誰かの願いが叶うころ





(4)


鷹は政宗に気づいたのだろう、じっとその琥珀いろのぎやまんのような瞳で見つめてくる。けれどそのまま―――"毛利元就"の腕に止まったままである。
以前会ったときよりは少しばかり痩せていたが、毛利の政宗を射抜く視線は以前と変わっていなかった。鷹の眼と少し似ている、と政宗は思った。濁りがない。
(・・・いや、コイツは詭計にかけちゃ俺より数段上の評判持ちだ。騙されるな)
常になく警戒しながら、政宗は少し周りの様子を窺った。板塀にぐるりと囲まれた小さな家と小さな庭。こんな場所に閉じ込めてやがったのか、小十郎の奴、と少しばかり苦々しく思った。しかし見上げれば空は穏やかに開けていて、逃げようと思えば逃げられるのではないかとも政宗はふと思った。
当の相手は、急に現れた政宗を見ても特に驚いた様子もない。やがて視線を政宗から自然に外すと、鷹のほうへ向ける。
なんと言葉をかけてやろうか、と政宗は思案した。勢いで言葉を吐けば、理由もなく口汚く罵ってしまいそうで、一呼吸置いて我慢した。
「・・・俺の鷹だ。返せ」
結局出てきた言葉はそれで、政宗は自分ことながら子供のようだと呆れ、内心苦笑した。けれど事実そうであったので、そのまま片手を差し出す。
毛利はその言葉に、また政宗へ視線を向けた。返答は思いもかけないものだった。
「今は貴様がこやつのあるじか。なるほど」
「―――今は、だと?」
今は、ということは、過去があったということだと政宗にもすぐわかった。この鷹は重臣の一人から強請って譲り受けたものだったが、元々その重臣がどこから手に入れたかは政宗は知らなかった。
「・・・もとは、アンタの鷹だったってのか?」
すこし掠れた声が出た。毛利は特に感慨深げでもなかった。ひとつ頷く。そして鷹を政宗のほうへ押しだすような仕草をした。鷹はおとなしく従い、そのまま軽快な羽音とともに政宗の差し出した、皮手袋の上にとまった。
政宗がなんと言えばよいかわからず黙っていると、毛利のほうから言葉が放り投げられた。
「よく世話しておるようだな。結構」
「・・・・・・」
単純な褒め言葉のようにも、自分のものを持ち去った相手への皮肉のようにも聴こえて、政宗は少し困り、苛立ち、言葉を探した。毛利は明らかに捕虜であり、徳川からの人質であり、過去はどうあれ現在の政宗から見れば此処にいる青年は名前など関係なく、ただの弱い貶められた人物以外に相違なかった。だから思い切り憐れみ、蔑み、見下してやっても誰も文句は言えないはずだった・・・
政宗の逡巡には気づかなかったのか、それとも興味もないのだろうか。毛利は黙ったまま其処に突っ立っている政宗を不思議そうに見つめる。その様子からは到底"詭計智将""中国の鷲"と賞賛と畏敬の念と、それ以上に恐怖を持って囁かれた"毛利元就"という名は想像できず、政宗は眩暈に似た感覚を覚えた。以前会ったときもどこか浮世離れした雰囲気はあったが、久々に会ってみるとまるで彼のいるこの狭い土地だけが外界から切り離された別の空間のようにさえ思えた。
ふと、あることに思い至って政宗は思わず馴れ馴れしい声をかけた。
「アンタ、・・・こういう造りの場所にいるってのは、もしや労咳かなにかを患ったか?」
患者を隔離するための場所に似ていたのは事実である。けれど政宗はは言葉を発してから、気まずそうに口元に手を当てて黙った。
(・・・なんで、俺がこんな奴の心配をする必要がある?)
まるで、己を毒殺しようとした母親の体を心配しているような錯覚に陥って、政宗は急激に自分に怒りを覚えた。
鷹がその気配に反応したのか、ふいに飛び立ち、そのまま板塀の外の空へ融け込み見えなくなった。政宗は焦って、庭先に足袋のまま走り出た。すぐに目の前に高い塀が聳え立ち、政宗を遮った。
「―――shit!」
呟くと、毛利の声が後ろからした。
「鷹匠の呼子の音を聞き取ったのだろう。僅かに今響いていた」
「・・・アンタ聴こえたのか?」
政宗が驚いて振り返ると、毛利は小さく頷いた。
「心配あるまい。貴様が家路に着くころにはとうに奴も舎に戻っておろう」
それから毛利ははじめて、小さく、ふふ、と笑ったので政宗は驚いた。見間違いではなかった。何を笑うことがあるのだろう―――
「・・・あいつの元の飼い主だからって、余裕見せやがって。俺の慌てっぷりが可笑しいかよ?」
妬むような言葉が出た。政宗は自分がまるで小さい存在になったように感じて苛立った。
毛利は、意味がわからなかったらしい。瞬きをした。
「別に。・・・貴様が先程、この家を見て、我を労咳かと"心配"したのを思い出したまで」
「―――」
政宗は思わず赤面していた。
「心配り痛み入るが、・・・よもや貴様、我が人質であることを忘れたわけではあるまい?」
「・・・あぁ。よぅく知ってるさ!」
政宗は言い返した。
「・・・ただ、俺はアンタが何処でどうしてるか、これっぽっちも知らなかっただけさ。どうでもよかったんでね。それで勘違いした」
少し嘘をついて、政宗は体面を取り繕った。薄情で、それでいていかにも心の広い主君をしつらえてみせて、腕を組むと胸を反らした。
毛利は別段何かを感じた様子もない。ただ少しまた、空を見上げた。
「患いなど何もない。・・・此処は静かで、日輪がよく注ぐ。終の住み処には十分だ」
「―――」
あぁ本当に、この人物はもう何も持っていないのだ、と政宗は思った。
同時に、早くこの場を立ち去らなければ、と心の奥で焦った。
目の前の青年は以前政宗が痛烈に言ってのけたとおり、何も持たず、何も欲しがらず、其処にただ在るだけなのに、奇妙な存在感と、政宗を圧倒する貫禄があった。明らかに自分のほうが立場が強いはずなのに、どうしてか己が小さく思えて。
(・・・きっと、お袋に似てるからだ)
結局はまたそのせいにして、政宗は縁側へ再び上がった。毛利は表情を変えず、じっと政宗を見つめていた。いたたまれず、毛利に背を向け、政宗は入ってきた場所へどかどかと足音をたてて戻ろうとした。



