誰かの願いが叶うころ





(7)


風は素直で心地よかった。
政宗は少しだけ視線をずらして地平線と折り重なって滲む空の色を確かめる。澄んだ青色に曝け出している自分の無様で我儘な行為を哂った。
みし、となにか軋む音がした。政宗が圧し掛かり押さえつけている毛利のあばらぼねに違いない。逃げ出そうと必死にもがくものを無理やりな体勢で拘束して動きを封じる。時折うまく首筋や鳩尾あたりの急所を締めあげると、徐々に毛利の力は弱くなり、抵抗も減っていく。政宗はひとり頷いて、ずっと握りしめたままだった毛利の棹を手の中であやすように支えた。きっと恐怖しか感じていないはずなのに、毛利のそれは掌に応えるように疼き、存在を主張していく。おかしなもんだな、と政宗は心のうちで呟いた。
(先程の口づけもそうだ、・・・すこしばかり狂っている、この男も、俺も。)
それから、ゆるく否定して頭を左右に振った。なにを今更、と思った。父を撃ち殺し弟を謀殺した。己を毒殺しようとした女は母で、それを追放して―――すでになにもかもがおかしい。天下平定成ったとき、その当時は当たり前のような顔をしてやりすごし必死に前だけ向いて背後に置いてきたことすべてが、思い出せば茫然とするしかない。今の政宗自身や国の安定に繋がっているとしても・・・ふと思い出せば、哀しいこととしか言いようがなかった。
そんなものを、全部一人で具現したような男が目の前にいる。母や政宗自身に似ていると思っていたが、それはまやかしで、実際は時代に翻弄された者が共通して持つ病みたいなものなのかもしれなかった。
この男が送られてくるまでは、政宗はそれなりに「幸せ」だった。なにか物足りないものを感じていても・・・天下を虎視眈々と狙いつづける意気を持ち続けて、戦乱の焔をくすぶらせながらこの先もずっと迷いなく(迷いに気づかず)歩いていくつもりだったのである。忠実な家臣たちに支えられて―――たとえ天下は結果的に掴めないとしても、前進し続けられることはとても満たされているのに相違なかった。
けれど目の前に敗者の王として現れた毛利の姿は色々な意味で政宗を苛んだ。毛利本人の意図ではないにせよ、過去の傷を引き摺り出され、安堵された領国も砂上の城かもしれないと現実を突き付けられた。元々、天下を求めず中国の安寧だけを求めていたという噂だった大国のあるじは、散々に兵士の命をそのために散らせてきたという彼は、こうなって何を求めて生きているのだろうかと政宗は思う。別に、彼が生きる値打ちがないなどと言うつもりはない―――逆に、もっと現状を恨み、感情を顕わに泣いて請えばいいのにと思う。そうすれば政宗は安心できるかもしれなかった。どんな非情なことが身の上に降りかかっても、平然と受け止める毛利を見ているのが苦しいのかもしれなかった。その姿はあるいは自分のようでもあり、またあるいは自分を見捨てた母親のようでもあり。誰もがそうであるかもしれず・・・
だから、「やめろ」と掠れた声で訴え、抵抗し、一方で政宗の温度に若い身を反応させる毛利を見つけるのは楽しかった。彼が人形などではなくて、まだ感情を少しでも残している、政宗と同じものだと信じられた。
憎まれても別に構わなかった。政宗は個人としての毛利がきっと嫌いで―――自分や母親と似ているから―――毛利も政宗を嫌いならば、おあいこだと思えた。気に入らない相手同士でいい。戦乱を生き抜いて対極の位置に結果的に立っている、そんな不思議な共鳴感だけがあればよかった。



毛利は時を置かずあっけなく、政宗の手の中で果てた。
弛緩したからだと対照的に、短く断続的な呼吸は耳障りなくらいざらついて政宗の鼓膜を穿った。掌に溜まった滓(おり)を指先につたわせてそのまま背後へ塗り込めるように押し込んでいき、指で内部を抉る。
短い悲鳴が上がったが、何処か遠くから響く声のようで、政宗は無心に毛利の内部を暴いた。ひどく熱い肉がからみついてくる、・・・前立腺のあたりを探り指の先で弾くと毛利の喉元から抑えた鳴き声が響いて政宗は瞬きをした。何度か男同士でのこういう"遊び"をすでにしたことのある政宗には、この体が以前にも今行われているのと同じことを知っているのだとすぐ気付いた。
