誰かの願いが叶うころ





(15)


 小十郎が報せを受けて寺に駆け付けたとき、すでに医師が呼び寄せられており毛利の治療はほぼ完了していた。真っ先に政宗の姿を探した小十郎は、毛利の手術が行われている(そして毛利が倒れたまさに同じ場所である)部屋の片隅で護衛の者一人に守られ、放心した表情で座っている主君を見つけた。身に着けたものが悉く赤黒い血で染まっており、一瞬小十郎は蒼褪めたが、周りの者の話ではすべて返り血であり政宗はまったくの無傷だという。毛利が身を呈して守ってくれたのだと聞いて、小十郎は内心深く毛利に感謝した。
 護衛の者たちが手際よく情報漏れを防ぎ、政宗が何者かに狙撃されたことは秘されていて小十郎は彼らをねぎらった。寺の側もよく務め首尾よく僧兵たちが下手人を捕えていた。―――もっとも、曲者を境内に入れたことは手落ちに違いなかったが、小十郎はそれを咎めることはなかった。寺にしてみれば頻繁に主君の政宗が、軽装で立ち寄ることのほうが異常なことである。彼らの任務は本来、毛利の警護(監視)だけだった。むしろ政宗自身と、彼を守る立場の者がもっと目を配るべきことだった。
「それで、毛利殿の容体は?」
 小十郎は声を顰めて毛利の体から銃弾を取り出した医師に問うた。すっかり疲れ切った表情の老境の医師は難しいですな、と呟くように言った。弾があったのは致命傷となる位置ではなかったが、血がかなり失われた、と。あとは当人の生きる気力に頼るしかなく、これ以上何もできないと言う。
「・・・そうか」
 小十郎は神妙に頷いた。少し考えた後、奥でゆっくり休むよう医師に伝える。寺の者たちへもねぎらいの言葉をかけて回った。
 警護が万全であることを確認してから、小十郎はその部屋に戻った。
 彼の大切な主君はまだ同じ部屋の隅に、着替えもせず俯いて座り込んでいた。側近がつき従っていたが、小十郎を見ると主君の様子がおかしいことに耐えかねているのか悲痛な視線を送ってくる。
 小十郎は政宗の真正面にゆっくりと座った。
「政宗様。小十郎です。おわかりか?」
 政宗は返事をしなかった。小十郎は、慇懃に頭を下げた。
「―――ご無事で何よりでした」
 その言葉に、政宗は反応した。片目だけの視線が雷光のごとく小十郎を、ぎり、と睨む。無事だと?と震える声が響いた。小十郎は動じない。
「左様、政宗様はご無事です。無傷とのこと聞きました。大変幸いでございましたな」
「・・・ッ、なにが幸いだッ!!!」
 政宗が声を荒げ叫んだ。同時に、毛利を看護する寺の僧侶が振り返り、お静かに願いますと泣きそうな顔で懇願したので政宗ははっと表情をひきつらせ、苛立ちを押し込めるように頭を強く左右に何度か振った。
 小十郎は淡々と続けた。
「ですが、護衛が手薄になっていたことは小十郎の手落ちです。如何様にも処分は受ける所存」
「・・・そうじゃねぇ、・・・あぁ、俺はこのとおり無事だ、そうとも!」
 政宗は立ち上がり、小十郎を見下ろした。お前にはあの人のことが目に入っていないのか?と苦しげな声が訴える。小十郎は動じず静かに政宗を見上げていた。
「俺は無傷だ、・・・けどこんなのは“幸い”でもなんでもない!あの人は俺を庇った、それもお前にとっちゃ・・・伊達家にとっちゃ幸いなのかよ?厄介者の人質が一人、死にかけてる、くらいの?」
「・・・そうですな。しかしそれは結果であって、毛利殿が負傷した事実そのものについては小十郎は詫びる必要はあるとお考えか?政宗様がご命令とあらば当然そう致しますが」
 どこか突き放したような口調と論調に、政宗は意味を為さない苦しげな呻き声を上げた。
「・・・お前のせいじゃねぇ。わかってる、あの人が撃たれたのは、全部俺の―――」
 そこまで言って、政宗は唇を噛んでまた俯いた。小十郎、と掠れた声がした。小十郎はじっと年下の主君を見つめて、なんでございますか、と先程より僅かに穏やかに問い返した。今と同じ状態の政宗を、小十郎は過去に何度か見た記憶があった―――先代(政宗の父)を撃ったとき、弟を殺害する命令を出したとき、そして母親を追放したとき。
 政宗は顔を上げた。伊達家の、強さと統率力を兼ね備えた自信に充ち溢れたいつもの主君では勿論、無い。其処にいるのは、途方に暮れる子供だった。
「・・・俺は、あの人に言われてたんだ。主君たる者、同じ行動を繰り返してはならないと。敵につけこむ隙を与えることになる、って意味だと・・・俺はわかってたのに、」
「・・・」
「舐めてかかってたんだ。もう戦は終わった、天下も治まっちまったんだから、ってな。まだ天下諦めてないと言いながら俺は―――」
 そして、横たわる“中国の主”を見た。
「あの人は、まだ戦の名残を背負って、明日どうなるかの覚悟を決めて人質として生きてるってのに、・・・俺は、完全に浮かれて、・・・そんなこと忘れちまってた!!」
 日頃から顔いろのよくない面は、恐ろしく白く、無機物のように其処にただ在る。
 どうしよう、死んでしまう。どうしたら。
 問い掛ける声が零れ落ちる。小十郎は、主君から目を逸らさず、静かに見つめ続けた。



