キャラメルにリボン





(13)


元親は声も無い。
政宗は、面白くもなさそうに、フンと鼻を鳴らした。
「アンタらしくもねェ悪フザケだな、立ち聞きかよ」
こたえず、俯いて元親は二人に近寄ると元就の手をぐいと自分の方へ少しばかり乱暴に引いて立ち上がらせた。
元就を自身の背後に隠し、政宗へ向き合う。
「こいつは、―――俺の」
「アンタの、なんだってんだ?」
挑発するように、政宗は元親を睨み上げた。
「笑わせるぜ。こないだアンタ、オレになんつったかもう忘れたのか」
「・・・あれは」
「今更何言ってやがる。ほんとに大事に思ってんなら、好きだったら、あんなこと言うか?この人にこんな顔させるわけねェだろ?・・・あぁ、その自覚があるから、オレに譲ってもいいって言ったのか?」
「譲る?・・・我を?」
元就は、その言葉に愕然、元親の背中側から彼を見上げた。
「違う。・・・俺の言ったのはそういう意味じゃねぇよ」
三人が一様に黙った。静かで、短いけれどとても長い時間が流れた。





元就は、元親の背後から出た。政宗に近づくと、枕元のテーブルに置いたままの本を、あらためて政宗につきつける。
「伊達。本は確かに返すぞ、ここに」
「・・・おい、返さなくていいってさっき言ったろうが」
元就はかぶりを振った。
「こんな本に、我と貴様を関係付けるなんの意味もない。我と会うが興味深いと思うならば、いつでも来ればよい。我を呼べばよい。我は貴様を拒みはせぬし逃げもせぬ。・・・貴様は我の・・・友人ゆえ」
「!」
それから、元就は身を翻してベッドから離れた。カーテンの向こうで、保健室のドアが開いて、また閉まる音がした。
「―――毛利!」
元親が、後を追う。
政宗は、じっとベッドの上で胡坐をかいたまま、突っ返された分厚い本を見つめて動かなかった。



政宗は、やがて返された本を、再びサイドテーブルの上に放り投げるように置いて溜息をついた。
「ちぇっ。・・・必死の告白に、友人、の一言で終いかよ。冷たい人だぜ」
ベッドに寝転がると、苦笑がこぼれた。
「・・・しょうがねぇな、オレも。好きになっちまったんだから」
欲しいポジションは、もっと上だと知っている。でも、がっかりしつつも、政宗は自分が喜んでいることに気づいた。「友人だ」と、元就ははっきり政宗に言ってくれたのだから。
きっと元親も最初、彼からそうみとめてもらえたとき、こんなふうに嬉しかったろうと思った。
「・・・まだ諦めるのは、早い」
ふと、本の背表紙が、これ見よがしに政宗に存在を主張しているように感じて、政宗は煩そうに反対方向へ寝返りをうった。
元就はさっきああ言ったが、この本は、政宗が元就とつながるための糸の一本に違いなかった。だから返してほしくなかった。本が手元にある限り、律儀な元就は今回のように政宗のところへやってくる。
家に呼んだり、ものを貸したり、約束をしたり―――そういう、カタチをつくらなければ、元就と続けてつながりを作る手段が、悔しいことに政宗にはまだ、無い。
(・・・元親は違う)
元親と元就は、離れても、関係がこじれても、いつも引き合っている。無理に持続を強要する関係ではなく、結局は互いが互いを呼んでいる。
元親の言葉ひとつ取っても―――彼は言ったのだ、政宗に。
元就が本当にそれを望むなら構わないと、掠れた声で告げた。そのほうが彼にとって広い意味で良いならば、と。
―――相手への想いが伝わって、自分が切なくなった、とは。
「・・・悪あがき、してるだけなのか、オレは?」
それでも。
元親が、政宗に元就を任せてもいいと言っていても、やはり先ほど現れたように、政宗も、簡単に諦められるわけがない。そんな簡単な感情なら、信頼する友人である元親とこんなふうに摩擦がおこることが簡単に予測できてなお、元就を知ろうとするはずもなく。
自分をもっと知ってもらいたいと、希い行動するはずもなかった。





