誰かの願いが叶うころ





(14)


沙門の修行場所である場所に、狩りのための動物を飼うのはいかがなものかと寺からは苦言も出たのだが、政宗は意にも介さなかった。戦乱期には僧兵たちは動物どころか人すらも(信仰のためとはいえ)斬って捨てたくらいである。在る意味世が治まった証拠だろ、と一笑に伏して、毛利の居室から近い一隅に鷹の小屋を建てさせた。
政宗が行くと、いつもではないが、毛利が鷹と戯れているところに出遭うようになった。そういうときは政宗は邪魔をせず、縁側に近い部屋の中でその様子を黙って眺めている。
鷹が好きか、と、あるとき問うてみた。
ちょうど鷹匠が小屋へと連れて行くところで、戯れの時間は終わりだった。連れて行かれるのをじっと見送っていた毛利は政宗を振り返った。
それから手をかざして日輪を見上げた。
「・・・遠い国では、鷹は日輪の化身だということだ」
そんなふうに言うので、政宗はへぇと身を乗り出した。日輪を毛利が信奉していることはよく知っている。そのせいもあるのか、と、それは何処の国かと訊き返すと、さぁそれは我も詳しくは知らぬ、と素っ気ない返事である。
「・・・元親に、訊いたのか?」
ふと思いついて尋ねた。
図星だったのか、毛利は僅かに眉を顰めた。
「あやつの戯れ言を真に受ける我を哂うか」
「・・・いや?戯れ言でもねぇだろうぜ、元親は前から見聞広めてるからなぁ」
「・・・・・・」
政宗と毛利が二人のときに元親の話題を出すのは、大抵は政宗本人だった。意識してやっているわけではないが、元親の名前が出るたびに毛利の心が揺らぐのが手に取るように分かるので、それが辛くもあり、妬みもあり、・・・一方で毛利の人間味のある表情を見るのが楽しいというのもある。矛盾しているが、仕方ない。
そして毛利は、大抵の場合、元親の名前を聞くと不機嫌そうに眉を顰めるのだった。本当は気になっているだろうに、素直じゃない人だと政宗は思う。
「―――ま、よしとくか。あいつの話は危険だ。な、毛利の」
言って、政宗は前髪をかきあげた。
名前を呼び合うことは許し許されていたが、毎回そう呼ぶわけではない。政治向きの話が混ざるときは特に、知らぬうちに二人とも、互いを家名で呼ぶ。



毛利は縁側から部屋に入ってきて、立ったまま政宗を見下ろしていたが、やがてゆっくりと隣に座って庭先をじっと見つめた。
「・・・貴様は、この部屋ではいつも此処に座っておるな」
毛利の口からそんな言葉が出た。政宗は片目を瞬いた。
「そうか?」
毛利は、僅かばかり、しまった、という顔をした。
「・・・さて。我の気のせいやもしれぬ」
政宗は小さく笑った。頭のいい、よくものを見ている毛利が言うことだ。きっと自分はこの場所に無意識によく座っているのだろう。
「アンタ、そんなに俺を見てくれてるのかよ」
揶揄うように言ってやる。毛利はそれを聞くと、視線を彷徨わせた。
「・・・別に」
応えると俯いてしまう。立ち上がると、部屋の隅の書見台の前へ座った。政宗も追いかけるように、立ち上がると毛利の目の前に行き、しゃがみこんで、毛利の顔を覗きこむ。
「・・・なんだ」
「せっかく来たんだぜ、もうちょっと俺と話、してくれよ」
毛利は溜息をついた。知らぬ、と言うとまた俯く。政宗は舌打ちした。
「なんで急に、そんな不機嫌になってんだよ?ああ?」
「知らぬ」
「・・・俺のこと見てたのか、って言われたのがそんな気に入らなかったか?」
「・・・関係ない」
多分、そうなのだろう。
「俺は相当気まぐれな自信があるが、・・・アンタも相当気まぐれだよな。機嫌よく笑ってるかと思えば急に怒りだしたり」
政宗は大袈裟に溜息をついた。毛利の手が、ぎゅっと膝の上で握りしめられたが、やはり視線は下を向いたままだ。
以前ならば政宗も一緒になって不貞腐れ、そのままさっさと帰っていたことだろう。
けれど政宗は、今はなんだか、こういうやりとりが嬉しいと思ってしまう。政宗という他者に注意を払っていたことを言いあてられて、そんな自分に不機嫌になっているらしい毛利は、何処か幼く可愛らしいとさえ思う。
「俺は嬉しかったけどな。アンタが俺の癖、見つけてくれたと思うと」
「―――ッ、別にそういうわけではない」
「ま、なんでもいいさ」
「別に我は・・・貴様を見ているわけではない。」
意地になって毛利は言う。
「一国の主君たる者、いつ刺客に狙われてもおかしくないであろうに。同じ行動順序や場所を続けるは危険なり。我はそう言いたかっただけよ」
凛とした声だったが、後付けの理由だな、と政宗は可笑しくなった。
「そうかよ。それも、俺を心配してくれてんだろ」
「! そうではないと・・・」
言い負かされた格好になった。毛利は、気に入らないらしい。睨みつけてくる。
「いいさ。俺は、そういうことにしときたいんだからよ!」
政宗は手を伸ばして毛利の頬に触れた。視線がちらりと政宗を見あげた。上目づかいも反則だろ、と思いながら、政宗はゆっくりと顔を近づけて毛利の口を食んだ。書見台が、かたりと音をたてて倒れた。
「―――ッ」
毛利が、塞がれた唇の隙間から、このような場所と時間では控えよ、と文句を言う。だったら夜に来てアンタを襲うぜ、と面白そうに政宗が言うと、もはや反論は無くなった。
舌先であやすように誘ってやると、毛利の舌はおずおずと応えてくる。ほの暗い部屋の隅は影に埋もれていく。元就、と呼ぶと、毛利も控えめに、政宗の名を呼んでくれた。
政宗は毛利の口を吸う間も目を閉じないで、毛利の閉じた一重の瞼の長い睫毛が、顔の向きを変えるたびほんのわずか震えるのを見ていた。
どうしてこの人は元親のものなんだろう。
どうしていつかこの人は、いなくなるのだろう。
そうと知っているのに、どうして、互いにこうして、まるで求めあう恋人同士のようなことをしているのだろう―――
(もしかしたら俺は、・・・元親の、身代わりだろうか)
そんなふうにも考えてしまう。深く何かに抉られるような痛みがくる。
(それならそれでも、かまやしねぇ)
別れるまでは存分にこの男を見ることに決めたのだ。



