誰かの願いが叶うころ





(10)


名を聞いた途端、小十郎や護衛の者たちが一斉に政宗を守るように体を張って砦をつくった。全員が、政宗が一声命じればすぐにでも斬りかからんばかりの形相である。無理もない。政宗が“元親”と呼ぶ人物は後にも先にもたった一人きりである。かつて四国を治め、徳川の前に膝を屈して後散った―――長會我部家の頭領、その人しかいない。
今、四国は徳川が送り込んだ別の武家が治めている。元親が姿を消したあと、長會我部家に連なる武士たちは外から送り込まれた新しい“支配者”に刃向ったが悉く敗れ、身分貶められ服従を強いられているらしかった。
眼前の様子を見て白い髪の“元親”は苦笑しているが武器を構えようとはしない。案内していた者だけが小さな悲鳴を上げた。
政宗が、場に凛と響く声を上げた。
「おい、お前ら落ち着け。・・・商人の一人二人に、なにいきり立ってやがる?俺の沽券にかかわるだろうが!」
「お言葉ですが、政宗様。・・・此処でこの者を見過ごしては、伊達はお尋ね者をみすみす領内に入れ、あまつさえ見逃したことになります。万が一徳川に知られたら―――」
「別に、かまやしねぇさ」
さらりと政宗は言って、腰掛けていた椅子から立ち上がった。そのままゆっくり、前へ歩み出す。政宗様、と口々に家臣たちが叫ぶように呼ぶのを、じろりと肩越しに睨みつけ、五月蠅ぇよ、と言った。静かだが重い声音に家臣たちは黙るしかない。唯一小十郎だけが食い下がらず、勝手をされるのもいいかげんになさいませと政宗を諌め、主君と元親の間に割り込むと刀を抜いた。
「―――小十郎ッ!引けつってんのがわからねぇのかッ」
「しかし!」
「俺の命令が聞けねぇのかつってんだ!どうなんだ、あぁ!?」
政宗の、昨今ではなかなかに無い剣幕に、小十郎は奥歯を食いしばると、渋々数歩後ろに下がった。政宗はそのまま元親の目の前まで歩いていくと、自分より高い位置にあるひとつ目をじっと見つめた。
「・・・ふん。逃げたわりには、相変わらずいい目してんじゃねぇか、元親。何処でどうしてたんだか、聞かせろよ。此処に来た理由もな。まずはそれからだ」
元親は瞬きをした。
それから、小さく笑うと、頷いた。
「・・・お前もな。変わってねぇな、政宗。・・・いいとも、全部話すぜ」



身を隠すために政宗が選んだのは、以前毛利を世間の目から隔離していた小十郎の屋敷の離れだった。そのことは勿論告げなかったが、元親は不思議な造りの邸に興味をひかれたらしくきょろきょろとあたりを見回した。此処は今も誰かいるのか、と問われて、今はもういないぜ、と政宗は肩を竦めた。
「・・・さて。なんで死んだはずのアンタが、今こうして俺と喋ってるのか、話してもらおうか」
ようやくその小さな離れの一間で腰を落ち着けた政宗は、目の前に端坐する元親を上座から見下ろして言った。
「死んだんじゃなかったのか。・・・俺は少なくとも、そう聞いてたんだが」
「―――長會我部の頭領としての俺は“死んだ”ぜ、政宗。そういう意味じゃ間違ってねぇな」
元親は少し自嘲めいた言葉を漏らした。白い髪をくしゃりとかきまぜると、小さく吐息をついた。
「・・・関ヶ原で負けて、・・・大阪の陣でも追い詰められたとき、俺は死を覚悟したさ。けど、野郎どもが、俺を逃がした。気が付いたら船の上にいた」
「・・・・・・」
元親の部下たちは、元親さえ生きていればどうにかなるのだと、目覚めて己の情けなさに泣く元親に言い含めたのだと言う。一体何処で生きればいいのかと狂乱状態で問い掛ける元親に、つき従った部下たちが示した選択は、“国外逃亡”だった。
―――話を聞いて、政宗は目を瞠った。
「国外?・・・海の向こう?それでこの・・・明の者と連れだってんのか?」
「ああ、いや・・・こいつは、土佐の頃からの貿易相手だ。今俺がいるのは、暹羅国(シャム)だ」
「・・・暹羅国!?」
政宗は小十郎と顔を見合わせた。支那海を南下した先にある国のひとつである。一体どうやってそんなところで、と訝る政宗に、元親は庭先の景色を見つめながら訥々と話した。
「実のところ、仲間は多い。関ヶ原の役で行く場所失くした牢人やら、徳川につかまったら殺されるってんで、国外に逃れた札付きがほとんどだが・・・存外人数は多くてよ、・・・倭人たちの集落もすでにあるくらいだぜ。重機や武器造って商いして・・・そこそこに充実は、してる」
「・・・・・・」
どこか別の次元の、遠い話のように思えて政宗はひとつ目の前がくらく翳るような錯覚に陥った。今自分と相対して、まるでごく日常の当然のことというふうに異国のことを喋っている男が、果たして本当によく見知った・・・一度は友誼を交わした・・・そして最終的には敵対する陣営に位置した、長會我部元親なのか、と。
元親は政宗の心の内を知ってか知らずか、相変わらず外を眺めている。
やがて視線を政宗に向けると、天候が穏やかだな、この国はと表情を綻ばせ、静かな声で付け加えた。
「あっちは年中あったけぇが、天気のうつりかわりが激しくってよ。雨はいきなり降るし、いきなり照るし、・・・まぁ少し土佐に似てると言えないこともないが。でも、・・・ゆるやかな気候の移り変わりは、やっぱ、懐かしい。食い物も、やっぱ本当はこの国のほうが俺は好きだ」
「・・・・・・」
「いい主君らしいな、政宗。道々いろんなとこで、農民たちがお前を褒めてるのを聞いたぜ?米つくりやすいようにって、色々考えてくれてるとか」
「・・・・・・」
「ほんとのところ、・・・国いっこ失くしちまった俺には、心底羨ましい限りだぜ。俺もそういうふうに・・・していたかったが」
しばらく静寂が、その場を覆った。



