誰かの願いが叶うころ





(3)


"竜などとおこがましい。そなたなど小さき男。何故殿がそなた如きに家督を譲り命まで差し出したかわたくしには理解できぬ"
"惜しや斯様な結果になるとわかっておれば・・・胎にあるうちに引き摺りだしたものを"



久しぶりに嫌な夢を見て、政宗は布団を跳ねあげ飛び起きた。
叫び声を上げてしまったのか、宿直(とのい)役の者が襖の先から声をかけてくる。政宗はじっとり冷たい汗に濡れた掌を見つめながら、なんでもねぇ、下がれと命じた。
あたりはまだ暗い。政宗はゆっくり呼吸を整えると、ぱたり、再び布団の上にあおむけに倒れ天井を見つめた。
伊達家から放逐された母が、何処でどうしているか政宗は知らない。実家である最上家へ戻ったとは予想できたが、もはやどうでもいいことだった。毒物を喰らわされたときの、あのなんとも得体の知れない感覚は思い出すのもぞっとすることだった。死者の国が扉を開けて、その向こうから父が呼んでいる・・・幻のはずがどこまでも現実味のある意識。
「・・・徳川の古狸どもめ、・・・どこまで勘ぐって、あの男を寄越してきやがったんだ?」
引き攣ったような笑みを零しながら、政宗は半ば本気でそう疑わずにいられなかった。
普通の人質ならば、相応の扱いをしておけば問題ない。死なせず安楽に暮させればよいことである。
また、たとえあの男の名ほどの重要人物だとしても、"普通ならば"政宗は夢に見るほどうなされるはずもなかった。小十郎たちに任せておけばよいことである。そして伊達家の重鎮たちは問題なく人質の保護と軟禁をやり遂げるだろう。
けれどあの青年の場合―――小十郎が必死に「会うな」と言うのが政宗には理解できた。制止がなければ、政宗は彼をあのまま虐待して殺していたかもしれなかった。遠い昔の精神的外傷はすっかり最近はなりを顰めていたが、もしかしたら政宗のそういう過去を調べたうえで、母親をどこか思い出させるあの青年を、わざわざ選んで送りこんできたのではないか・・・まさかそこまで、と思いつつも、あるいは、と考えてしまう。
実の息子すらも自分の都合に悪くなれば殺そうとする母と、兵士たちを捨て駒と称して累々と屍の道を築き歩んできたというあの青年は、どうぬぐい去ろうとしても政宗の脳裏で忌むべき"同じもの"としてこびりつき離れなかった。



朝がきて、小十郎が昨晩のことを耳にしたのだろう、やってきた。政宗は不機嫌な顔を隠しもせず朝餉を食べていた。
「"毛利元就"の邸は、当初の予定と変えましたのでご報告いたします」
政宗は驚いて箸を止めた。
「・・・何処だ?なんでわざわざそんなことをした」
「予定通りだと、貴方様が乗り込んでいかれるからです」
さらりと、けれどかなり際どいことを小十郎は言い、政宗は苦笑した。
「そんなに俺は、あいつを殺してしまいそうだったか?心配かよ?」
「そうです」
今度は政宗は少し辟易した。小十郎には絶対の信頼を置いているが、心の片隅までほぼ完ぺきに推測されてしまうのはやはりあまり面白くない。
苛立ちながらも、政宗は何処へあいつを隠した、とは訊かなかった。
昨晩見た造り物のような白皙の面を思い出す。
面差しが母に似ているわけではない、・・・共通するのは見た目が「美しい」という概念だけで、具体的に彼女を思い出させる容貌ではなかった。むしろその態度や・・・根源的な魂が似ているようにどうしても政宗には思えて、だから余計に苦しい。いっそ見た目はそっくりで性格がまるっきり違うほうがむしろ余裕持って楽しめたかもしれない。
「あの者については、忘れることです。小十郎が責任持って監視致しますゆえ」
昨夜と同じように小十郎は短く言って、そのまま頭を下げて出て行った。政宗はぼんやりと、椀の汁ものにうつる自分の片目の顔を睨んでいた。
(そうとも、・・・いなかった者とすれば問題はない。俺にはやることが山積みなんだ。あんな亡霊と関わってる暇はねぇ)
政宗は独り言ちた。



それから、何事もなく日が過ぎた。
月が一度陰り、また細く現れるだけの時間が過ぎたが、誰も"毛利元就"について口にしなかった。もしかしたら家臣たちは仔細を把握しているのかもしれなかったが、少なくとも政宗の耳にはその名は入ってこなかった。



その日は久しぶりの鷹狩りが行われていた。
元来鷹狩の好きな政宗は、一年ほど前に家臣から譲り受けた(正直な話、欲しいと強請ったのだが)鷹を連れて機嫌が良かった。
新しいあるじである政宗にもよくなつき、言うことをきく賢い鳥だった。これまでにいなくなったことや戻らなかったことは一度も無い。
それが今日に限って、野兎を追っていたところ、姿が見えなくなった。政宗は何度も口笛を吹いて呼んだ。日頃世話をしている鷹匠も呼んだが、鷹は戻らない。やがて日が傾き出して、常にないくらい政宗は落ち込んだ。彼のそういう子供っぽいところをよく知っている小十郎はどうにか慰めようとするが、戻らないものはどうしようもない。
「・・・近辺を探してくる」
それだけ言い置いて、政宗は鷹が消えた空の方角へ一人で馬を駆けさせた。言い出すと聞かないことを知っているため、家臣たちも誰も止めなかった。



