キャラメルにリボン





(11)


その日、元就の携帯に政宗からメールが届いた。
以前言っていたとおり、土曜日家に来ないかという誘いだった。
ちょうどその日は空いていたので、元就は躊躇しながらも、政宗に承諾したと返信した。





元就を迎えに来た車は、やがて長い塀のある屋敷の門をくぐる。
塀の奥は、立派な日本家屋だった。政宗が玄関で出迎えた。
元就は長い庭に面した廊下を、太い梁や年代を経たであろう柱や部屋ごとに違う凝った造作の欄間などを見ながら歩いた。母屋から、ごく最近建て替えられたらしい三階建ての別棟が続いていて、そちらの二階の一角へ案内された。
「ほら、入れよ」
中は、壁一面本だった。図書室と同じ匂い。
「・・・?貴様の部屋か?」
「んなワケ、ねーだろ。こんな本にばっか囲まれてたら窒息しちまうぜ」
政宗は笑った。書庫だという。
元就は中に入ってぐるりと見回し、ほうと感嘆した。しばらく壁や棚に並べられた本を眺めて歩いていたが、やがて目を瞠り、一冊取ってめくり始める。
「アンタ、好きだろうと思ってよ。オレは全然まだ手ェつけてねぇが――」
返事は無い。政宗は元就を振り返った。
彼はもう読むのに没頭していた。
政宗はその横顔を眺めて、密かに笑った。


どれくらい時間が過ぎたのだろう。
元就はページをめくる手を止めてはっと顔を上げた。
傍らの長椅子に寝転がって携帯を弄っていた政宗が欠伸をした。
「すまぬ。つい読みふけってしまった」
「ん?別に、いいぜ。アンタが好きだろうと思って案内したんだからよ。その本、気にいったのか?」
「うむ。以前からさがしていたもので・・・前は手元にあったのだが」
「・・・Sorry,」
政宗は謝った。元就は、何故謝る?と怪訝そうに政宗を見た。
詫びたのは、元就の言っているのが、元就が家族を全員失たときのことを指しているとなんとなくわかったからである。当時住んでいた家屋敷は差し押さえられ競売にかけられたと聞いていた。家財一切もほぼその例に漏れなかったのだろうか。
「それ、やるよ」
「ならぬ。絶版で、新たに手に入る保証のない本だ、受け取れぬ」
「オレは別にそんなもん、必要ないし、いいともなんとも思わねぇが」
「受け取れぬ」
「・・・じゃあ、貸してやるよ。まだ全部読めてないだろ。どうだ」
固辞する元就に半ば苦笑しながら政宗が提案すると、
「・・・それならば」
遠慮がちに、元就は頷いた。こころなしか嬉しそうに見えて、政宗は我知らず笑顔になった。
「OK。じゃあ、オレの部屋行くか。喉渇いちまった」
三階に上がる。広い部屋に案内されると、高校生の部屋には場違いな応接セットを指して、其処に座っててくれと政宗は言った。
しばらく二人で話していると、ノックが鳴って使用人が飲み物と菓子の乗ったワゴンを押してきた。政宗はあれ、と尋ねた。
「おい、小十郎は?顔出すって、自分で言ってやがったクセに」
使用人が、今しがた“急な来客”があって、少し取り込んでいるのです、と。
政宗は眉を顰めた。
「おい、“急な来客”って、アレか――」
その言葉は、伊達家では別の意味を持つ。ちっ、と政宗が舌打ちをした。ほぼ同時に、小十郎の声と、別の声が近づく。
「―――政宗!入るわよ」
扉はいきなり耳障りな音をたてて開いた。元就が顔を上げると、政宗によく似た女性がそこに立っていた。



