キャラメルにリボン





(19)


「乗るか?」
尋ねられて、元就は俯いていた顔を上げた。小十郎の見送りを受け伊達家を後にして、しばらく歩いた後のことだ。
「あんたの家まで送ってくぜ、そのつもりで片倉さんの車、断ったんだから」
荷台をぽんと叩いて元親は笑う。
彼がその自転車を最近やっと手に入れたいきさつも、とても大事にしていることも、その色を選んだ理由も、元就は知っている。
「・・・よいのか」
「おう、いいぜ」



元親は黙ってペダルを漕ぐ。荷台に跨って、元就は後ろへ流れていく景色をぼんやりと見ていた。自転車の二人乗りは初めての経験だったが、きっと他の誰かに誘われても、違反だとか理由をつけて自分は絶対に乗らないだろうに、と考えた。
前にさ、と元親が喋っている。元就は目の前の背中を見上げ、元親の表情を窺おうと少しだけ横から覗き込んだ。
「前?」
「いや。前、碁、うったろ、あんたの部屋で」
「・・・あぁ」
「酔っ払って、あんた寝ちまってよ」
「そうだったな。義母に後から聞いた―――」
ふと元就は気づいた。よく考えてみれば、あの日以来二人きりで過ごしていない。もしや自分はあの日酔って何か拙いことをしでかしたのだろうかと急激に不安が押し寄せた。何せ全く記憶が無いのだ。
けれど口を開きかけると、先に元親の声が背中越しに響いた。
「俺、あんとき。寝てるあんたに触れた。・・・ほんのちょっとだが」
元就は呼吸を一瞬止めた。
「―――いつ。覚えがない」
「そりゃそうさ。あんた、眠ってたから」
「・・・・・・」
「ドアのとこで座り込んじまって・・・抱えたら、もうぐっすり寝てて。あんまり可愛かったから、・・・欲しくなっちまって。お袋さんちょうど帰ってきたからなんも結局なかったけど、そうでなかったら俺は、どうしてたんだろうな・・・」
「貴様もしかして、・・・そのことで先日からのあの態度を?」
元親は、ゆっくりかぶりをふった。
「いや。それについては、いつでも謝る覚悟はあったんだ。・・・ただ、あんときから、かな・・・恋人って、軽く言ってきたし、ずっとそうでいられると思ってたんだが。俺は、一体あんたと何処まで一緒に行きたいんだろうって、考えはじめたのは」



抱きしめたいと思う。もっと触れたいと思う。でも自分はまだ、そうしてはいけないと思う。どうしたらいいかわからない。考えれば考えるほどわからない。



「とんだ阿呆だな」



返ってきた迷いの無い辛辣な返答に、元親はほんの少し傷つきながら苦笑した。
「阿呆って。酷いな。俺、本気で悩んでたんだぜ、この前も言ったけどよ、政宗と自分比べて、自分の考えの無いこともよっくわかっちまったし」
「その思考の挙句、貴様と我は一緒におらぬほうがよいという結論になったというわけか?尚更救いようのない阿呆だな」
「だ、だってよ!」
元親は反論しようとして言い淀む。
「―――、いや。将来とかよりなにより、俺、何よりあんたと一緒にいたら、何すっかわからねぇって。抑える自信がなかった。要するに、そういうことだ」
「別段構わぬ」
さらりと返ってくる答えに、元親は困った。
「構わぬって、・・・意味わかって言ってんのかよ。絶対わかってねぇだろ。今の今だってわかってねぇんじゃ」
「多分わかっていると・・・思う・・・今は。つまり我が女、をやればよいのだろう?貴様に抱かれれば―――」
自転車ががくりと揺れて止まった。急ブレーキをかけたらしい、元就は咄嗟のことで元親の背中にしがみついた。
「―――危ないではないか貴様!気をつけよ!!」
「んなこと言ったって、そりゃ驚くぜ・・・そんなあからさまに言うなよな・・・」
元親は自転車のハンドルに突っ伏して呻いている。耳が紅い。元就はふんとわざとそっぽを向いて言った。
「何を今更。言葉を濁しても事実が何か変わるわけでもなかろうに。貴様もそのつもりなのだろうが?はっきり申せ」
「・・・えーと」
「それとも貴様が我に抱かれるのか。我は別にそれでもよいが」
「あんた、ほんとちったぁ遠慮して喋れよ、顔と言葉が合ってねーよ!・・・いや、でも、すいません、それは勘弁してください・・・いや、どうしてもってんなら・・・うーん」
たわけめ、と元就は一人悩んでいる元親の背中をぺちっと叩いた。
「我は構わぬと言っている。・・・その程度は、できる」



