キャラメルにリボン





(17)


政宗の屋敷は、以前来たときより心なしかがらんと殺風景で広く感じられた。
先に電話しておいたためか、門の外ですでに小十郎が立って元就を待っていて、そのまま先導して政宗の部屋に案内してくれた。小十郎は先日とは少し雰囲気が違って纏う空気が厳しかった。政宗の部屋の前で、ちらりと背後にいる元就を一瞥する。
多分彼は、元就が何をしに此処に今日来たのか気づいているのだろう。
彼の願いを裏切るわけではない、どんな形であれ友誼を続けて欲しいと小十郎は言った。それは元就だって同じだ。



よう、と政宗は自分の椅子に座り両脚を卓上に投げ出して行儀悪く座ったまま、片手を挙げて元就を迎えた。元就は案内してきた小十郎に頭を下げた。小十郎は何か言いたそうだったが、政宗の、もういいぜという声に黙って一礼して扉を閉めた。
元就は政宗に近づく。
「・・・随分真剣な顔して、どうしたんだよ毛利サン?」
そう尋ねながら、用件は政宗も承知しているようだった。
「・・・先日の、答を貴様に告げに」
「答?・・・あぁ、留学の件か?」
政宗はとぼけた。元就は静かに否定した。
「違う。・・・保健室で、我に問うたな、貴様。・・・乗り換えないかと―――」
「―――あぁ」
政宗は笑みを消した。脚を卓から下ろすと、片手で今度は頬杖をついて、それで?と促す。
元就はゆっくりと息を吸った。
「恋人は、二人にはなりえぬ」
「・・・そりゃ、そうだろうぜ。で?」
「貴様は、恋人ではない」
元就らしい、冷静な声としっかりした口調だった。
政宗は、元就が予想したほどには動揺していない様子だった。
ただじっと元就を見つめる。
「Ha,ほんっとに・・・1か0か、て人だよな、アンタは」
政宗は低く笑った。



「・・・そんな性急に答えださなくてもいいんじゃねェのか?」
やがて返ってきた言葉はそれだった。
「わかんねーだろ。明日はどうなってるかなんて。心変わりするかもしれねェし。今日知らなかった奴と明日知り合ってるかもしれねェし、逆に仲良かった奴と別れてるかも。だから、明日は、アンタは元親よりオレを選ぶってのも、あるかもしれないじゃねェか」
「・・・そうだな。だが」
「現にこうして、アンタはオレと話してる。・・・もう初等部からずっと一緒で、でもろくに話したことすらなかったのに、だ。だから明日はわかんねェだろ」
そういえばそうだ、と元就はゆっくりと子供の頃を思い返してみる。どの景色も色味は少なく、覚えている人物は名前という記号だけで区別して、顔は元就にとって無個性で誰も彼も同じだった。はっきり覚えているのは大事な数少ない家族と、幸せを奪った大人達だけだ。政宗はその時間のどこかに“い”たことしか覚えていない。積み重ねた時間の量じゃない。必要なのは意識の量なのだろう―――相手を知りたいという、ただその一点において。
その意味では、政宗のことも確かに今は知りたいと思っている。だから、元就は、考えて探し当てた元就自身の言葉で告げた。
「貴様は、・・・戦友だ。名をつけるならば」
「・・・戦友?」
けれどその言葉は、空気を刹那に凍りつかせた。



政宗は立ち上がる。隻眼に睨みつけられ元就は気圧されて、我知らず一歩身を引いた。同時に、だん、と政宗の拳が卓上に振り下ろされた。
「結局、アンタにとって必要なのは仕事上の相手ってことか?それとも伊達の家か、会社か?オレ自身じゃなく」
「―――それは違う」
「違わねェよ。アンタも結局そうなのか。この前オレに言ったのは嘘か?」
「伊達、」
一歩ずつ元就に政宗は近づく、元就はあとずさる、壁はけれどやがて後退を拒む。政宗の両腕が伸びて、元就を囲う。
(同じだ、この間・・・元親に空き教室で)
けれど決定的に違うのは、―――政宗が元就を望みながら、元就には彼が別の誰かと話しているふうにしか思えなかった。政宗自身なのか、元親なのか、それとも。
「なんでだ。・・・なんで、あいつじゃなくちゃ、ならねぇんだ。オレとあいつの、何が違う?」
「・・・伊達」
「あいつがそんなにいいか。何処がいいんだ?あんな―――」
低い声。
「アンタまで、そんなことを、言うのか?オレが欲しいのは、アンタ自身だ。アンタもオレを見ろ。・・・オレを、拒むな」
「―――」
元就は顔を背け身を翻した。政宗の腕をすり抜ける、けれど腕を強引に引かれ派手な音とともに元就は倒れた。打った顔を押さえて振り仰げば政宗が上から圧し掛かりカーペットの上に肩をぐいと押し付けられた。
「なんで怖がるんだ?こうやって、アイツもアンタを抱くんじゃねぇのか?」
「伊達ッ、」
「なら、オレだってアンタを抱いてやる。あいつよりもっと上手く、もっとたくさん、オレがどんだけアンタを好きかわからせてやる。アンタがオレのほうがいいってわかるまで何度でも何度でも、何度でも」
顔が近づく。口付けられる、と考え咄嗟に元就は身を捩った。政宗の犬歯が元就の唇にずれてぶつかり血が滲む。ちっ、と舌打ちが聴こえた。肩を押さえた手はシャツを今度は無理矢理に引いた。空いた掌が元就の瞼を塞ぐ。視界が消えた。
「・・・やめ、ッ、」
暗がりに怯えた。
闇は、記憶にあるようで―――まったく別のもののようで。
どこだ、と、我知らず元就は叫んだ。声が聴こえた。
『いいか、つまんねぇものなんて、ないんだ。俺が見せてやるから』





