川に味方し、その結果関ヶ原以降、奥州をそのまま与えられ治めることを認められたが、忸怩たる思いが政宗にはまだ、胸の奥にくすぶっている。
進む道を違えていれば、あるいは今頃は、天下は自分の手の中に在ったのではないか・・・
そう思いながらも、平和の成ったことを喜ぶ部下や領民たちの声を聴いていると、自分のひとりよがりで再び火種を起こすことは憚られる。けれど一方で、徳川方が完全に伊達に気を許していないことも当然知っている。何か問題を起こせば、徳川の重臣たちが好機とばかりに伊達の力を削ぐため介入してくることは火を見るより明らかだった。
表向きは徳川に従順に見せかけつつ、政宗はことが起こったときには当然、抵抗するつもりは存分に在る。そのためにもできるだけ国力を温存し、のらりくらりと中央からの視線をかわさなければならなかった。小十郎はじめ側近たちにもそう申し伝えてあった。
「・・・バレるはずもないと思ってたが・・・相手は馬鹿じゃなかったってことか」
政宗は小さく自嘲した。徳川方は、伊達の思惑をうすうす勘付いたらしかった。
先程の使者の持ってきたものは、今度の江戸参勤のおり、伊達へ大事な預け物があるという報せだった。
・・・西軍の総大将を担っていた毛利一族の一人を預ける、と。



小十郎があるじのいる広間に戻ったとき、政宗は先程のままに、ぼんやりと脇息に寄り掛かったまま煙管をふかしていた。小十郎は先刻より少し翳っている室内に眉を顰めると、侍従たちを呼びつけ灯りを用意させた。政宗は室内に灯った光でようやく小十郎が戻ったことに気付いたらしい。片目のため考えごとに集中すると、暗さには鈍くなるらしく、そのことは密かに小十郎には心配なことでもある。
「よう、小十郎。御使者殿は機嫌よくいらっしゃるのかよ?」
皮肉の混じった不機嫌な言葉に、小十郎は溜息をついた。
「政宗様。・・・腹立たしいのは分かりますが、思ったままをあの者にぶつけてもどうしようもありますまい。かえって向こうに、伊達への口出しの隙を与えることになりかねませぬ」
政宗はぽんと灰を落として、苛立ちを隠さず小十郎をじろりと睨んだ。
「Ha!・・・どのみち、奴らの顔色うかがって汲汲としてなきゃいけないのは一緒だろうが!?・・・よりによって、毛利の者をあずかれ、だと?見え見えの手を打ってきやがるぜ、そんなに伊達が恐ろしいか―――」
「政宗様。落ち着きなされ」
小十郎は口元に指をあてて眉を顰めた。
「決まってしまった以上は、与えられた役目を淡々とまっとうするしかありませぬ。毛利の人質となれば然程血縁の濃い者でもなし・・・隔離して関わらず、客人として大切にもてなしておればそれで問題ないのですから」
「フン、どうだか?その毛利の者が、東軍に味方した俺らを恨んで、ことを荒立てる可能性だって十分にあるだろうがよ。はらいせに自ら縊死したら、人質死なせたって俺らの責任になるんだろうが―――」
「そのときはそのまま、報告すれば宜しい。我らになんら隠しだてすることは無いと。その先のことはそれからです」
「・・・・・・」
毅然とした小十郎の言葉に、政宗は押し黙った。
小十郎は幾分優しい眼になって、少し口調を和らげた。
「政宗様。・・・我ら、覚悟の上で貴方様に従っておりまする。“あちら”から無理を示されようと、伊達家のためならば従ってみせましょうぞ。政宗様が気に病むことはありませぬ」
政宗は額に手を当て、呻いた。
「・・・はいそうですか、と奴らの言うことに従うわけにゃいかねぇだろうがよ、・・・従いたくもない。お前らにそんな屈辱を与えるのも御免だし、・・・なにより、」
“一度俺は天下を夢見たんだ。今だって諦めているわけじゃない。俺は誰かのいいなりにはならねぇ”
政宗は声を出さず、唇だけでそう言った。過たず小十郎はその唇を読んで、頷いた。
「そうです。・・・だからこそ、この件については黙って素知らぬ顔で従うべきです」
政宗は顔にかかる前髪を鬱陶しそうにかきあげると、溜息をついた。
「・・・毛利か。とんだ大荷物だぜ」



西軍東軍の決戦の頃には、毛利は中国地方全土を支配する超・大国だった。
織田にも豊臣にも屈せず、天下にまるで興味のないふうを装いながらいつのまにか近隣諸国をたいらげて見上げるまでの大きさになった―――それがもっぱらの評判だった。
総当主である元就公は本陣奥深くから采配を振るい、ほとんど表に出ることはなかった。だから政宗も毛利当主の顔も、姿も、ろくに知らない。
一人、瀬戸海を挟んで睨みあい小競り合いを繰り返していた、政宗の知己―――長會我部元親だけは、毛利元就のことをある程度は知っているふうだった。酒を酌み交わしたとき、ふとその話題になったことがある。
毛利元就とはどんな男だ、と興味本位でたずねる政宗に、元親は複雑な表情で手の中の杯を見つめ、呟いたことだった。
“そうさな。・・・一言じゃ語れねぇ”
それだけ言って、元親は苦笑めいた表情を浮かべていた。政宗は訝しんだが、そのときはどうせいつか敵対し、潰す相手ならば、顔やひととなりを知っても仕方ない、とそれ以上聞きだすことはしなかった。
結局その後、元親は西軍に与し、はからずも旧知の政宗とは敵同士になった。今は四国に長會我部という当主はいない・・・敗れ、野に下った元親が何処でどうしているのか、生きているのか死んだのか、政宗は知らない。知ろうと思わない。・・・そうすることが、元親への屈辱になると政宗は知っている。



