誰かの願いが叶うころ





(9)


騒ぎは、当然すぐさま小十郎の耳に入った。
政宗に目通り願った小十郎は、けれど政宗の表情を見て、言葉を飲み込んだ。ともあれ事情を最初から説明なさいますように、とだけ告げる。
政宗はとくにてらいもなく、淡々と事実を話した。毛利とは書籍のやり取りと同時に書簡のやりとりもしていたこと、病気と聞いたので見舞いに行ったこと。―――その実「顔を見たくていてもたってもいられず」強引に乗り込んだこと。・・・
小十郎は僅かに眉間にしわを寄せて、けれど黙って最後まで聞いていた。
政宗が話し終わったとき、咳払いをして小十郎がまず言ったのは、寺のほうから庭の修繕を望む声があがっておりますが、いかがなさいますか、とのことだった。政宗は肩を竦めた。遠回しに、馬で庭苑へ乗り込んだ(飛び込んだ)ことを非難されているのは容易に分かる。
そりゃ当然俺が悪かったんだろうぜ、と応えた。破壊したものは豪勢に修繕してやりゃいい。言葉を継げば、小十郎はひとつ溜息をついた。
「政宗様」
「・・・なんだ」
「後悔なさいませぬか」
「―――」
政宗は、一瞬呆けた表情で小十郎を見た。・・・直後に理解して、なにを、とは問わなかった。
「俺は、奥州筆頭だ」
「・・・左様で御座います」
「だから、・・・いざってときに、何を優先すべきかはわきまえてるつもりだぜ、これでも」
政宗は口角を引き上げて笑った。毛利を優先するあまり、伊達家や奥州の所領を犠牲にすることはない、と、それは紛れもなく本心だった。けれどさらに政宗は言葉を続けた。
「けどな、小十郎。・・・俺は納得いくまで、なんで俺があの男に"惹かれる"のか探ってみたいんだ。そうしなきゃ精神(こころ)が消化不良起こして、結局はうまくいかなくなっちまう。俺はそういう奴だって、お前も知ってるだろ?」
「・・・そうやもしれませぬな」
「それと」
政宗は、脇息に凭れて頬杖をつくと、半分開いた障子の外の、深い夜を眺めた。
「・・・多分、俺は、毛利と"あの女"が、似てたって別人だと・・・区別がつくくらいには、分別ができたんだろうぜ」
だから、もうおかしなことはしねェよ、と呟く。
それを聞くと、小十郎はひとつ頭を下げて立ちあがった。
どうやら小言は今回はないのだ、と政宗は少し顔を綻ばせた。気付いたのか、小十郎はじろりと政宗を睨んだ。
「もはや何も申し上げませぬが、・・・あの者絡みでお家の一大事に陥った場合は、小十郎は腹を切るでしょう。そのことはお忘れなく」
「―――大丈夫だ。家老のお前の命より高いもんはねぇよ、この国に」
小十郎は表情を変えず、軽く頭を下げると退室した。政宗は、小十郎の背中をじっと見送り、心の中で感謝を告げた。



翌日、政宗は寺を訪れた。僧兵たちに止められることはなかった。
毛利は風邪も少しよくなったのか、床の上で起き上がっていた。肩から一枚羽織をかけて本を読んでいた毛利は、入ってきた政宗にちらりと一瞥を投げると「今日は門から入ったのか」と皮肉をひとつぼそりと零した。それも彼らしい一言だと政宗は苦笑して受け流した。傍らに胡坐をかくと、毛利の端正な面をひとつ目で覗きこむ。
「許しが出たぜ」
「―――なんの?」
「小十郎が、アンタと会ってもいいってよ」
「・・・・・・」
毛利は格別な感情も浮かべず、相変わらず書籍を読みながら、ただ小さく息をついた。貴様も物好きな男よ、と言葉が続いた。
「我の如き世捨て人と関わっても何も得るものなぞないわ。人が恋しければ他をあたるがよかろう。人材が欲しければなおのこと」
「人材が欲しいんじゃねぇよ。俺は、"アンタ"が欲しいんだ」
「・・・・・・」
その言葉に、毛利の切れ長の瞼が見開かれ、視線が政宗に真っ直ぐ注がれた。政宗を注視し、―――けれど何処か別のところを見ているような眼に政宗は首を傾げた。なにか変なことを言ったか?と問えば、別に、とだけ呟いて毛利はすこし眼を伏せた。
「・・・我を欲して、なんとする。貴様わかっておるであろう。我は人質。・・・預かる家に禍を起こさせるための毒だ」
「それは徳川が用意したアンタの役割だろ。俺が知りたいのは、本来のアンタだ。・・・ああ、気にすんな。勝手に見つけていくから、アンタは別になにもしなくていいんだ、其処にいるだけで」
「―――」
毛利は益々呆れたらしかった。愚劣なり、と酷い言葉が漏れ聴こえたが、政宗はただ笑っておいた。



