キャラメルにリボン





(12)


元就が政宗の家を訪問した翌日、政宗は学校を休んだようだった。
ようだ、というのは、元就がそれに気づいたのは休日を挟んで三日後だったからである。
借りた本を返しに行った元就は政宗が教室に見当たらないことに気づいて、一度目はタイミングが悪かったのだろうとそのまま自分のクラスへ引き返した。二度目は少し廊下で待ってみた。やはり姿が見えない。
政宗のクラスは元親と同じだから、ほぼ必然的に元親の姿も見ることになる。三度目に、その元親と視線が合って、どうしようかと迷った。が、ちょうど他のクラスメイトが元親に話し掛けたため、躊躇したけれど結局その日は本を返すこと自体を諦めた。
翌日、元就は自分のクラスの幸村に、昨日は伊達はクラブに来ていたか、と問うた。幸村はあっさりと、休みだったと答えた。
「・・・異な事だな」
「そうでもないでござるよ。政宗殿は、時々よく分からない理由で休まれる」
「・・・ふむ?」
それでも、大抵は一日だけなので、二日続けて休むのは珍しい、と幸村は言った。



元就はその日も、昼休みに政宗のクラスを訪ねた。やはり姿はない。
彼の席をぼんやり見つめていると、毛利、と呼ばれた。
「・・・長曾我部」
「・・・政宗、探してんのか?あいつ、休みだぜ」
「今日も、か?」
「もう三日だから、珍しいなって、皆と言ってたとこだ。あいつになんか用があるのか?昨日もちょくちょく来てたろ」
話し掛けてくる声はいままでどおりの元親の優しい響きであり、元就を少し上から見下ろす眸も何もかわらない。二人きりでなければこんなに普通に話してくれるのに、と元就は先日の会話が幻ではないかと自分の記憶を疑いたくなる。
それでも、手にずしりとくる本の重みに、元就は溜息をついた。
この本を政宗に借りている、その事実が、先日からのことが現実だというある意味証拠のようなものだ。
「・・・伊達に、本を借りた。返しに来たのだが、おらぬなら仕方ない」
「・・・あいつに?本を借りた?」
「先日、家に招かれて、そのときに」
「えっ。あいつんちに、行ったのかよ?あんたが?」
元親は明らかに驚いていた。
元就が頷くと、元親は口篭った。
「・・・俺、それ返しておいてやろうか」
やがて控えめにされた提案に、元就は首を横に振った。
「それには及ばぬ」
「でも」
「また、来る」
元就は踵を返した。背中に元親の視線が感じられた。多分、うぬぼれではない。元親との約束に対して依怙地になっているわけでもない。
ただなんとなく、この本は自分で返さねばならないと思った。





翌日、政宗はようやく登校してきた。
元親はいつもどおりに、具合が悪かったのかと声をかけた。政宗は元親をじっと見て、別にそういうワケじゃねェよとだけ応えた。
そう言いながら、3限目の始まる前に、政宗はふらりと姿が見えなくなった。保健室で寝る、と言い残して行ったらしい。気まぐれの行動なのか、本当にどこか具合が悪いのかは誰もわからなかった。
案の定というべきか、昼休みにまた元就は姿を見せた。元親が気づいたときには、元就は手近の者に尋ねて保健室へと向かうところらしかった。
元親は、その後姿を目で追って、どうしようか迷った。
・・・結局はしばらくの逡巡の後、立ち上がると、後を追った。





保健室に元就が着いたとき、ちょうど養護教諭が休憩なのか席を外すところだった。入り口のドアのところで元就が、伊達はいますか、と問うと、年配の女性教諭は、寝ているみたいだから静かにね、と言い残して出て行った。
元就は、仕切られたカーテンを開けてベッドを覗いた。政宗はこちらへ背中を向けて布団に入っていた。しばらく見ていたが動く気配もなく、静かに呼吸に合わせて肩が上下するばかりである。
元就はそろそろと、なるべく静かにベッドの傍らに寄ると、手にした本と政宗を交互に見つめた。
しばらくしてからそっと、枕元に本を置く。



「―――!?」
突然手首を握られ、引っ張られた。
元就はどさりと政宗の上に覆いかぶさるように倒れた。素早く両腕でがしりと羽交い絞めにされる。身動きできなくなって、息が苦しくなって、顔を動かしてぷはっと息を吸った。
すぐ傍に政宗の顔があって、頬どうしがぴたり、触れて、熱い。元就は少し、焦った。
「・・・・・・ッ、貴様・・・」
「Ha!オレの寝たふりもなかなかのもんじゃねェ?英才の誉れ高いアンタをこんな簡単に騙せるなんて」
政宗は、楽しそうにくつくつと笑っている。
「・・・巫山戯られるところを見ると、仮病か。愚劣な・・・放せ、苦しい」
「やだね」
政宗はますます強く元就を抱きしめる。
「わかんねェぜ?もしほんとにオレが、熱出て寝てたらどうするんだ、アンタ」
「今更白々しい。貴様がいたって元気なことくらいわかる」
「・・・ふん」
ようやく腕が緩んだ。元就は急いで政宗から離れ、ベッドからも離れてカーテンにぴたりを背をつけた。政宗はそれを見て苦笑した。
「ジョークだろ。んな警戒すんなよ、毛利サン」
手招きされて、元就はしばらく考え、傍らの椅子に注意深く座った。
「・・・ここ数日、仮病で休んでいたのか?」
「おいおい、馬鹿言うなよ。学校には仮病なんざ使ってねェぜ?お袋にとっつかまって、勉強しろって家に閉じ込められてたんだ」
本当なのか冗談なのか分からないことを政宗は言って笑っている。