江戸の伊達屋敷から政宗は渋々現在の“主君”徳川家へ挨拶へむかうため登城した。
形ばかり丁重な挨拶まわりを終え、旧知の大名たち(かつては敵対した者も当然、ある)ともしらじらしい言葉をかわし、胡散臭い笑いの漂う騒がしいだけの宴席に出て―――すっかり疲れ果てて伊達屋敷へ戻ったのはもう夜も更けた頃だった。
あまりに疲れていたので、留守居役の小十郎に、“預かりもの”がこちらへ直接届いております、と言われたとき、政宗はなんのことかしばらくわからなかった。すっかり忘れていたのである。
「―――Ah、そうだった」
呆けたような返事をしてしまい、政宗は気まり悪げに口元を掌で押さえた。子供の頃のようだと思ったのだろう、小十郎も苦笑している。
「しかし、直接、だと?城のほうじゃ、そんな話は出なかったぜ、・・・徳川や毛利にとっても、どうでもいい奴なのか?だったらこちらも扱いやすいが・・・」
着替えを小姓に手伝わせながら、政宗は首を傾げた。
小十郎は、軽く頭を下げた。
「申し訳御座いませぬ。小十郎にもよく素性がわかりませぬ。・・・ただ、扱いは確かにぞんざいでしたな、・・・仮にももとは百万石以上の大名家の者とは思えませんでした。罪人を逃げぬよう囲っているような―――荷物も少なく」
「・・・ふーん。男か、女か?若いのか年寄りか?」
政宗は、つまらなそうにありきたりのことを聞いた。これから目通りをさせるからには、多少なりと興味くらい持ってやらねば、お荷物そのものの扱いをされているその人物が少しばかり報われまいと思ってしまったのである。どうせ一度会えばその後はもう二度と会うこともあるまい・・・
小十郎は、少し眉を顰めた。
「男です。年の頃は・・・政宗様より少し上なくらいかと思われます」
「へぇ。・・・じゃあ、総主の従弟が縁戚か・・・おおかた末流の生まれだろうぜ。その血筋にしか値打ちはなし、けど血筋のせいで疎ましがられる、か・・・なるほどな」
可哀相に、と政宗は我知らず呟いていた。
小十郎は、ひとつ咳払いをした。政宗は小十郎の気遣いに気づいて小さく笑った。
かつて政宗が近隣国との諍いにおいて人質にとられた父親を撃ち殺したこと・・・後継者争いの相手となった弟を殺したこと・・・弟を溺愛していた母から憎まれ、毒殺されかけたことを、政宗が思いだし、嫌な想いをしているのではないかと―――小十郎が気遣っていることがわかったからである。
事実そうだったが、政宗はいつもどおりの自信に溢れた強気で、尊大な笑みを浮かべた。
「おい、小十郎。・・・いらねぇ心配すんじゃねぇよ。俺は“伊達”の当主だ。随分前に終わったことをくよくよ考えたりしない」
小十郎は、しばらく政宗を見つめていたが、やがて黙って頷いた。



謁見のための広間に政宗が行くと、その人物はすでに其処に座っていた。
政宗が入っていき一段高い当主の座へどかりと座る。板敷きの上に座布団すら与えられず直接端坐していた相手は、ゆるやかに両手をつき、政宗に頭を下げた。小柄な体に、政宗は我知らず苛立った。こんなひ弱そうな相手を預けるとは、徳川方もよほど伊達にもめごとを起こされたいらしいな、と。
「―――御苦労だな。毛利の・・・」
名を知らないため呼べず、政宗はそこで言葉を切って肩を竦めた。相手からは別段反応なく、静かに頭を下げたままである。
顔くらい覚えておいてやるか、二度と会うことはなくとも逃げ出したときに捕まえられるように。そんなふうに殺伐と考えて、政宗は素っ気なく、顔を上げていいぜと告げた。
相手はしばらく動かなかったが、やがてそっと身動ぎして、身を起こし、顔を上げる。
そして真っ直ぐに、政宗を見た。
「―――」
小柄な彼の視線の迷いの無さに、政宗は瞬間、狼狽えた。迷いが無い、どころか―――
(・・・この俺を、目で射抜きやがった!)
政宗は、片頬だけでにやりと笑った。
人質であるはずの男の視線は、恐ろしく強く、怯えて卑屈に頭を下げる者のそれではない。身に付けたものは大名家の者に似つかわしくなく、上等ではないうえ第一礼装でもなかった。簡素な普段着そのままに、けれどどうしてか、凛と背筋を伸ばすその姿には高貴な雰囲気が漂っている。
面は恐ろしく白く無表情で、・・・そしてまるで造り物のように、不自然なほどに整っていた。肩まで短めに尼削ぎにした真っ直ぐな髪だけが時折広間を抜ける空気に揺られてゆらり、揺れる。
切れ長の双眸はなんの感慨も浮かべず、ただじっと政宗を見つめていた。
(・・・此処は戦場か?)
政宗は、そんなふうに考えて嬉しくなった。戦が終わってしばらくたつが、あのときと似た緊張感を感じたのである。
「・・・アンタ、名前は?」
政宗は脇息に頬杖をついて、目の前の小柄な男に尋ねた。
問われた相手は、ほんのわずか、目を伏せた。



「―――我が名は、毛利元就」