やがて政宗は、ゆっくりと話を再開した。
「アンタが生きてた理由はわかった。・・・だが、まだわからねぇことがある」
元親は政宗を見た。政宗は身を乗り出した。
「アンタの部下たちが命がけでアンタを生かした。・・・それが一体、なんでわざわざ。危険を冒して戻って来た?・・・アンタ、捕まったら処刑されるぜ。アンタがいなくなった後の長會我部残党の末路は誰もが知ってることだ。アンタの一族も部下たちも、下士に貶められて酷い差別を受けてるって聞いた」
「・・・そうだな」
「それでいいのか。平然と自分一人逃げて。見損なったぜ元親」
「違う。政宗、俺は!―――」
その言葉に、拳をどん、と畳に打ちつけて、元親は厳しい視線で政宗を睨みつけた。小十郎の刀の、鞘に触れる音が僅かに響いた。
その音で我にかえったのか、元親は力をゆっくりと抜き、俯いた。やがて小さな声がした。
「・・・何を言ったって、言い訳にしかならねぇだろうな。・・・そうだ、俺は逃げた。野郎どもに懇願され、逃がされたとしても、逃げることを選んだのは俺だ」
元親は淡々と続けた。
「でも、・・・諦めたわけじゃねぇ。・・・俺は、徳川を、いつか倒す」
「!政宗様ッ、この者の言葉―――」
小十郎の声に、政宗は手をばんと畳に叩きつけた。
「ちったぁ静かにしやがれ!!」
「しかし、今この者が言った言葉、捨て置けませぬ!!」
「俺だって、普段散々言ってるだろうが!!」
「政宗様、いいかげんに―――」
「いいから黙ってろ!!」
政宗は三度小十郎を黙らせると、手振りで続けろ、と元親を促した。元親は苦笑すると、ひとつ頷いて続けた。
「俺は、徳川を倒す。・・・そのために。力を溜めるために、この国を出た」
「倒す、ってのは簡単だがな、・・・そいつはいつだ?アンタは、いつまでも生きられるわけじゃない。生きてる間に実現はもう無理だ。わかってんだろ?」
政宗の痛烈な皮肉に、元親は、けれど笑顔になった。
「そう言いながら、お前だって諦めてないだろ、政宗?」
元親に指摘されて、政宗は肩を竦めてにやりと笑った。まぁな、と肯定して、でもアンタはそうじゃない、と言い放つ。
「アンタには、もう国は無い。・・・どうするつもりだ」
元親はゆるやかに頭を左右に振った。何処か決心のこもった仕草だった。
「俺がやらなくってもいいんだ。・・・俺に連なる、俺の一族が、仲間が、野郎共が。いつか実現すりゃぁいい。何十年、何百年かかっても。そのために俺は、外から奴らを支援できるようにしたいんだ」
「・・・気の長い話だな、元親」
「ああ、知ってる」
元親は頷き、俯いた。
「けど、・・・諦めないぜ。俺は、鬼だ。そもそもが大陸から来た者の血を受け継いでる。・・・遠い国にいたって、いつかきっと戻ってくる」