元就は、黙って借りていた本を差し出した。
政宗はそれを見ると眉を顰めた。
「・・・それは、もうしばらくアンタが持っててくれ」
言ってまたふとんを被って向こうを向いてしまう。元就は、何を言っている貴様はと言ってベッドの枕元に本を置いた。政宗は煩そうに本を元就のほうへ押しやった。
「いいから。持っててくれって、言ってんだろ」
「借りたものは返すが道理であろう」
「オレは、アンタに持っててもらいてぇんだよ。それ持ってる限り、アンタそれ返しに何度でもオレのとこに来てくれるんだろ、こうやって」
「・・・貴様は、阿呆か、ただの駄々っ子か?」
政宗の言う内容に、元就は呆れた。政宗は意にも介さない。
「なんとでも言え。オレは、アンタと会えると嬉しいだけだ。こうやって見舞いにも来てくれるようになったのも嬉しい」
「・・・見舞いとは言えまい。我は、本を返しにきただけだ」
「休んでる間、ちょくちょく来てくれてたんだろ?クラスの奴に聞いたぜ。口実でもそうでなくても、アンタがオレに興味持ってくれるだけで嬉しい」
元就は、返答に困って黙りこんだ。
「・・・おかしな奴よ」
やがて溜息をついて、元就は、小さく、俯いて笑った。
すると政宗が、こちらへ寝返りをうち、ほらその顔がと言った。
「・・・顔?」
「今、笑っただろ」
「そうだったか?」
「おぅ。いいねェ。得した気分だ」
「得?何故?」
「だって滅多に見られねぇだろ。実際、アンタの笑ってるとこ見た奴って、そういないだろうぜ」
「・・・」
「だから、得っていうか、嬉しいんだよ、オレは」
元就は、政宗をじっと見つめた。



「・・・長曾我部も、貴様も」
「!」
「我のような者と関わって、何がそのように面白いのやら。奇特な奴らよ。」
政宗は、急に不機嫌そうに口を噤んだ。元就は気づかず。
「長曾我部も、似たようなことを言っていたな。・・・我はそのように日頃笑っておらぬか?」



政宗は、ゆっくり起き上がるとベッドの上に胡坐をかいて座った。押し黙ったまま、ふいと元就から視線を逸らした。
元就は不審に思い、政宗を見つめる。
しばらく待ったが政宗は何も言わない。
「伊達」
声をかけたが返答は無い。
もしや彼は実は本当に具合が悪いのだろうか、と元就はほんの少し心配になった。そろりと左手をベッドの縁に掛ける。
政宗は、視線を元就の、ベッドについた手に移した。自分の右手をその上に重ねて俯く。



「なぁ、アンタ」
「なんだ?」
「オレに、乗り換えないか」
「?乗り換える?」
「元親なんざやめて、俺にしろよ」
「―――」



今度は元就が視線を逸らした。政宗はぎゅっと、重ねた手に力を篭めた。
「親友は一人って決まっちゃいねぇだろ」
「親友なら・・・だが、長曾我部は。親友だが、またそれとも、違う、から・・・」
元就の心臓が早鐘のように打つ。さらりと、反撃が返される。
「知ってるさ。恋人だって言いたいんだろ?」
「!」
「図星だろ?・・・ふん。つっても、オレには、そうは見えねぇけどな」
元就は、はっと政宗の顔を、思わず見つめた。
「見え・・・・ない?」
「今だって、なんかもめてるだろ。すぐわかる。痴話げんかにしちゃ、いっつも深刻だよな、アンタらのは」
「・・・」
「だいたい、いいか。恋人ってのは―――」
政宗はそう言いながら、再び元就の、今度は手を掬い取り自分の方へ引いた。よろけた元就を、さっきと同じように抱きとめる。
「こうやって、なぁ?もっとhugしたり、スキンシップするもんだぜ。アンタたちはどうなんだ?」
「・・・離せ」
「嫌だね」
「伊達。巫山戯るな」
「ふざけてねェよ。オレは本気だ。・・・オレは、アンタが欲しい」
「伊達!戯れ言を申すな・・・ッ」
「言っただろ。アンタが好きだって。元親の代理じゃなくなってやるって。アンタの一番になりたいって―――」
「だ・・・―――」
視線が近づき、鼻先が触れ合う。
そのまま自分の額を、元就の額に押し当てて、視線だけを伏せて政宗は掠れた声でありったけ、告げた。



「・・・アイツより。オレのほうが・・・オレのほうがアンタを理解できる。オレたちは同じような立場で―――似てるだろう?生い立ちも、境遇も、将来背負うものも。家族ってもんををろくに知らないこともな。だからきっと、アイツより、わかりあえるし、気も合うだろうぜ。なぁ?」
「伊達。それは」
「いいか、アイツじゃない。アンタを本当に理解できるのは、この俺だ」
「―――」
「何度言えばいい?アンタが納得するまでか?なら何度でも言ってやる、オレは、アンタが好きだ。アンタと一緒にいて、嬉しいし楽しい。恋人になれたら、恋人らしくする。元親みたいに、煮え切らねぇことはねェ。だから、もし少しでもアンタも、オレと一緒にいて楽しいと・・・悪くないと思ってくれるんなら―――」



窓も開いていないのにカーテンが大きく揺らめいた。
それに気づいて、政宗は言葉を止めて口を閉じた。顔を、元就の首筋に押し当てて、こみあげる笑いを抑えた。
元就のからだに、政宗の笑いが振動になって伝わってくる。
「―――いるんだろ、元親。出て来いよ」



元就は、弾かれたように顔を上げ、振り返った。
カーテンが無機質な音をたてて開く。





元親が、声も無く立っていた。