「毛利、待てよ」
「・・・二人きりはまずいと言ったは貴様であろう。追ってくるな」
「いいから、待てって!」



政宗が元就に正面から告げる言葉はいつもあまりに直球すぎて、元就はどうしたらいいかわからない。知り合った最初の元親のような―――でももっと、気性の激しさが前面に出た言葉。
彼の強引さは、けれど心地よくもある。あまりよく知らない頃は、政宗のことを寧ろ裏表のあるタイプだと元就は見ていた。今も、確かにそういう面が政宗にはある。他人を食ったような態度や言葉が出ることがよくある。でも一対一で話す時、彼はいつも真剣だった。
政宗に言われた言葉をふいに元就は思い出した。
“アンタと一緒にいるとオレは、嬉しい”
悪い気はしない。嬉しいと思う。
“恋人ってのは、こうやって”
先ほどの顛末も思い出して、少し元就は眉を顰めた。あんなに密着して、顔同士をくっつけて、好きだと囁かれて。あれこそ、あの行動こそがそのまま、「恋人同士」だったのではないか。
でも、そんなふうにはあのときは思わなかったし、今も特別の感情がわくわけでもなく。友人と冗談でじゃれあったとしか思えない。
けれど政宗の言った言葉を、元親から聞けたらどんなに嬉しいかと思っている自分に気づいて元就はっとする。
「恋人を」乗り換えてみないかと言われた。たぶんあれは、政宗の本心なのだろう。
でも、今の自分の思いが全ての答えではないのか。
(長曾我部でないと、駄目なのか)
(でもそれは、長曾我部が我を拒否した時点で意味を為さぬ)
(・・・譲ると言ったのか?本当に?我を、伊達に・・・)



(何故?)



「毛利ッ!!!」
元親は、元就に追いつき追い越すと、真正面から肩を掴んだ。離れようとする元就を逃さず、そのまますぐ傍の、今は空き教室になっている部屋のドアを開けて押し込んだ。ドアを閉めて自分の体で塞ぎ、元就を見る。
彼はきっ、と顔を上げて元親を睨んだ。
「長曾我部」
「ん?」
「・・・一番は、二人いるは可能か?テストや競技のように、人との関係で・・・恋人で、同点一位というものが」
「・・・えっ」
「くだらない質問だと知っているが、答えよ。貴様の答え如何では―――」
「・・・それは、・・・、伊達がアンタの一番になりえるってことか」
元親は震えた。
元就は俯いた。
まだわからない。ただ、ひとつだけ。
「・・・我は、迷惑か?我を、伊達に譲るとは」
「だから、それは、違う!俺はただ、あんたには笑っててもらいたいんだ、だから」
「貴様とともに笑うことは望まないのか。別の者と笑い合えばいいと言うか。・・・確かに伊達は、我と一緒だと楽しいと、奴は言った。・・・言ってくれた」
その元就のいつもと違う掠れた声に、自分がつい先日、まったく逆のことを元就に言ったことに元親は気づいた。
「―――ッ、違う!それは、違う!」
元就の肩を掴んで、揺さぶる、元就は少しずつあとずさり、やがて壁に背をつけた。元親を鋭く睨んだまま。
「俺だって、あんたといて楽しいし嬉しいに決まってる!あんたと一緒にいたいに決まってる!あんたの顔を見て、あんたの声を聞いてたいに決まってるじゃねぇか!!!」
「我を馬鹿にしているのか!―――貴様はいつもそうだ、一体何がしたいのかわからぬ!我を好きだと言ったり、離れたほうがいいと言ったり、笑えと言うかと思えば、貴様とでなく他で笑っていればいいなどと―――」
元就は、明らかに怒っていた。
「先日からの態度もだ、・・・貴様の言動ひとつひとつに振り回されて、そんな我を見て貴様は哂っているか。何がしたい?何が目的だ?どうして」
「どうして、だと・・・?」
元親は、歯を食いしばる。
「・・・俺がどんだけ我慢してるかわかんねぇのかよ・・・」
「我慢?・・・何を?」
元親は、壁に手をついて元就を囲うように。
「俺は―――おれ、は、」





以前のように、以前の、いつものように。抱きしめられると予測した。
けれど、違った。
壁に手を置いたまま、見上げる元就へ、元親は一瞬躊躇して、けれど元就の口元が何かを言おうと少し動いたとき、止まらなくなって。
元親は、優しく、唇を元就の小さな唇へ押し当てた。
元就の体が、痙攣したように震えたのが、抱えるように添えた腕から伝わる。
驚いているのだろうか、緊張しているのか、それとも嫌悪かわからない。彼が身を固くする。自分のしていることが怖い。
でも元親は、動かなかった。元就も動かなかった。逃げない。逃げるにはその感覚は甘すぎて、―――暖かすぎた。
二人、多分同時に目を閉じた。