政宗は、少しばかり考え込んでいたが、やがて元親を指差した。
「・・・で。結局アンタ、それを俺に言いに来たのか?違うだろ?」
「―――ああ」
元親は苦笑した。隠しごとはもうするつもりもないが、随分鋭くなったな、と内心思っている。元親の知らない間に政宗は勝者として統治者として、随分成長しているらしかった。少しばかり眩しく羨ましく思いながら、元親は口を開いた。
「今話したことは、勿論本音だが・・・本当はお前に話すつもりは・・・いや、直接会うつもりも、なかったんだ。ただ今回は、仲間が奥州と取引してるってんで、思わず懐かしさについてきちまっただけだった。ちらっとでも顔見れりゃあ嬉しいとは思ってたのは事実だが・・・」
元親は言葉を切った。この場所にわざわざ危険を冒してやってきた本当の理由を、話そうか話すまいか、まだ少し迷っている空気があることに政宗は気づいた。促さず黙っていると、やがて元親は深いため息をひとつ、ついた。
表情がつきつめたものになる。
「帰るつもりで船に戻ろうとしたら、港で、聞いちまってよ」
「・・・何を」
「伊達家は徳川から人質を預かっている、それもかなりの重要人物だと」
「・・・・・・」
政宗はひとつ目をすうと細めた。
元親は、政宗と反対側の片目で、じっと政宗を見つめている。
「―――関ヶ原の。西軍敗戦責任者の一人、だと聞いた」
「・・・・・・」
「西軍総大将は、・・・中国の毛利だったはず」
「・・・・・・」
空気が、先程とは別の色にざわめきはじめた。感じ取ったのは政宗と小十郎と元親本人だけだったかもしれない。
その場にいない者の話へ軸が移っていく。政宗は心の中で呻いた。まさか―――まさか、此処でその名前が出るとは、迂闊にも思い至らなかったのである。元親に出会ったことも、元親が生きていると知ったことも、たとえ直近には敵同士であっても驚きでありむしろ喜びに近いものがあったが、その家名を持つ男が政宗の心の幾許かを今占めている者だと、元親は知らないのだった。
そして政宗も、知らない。何故元親の口から今このときに、“毛利”の名が出るのか。・・・かつて敵同士だったはずだった。瀬戸海を挟んで何度も戦端を開いたと聞いている。決戦のときは紆余曲折を経て同じ陣営に属していたが、どちらも敗軍となり、毛利も長會我部と同じくほぼ壊滅状態であった。けれどかつての敵国の「今」を、元親が心配する謂れは無いはずだった。
(国の・・・?いや、違うな。・・・国の心配してるんじゃねぇ、こいつは、・・・)
政宗の背筋がざわりと震えた。
どうして此処に来たのか、聞いてはいけないと思った。政宗は直感的に、元親の言葉を遮ろうとした。けれど、一歩遅かった。
「政宗。教えてくれ。・・・あいつが、・・・“毛利元就”が、生きて此処にいる、のか?」
元親は政宗の聞きたくないその名を、はっきりと告げた。
莫迦言っちゃいけねぇぜ、あちらさんは敗残者だ、とっくに死んでるだろうよ。そう言うべきであった。なのに、政宗はそうできなかった。しらばっくれることができないくらいに、元親の視線は真摯で必死で、嘘の許されないなにかがあった。でも、本当は、政宗は告げたくなかった。元親に告げたら―――
(奪われちまう、この、・・・海賊に)
「・・・だったらどうだってんだ?」
政宗の声色は、政宗自身が驚くほどに冷たかった
元親は政宗から拒絶の気配を感じても視線を外さない。眉が顰められ、食い入るように見つめてくる。
確信したのだろう。探す者が此処に間違いなくいることを。



しばらく睨みあった後、やがて元親は両手を床についた。ゆっくりと頭が、政宗に向かって下がって行く。白い髪が畳に擦りつけられる。平身低頭、そのものであった。落ちのびた身とは言えかつては巨大な領国の主君であった身ならば、他者へこれほどに頭を下げるは痛烈な屈辱であったろう。けれど、元親は同じ姿勢のまま動かない。
「もしもそうなら―――頼む。」
以前四国を治めていた頃“鬼”と呼ばれていた男の声は、畳に一度吸いこまれ、低くくぐもった音で、けれどこれ以上ないくらい明瞭に政宗の鼓膜を震わせた。頼む、という声は呼び声であった。政宗ではない。呼んでいるのは。



「俺をあいつに、会わせてくれ。・・・毛利元就に。俺は、・・・あいつに会うために、此処に来た」