何が変わるというわけでもない。
気が向いたときに、政宗は毛利のいる寺を訪れた。
これまでのささやかなやり取りどおりに、本を持ってきて読みあわせたり、碁をうったり、あるいは政治向きの意見を聞いたり。またあるいは、なにも語らず同じ空間で二人で別々のことをしているときもあり。
一度は、政宗は自分で作った料理を持ち込んで毛利に食べさせた。政宗が作ったと聞いて、普段色を乗せない毛利の面が、興味を示し、驚き、とりどりに表情を変えたのが政宗にはしてやったりというところだった。―――なにより、「美味である」という言葉と一緒に、小食な彼がすべて食べてくれたことは嬉しかった。また作ってやると素直に言えば、毛利はきょとんと瞬きをして、それからひとつこくりと頷いた。まるで子供のようだとそのときふと思った。
実際、毛利も、そして政宗も、政治に携わってきた主君の顔がなければ、ただの傍若無人な子供なのかもしれなかった。ここに及んでも相手との距離を取りかねている、という点では疑いもなくそうであった。
・・・以前、明るい空の下で彼を犯したことは、政宗は決して詫びない。
毛利も、なにも言わない。
ただ、あれはおそらく自分たちが普通に語り合える今の状態に至るために、必要だったのだと―――漠然と、政宗は考えていた。



ひと月以上たって、二人は共に二度目の外出をした。
当然、護衛が数名ついている。毛利は手錠などはしていない。あのときのように政宗が一方的に連れだしたのではなかった。たまたま神宮参りをする予定が政宗にあり、その社の祭神が太陽神であったために毛利が興味を示したのである。普段物欲なぞほとんどない毛利が、どこか遠慮がちに、行ってみたいものだと言ったからには、政宗としては是非とも連れていってやろうと考えて無理もない。
滞りなく参詣は済んだ。毛利も輿の移動だったが穏やかな表情で、政宗は連れてきてよかったと思った。
帰る道すがら、小さな沢辺で休憩を取ったとき、毛利は水を掬って飲もうとして着物の袖口を濡らした。政宗が、不器用だなと笑うと、毛利は不機嫌に政宗を睨んだ。
「こうすりゃいいだろ」
政宗は岩場から染み出してくる清水にそのまま口をつけて飲んだ。毛利は溜息をついて、政宗の胸元を指差した。
「―――襟が濡れておる」
言われて政宗は気づき、自分の袷をびしゃびしゃと叩いた。
「ふむ。偉そうに言っても、貴様、我と同じではないか」
「・・・いいだろ。同じってか、おそろいじゃねぇか」
それを聞いて毛利はふと表情を緩めた。それから狩衣の袖口を口元にあてて、小さく笑った。
政宗の好きな笑顔だった。
「・・・、なぁ、毛利の。」
呼んで、細い手首を握ると、毛利は形の良い眉を僅かに顰めた。なんだ?と問うように唇が開いた。
政宗は、隙を与えず毛利の体を引き寄せると、その紅いいろに自分の唇を重ねていた。
いつかのような強引さは無く・・・毛利も、抵抗はしなかった。
唇が離れて、互いの眼を覗きこむ。先に視線を逸らしたのは意外にも政宗だった。―――何か急に気恥ずかしくなったのだった。この衝動が何処からきたのかわからず、政宗はちらりと毛利を見た。
毛利はもう笑っていなかった。
政宗は前髪をかきあげると、握っていた毛利の手首をそっと離した。毛利は黙ってその、握られた手首をもう片方の手でさすっている。以前手錠をかけたと同じ位置だと政宗はその毛利の仕草で気づいた。
「・・・貴様は、我をやはり拘束したいか。・・・辱めたいのか?」
そんなふうに毛利は呟く。政宗は瞬間、それは違う、と考えていた。
けれど言葉にはならなかった。大義に従い毛利を人質として拘束しているのは事実であり―――政宗は、毛利を自由にする気はなかった。人質であろうとなかろうと、まだ彼を傍で見ていたい。まだ知らない部分があまりにもありすぎる。
底知れない池を覗きこむような錯覚に一瞬捉われ、政宗は唇を噛みしめた。以前小十郎が言った、「手に入らないもの」という言葉がふと脳裏を過った。・・・
共の者(監視の者)がいつしか傍にきて、毛利を連れてそのまま輿のほうへ歩いて行った。政宗はその姿を見送らず、さらさらと流れる足元の沢の水のつくる白い泡を、数えても詮無いというのに意地になって見つめていた。
(―――なんて言やァいいんだ?この感じは、・・・)
理解しているのに、言葉にすることは酷く恐ろしかった。かつて息子の自分を殺そうとした母親を憎んで憎んで・・・殺したいほどに憎んで、それでもやはり、今と同じ感情を(あるいはそれに限りなく似た想いを)密かに持っていたことを思い出した。
(・・・"あの女"と重ねることはもうやめるって、決めたんじゃなかったのかよ、俺は?)
政宗は深い溜息をついた。母への・・・肉親への情愛なら、もっと話は単純だったかもしれない。
けれど毛利への執着は、どうやらさらに奥深いものらしかった。そうでなければ、どうして唇を重ねたりするものか。
「・・・参ったぜ」
未だ、相手の名前で呼びあったことすらないのに気づいて、政宗は苦笑するしかない。
相手の唇も、体も、知っているというのに。こころだけが、いまだ霧がかかったように定かでない、まるでわからない。
おぼろにわかりかけているのは自分の心だけだ。
(・・・俺は、・・・あの男の全部が、欲しい、のか?)