(・・・ま、よくある話だ。最初は毛利も弱小国だったらしいしな、敵国に弄ばれたか、・・・フツーに男を知ってたって別段おかしかねぇが)
自分を無理に納得させてみたが、どうにもこの禁欲主義的としか見えない男には似合わない気がした。感情を見せてみろと願いながら、一方で彼がその断片を見せると狼狽する己に政宗はふと苦笑した。
乱れた袷の隙間から覗く首筋は白く浮き上がって、政宗は唐突に愛情めいたもの(おそらく、愛玩動物を抱きしめたくなるようなたぐいの)が湧きあがり、毛利の首の皮膚に軽く噛みついた。舌先で味わいながら指を二本に増やすと毛利の体がひらりと蝶が羽を開いて閉じるように上下に揺らいだ。政宗はまた少し嬉しいと思った。最後までことをすすめるつもりは最初は然程なかったのだが、いつしか政宗自身も昂ぶっている。指を引き抜き、袴だけをたくしあげると、政宗はそっと息を吐いて毛利の中へゆっくりと己を進め、埋めた。
男と繋がるのは、久しぶりだった。そのせいもあるだろうが―――痛烈な、脳髄にまで浸透する刺激に政宗は呻いた。おさえつけた毛利の体はひくひくと小さく痙攣している。見下ろすと接近した位置でふと、ずっと閉じられていた瞼が薄く開いた。直近から睨み上げる切れ長の瞼は恐ろしく冷たい視線を政宗に投げかけていた。口元は食い千切らんばかりに唇を噛みしめていて、政宗は思わずぺろりとうっ血した柔らかい紅いろの肉を舐めた。同時に、僅かにまた肉壁が締まり、政宗は小さく声を上げた。
「毛利の、・・・」
呼びかけると、毛利はまた目を閉じてしまった。アンタひねくれてんな、と政宗は呟いて笑った。
「なぁ、毛利の」
返事が無いのを気にせず、政宗は思っていることと別のことを言った。ほんとうは、男を知っているのかと訊いてみたかったが、それはできなかった。
「天気、いいな。・・・来てよかったろ?」
莫迦げた言葉に政宗自身も笑った。毛利は当然、応えない。政宗は少し貌を上げて、日輪が見てるぜと呟いた。
途端に、毛利の眼がぱっと開いて、羞恥のためか目元が紅を刷いたように染まる。そんなに日輪が好きかよ、と政宗は苦笑して、また少し毛利の内部に押し入る。毛利が、あ、とはっきりわかる声を上げた。悦い場所にあたっているのだろうと政宗はぼんやり思った。もう黙ったままゆっくり抜き差しを繰り返すと、やがて毛利は悲鳴を上げた。
殺せ、とその白い喉から言葉が転び出て、政宗は嬉しくなった。いやだね、と返した。言ったろ、アンタの矜持を斬るって。―――
「なぁ、毛利の、・・・恥じることなんか、ねぇよ」
政宗は少しばかり自分も悦楽に追い詰められながら、そんなふうに言った。毛利は応えない。
ただ、うっすらと、なにをくだらないことを、と言わんばかりに口元がかなしげに綻んだ。政宗はその唇を食みながら、言葉を継いだ。
「俺は安心したぜ?・・・アンタ見てると色々腹立たしいが、・・・アンタがそうやってうろたえたり、自暴自棄なことを言ったりするのは、当たり前のことだ。当たり前ができてるアンタを見られて、俺は、安心したぜ、アンタ何もかも失くしてなんざいねぇよ」
その言葉に毛利の視線が僅かに反応して、政宗はほんの少し、嬉しくなって笑ったが、同時に自分の酷薄さも理解した。
この男に苦痛を与え、矜持を斬り裂きながら、やさしい言葉をかけるのは傍若無人そのものに違いない。
それでもすべてが本音なのだった。政宗は、自分のそういう、多層にわたる感情のうつりかわりの激しさを知っている。
「・・・アンタの矜持を今此処で斬ったのは確かに俺だが」
一呼吸、おいた。
「別に、アンタを苛めてるつもりはねぇんだぜ?・・・俺は、やりたいようにやってるだけだ。だからきっと引き摺らねぇよ、明日また太陽が昇るみたいに。・・・だから、普通に、アンタはこれからもやってきゃいい。」
「―――」
なにごとか、毛利は呟いた。政宗は、なんだ?と体を毛利の中にさらに深く埋めて問うた。堪らず毛利は顔を激しく左右に振った。
「あ、あ、・・・ッ」
「なにか、言いかけてたろ。なんだ?」
「き・・・貴様は・・・ッ、・・・この・・・」
大うつけめが、と非難の声が上がる。自分の下にある細い線の体を、政宗は楽しそうに抱きしめていた。何をいまさら言ってやがる?