「何も見えぬ、・・・長曾我部、何処に」





元就の首元に顔をうずめていた政宗は弾かれたように視線を上げた。掌にじわりと温かいものが染みこんだ。掌をはずすと、ぎゅっと瞼を閉じたまま元就の目尻から涙が零れた。
「―――Sorry・・・ごめん―――」
次の瞬間切れ長の瞼が開かれ、ばしっとと小気味良い音と痛みが同時にきて、政宗は瞬きを二回した。自分が元就に頬を平手打ちされたのだとそれから、知った。
元就の体を見た。シャツから覗いた腰の皮膚は政宗が膝をついて圧迫したためにすでにうすく痣が浮いている。壁と床に押し付けられたせいで元就のまっすぐな髪は絡まり乱れて無理に口付けたときにぶつけたのか、口元に血がにじんで。その紅が政宗の視界をじわじわと侵食した。
元就は、起き上がり壁にもたれた。その視線は真っ直ぐに政宗を射抜く。もう涙はなかった。
「・・・貴様のその直情傾向は我には寧ろ好もしくあるが、・・・こればかりは解せぬ。」
元就は肩で息をしながら、頬をおさえてぽかんとする政宗をきっ、と睨んだ。
「愚劣な。貴様、誰と争っているのだ。我を望みその実何を」
「・・・オレは」
「それに」
元就は声を大きくした。
「何も我に・・・触れることすら出来ぬ、あ奴と張り合いどうするつもりだ」
その言葉に、政宗は理解したとたんむしろあっけにとられた。
「おい、おい、・・・アンタたち、まだなにも・・・?」
元就が小さく頷く。
政宗は覚えず元就の薄い両肩を掴むと、自分でもおかしなくらいに揺さぶった。
「ずっと恋人だっつってたろうが。なんでだ?ありゃjokeだったのか?それとも本気で名前だけの、恋人ごっこしてたってのかよアイツもアンタも」
「知らぬ!我を傷つけたくないと、それしか奴は。あとは戯れ言ばかりだ、いつも、いつも」
元就は左右に頭を振って、瞼をぎゅっと閉じた。
「貴様の言うとおりだ。幼稚な―――ごっこ遊び、だ、我と長曾我部の関係は」
「・・・」
「長曾我部も、我も、―――貴様も。誰も彼も、どうしようもない馬鹿者だ」
想いを吐き出しながら、けれど元就の肩が震える。
「それほど傷つけるが怖ければ、最初から我なぞほうっておけばよいのだ。あ奴は、自ら我の視界に入ってきたくせに―――今更、いつも、そんなことばかり。貴様でなくとも腹立たしいわ!」
元就は俯いたままで、怒っているのか、泣いているのか、哂っているのか。
「あんな男、こちらから願い下げだと、何故この我が言えぬのか、・・・我にもわからぬ!どうしてあやつでなければならないか、など、我が教えてほしいくらいの―――」



辛辣な言葉の面から、その実聴こえてくるのは、政宗には少しばかり辛い現実だった。
元親でなければならないのだと。
この必死の呼び声を、元親に聞かせてやりたいような、悔しくて聞かせたくないような。
羨ましいと思った。



政宗は胡坐をかいて座りなおすと、元就をじっと見つめた。それから天井を仰いだ。
「あぁ、・・・確かにアイツは駄目な奴だ」
「・・・」
「その駄目なとこが、オレはけっこう気に入って、随分前からつるんでた。・・・なんだかんだで、今だって気に入ってる。要するに、あんただけじゃない、オレも。だからアイツを、敵に、回せない、最終的にはいつも―――」
そこまで喋って、政宗は大きくひとつ息をつく。
「―――あぁ、なんか馬鹿らしくなっちまった!意地張るのもしんどいもんだ」
元就が政宗を見上げた。政宗は前髪をかきあげた。
「元親の野郎は、ホント駄目だな、惚れた相手にまでこんな・・・言われ方してるんじゃ世話ねェぜ。・・・けど、そんなアイツに振り回されてるアンタもオレも、同じように駄目なんだろうな」
「・・・」
「ったく。相手がアイツじゃなかったら、オレはとっくに、アンタをものにできてたろうに・・・」