元親の、元就の髪に差し込む手にゆるく力が加わり、元就に伝わる。
一旦、僅かに離れかけた唇を元就は、思わず追うように顔の角度を変えて唇を開いていた。元親も物狂おしく元就を食む。
唇が触れ湿った音がする。やがておずおずと舌が触れ合う。控えめにほんの少し吸い上げられる感覚に元就は目を瞠った。初めての感覚に全身が、驚愕と、不思議な、それだけではない・・・恐怖?違う。震える。震える。怖いのではない。
力が抜けてバランスが崩れて、机と机の間の床に二人で転がった。元親の片手が元就の髪をくしゃりとかきまぜて、再び唇を求め合う。何度も何度も。数えられない、数え切れない。終わりを数えたくない。
シャツの裾を引っ張ると、その開いた隙間から元親の掌が入って、脇腹に触れて、臍を、肋骨の浮いた皮膚をなぞる。くすぐったさに、元就の肌が粟立った。
元就は、逃げなかった。逃げようという考えは浮かばなかった。声もなく音も無く、ただ元親の唇を求めた。



どれくらいそうしていたのか。
先に我に返ったのは元親だった。
自分のしたことに気づき、理解し。体をゆっくりと離した。元就がぼんやりと見上げる目の前でその場に座り込み俯いた。白髪をくしゃりとかきまぜて、元親は唇をかんだ。
「我慢ってのぁ、・・・こういうことだ」
「・・・」
「あんたと仲良くなれた。好きだという言葉ももらった。それでも満足できない。好きで、好きで、おかしくなりそうだ。友達なんだと・・・親友なんだと自分に言い聞かせて誤魔化そうとしても、できない。恋人っていう言葉は、俺とあんたの中で日に日に差ができて」
「・・・」
「だから俺は、・・・あんたと二人きりで、会いたく、なかった。傷つけるのがわかっていたから」
「傷つける・・・傷つける?」
「この行為も、あんたと一緒にいてあんたの未来を縛るかもしれないことも、あんたの心をざわつかせることも、なにもかも。」



離れていれば、こんな衝動からも離れられると思った。いつか収まると思った。でも余計、募るばかりだった。
元就への想いが強すぎて、怖い。
「あんたが春休み、いなかった間、あんたは将来に向けて動いてた。俺は目先のことしか見えてない。せいぜいクラブの試合を考えるくらいしか。そのあとに続く受験も・・・行きたい大学も、勿論将来やりたいことだってまだはっきり決まってない」
「俺はあんたが好きだから、・・・友達としてだけじゃねぇ、恋愛の対象として・・・だから、ずっと自分につなぎとめておきたい。今みたいにしたいって、いつでも思ってる。あんたがそれを受け入れてくれたら嬉しいと思う。・・・でもそれをあからさまに望んで、あんたが俺を軽蔑することも怖いし、それ以上に・・・たとえあんたが受け入れてくれたって、その先が見えないことが怖い。俺があんたに望むことが、あんたにとっていいとは言えない。むしろ、いつかあんたの邪魔になるんじゃないかと」
「あんたに期待する人がいる。あんたも期待に応えようとしてる。ただの友人ならなんの問題もないはずなのに、俺があんたに望むことがあんたにどう影響するかわからない」
「でもこれだけはわかってる、・・・俺はあんたを傷つけたくない。どんな意味においても、だ。あんたの心も、あんたの体も、あんたの未来も」
「政宗は違う。あんたと似てる境遇だから分かり合える、手を取って歩けると言い切りやがった、・・・悔しいけど、今の俺には無いものをあいつは持ってる。確かにあいつなら、俺の望むポジションだって可能なんだろう。俺がそこにい続けるより、あんたが傷つく可能性は低くなるのかもしれない。そう思ったから、俺は」



「・・・我に、伊達を、・・・選べと・・・?」



元親は、苦しそうに、笑った。己を哂った。
「けど、結局政宗のこと気にするあんたがどうしても気になって、嫉妬して、追いかけて」
「長曾我部」
「俺は、馬鹿だな。ちゃんと順序立てて話すつもりだったのに、結局、こうかよ。・・・すまねぇ、毛利。」
元親は、元就の手をひいて、立ち上がらせると、言った。



「ほんとに、すまなかった」
「――――」