「・・・死んじまう、のか?俺のせいで?どうしたら、・・・俺は、どうしたら」



 やがて呻くような微かな嗚咽が響いた。
 同じ部屋にいる者たちが主君の涙に、驚愕の表情で視線を送ってくる。小十郎は眉を顰めると、ゆっくりと立ち上がった。声を落とし、政宗を人目から避けるように自分の体で隠す。
「・・・まずは着替えを。貴方様から血の匂いが酷うございます。拭い落として少し落ち付かれよ政宗様」
「・・・ッそんな暇あるか!!この人が苦しんでるってのに俺はッ」
「政宗様ッ!!!」
 叱咤する声は大きくはなかったが、政宗はびくりと顔を上げて忠実な家臣を見た。小十郎は厳しい目で政宗を見ると、その両肩に手を置いた。傷を隠すために今も皮手袋を嵌めている。歴戦の証であり政宗を守り切った証でもある。政宗は俯いた。多くの犠牲の上に自分が立っていることを思い出した。
「弁えられよ。貴方様はどなたなのか。天下いまだ不安定と今仰ったのは御自分であられる。簡単に弱気を見せるべきでない」
「・・・・・・」
「着替えを。・・・そして、それが終わったら、城へ戻りなされ」
「!! い、嫌だ、俺は」
 弾かれたように顔を上げ、無慈悲な小十郎の言葉に政宗は半ばしゃくりあげながら、嫌だ、と繰り返した。
「俺は此処にいる。此処であの人を」
「いいえ。あの御仁が御目覚めになられるまでは此処へ来てはなりませぬ。貴方様が此処にいても何もできませぬ」
「い・・・嫌だ・・・」
「・・・毛利殿のお言葉をお忘れか!そんなことで毛利殿にどう顔向けなさる!ご自分の為すべきことを全うされよ!!」
「―――」
 反論の余地は与えられず、そしてその権利が自分に無いことを、政宗はようやく理解した。動かない毛利をゆるゆると見遣って、政宗は唇を噛んだ。自分が引き起こしたことだ。誰のせいでもない。政宗の立場は、そういうものだった。
「わかった。・・・でも、小十郎」
 政宗は必死に言葉を継いだ。
「あの人は、・・・関係ないことに巻き込まれたんだ。あの人にはなんの咎もない、・・・だから、・・・俺が、あの人に感謝することは、・・・いいだろう?」
 小十郎は静かに頷いた。勿論でございます、と力強く告げた。
「小十郎も、心より感謝しております。毛利殿に」



 ようやく少し落ち着いた政宗を城へ連れ帰ったのはもう深夜だった。下手人の調べもありやることは山積みだった。
 政宗は毛利を今回の件に関係ない、と言ったが、実際はどうかわからない。もしかしたら西軍の(毛利軍の)生き残りが今回のことを企てたかもしれない。あるいは政宗ではなく、毛利を本当は狙ったのかもしれない。考えられる可能性はいくつもある。
 毛利の容体は逐一知らせるように寺に置いた部下に言い含め、出来る限りの看護の体制はつくった。あとは医師の言うとおり毛利次第で、小十郎にできることはなかった。心配なのは、毛利が冥府へ行くことになったとき、政宗がどうなってしまうかと、小十郎の心配はすでにその点が大多数を占めていた。
 やはり最初から距離を置いておくべきだったのか、と小十郎は溜息をつかずにいられない。毛利本人も、政宗も気づいていないようだったが、どんな方法であれあの大国を束ねていた手腕があるからには、毛利本人に恐ろしいまでの人を魅了する力があるに違いないのだ。さらに苛烈なまでに、自分自身を傷つけてまで国を(毛利の家を)守ろうとしていたどこか異常なまでの執着は、深い淵のように政宗を引きこんだに違いなかった。目的と疑心暗鬼に取り憑かれ、実の息子に毒を盛った母を持つ政宗にはなおのこと。
 ・・・一方で、感謝もしている。今回のことだけでなく、時折暴走したり、自暴自棄になりがちだった政宗が、毛利と関わっていく中で本来の思慮深い彼らしさを取り戻そうとしていたことに。毛利は政宗の母ではなく、一面は元・大国のあるじでありながら、他面では一人の小柄な、太陽と広い空に憧れる青年だった。時折見せる人間らしい毛利の顔が、政宗を喜ばせていたのを小十郎も知っている。
(もしも、毛利殿が・・・)
 死んでしまったなら、伊達家としては面目はつぶれるものの、事情が事情だけにむしろ好都合かもしれなかった。政宗が悲しみに沈み自分を責めることは予想できたが。乗り越えられないことはないはずだ、と小十郎は思う。
 生き残ったならば?
(・・・そっちのほうが、厄介かもしれん)
 小十郎は深いため息をついた。政宗が毛利に、恋慕に似た想いを抱いていることは疑いなかった。今回のことでその想いはきっと強くなる。政宗は毛利を手放したくないと思うだろう。
 長會我部が攫いに来なかったとしても、いずれ彼は何処か別の土地へ送られる身分だった。別れることをわかっていて、抑えられない想いをどうしてやればいいのだろうと小十郎は考えた。
(いや、待て、・・・毛利殿は?政宗様をどう思っておられるのだ?これまでの成り行きを聞き及ぶに、疎んじている様子は感じられないが・・・むしろ政宗様を・・・)
 そこまで考えて、小十郎は我に返って苦笑した。
 ・・・結局は、政宗の気持ちを、背中を、押してやりたいと思っている自分に気付いたのである。俺は随分政宗様に甘いもんだ。と呟いて小十郎は政宗を狙った下手人の取り調べに向かった。