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平穏な日々が続いた。
政宗と毛利は、同じような逢瀬を続けている。
ただ、抱くことはない。どうしてもそれは、元親の顔がちらついて政宗には出来なかった。気にすることもないと思うが、以前抱いたのはまだ毛利に半分被害妄想じみた憎しみを抱いていた頃のことである。今は政宗は、自分の過去や母親と毛利を切り離して考えられるようになっていた。
ただ、毎日ではなくとも毛利の元へ通う日課は定着していた。足繁く、というほどではないかもしれないが、小十郎には時折、あの場所はあくまでも毛利の監視場所であって主君の居ます処ではありませぬと、やんわりと苦言を呈されたこともある。政宗は、護衛もちゃんと連れてるだろ、と応えて笑っておいた。
その日も、政宗は毛利の部屋で、ぼんやりと庭先で毛利が鷹と戯れているのを見ていた。
日が少し翳った。政宗はふと畳に手を当てた。
いつか指摘されたとおりの場所に、やはり政宗は座っていた。どうも無意識にこの場所に座る癖があるのは確からしい。
顔を上げるとぐるりと見回した。部屋の様子と、庭先とが片方の目でもよく見える。毛利が振り返ってこちらを見た。・・・
なにごとか、毛利の口元が動いたのに気づいた。政宗は眉を顰めた。甲高い鷹の鳴き声が響き、羽音が忙しなく空気を裂いた。毛利が縁側を駆けあがり、政宗のほうへ近づく。
声は後から耳に届いた。
「―――伊達!!伏せろッ」
(・・・なんだ?)
政宗は首を傾げた。少し暗くなったせいでよく状況が飲み込めず、伸びあがろうとしたとき、向かいの塀の外側にある、同じ寺の敷地の神社の杜の梢がきらりと光った。
「・・・・・・!!!」
気付くと同時に、毛利が政宗の上に覆いかぶさった。細い腕が自分の背をこれでもかと軋むほどに抱きしめるのを政宗は感じた。



―――直後に、銃声がした。



政宗の体の上で、毛利の体はびくりと跳ねるように一瞬動いた。げほっ、とむせたような咳き込み方をして、毛利はぐったりと動かなくなった。
音に反応したのか、鷹がずっと鳴いている。羽音は例の梢の方へ遠ざかる。悲鳴ににた声があがった。おそらくは忠実な鳥が“敵”を攻撃したのだろうと政宗は奇妙に冷えた頭の芯でそう考えた。
けれど動悸は爆発しそうに、速い。
「・・・おい、」
腕をそろそろと伸ばし、自分より華奢な背を抱いた。ぬるりと湿った感触が掌にはりついた。片方しか無い眼で必死にその色を確かめたが、恐ろしいばかりの赤だった。同時に、耳を劈いた先程の音が蘇る。
ずっと以前、父親を、敵と一緒に撃ち殺したときと、同じだった。
「・・・なぁ、おい」
政宗は声を絞り出したが、からからに乾いた喉からは掠れた言葉しか出てこなかった。庭先と邸内、塀の外、寺の境内まで既に異常に騒がしくなっている。護衛の者が政宗の無事を確認に飛び込んできて、悲鳴を上げた。畳みの上を政宗は視た。もう其処にもおびただしい血の溜りがひたひたと二人を取り囲んでいた。
「―――小十郎を呼べッ!あと、医者を―――」
政宗は必死に叫んだ。護衛や僧侶たちは主君が無事だと気付いたらしい。よかった、と涙声が聴こえた。馬鹿野郎、と政宗はさらに叫んだ。
「馬鹿野郎!!こいつが、・・・」
いいわけがない。なにが、いいのか。
「おい、毛利の、・・・毛利・・・なぁ、おいっ。―――元就ッ」
座り直し腕に抱き直してみれば、毛利はまだ呼吸はあった。銃弾は体内に残っているのか、貫いて出ていったのかもわからない。ただじわじわと赤が、毛利と政宗をつなぐように拡がって行く。
呼びかけに応えるように、毛利の瞼が薄く開いた。政宗は、元就、と呼んで顔を覗きこんだ。日頃からさほど顔いろのよくないというのに、今は透き通るように蒼白い。
白く浮いた唇が、阿呆めが、と呟いた。政宗は目を瞠った。
「・・・だから、言ったであろうに。・・・主君たるもの、同じ行動を取るな、と、・・・」
「―――ああ、そうだ。俺が、馬鹿なんだ。もう、それで、いいから」
政宗は泣いた。
何遍も、壊れたように、「元就」と繰り返して、泣いた。
「しっかりしろ、・・・死なないで。死ぬな」