「・・・なんか用か」
政宗の声は低かった。抑えているが怒っていることは元就にもわかった。
女性もまた、不機嫌らしい。つかつかと政宗の前まで行くと、腕を組んでじっと座っている政宗を見下ろす。
「今日、仕事で偶然理事長夫人にお会いしたのよ。そうしたら貴方のことを色々言われて。相変わらずやる気が見えないって嫌味聞かされたわ。私に恥をかかさないでちょうだいな」
「・・・で、慌てて放置息子の偵察かよ。ご苦労なこった」
政宗は椅子にもたれて、わざとらしく溜息を吐いた。その言葉で、彼女が政宗の母親なのだと元就は理解した。ふと、以前一度車の中で聞かされた、政宗の、母親を評した言葉を思い出した。
ドアがノックされ、開いて、小十郎が駆け込んできた。
「奥様!今は大事な来客中――」
「・・・お客様?」
女性は、そこでようやく、ソファに座っている元就に気づいたらしい。元就が丁寧に立って礼をすると、一瞥して慇懃に会釈を返したが、ふと思い当たったように目を瞠る。
「・・・貴方・・・もしや毛利の?ご子息?」
「はい。お邪魔しています」
「まぁ!それは確かに“大事な”お客様」
急に機嫌よくなった母親の声に、政宗が弾かれたように顔を上げた。
「最近は毛利さんのところも良いお話を色々引き受けておられるとか――この愚息ともども伊達との付き合いを末永く」
「おい!この人と、仕事は関係ねぇ!」
政宗の慌てたような声に、母親は、きょとんと息子を見つめた。
「え?仕事じゃなければ何故彼を・・・」
「決まってる。オレの―――ダチだからだ」
「え・・・?まぁ・・・貴方、小さい頃から他人を家に呼ぶなんて、したことなかったのに?遊び相手は従兄弟たちばかりで」
政宗は言われて立ち上がった。「うるせぇ。いつまでもガキ扱いすんな!」
元就は、そんな二人をじっと見ている。小十郎が、お二方、と自重を促すが二人の耳には届いていないらしかった。
「片倉。お前もお呼びする方が毛利さんだと知っていたのでしょう?」
「それは―――」
「小十郎は関係ねぇ!小十郎はよくやってくれてる、なんであろうとアンタに文句言われる筋合いはねぇ」
政宗は、小十郎をかばった。どんどん空気がとげとげしくなる。
「勝手に人んち入ってきて憶測でもの喋るのはやめろ。さぁもう帰ってくれ。」
その言葉に、政宗の母は眦を吊り上げた。
「人の家、ですって?此処はそもそも私の家。そして大株主でもある」
「自分で出てったくせにしゃあしゃあと何言ってやがる。この家の主も、筆頭株主も今は俺だ」
「与えられた椅子に座っているだけで、実績もないのに偉そうな態度はおやめなさい!」
政宗は、その言葉にぎりと歯を食いしばった。母親は吐息をひとつ、続けた。
「毛利さんも、貴方が“伊達の”跡継ぎだから招待に応えてくださったのではなくて?もっと謙虚におなりなさい。貴方はいつもそう、自信過剰で見ててはらはらする」
それから彼女は、元就を振り返って、頭を下げた。
「お恥ずかしいところをお見せしました。これに懲りず今後ともよろしゅうに・・・そうですわ、これの弟も今度紹介―――」
「出てけつってんだろうが!!!」



政宗の怒号に空気はしんとなった。驚いた表情で固まった母親は、母親になんて口の聞き方を、としばらくの後震える声で抗議した。
政宗は、彼女を睨みつけた。
「百歩譲って、アンタの言ったことが全部正しいとしてもな。此処は、オレの部屋なんだよ。出てけ!」
彼女は最後まで聞いていなかった。くるりと踵を返すと部屋を出て行った。小十郎が、奥様お待ちくださいと呼びかけながら出て行き、ドアは閉まった。



政宗は黙って母親の出て行った扉を睨んでいた。
ややあって、俯き、ゆっくりと自分の椅子に座った。みっともないとこ見せたな、と呟くような声が響いた。
政宗の母に挨拶したときから立ったままだった元就は、ソファに再び座ると首を傾げて、別に、とだけ言った。しばらく考えて、付け足した。
「母御なりに貴様や会社を案じておられると見たが」
「・・・違うな。あいつは、オレが嫌いなんだ。可愛げがないんだとよ。ガキの頃から何度言われたか」
政宗は吐き捨てるように言った。元就はさっき政宗から借りた本をめくりながら聞いていたが、やがて平坦な声でさばさばと言った。
「我には彼女の言うことは正論にしか思えぬな。何を貴様はそのように怒るのだ?理解できぬ」
「な・・・っ」
「・・・まぁ、我は事情も知らぬし、実母は幼少時よりおらぬゆえ、よう分からぬ」
政宗は押し黙った。
「・・・Sorry」
小さい声で詫びた。元就からは何もない。
政宗は、何か言いたそうに再び口を開いて、また閉じた。俯く。
ややあって。
「おい、言っとくが、・・・オレは、アンタんちが、欲しいわけじゃねぇからな」
「ふむ?・・・あぁ、さっきの話か」
元就は、指先を口元に当てた。
「なるほど、・・・毛利程度手に入れても伊達にとって吉と出るとも思えぬが、妥当な線ではあろうな。我が貴様の立場でも考えるやもしれぬ。心づもりしておこう。手を組むかは無論将来のことゆえ、未知数だが――」
「違う、嘘じゃねぇ!」
政宗は、必死な声を上げた。かぶりをふって立ち上がる。
「オレは、アンタのとこが欲しくてアンタに近づいてるんじゃない。あの女の言ったのはでたらめだ。あの女こそアンタんちを狙ってるんだろうぜ―――」
「憶測で他者を貶める発言は控えよ。見苦しい」
さっき伊達が母親に言った言葉で切り返される。
政宗は、それに気づいて黙った。再び俯く。
「伊達?」
しばらく俯いたままの政宗を覗き込むように元就が、尋ねた。返答が無いので、元就はソファから立ち上がって政宗に近づく。政宗はようやく顔を上げた。