(・・・そうとも。きっと、できる)



自転車は再び動き出す。
元就は、やがてゆっくりと元親の背中に額をつけた。路面からの振動が心地よい。考え考え、自分に確かめるように話す。
親友だけれど、親友以上だと、理解して元親を元就は選んだ。だから、構わない。
「何故いつも貴様は、一人で抱え込むのだ。・・・その程度のこと、我に直接聞けばよい」
「その程度って言うが、だいぶ普通じゃないことだぜ。わかってんのかよ」
「・・・それくらいわかると言っておろうが。どだい最初から普通ではない話だ、貴様と互いを恋人と呼んだ瞬間から」
「なら、俺の気持ちもわかるだろ。俺は、本来ならそこで満足すべきだったんだ」
自転車が止まった。元就が顔を上げると、そこは自分のマンションだった。もうこの時間も終わりかと元就は少し寂しくなった。
元親は前を向いたまま喋っている。
「十分だと満足しなきゃならないってのに。出来ないってのは甘えだと思ったんだ。あんたに負担をかけたくない、・・・あんたを傷つけたくないんだ。あんたのお袋さんとも約束した」
「・・・義母と?」
元就は顔を上げた。
彼女の意図はもっと一般的なもので、全然元親が思うものとは別のところにあると思う。けれどそれを全てにおいて律儀に果たそうとする元親の心根は、とても彼らしく、呆れもしたが、嬉しかった。
けれど心と裏腹に、元就は口をきゅっと結んでわざと難しい表情を作ってみせた。
「貴様とのことは、最初から我が自分で選んだこと。傷つくも我の責任、もとよりそのつもりだ。貴様からの言葉であれば、本心からの言葉であれば、それが・・・たとえ別れであっても我は受け入れる。我を見くびるな」
元親が振り返って、少しきつい口調で反論した。
「見くびってるとか、そんなんじゃねぇよ。ほんとにただ、俺が、嫌なんだよ。あんたを傷つけるのは。体であっても心であっても」
「・・・」
「俺が我慢すればすむことなら我慢したい。でもどうしても我慢できなくて、あんたを傷つけてしまうなら、俺は・・・伊達にゆずっても、と思った。だから俺は、あいつにそう言って」
「この―――愚か者めが・・・」
元就は俯き低い声で告げた。寧ろ叫びたかったがかろうじて抑えた。
元親は唖然と、背後の元就を見つめた。



「そのために我の気持ちは無視か。さっきから聴いていれば、貴様が傷つくかどうかだけの話ばかりではないか」
「え」
「我の意見なぞ一度も聞かず、貴様の勝手な忖度で話を進めおって。思いあがりも甚だしい」
元就は、ゆっくりと自転車から降りた。顔を上げて元親を真正面から見た。
「我は、・・・貴様でないと駄目だ。長曾我部。伊達にも、そう、言った。我は、駄目なのだ、貴様でないと」
「―――」



あまりに嬉しくて、言葉にならなかった。元親は何か言おうとして何もうまい言葉が見当たらず、空を仰ぎ、また俯き、腕を組み、深い息を吐いた。目を閉じ二度ゆっくりと頭を振って、それからやっと元就の顔を見て、泣き笑いのような顔をした。
「・・・ありがとう、な」
それ以外に言えなくて、腕を伸ばすと大きな手で、元就の髪をくしゃくしゃとかきまぜるように撫ぜた。元就はそんなふうにされながら、じっと、元親を見つめる。
やがて落ち着いたのか、元親は少しはにかんだような笑顔を見せた。
「・・・俺、帰るわ。今日は、あんたと話せて・・・政宗とも話せて・・・よかった。」
「・・・」
「じゃあな、毛利。また来週学校で、な」



