キャラメルにリボン





(1)


相手にはっきり言葉を伝えなかったことから誤解が誤解を生んで、その解消に随分回り道をしたことがあった。
勿論全く無駄だったわけではなく、その回り道があったから今の自分たちの関係がある。
言葉が無いと伝わらないことがある。
――― 一方で、言葉を介さず伝わるものもある。





学年末のテストが終われば、予定していたダブルイベントの日は目前だった。すなわち、元就の誕生日と、もうひとつ。
元親は追試で余計な時間を取られないよう、今回はいつになく熱心にテストの準備をしていた。その甲斐あってか、今回は赤点はひとつもなく、教師は喜んでくれたし元親自身はほっと胸をなでおろしたものである。上々の首尾であった。
ところが、ものごとというのはうまくいかないのが常らしい。
テストの終わった翌日、元就は学校に来なかった。おかしいと思っていると携帯にメールが入った。
“急な話だが、海外へ研修に行くことになった”
そう始まるメールの文面に、元親はぽかんと口をあけてしばし見入った。
続く文章は、曖昧にところどころぼかしてはいたが、元就の会社が関連していること、義母の希望であること、戻るのは新学期が始まる頃になること、等等が綴られていた。
最後の方に、例の日を一緒に過ごせなくて申し訳ないという文が、少しばかり遠慮がちに添えられていた。
元親は、何度か読み返した後、溜息を吐いて携帯を閉じた。どうにも、大事な日には邪魔が入るのが自分たちのお決まりのパターンらしいと、少し自嘲気味に肩を竦める。
「・・・まぁ・・・しゃーねぇか」
出立の日さえ教えてもらえなかったのは寂しかったが、本当に急なことだったのだろうと元親は自分を納得させた。
まだプレゼントも買っていなかった。春休みの間にゆっくり探すか、と、前向きに考えて元親は大きく伸びをした。再び携帯を開くと、返信をしたためる。
“気をつけて行ってこいよ!帰ってきたら祝ってやる”
送信したあと、元親は小さな溜息をついた。
―――実を言えば、少しほっとしている自分がいる。
理由は、先日の元就の部屋での一件にあるにちがいなかった。



あの日の翌日、元親は元就が一部始終を知っているのではないか、そうしたら自分は元就にどういえばいいだろうと恐る恐る学校へ行った。けれど元就は普段どおりの態度で応じてきて、元親は胸をなでおろした。
それからしばらくはお互い色々と慌しく、二人っきりでいる時間はほとんどなかった。たいてい政宗や幸村や佐助が一緒にいて、それはそれで楽しかった。気づけばテストが近づいていて、それが終われば“その日”がやってくることに気づいたのは今月に入ってからだ。
プレゼントや、当日どうやって過ごすか、という計画は元親はテストが終わってからにしようと、何も考えていなかったが、本当は言い訳かもしれない。
二人きりで過ごすことは以前と同じように楽しみなのは勿論だったが、今はそれ以上に、あの日の自分を思い出して元親は苦しいとさえ思ってしまう。
もし再び同じ状況になったら―――



(・・・俺は、歯止めがきくだろうか?)





春休みは平坦に過ぎていった。初夏の公式試合で新3年生は引退のため、元親はひたすら部活に打ち込んでいた。それは佐助も同様で、だから元就のことを誰かと話題に出すこともあまりなかった。勿論本人とはメールや、時々電話で話したりはしていたが、元就も仕事絡みでの研修も兼ねているというからには忙しいには違いない。お互いを気遣って、様子を簡単に報告して終わる、そんなやりとりだけで十分幸せに満たされて日は過ぎていく。
新学期が始まる二日前、元就は書いて寄こした。始業式には間に合わないので、翌日から登校する、と。
それを見て元親はあらためて固まった。
続けて会っているうちは気にならなかったのに、しばらく会っていないうちに、かえってあの日の状況は突然鮮明によみがえるようになっていた。
(毛利が帰ってくる)
嬉しいはずなのに、嬉しさとは違う緊張で心臓が早鐘のように打った。