「・・・アンタはどうなんだ。オレが“伊達の”当主だから、毛利の利益のために、今日のオレの誘いに乗ったのか。いつもオレの話に付き合ってくれてんのか?」
元就は、少し首を傾げ、考えた後。
「さて、我にも実はよくわからぬ。・・・が、貴様は、話しているとなかなか興味深い。今日はそれゆえ我は、乗ったのだろうと思う」
他人事のような答えだったが、政宗はその言葉にひとつだけの目を瞬いた。
「それは、オレと話すのが、・・・少なくとも悪くないって、思ってくれてるってことか?」
「そうだな。立場も似ておるゆえ、――学ぶこともある」
「そうか。・・・そうか。」
政宗は、自分に言い聞かせるように呟き頷いた。
嬉しかったのである。
ふと、元就が手を口元へ置いた。政宗が見ていると、目の前で元就は唐突に、ふふ、と笑った。
元親と一緒のときに垣間見たことはあったが、間近に見るのは初めてで、政宗は驚いて息を呑んだ。
元就はそんな政宗の驚きには気づかず、笑っている。
「貴様も、友人がおらぬと母御に心配されるとはな。意外なこと。我と同じか」
政宗は、その発言にきょとんとした。さっきの母親との会話のことだと理解して、少し不貞腐れた表情を作って抗議する。
「おい、ありゃお袋の邪推だ。ガキの頃の話だぜ?今のオレは、ダチがいねぇわけじゃねぇ。むしろ遊び仲間も、オレについてくる奴らはいくらでもいるぜ、アンタだって知ってるだろ?」
「知らぬ。そうであったか?」
「ちっ。そうなんだよ。・・・まぁ・・・相手は選んでるけどよ・・・」
「つまり母御は当たらずも遠からずということか」
「・・・アンタなぁ・・・」
元就がまた静かに笑ったので、政宗は顔を赤くした。
あらためて至近距離で見ると、なかなかの破壊力だな、と思う。普段ほとんど動かない表情が、ただ笑うだけで。これを目の前で見せられたら、そりゃぁ元親もノックアウトされるだろうな、と考えた。
「・・・おい、いつまでも笑うなって」
照れ隠しに、政宗は机越しに元就に手を伸ばした。元就が少し身を引いたので届かないで腕が空振った。このやろ、と少し焦って、机を回ってつかまえようとした。今度は手が届く。手首をつかんだ。
じっと、政宗は元就を見つめた。
やがてゆっくり元就を引き寄せて、その線の細い肩に顔を埋める。
「伊達?どうした」
「・・・ちょっと、こうしたいんだ。いいだろ」
「・・・かまわぬが」
互いの心臓の音が響いて重なって、政宗は緊張している自分に気づいた。けれど元就はいつもどおり落ち着いて見えた。自分だけか、と思うと少し寂しい。
政宗にとって、自分と面と向かってはっきりと意見する人間は少ない。小十郎くらいのものだ。他人が政宗にそういう態度を取るのは、伊達の跡取りという立場もあるし、甚だ不本意ながら、片目であるというハンディキャップも理由のひとつだろう。幼少の頃から、ずっと、他人と区切りをつけてきたのは事実だ。
だから大抵の場合、素直に他人の意見を受け入れることも少ない。
それが、さっきの元就の辛辣な批評は、腹が立つこともなく素直に政宗に染み渡った。そうかもしれない、と頷けた。不思議なことだと政宗は思う。
だからこの人が自分に必要だと欲してしまうのか。
(・・・単純に、惚れた弱みかもしれねェが)
(あるいは、・・・似てる、から?境遇が?)
政宗は低く笑った。元就が何だ?と問う。
「・・・なんでも。アンタといると、どうにも自分が子供っぽく思えてしょうがねェだけだ」
呟いた声は小さくて元就は聞き取れず、抑えた笑い声が触れている肩口から響くのを感じて、元就は怪訝そうに首を傾げた。


しばらく二人で、そうしていた。
やがて先ほどの時計の音が響き渡った。時計を確認して、もうこんな時間かよ、と政宗は呟いた。
大事な時間ほど早く過ぎると痛感した。
ゆっくりと政宗は元就から体を離した。
「晩メシ、食ってくか?」
「いや。・・・そろそろ失礼する」
「そっか。じゃあ車で送らせるぜ」
政宗は笑った。笑顔は晴れ晴れとしていた。
「今日は楽しかった。また、話しようぜ、毛利サン」
元就は、小さく頷いた。