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 怖い、と思った。誰かがいなくなるかもしれない、その予測が、こんなに怖いと自覚したのはきっと初めてだった。
 いつの間にか、自分が彼に深く寄り掛かっていたのだと政宗は知った。肉親たちがいなくなったときも泣くことは許されなかったし、泣いている暇もなかった。そのとき置き去りにしてきた「泣く」と言う行為が、今になってとめどなく溢れているのかもしれない。
 政宗は日中は何事もなかったように、これまでどおり伊達の当主として鷹揚に大胆に振る舞った。夜になり一人になる前に、小十郎に、どうか、とだけ尋ねる。毛利の容体はどうか、と。小十郎は静かに首を横に振り、まだ御目覚めではありませぬ、と告げる。そうか、とぽつりと言って政宗は寝室に入る。―――掛け布に潜り込み、声を殺して泣いた。
 その繰り返しが幾日続いただろう。
 ・・・もしかしたら、毛利には迷惑な話かもしれなかった。彼は望んで伊達家に来ているのではない。無理矢理連れてこられ、無理矢理軟禁されている。人質という、きわめて不自由な身分だった。抵抗できないのをいいことに強姦したこともある。これまでだって、政宗は自分の気分で、好きなように彼に会い、彼に触れてきた。時には酷いことも言った。それを毛利は黙って受け入れてきた。
 触れて、毛利に拒まれたことはないが、明確な応えも貰った覚えは無い。嫌だとも言えず、ただ耐えていただけかもしれない。・・・もっと穿った考えをすれば、詭計智将の本領である「策」かもしれず、政宗はまんまと毛利に騙されているだけかもしれなかった(事実、小十郎はそう疑っている、今もなお)。ただそれだけの間柄かもしれないのだ。
 今更泣いて、生きてほしいと願うのは馬鹿な話かもしれない。彼は嘲笑うだろうか。目覚めたとき政宗の様子を見て、してやったりと思うだろうか。なにも感じず、ただいつもどおりだろうか・・・
(・・・なんだって、かまうもんかよ)
 政宗は声を出さないために敷布の端をこれでもかと噛みしめて、考える。
(俺は、あの人に生きてもらいたい。・・・もっかい話ができたら、そのときは―――)



 幾日か続いた雨が上がって、ようやく日輪が顔を出した朝、ぼんやりと庭先の露を含んだ木々の葉を眺めていた政宗の耳に馬の蹄の音が僅かに響いた。こんな早くになんの報せだろう、と、政宗は考え―――身を固くした。
(・・・まさか)
「政宗様、」
 背後から声がかかる。小十郎だった。政宗はゆっくりと振り返った。
 小十郎は、少し、笑った。毛利殿が御目覚めになられたそうです。容体も安定しておられるとのことです、と。
「―――」
 政宗は、何か言おうとして口を開けた。それから唇を噛んで、俯いた。握った拳が震えた。政宗様、と小十郎は呼びかけて肩をぽんぽんと二度、両手で優しく叩いた。
「参りましょうか。まずは着替えを」
 毛利が倒れたときと同じように言う。政宗は思わず小さく、少し笑って、―――それから、よかった、と呟いた。そうですな、と小十郎も言った。
「・・・ほんとに、そう思ってるか?」
 俯き加減に尋ねると、小十郎は苦笑した。
「政宗様の命の恩人ですからな。小十郎も礼を述べられてうれしゅうございます」
「・・・そう、か。・・・俺は、会って、いいのか?あの人に?」
「無論です。ちゃんと御礼を申し上げなされ」
 政宗は顔を上げた。そして、笑顔になった。
 うん、と、幼い返事が返ってきた。小十郎は柔らかく笑った。