政宗は、元就の乱れたシャツを直してやった。ひとつボタンの糸が切れている。政宗はそれに気づいてやっと、すまねェと詫びて唇を噛んだ。元就は黙って首を横に振った。
「気にしていない」
そんなはずはなかった。怖かっただろうと思う。政宗自身さっきの自分がどこから来たのか、わかっているようで、わからない。あんな感情があることを痛烈に自覚したのは、よかったことなのかもしれないが、大事な人を目の前に自分の感情にだけ闇雲に突き動かされた事実は辛かった。きっと元親なら、こんなことはしない―――
政宗は、口元を引き上げて無理に笑みを作ろうとしたが、すぐに消えた。
はみ出した糸に指を絡めて引っ張って、元親が怒るだろうな、と呟いた。元就はもう一度首を横に振った。
「怒るやもしれぬが、―――どこかでほんとうに、全部は、怒らぬだろう。貴様には」
政宗は、ハハ、と哂った。そのとおりだ、だからオレはアイツが、と吐き捨ててやった。
「アイツはいつもそうだ!本当ならもっと色々できる、やれるくせに、我慢して、遠慮して、気づかずに誰かに譲ってやがる」
そうして結果、逃げている。元親も、自分と同じだ。
「自分ひとりで進んじまえばいいのに必ず立ち止まって、周りを見て、待ってやがるんだ。たまにはそんなふうにされたほうの気持ちも考えてみろってんだ!どれだけ――気遣ってもらったって、わかったとき、こっちがどれだけ惨めで、情けない気分になるか。そんなだから」
政宗は、ゆっくりと元就の手を取ると抱きしめた。
「アイツだから、オレは、いつも勝てない―――んだろうな」
「・・・そんなことは、なかろう」
「いや。勝ってるって、オレが思えないんだから、同じこった」
勝てないわけではなく。
勝ったはずが。元親本人は気づいていない、こだわらない、いつも。だから本当はそうではなかったことに後から気づく。
「あぁ駄目だ駄目だ!ほんっと、アンタの言うとおりオレも元親も駄目すぎるぜ、」
(でも、元親。毛利サンのことは、それでいいのか。いいわけねェだろうが?)





唐突に携帯がメールの着信を知らせた。
政宗は携帯をポケットから取り出した。気にかかるのか見つめてくる元就に気づいて、残念だな幸村からだ、と政宗は苦笑して告げた。元就はふいと横を向いた。元親からではないかと思った、――馬鹿馬鹿しいことだ。
「・・・団子、先に食いに行って悪かった、だと?そうなのかよ?ひでェな、俺だけ置いてけぼりか」
「あ、その件は・・・すまぬ。我も一緒だったのだ」
「――おいおい、冗談だって。そんなことで怒りゃしねェよ、それに、どうせ幸村が我慢できなくなってアンタを誘ったんだろ?」
幸村に返事を打って送信して、政宗はふ、と笑った。それから、元就には何も言わずに続けて、別の文面を作った。送信ボタンを押すとき手が少し震えてしまって、政宗はちっと舌打ちをした。
(このメールを送るオレは、随分なお人好しだ。・・・いいのか?)
隣でいつの間にか膝をかかえてうずくまっている元就に視線を送る。きゅっと引き結ばれた唇だけでなく、頬も少し赤く腫れている。さっき倒れたときに打ったときのものだろうと思うとまた胸が痛んだが、おくびにも出さず、政宗はただ自分を哂う。
(どうするか、アンタに決めさせてやる、元親)
(・・・だから、早く来い。でないと本当に、俺が喰っちまうぜ?)
携帯をぱちんと閉じる。
もうすぐ彼は来ると確信していた。



政宗は、壁に凭れて両脚を抱えて座る元就の隣ににじり寄った。元就は少し警戒の色を出して身を引いた。政宗は苦笑して、もうなんもしねェよと言った。自分も同じように壁に凭れるとそっと腕を伸ばして、元就の肩を掴むと体ごと抱き寄せた。
「あぁ、オレ、ふられちまったんだよな。・・・ちぇっ」
「・・・すま、ない」
「で、オレはアンタの求める“戦友”とやらになるために、どうすりゃいい?・・・教えてくれ。一緒に考えてくれよ。もうしばらくだけ」
あとしばらくだけ。元親が此処に来るまで。



そうしたらこの腕を、離さないといけないだろうから。