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その日、政宗は貿易相手の商人たちと席を設けていた。
天下をなおも諦めていない政宗は、徳川の追求をのらりくらりとかわしつつ、自国の富強に余念がなかった。城をつくり、墾田や産業を奨励し、国力を上げねばならなかった。まだ鎖国の成っていない時期であり、外国との貿易も各藩ごとに黙認されており、伊達家も当然のように様々な商人たちと取引をしていた。
一人の明の商人が、政宗に引き合わせたい人物がいると言ったのは、すでにほかの商人たちが帰った後だった。政宗と、同席していた小十郎は訝しく思い顔を見合わせた。先程、面々が揃っているときならば兎も角、何故すでに商談が終わった後にそんな話を出すのか。胡散臭い、と政宗ははっきり告げた。小十郎は何も言わなかったが、同意見であるのはその表情を見れば明白だった。
商人は、少しばかり困った顔をしたが、自国のしきたりどおり丁重に拱手して頭を下げた。日頃世話になっている者のたっての頼みとあり、引き受けた。是非にも政宗公に目通り願いたいと申しておりますが、理由あって表だっては動くことができませぬ、と。
「・・・怪しい奴です、って自分から言ってるじゃねぇか。馬鹿馬鹿しい」
政宗は取り合わなかったが、その商人は必死に頭を下げる。すぐそこの宿で待っております、というので、じゃあそちらから此処までは出てこさせろ、なんで国主の俺が何処の誰とも知らない奴に会うために行かなきゃならねぇんだ?と政宗は不機嫌に言った。
もっともだと思ったのだろう、商人は慌てて、ではこの街道筋まで連れてまいります、と言って身を翻した。
「小十郎、誰だと思う?」
「・・・さて。油断はなりませぬな。このまま御帰りになりますか?」
「いや、面白そうだ。待ってやろうぜ」
小十郎は溜息をついたが、護衛の者たちに気をつけるよう、なにがあっても主君を守るよう命じた。



さて、しばらくたって商人が連れてきたのは、一人の男だった。
通りのずっと向こうから歩いてくる、夕刻の陽が影をつくる、その長さが彼が長身であることを物語っていた。少しばかり猫背ぎみで、大き目の陣笠を目深に被っているため顔は見えない。その陣笠とちぐはぐなことに、衣装は南蛮のものである。政宗はひゅうと口笛を吹いた。
「ありゃ、異国の男か?かわった恰好してやがる」
「・・・・・・」
小十郎は怪訝な表情をしている。腰の獲物に手がかかっていた。政宗も、その小十郎の様子を見てあらためて向こうから来る男を観察した。
―――歩き方に、特徴があった。
(・・・どっかで、見たような気がするのはなんでだ・・・?)
男がもうあと数尺、というところまで近づいて、政宗はその理由を知った。小十郎も同じだったのだろう。まさか、という声が聴こえた。
やがて男は、政宗の目の前に立った。
「・・・久しぶりだなァ、政宗」
懐かしい声だった。
男は、陣笠を少し傾けて、隠れていた顔を政宗に見せた。濁りのない笑顔は以前のままで、政宗は思わず叫びそうになるのをかろうじて堪えた。
政宗の目の前にいるのは、まぎれもなく―――かつて友誼を交わした、今はもう無くなってしまった国のあるじだった。国だけではない、彼の大事な部下たちも、徳川に抵抗して戦場の露と消えた。そして国主であった彼自身も・・・






「・・・・・・アンタ、・・・死んだんじゃなかったのかよ・・・・・・元親?」