腕が離れる瞬間、こんどは元就の腕が伸びて、元親のシャツを引っ張った。元親は自分を引き止める元就の手を見つめる。
「どうした、毛利―――」
「誰も、いない。今日は」
いつかのように。元就は問う。
「家に来るか?誰も、いない。誰も来ない。だから」
元親は息を呑んだ。































玄関ドアの外で、元親はしばらくじっと立っていた。どうした、入れと元就に不思議そうに言われて、こくりと頷いたが、やはり足が進まなくて自分のスニーカーの紐の通し目を馬鹿みたいに数えていた。埒が明かないと思ったのか、やがて元就が元親を引っ張り、ドアを閉めた。金属の重い音が背後でして、元親は、柄にもなく緊張している自分に気づいてこっそりと溜息を吐いた。
「・・・おじゃまします」
今はこの家に不在の元就の義母へ、のつもりで挨拶を小声でする。元就は苦笑して、どうぞと返してくれた。
部屋に入ると元親は、あんときの続きからしないか、と提案した。ネクタイを外していた元就は振り返り、首を傾げた。
「続き?」
「囲碁の」
「・・・あぁ、」
元就は得心した、と従ってくれた。碁盤を出して、正座すると石を並べてゆく。全部並べたところで、ここから貴様の手番だ、と言われた。元親は頷いて、胡坐をかいて座ると石を置いた。
続きを二人で黙って打つ。
思い出すことが様々に溢れてくる。
バレンタインデーの部屋デート。碁の勝負。元就がくれた苦いチョコレート。元就の気に入ったリキュールボンボン。酔っ払って、そうして。
「・・・すまねぇ。ホワイトデーの菓子、買ったのにまだ渡してねぇな。今渡せたらよかったんだが」
ふと思い出して、元親は面目ねぇと頭をかいた。今日は急だったから仕方なかろうと元就は微かに笑って、自分の手番をこなした。
「何を買ったのか」
「ん?キャラメル。って、言ってた、店のねえちゃんが」
「・・・甘そうだな」
「おう、甘いぜ。店頭で試食してきたから間違いねぇ」
「ふむ。そういえば先日義母もキャラメルを買ってきてくれたな。食べるか?」
元就は立ち上がり、キッチンに行って冷蔵庫から箱を取り出して持ってきた。元親はそれを見て固まった。元就の手にあるそれは一旦開けた形跡があったが、箱も、残っている包みもリボンの色まで元親の買ったものと同じだったのである。
元親はがくりと肩を落とした。
「すまねぇ、かぶっちまった・・・ほんっとあんたのお袋さん、侮れねぇよ!」
義母と元親が同じ店のものを買ったのだとわかって、元就は可笑しそうに肩をゆすった。
「気にせずともよい。義母と同じものを我に見繕うとは、なかなかやるではないか貴様」
「・・・そうか?」
果たして喜んでいいものかと元親は訝しげに元就を見たが、静かな微笑を見てほっとした。
「ひとつ食べたが、これは美味かった。我は好きだ」
「そっか」
食べるか?と、今度は元就は薄い一欠片をつまんで元親の口元に運ぶ。元親は一瞬何が起こったかわからなかったが、暗に言われていることを理解してどぎまぎしながらあーんと口を開けた。元就の細い指と一緒に少し前に味見したのと同じ濃厚な甘い塊が口に入ってきて、元親はそのままぱくりと元就の指ごと一緒に舐めた。
元就の指は逃げていかなかった。
しばらく味わっていると、元就は控えめに、甘かろう?と問うた。元親はようやく丹念に舐めていた元就の指を放した。
「・・・おう。甘いぜ、買ったときと確かに同じだ」
「そうか」
「あんたも食べるか」
「・・・そうだな」
箱からもう一欠片を出そうとする元就の手を、今度は自分の手で掴んで、元親は自分の方へ引き寄せた。そのまま自分のところへふわりと飛び込む元就に口付けて、口の中の少し溶けたキャラメルの欠片を元就の口の中へ舌と一緒に押し込んだ。
元就は抵抗しなかった。
「―――甘いだろ?」
返事はなかった。かわりに、長曾我部、という掠れた呼び声がして、それを合図だと知って、元親は元就を口付けたまま力いっぱい抱きしめた。
床に転がる碁石の音がばらばらと、時間を止める魔法のように響いた。