ほとんど同時に、板塀の向こう側から数頭の馬の蹄の音と、聞き覚えのある声が響いた。政宗は咄嗟に足を止めた。
小十郎に違いない。
案の定と言うべきか、母屋のほうから、召使たちが怒鳴られる声がする。政宗は舌打ちした。
それから、毛利を振り返った。彼に会ったことを小十郎が知れば、さらに召使たちは叱咤されるだろう。そして毛利も―――もしかしたら、また場所をうつされるかもしれない。今度はもっと環境の悪い場所に?
「・・・・・・」
早くこの場を立ち去って、何事も無かったと小十郎に言わなければと思った。それ以上に、彼の存在を自分の記憶からさっさと消すべきだと思った。
思ったけれど、足が動かなかった。
振り返って見た"毛利元就"は、僅かに足をぶらぶらさせながら縁側に腰かけて空を見あげている。ひとりぼっちでこの小さなつくりものの家の形をした牢獄に繋がれた、ちっぽけで可哀相な一人の青年でしかなかった。以前可愛がっていたであろう鷹が新しいあるじの元で幸せに暮らしていることをもしや羨んでいるかもしれず―――けれど微塵もそんなふうは見せず。
そこまで考えて、政宗は、先程の毛利の言葉がただの褒め言葉でも皮肉でもなく、―――「感謝」だったのだと気付いた。
・・・気付いたときには、政宗の体は振り返り、そのまま毛利元就の傍に戻っていた。
「・・・どうした、独眼竜?」
毛利は見上げて、淡々と問うた。片倉が呼んでおるぞ、行かずともよいのか。と薄い唇が動いて告げた。口調までも母親によく似ているのだと政宗は気づいて苦笑した。少なくとも政宗に対しては彼女はいつも高圧的で、居丈高で、いつもどこか不機嫌な表情で・・・たまに垣間見た、弟に対するときの彼女の表情は柔らかく、いつか自分にもあれが向けられる日が来るのではないかと淡く期待した幼い日を思い出す。
先程の毛利の微笑のせいなのだろう。
腹立たしい男だ、と思う。
けれど、ただの敗軍の責任を負わされた、哀れな小さな男だとも思う。・・・



「・・・俺が情けをかけたら、・・・いつかアンタも、俺に毒を喰らわすのかよ?それとも―――」



唐突な内容の問い掛けに、毛利は眉を顰めた。政宗は眼帯を押さえて俯き、呻いた。古い傷跡の痛みは、この、もう無い目から来るのか、それとも―――
(・・・浅ましいな、俺も、・・・くそッ)



「―――政宗様ッ!!」
怒りのこもった声とともに、"入口"が開いて、小十郎が現れた。
政宗は、そのときには毛利の隣に座っていた。毛利も驚いていたが、小十郎はもっと驚いていた。つかつかと近寄ると、抜刀すれば届くという位置に正座して政宗と毛利をかわるがわる見る。
それから、膝に手を置き軽く頭を下げた。
「申し訳御座いませぬ。小十郎の手抜かりで、お二方には気まずい思いをさせました」
二人とも、何も言わない。小十郎は続けた。
「早急に、毛利殿には新しい屋敷を用意させます。政宗様には今日のことはお忘れに」
「―――Why?なんでだ?」
問い返され、小十郎はぐっと言葉に詰まった。小十郎にしてみれば、政宗の精神状態を乱しかねない存在のこの青年を、政宗の眼の届かないところに隠しておくのは在る意味親心に違いなかった。
政宗も重々承知しているのである。そのうえで、政宗はあえて問うた。
そして、言った。
「そんなことをする必要はねぇよ。あと・・・召使たちを叱るんじゃねぇぜ、小十郎。俺が勝手に、止められたのに此処に入ったんだ」
「・・・政宗様」
「あと、この人もだ」
政宗は身振りで毛利を指した。
「此処が気に入ってるらしいぜ。だったら此処でいいだろ。ほかの"邸"ったって、今度はどうせもっと暗い・・・座敷牢みたいな場所なんだろ。流石に徳川からの預かり物にそれはマズイはずだ」
「政宗様、しかし」
「・・・何度も言わせるな!俺の命令が聞けねぇのか、小十郎?」
小十郎は溜息をついたようだった。
言い出したら聞かないあるじの性格を小十郎はよく知っている。
「・・・では、此処に毛利殿は留め置きます。しかし政宗様は、二度と此処へはおいでにならぬよう―――」
「だから、なんでだ?」
「政宗様。いいかげんになされよ。小十郎は」
「いらぬ心配だぜ、小十郎。・・・こいつは、確かにあの女に似てるが」
母親を"あの女"呼ばわりして、政宗は少し歪んだ笑いを零した。
「毒を俺に喰らわすかどうかは、もうすこし様子見てもいいんじゃねぇのか?」