「・・・俺は、"伊達政宗"なんだぜ?you see?」
毛利の返答は無い。政宗の抽送にがくがくと全身を揺さぶられるままに、その目は虚ろに青すぎる空を映していた。
やがて政宗がすべてを毛利の内部に吐き出したとき、受け止める男の眦から涙が一筋零れた。政宗は丁寧にその滴を舐め取った。



政宗が毛利を"邸"に送り届けたとき、あれほど晴れていた空は重い雲に覆われて鉛色に染まっていた。ぐったりした毛利を横抱きに抱え上げて、政宗は悠々と"離れ"に向かい、自分で布団まで敷いてやって毛利を寝かせた。
声は、かけなかった。そのまま伊達の屋敷に戻って、午前中に放り出していた仕事を半分だけ片付けた。
いつの間にか転寝をしていた政宗を、小十郎の重い声が起こしたのはかなり時間も経ってからのようである。・・・ようである、というのは、目を覚ましたときにはすっかり夜も更けていたからだ。辺りは暗く雨が蔀戸を叩く音がした。
小十郎は、黙ったままそこに端坐して政宗を見つめていた。政宗は髪をかきまぜ起き上がると、右目にかかる前髪を鬱陶しそうにかきあげ、なんか用か、とぼそりと言った。
「遠駆けは楽しゅう御座いましたか」
さらりと問われて、政宗は肩を竦めた。
「Ha! ・・・全部知ってるだろうに、あらためて楽しかったかと訊くのかよ。お前も大概性格が悪い」
「政宗様ほどではありませぬ」
「口のきき方に気をつけろよ、小十郎」
「これは失礼致した」
まったく失礼とも思っていないな、と政宗は首を縮こめた。こういうときの小十郎は、本気で怖い。滅多になく怒っているに違いなかった。
「・・・どうしろってんだよ。俺は、別に、悪いことをしたつもりはねぇぜ」
「人質云々以前に、無理矢理に連れだした挙句暴行に及ぶは、一国の主といえどあまり感心いたしませぬな。そのようにお育てした覚えはありませぬ」
「・・・だから、どうしろってんだよ!毛利に謝れとでも?」
自棄になって政宗は吐き出すように言った。
「あれは、同意のうえだ。・・・毛利にも訊いてみろ、そう言うだろうぜ」
「あの御方にしてみれば、そう言わないわけにはいかぬでしょうな。事実はさておき」
「・・・五月蠅ぇな!少なくとも、俺はああしたかったんだ。あの男に」
開き直った政宗に、小十郎は溜息をついた。この直情的な青年は、人に執着し始めると底が見えないのである。自分か相手を壊すまでに至ることも少なくない、・・・
寺の修繕が、あと十日ほどで終わります、と小十郎は話を変えた。政宗は瞬きをした。
「寺?・・・ああ、毛利を閉じ込める新しい"牢獄"か?」
「人聞きの悪いことを仰いますな」
「本当のことだろうがよ。・・・で?」
「もう、お会いにならぬことです。今度こそ」
小十郎は、そう言って頭を下げた。政宗は黙って、忠実な家臣の姿を見つめる。小十郎がこれまでに間違ったことを言ったことはなかった。・・・
「あの者に、形はどうあれ貴方さまが惹かれていくのは危険なことです」
「・・・惹かれる?そりゃ違うだろ、小十郎。なに勘違いしてやがるんだ」
いいえ、と頭を下げたまま小十郎ははっきりと否定した。
「貴方様とあの者は、何処か似たものをお持ちです。対極であるがゆえに。・・・そして貴方様が興味をお持ちなのは違いないことだ」
「・・・確かに興味はあるんだろうが―――」
(惹かれる?俺が?誰に?・・・毛利にか?)
政宗は、何度も小十郎の言葉を、混乱しながら反芻していた。小十郎は、顔を上げた。そして、いいですね、と、守り役の顔で言った。
「会わぬが幸いです。貴方様にも、伊達家にとっても。―――そしてあの者にとっても」
「意味がわからねぇよ、小十郎」
「手に入らぬものに、執着するのはおやめなされと小十郎は申しております」
「―――」