春休み最後の日。部活の帰り道、元親は信号待ちをしていた。傍らには新しい自転車を押している。ようやく最近購入できたそれは、以前元就に話したとおりのきれいなグリーンだ。
三車線ずつの国道端、信号はなかなか変わらない。元親は合間に携帯を取り出し開くとぼんやり見つめた。
背中をぽんと叩かれて、元親はおどろいて振り返った。佐助がにこにこしてそこに立っている。
「よっダンナ。なにぼーっとしてんのさ、疲れたの?」
「あぁ、なんだ猿飛か・・・別に、疲れちゃいねぇよ」
携帯をしまうと、元親は信号を見た。まだ当分青には変わらないようだ。
「なんだ、って、・・・ひょっとして毛利さんだと思ったとか?」
佐助に言い当てられて元親は面白いように紅くなり慌てた。佐助は内心噴出した。
「ば、馬鹿言うな。あいつはまだ帰ってねぇよ」
「ふーん、あっそう。で、いつ帰ってくるの、毛利さん」
「・・・新学期の翌日から登校するってよ」
「え、じゃあ、明日には帰ってくるんじゃん。よかったねダンナ、嬉しいっしょ?」
佐助は満面の笑みで、本心からそう言った。元親がどれほど元就に友人としてもそれ以上としても惚れこんでいるか、佐助は知っている。
―――ところが、元親は曖昧に頷くだけなので佐助は首を傾げた。
「何、ダンナ、嬉しくないのかい」
聞くと、元親は困ったように目を伏せたので佐助は余計に驚いた。
やっと信号が変わったので、二人で渡る。渡り終える頃、佐助は再び聞いた。
「毛利さんと、なんかあったの?アンタがあの人帰ってくるってのに、嬉しくないわけがないでしょうに」
元親はゆっくり口を開いた。
「いや、嬉しいのは嬉しいんだぜ?・・・でも、ちょっとなぁ・・・なんつったらいいか・・・困ってるっていうか、どーしたもんかと・・・鬱陶しいっていうべきか?」
佐助は元親の言葉を脳内で反芻して、きっかり2秒後に大きな声を出した。
「・・・はぁ!?毛利さんが帰ってくるのが鬱陶しいってことかい!?・・・ちょっと、何言ってんのダンナ」
「違ぇよ!鬱陶しいっていうのは―――」
元就ではなく自分自身だ、と否定する前に人の影が自転車を横切るように動いたので、元親は顔を上げた。
佐助もそちらを見た。
元就が、スーツケースを引いてそこに立って、じっと二人を見ていた。



「も・・・毛利!?・・・あんた、明日帰るんじゃなかったのかよ!?」
元親は飛び上がらんばかりに驚いた。佐助も、今まさに話題にしていた人物が急に現れたため柄にもなく焦った。
元就は少し首を傾げてじっと二人を見ていたが、やがていつもどおりのそっけない抑揚のない口調で言った。
「急に予定が空いたのだ。飛行機のキャンセル待ち席も運よく取れたので、帰ってきた」
会話が途切れた。元就は、少し眉を顰めた。
元親は、しばし呆けたように元就の顔を見つめていた。
色々の感慨がずれて沸き起こり重なり、――――そうして。
「・・・・・・!」
次の瞬間、元親はいきなり自分のマウンテンバイクに跨ると、猛烈な勢いでその場から去ってしまったのである。言葉すら残し忘れて。
「えっ・・・ちょっ、と!ダンナぁ!?」
驚いたのは佐助だ。あっけに取られて元親を見送った佐助は、やがて恐る恐る後ろにいる元就を振り返った。
元就は、佐助のように驚いている、というふうではなかった。ただ端正な顔に少し考えこむような表情をにじませて、元親が走り去った方角をじっと見つめている。
「・・・えーと・・・おかえり、毛利さん」
「・・・ふむ」
「ニュージーランド、行ってたんだって?」
「あぁ。仕事でな」
いつも以上の氷のような応酬に、佐助はほとほと困りながら言った。
「・・・えーと・・・なんかさ、長曾我部のダンナ、急いでる用事あるみたいだったからさ、うん。たぶんそれ思い出したんじゃないかな・・・なんてね」
「別に、どうでもよい。何故貴様がそのようなことを我に言うのか」
元就が、明らかに傷ついた顔をしているのに気づいて、佐助は自分の行動に呆れ舌打ちした。強張った愛想笑いを残すと、元就に手を振って別れた。当然、内心では元親を罵っている。



元就はぼんやりと家へ向かって歩いた。スーツケースの車輪の音だけが、かたかたと元就を追いかける。
途中、立ち止まった。鼓動が早くなっていた。
元親の戸惑いの言葉を思い出す。佐助に、元就に会えるは嬉しいかと問われ、「鬱陶しい」と応えていた。確かにそう言った。
何か、留守の間にあったか。誕生日を一緒に過ごさなかったから怒っているのか。
でも、何かの間違いだろうとも、なんとなく思っている。元親の新しい自転車は、前彼が言っていた「チェレステ(グリーン)」だった。元就の好きな色。
以前のこともあるので、誤解をしてはいけないと、元就は気を取り直した。
(なにか用事があったのだろう。きっとそうだ)
佐助の言い訳を信じてやることにした。



元親は、家に帰ると、自分の部屋に駆け込んだ。
ドアを閉めると、バッグを床に叩きつけて、自分を罵った。何を怖れての結果かわからないが、あれではまた、元就に不審感を与えてしまう。
やがて元親は、制服のまま床にごろんと転がった。
すぐに以前の眠る元就を思い出してしまい、冷や汗をかいて飛び起きる。
「・・・くそっ」
ろくに「おかえり」も言わずに置いてきてしまった。しばらくして佐助からフォローのメールがきた。ますます凹んだ。
こんなことでどうなるのだろう。明日から学校でまた会うというのに。
しばらく会っていないうちに、まともに顔を見ることもできなくなっているなんて。