かかりあひ





目を開けて、元就はさほど時間もかからず自分が薄暗い板張りの床の上に倒れていることを知った。
ゆっくり体を動かしてみる。
・・・予想通り後ろ手に縛られている。仕方なくごろりと転がって、うつ伏せになっていた体勢を仰向けに変えた。見回してみれば開け放たれた広間である。一段高い場が設けられていて、元就は此処がこの邸のあるじへ客が謁見する場所なのだと気付いた。
なれば刀掛に太刀のひとつもあるまいか、と考え、縛られたままの恰好で立ち上がろうとする。・・・足首も縛られていた。
ふん、と自嘲すると、元就はそのまま床をはいずるように動いて移動した。
「―――おいおい、何処行くんだ?」
急に声をかけられて、元就ははっと声のしたほうを見た。
扉からの逆光が、薄闇に慣れた目に眩しく一瞬目を瞑った後、そろそろと瞼をあけて確認する。右目を覆う金属が鈍く光っている。
(・・・独眼竜か)
自分を襲ってきたのはおおかたそうだろうと、予測していた。無表情を崩さず、声も出さず、元就はじっと相手を見つめる。
伊達政宗は、近寄ってくると転がっている元就の傍にしゃがみこみ、手を出してその顎をぐいと引いて元就を無理やり自分の方へ向けさせ、ひとつ目で覗きこんだ。
口元は笑うように形作られていたが、目は笑っていない。値踏みするように元就をじっと、瞬きもなく見つめる。元就はできるかぎり表情を変えず、けれど視線を逸らすこともなく。
「―――Ha!怖い別嬪さんだな!・・・いや、男前と言うべきか?」
唐突に政宗は、そう言って声をあげて笑いだした。笑いながら元就の顎から手を離し、くるりと背を向けて主座へと歩むとどかりと胡坐をかいた。
「声は出せるだろうが。名を名乗るくらいはできるだろ?」
「・・・」
元就は黙って視線を外した。自分から名乗ることは敗北を意味すると知っている。此の地に元就が攻め入ったことはまだ互いの記憶に新しいはずだった。
政宗は面白そうに、まだくつくつと笑っている。
「じゃあ、名前じゃなくて・・・なんで男のくせに女の恰好してんのか、訊かせてもらおうか。・・・いや、それより」
政宗の声音が僅かに変わった。
「なんで、アンタが元親と一緒にいるのか。訊きたいもんだぜ、・・・なァ?毛利元就?」



元就は我知らず、奥歯を噛みしめた。
政宗は壇上に端坐したまま、脇息に寄り掛かり、頬杖をついてじっとひとつ目で元就を見つめて、言葉を継ぐ。
「元親から、近いうちにこっちへ来るって便りをもらったのがひと月ほど前だ。あいつにしちゃ日数がかかってると不審に思って調べさせてみりゃ、連れがいるって言うじゃねェか、・・・どうせ前田の風来坊あたりだろうと最初は気にもしてなかったが、調べてきた者が違うって言いやがるから、少し探らせてもらったって次第だ」
政宗の背後から、ずっと控えている男が(元就には、片倉だとすぐわかった)、話す必要はありませぬと、やんわりと声が掛ったが、しかし政宗は喋るのをやめない。
「・・・驚いたぜ。瀬戸海挟んで睨みあってたはずの相手と、いつの間にか同盟組んでやがった、あいつ」
「・・・」
「いや、驚いたのはそこじゃねェな。・・・同盟は理解できる。“国”同士のな。・・・オレが理解できないのは、なんで“アンタ”本人が、元親と行動を“直接”共にしてるかってことだ」
声音は、次第に熱を帯び、同時に政宗の表情は冷たくなる・・・
「オレの知ってるアンタは、・・・毛利元就は、人を人とも思わない・・・頭はいいが情の通ってねェ奴だったはずだ。だいぶ前になるが、ザビー教徒として来たときも最北端の邑を焼き討ちしやがった。・・・アンタだって、調べはついてる」
(・・・なんの、話だ?)
これは驚いて、元就は政宗を睨みつけた。おそらく誰かと間違っているのだろうと思ったが、政宗の表情を見るに、弁解を受け付ける気は毛頭無さそうだった。元就はやはり、黙っていた。政宗は淡々と続ける。
「だからこそ、わからねェな。―――もう一度訊くぜ、毛利元就」
「・・・」
「アンタ、・・・元親をどうやって騙した?」
元就はその言葉に、弾かれたように顔を上げた。
「な・・・ッ」
政宗は、冷たく燃える視線で元就を突き刺してくる。睥睨しながら。
「元親を・・・あのお人よしを丸めこんで、まんまと同盟結ばせて・・・うまくいったとほくそ笑んでるんだろうが。何を企んでやがる?」