広い草原を抜けると穏やかな田園風景が広がっている。小十郎の領地だった。政宗も幼い頃はよくこの土地で遊んだ。
政宗が馬で通り過ぎると領民たちが立ち止まり丁寧に頭を下げて挨拶をする。それに応えながら、鷹がこちらへ飛んでこなかったかと政宗は訊きながら進んだ。色よい返答はなかなか無かったが、やがて一人の農夫が一軒の大尽屋敷を指差した。
小十郎の別邸のひとつである。おもに農作業をするときに使っている屋敷だった。
政宗は少し嬉しくなって馬のまま門をくぐった。顔見知りの召使たちが急な主君の来訪に驚いて平伏する。政宗は馬から飛び降りると、此処に俺の鷹が飛来しなかったかと尋ねた。召使たちは顔を見合わせた。その様子から、鷹は此処にいるのだと政宗は見てとって、喜び勇んで軒端をくぐった。
老齢の家令が、ひどく慌てて政宗を押しとどめた。
「・・・なんの真似だ。主君が家臣の屋敷に入るのを許されないってのか?」
政宗が流石に気分を害してそう言うと、家令は縮こまった。おろおろと、これも馴染みの女中頭が出てきて言い訳するように、片倉様から、ご主君を中に入れないよう命ぜられているのです、と白状したので政宗は余計いきりたった。
「Why?」
「それは、・・・政宗様はもはや天下の重鎮、このような野良場へ御入れしては失礼だと―――」
「嘘つけ。・・・いや、お前らは嘘ついてねぇのか?小十郎か?」
かまやしねぇよ、と政宗は言って、まず母屋の奥にある中庭へ向かう。ぐるりと見まわしたが鷹はいない。そのまま、裏手の濡れ縁にそった庭へ回ったが、やはり鷹はいなかった。もう何処かへ飛んで行ってしまっただろうかと政宗が落胆しかけたとき、少し離れた場所から僅かに羽音が響いた。
「―――」
高い板塀の向こうからのようだった。ふと政宗は訝しんだ。この邸には幼少の頃にはしょっちゅう出入りしていたがこんな板塀があった記憶はない。長じるにつれ、此処は小十郎の作業場であって住いではないため(普段は召使が数人で屋敷の守りとして留守番をしているだけである)政宗が来ることはほとんどなくなった。最も近い時期に来たのは天下分け目の決戦前だったかもしれないが、そのときも門をくぐっただけで中には入らなかったので勿論こんな変化は知らない・・・
「・・・・・・」
政宗はふと何かを感じて考え込んだ。板塀に手をかけて揺すってみる。非常に頑丈に造られている。そこそこに上背のある政宗でも飛び越えるのは不可能とは言わずとも無理のある高さである。
目を凝らして見て、政宗は眉を顰めた。塀の上部がぎらりと光った。確かめてみなくとも、それが侵入者を攻撃するための刃であることはすぐわかった。
「・・・侵入者?・・・違うな」
呟くと、政宗は塀に片手を触れながら辿っていく。ぐるりと一周するのにそれなりにかかった。小さな平屋の、屋根の部分だけが見えている。入口は何処だと考えたとき、塀と一体になった、見慣れない短い渡り廊下を見つけた。
政宗は草履を脱ぐのももどかしく、屋敷に入った。板塀の方にある母屋と離れの部屋、廊下を順番に見ていくと、渡り廊下への道が見当たらない。これはいよいよおかしいと思いながら調べていると、果たしてひとつ、見覚えのない小部屋に出た。板塀の方角は白い壁と一枚扉の押し入れだったが、政宗は油断なくその壁と襖を見比べた。壁は真新しい白で土壁である。押し入れの襖は使い込んだように一部だけ薄くくたびれていた。
「・・・ふん、なるほど」
政宗は襖をあけた。なんの変哲もない押し入れであった。ものが積まれている。
「・・・っかしいな?」
襖を閉めてみて、政宗はにやりと笑った。襖が引かれた壁から僅かに光が漏れたのである。手をかけるところはなかったが、爪をかけて引くと一見壁のようだったそこは簡単に開いた。
政宗は頷くと、躊躇なく足を踏み出した。



渡り廊下はすぐ終わって、真新しい木の匂いのする離れに着いた。こじんまりした造りのためすぐ縁先である。羽音はそこから聴こえてくる。
肺病や難病の患者を隔離のためにこういう造りにしているのをこれまでに見たことがあったので、政宗は、もしや小十郎の縁者が病を患って此処で療養しているのだろうかと律儀に考えた。そうだとすれば急に押し入ったことを詫びて早々に退散しなければなるまい、と少し足早になった。
けれど屋内に、病特有の沈んだ空気はなく、一見誰も住んでいないようでもあり、それでいて完全に開け放たず中途で止めてある雪見障子などを見ると、此処に誰かがいるのは間違いない。
ひっそりと静まり返った中で、ようやく政宗は、其処に自分の鷹がいるのを確認した。・・・同時に、その鷹を腕にとまらせている人物がいることにも。萌黄の着物に白橡(しらつるばみ)の羽織を羽織った背中は薄く細く、女だろうかと一瞬政宗は思った。
政宗が濡れ縁を軋ませて近づくと、相手は顔を上げた。
「―――」
政宗は雷にうたれたように立ち止まった。それから、shit、と口の中で呟いた。
目の前で鷹を腕に止まらせ縁側に腰かけていたのは、いつか見た白皙の面の持ち主だった。