「―――ッ、違う!騙してなぞ―――!」



我知らず声を発していた。
すぐに後悔して口を噤んだ。
(・・・だが、・・・違う。違う。騙してなぞおらぬ!)
心の中で、否定する。
政宗はにやりと、哂った。考え込むように少し視線を伏せて言葉を続ける。
「オレは、あいつと随分ながいことダチなんだぜ。・・・この小十郎もな。あいつのことはよく知ってる」
「・・・」
「あいつが国を思って、アンタと同盟を結んだとすれば、それは分かる。・・・だが、どう考えても、あいつがアンタと一緒に行動する理由が、オレにはわからねェな。」
「・・・・・・」
「そんな恰好までしてオレの眼を欺こうったってそうはいかねェぜ?・・・元親を騙して隙あらば殺るつもりか?」
「ち・・・違う!!我はッ、・・・」
「アンタとあいつは、雲泥万里ってやつだ。違いすぎるだろ?芝居をうったって無駄だぜ、詭計智将さんよ。“アンタ”は、あいつの傍にふさわしくないからな」
元就は、その言葉に目の前がぐらりと回ったような錯覚に見舞われた。
「あぁ、―――いや、待てよ?」
政宗は急に得心した、というふうに顔を上げた。
悪戯を思いついた子供のようだったが、もっと、在る意味残酷な表情だと元就は思った。
「・・・もしかしたら、元親がアンタを騙してやがるのか?いや、あいつに限ってそれはない・・・だろうが・・・誰かに入れ知恵でもされたのか?それなら理解もできるが―――」
元就は、それを聞いて、愕然と目を瞠る・・・



(・・・なんだと?・・・長會我部が、我を騙している?だと?)
(莫迦な、・・・あやつがそんなことをするはずがない。できるはずがない、あのお人よしが)
(・・・でも)



“アンタは元親の傍にはふさわしくない”



政宗の言葉が、元就を無慈悲に突き刺した。
否定する言葉が、元就には無かった。否定しようがなかった。政宗の言うことはいちいち尤もだった。元親と昔馴染みだからわかる、という発言には説得力があった。政宗と元親は、似ている。考え方も、主君としての在り方も。それは元就には悔しいことによくわかった。二人の空気は、違っているようで似ていたから。
現に元親も、元就を置いてでも、政宗に会いに行こうとしたではないか。
(そうだ、長會我部は?・・・伊達が此処にいるのに、あやつは何処にいる?)
そのことにも気づいて、元就はきつく唇を噛んだ。
(・・・謀られたのか?我を見捨てた・・・伊達に引き渡したのか?)
ぐるぐると、さまざまの憶測が回る。回る。元就を嘲笑うように。
どうして自分は“相応しくない”元親と一緒に行動しているのか。一体なにがきっかけだったのか。どうしてそんな気になったのだろう。どうしてもう長い間元親と一緒にいるのだろう?
そうやって考えて、思い出すのは戦場で元親が互いに火花散らしながら声を限りに、元就へ叫んだ言葉のひとつひとつだった。俺を信じろ、と元親は言った。信じるなど虚しいことだと元就は応えた。何度もその応酬を繰り返して、元親はけれど、折れなかった。折れたのは元就だった。
同盟を結ぶと伝えたとき、元親は笑って、ありがとうと元就に言った。
(・・・あれも、全部謀りごとだったか?此処に至るまでの全部も?)
何度も争った。揉めた。別行動もした。その都度元親は怒り、呆れ、けれど結局最後は笑って元就の手を再び取った。そうやって此処まで来た。心配させるな、と何度も言われてきた。何度もいなくなった元就を探して、見つけて、抱きしめて、いつも心配したと言った・・・
(・・・どれもこれも、いつのことも、全部?)
声も出せない元就を、政宗は見下ろし、言い放つ。
「あいつは、オレの大事なダチだ。あいつに何か企んでやがるなら、オレが許さねェぜ、毛利元就」
「・・・我は・・・そのような、ことは、」
声は、あまりにも弱弱しくて、政宗には届かない。
隻眼が元就を睨みつける。正しい光と、正しい言葉だと元就は思った。大事な友人を思う心が発した言葉と行動だ。己には、この男と匹敵するだけの強い気持ちが元親に対してあるのだろうかとふと思った。
「・・・いいか。これ以上、あいつに付きまとうな!その誓いをここで立てろ。・・・できないってんなら、オレがアンタを此処で、―――」



政宗の声は、ふと、途切れた。
騒ぐ声ともの音が、近づいてくる。政宗は少し腰を浮かしかけた。元就も、相変わらず床に転がったまま視線だけそちらへ向けた。
小十郎が、政宗を目で制し、場を立つと廊下へ出ようと板戸を開ける。
―――聞き覚えのある声が、怒鳴っていた。・・・否、呼んでいた。
「・・・毛利ィ!毛利、いるんだろ!?おいッ、政宗!何処にいやがる!?てめェが毛利かどわかしたことは、わかってるんだ、さっさとあいつを出しやがれ!!!」



(・・・阿呆めが)



元就は、不覚にも目の前が滲むのを自覚していた。