キャラメルにリボン





(2)


元親は、嘘は、きらいだ。





雨が降った。そのせいだけではないが、その朝元親はバスで登校した。
元就が乗る時間を知っている。いつもならバスに乗るときはその時間に無理に合わせる。早起きの元就が選ぶバスは当然少し早めだから、いつも遅刻ギリギリの元親にはつらい時間帯だが、それでも構わない。車内で元親に気づいたときの元就の、驚いたような嬉しそうな表情を見たときいつも、満足に思える。
けれどその日、元親はいつものバスを選ばなかった。
なんとか遅刻は免れるだろうかというバスに乗った。前日のことがあったから、ほんのすこしでも自分を落ち着かせる時間は長いほうがいいと思った。学校で出会って、どう挨拶しようか、それを頭の中でシミュレーションしつつ、いつも元就がいる位置へなにげなく目をやった。
元就が、いた。



元親は息を呑んだ。元就もはかったように同時にこちらを見て、自然に二人の視線が合った。一瞬元親は目を逸らしてしまい、それから自分の行動にはっとして、慌てて顔を上げた。元就が唇をきゅっと噛んで、じっとこちらを見ている。
やがてゆっくりと元就の視線は車窓に移った。元親はひとつ息を吐くと、元就の隣へ立った。
「・・・よぅ」
「遅いな、長曾我部」
「・・・あんたもな。いつもこのバスじゃねぇだろ?」
「・・・寝坊したのだ。貴様は」
「・・・俺も―――」
寝坊だ、と言いかけて元親は口をつぐんだ。
嘘は嫌いだ。
元就の顔を見られない自分を落ち着かせるために、わざと元就と会わないために、バスの時間を遅らせたのが事実だ。でも言いたくないし、言えるわけもない。
「―――雨、けっこう降ってんな。今日体育サッカーだったからちっと楽しみにしてたんだけどよ」
話題を変えると、元就が俯いた気配がした。我はサッカーは嫌いだ、とぼそぼそと声がして、元親も、そうかい、と応えた。それきり、会話は止まってしまった。元親はぼんやりと車窓に打ち付ける雨だれを見ていた。
(・・・俺たちは、なんだっけな)
元就が好きだ。
恋人になってほしいと伝えた。元就は頷いてくれた。それから時間がゆるやかに過ぎて、その流れと同じくさほど自分たちの関係が何か変わったようには思えない。変わったのはきっと元親だけなのだろう・・・元就が欲しいという、欲求が膨らんでいくこと。
たとえば小さな子どもが玩具をねだったときにするように、「がまんしなさい」は通用しない。いつかほとぼりが冷めるというものとは思えない。
どうしたって、元就が好きだから。この気持ちが消えることは無い。必然的に、いつかこのままでは元親は元就にこの欲求を伝えることになると予測はつく。
それがとても恐ろしい。自分の欲を知られることも恐ろしかったし、元就の心にも体にも負担を強いるのは、元親はむしろ辛かった。
どうすればこの熱は冷めるのだろう――――



「・・・か」



元就の小さな声が、語尾だけ不鮮明に耳に届いて、元親ははっと顔を上げた。
「今、なんか言ったか?」
問うと、元就は視線を車窓から元親の顔へ移した。ほんの少し視線を彷徨わせてから、くぐもった声が聴こえた。
「何か、気に入らぬか。我は、何か貴様にしたか?何か怒っているであろう、貴様?」
「―――ば、馬ッ鹿野郎!!そんなはずがあるか!!」
車内に響き渡るくらい大声で元親は思わず応えてしまい、一斉に乗客の注目を集めてしまった。
二人で赤面すると、ぺこりと揃って頭を小さく下げて、二人は顔を見合わせた。元就が、ふふ、と笑った。その笑顔に、元親も誘われるように笑った。
嘘は、嫌いだ。
今の言葉は当然、嘘のはずがない。気に入らないはずがない。何かされたわけではない。怒っているわけがない。
「・・・んなわけ、あるかい。馬鹿言うな」
小声であらためて伝えると、元就はひとつ頷いた。
そのときバスが急に停まった。ブレーキを急に踏んだらしい、バスの進行方向側に立っていた元親の方へ、元就はつり革を持っていたにも関わらず勢い余って倒れかけ、元親が抱きとめる格好になった。他の乗客も一様に多かれ少なかれ体勢を崩して、車内はざわついた。
失礼致しました、という運転手のアナウンスが入った。飛び出した子どもがいたらしいということだった。
「ったく、あぶねぇな―――」
元親は一言文句を言うと、大丈夫かと腕の中の元就を見た。大丈夫だと言って、元就の体が腕の中で動いた。それを全身で感じて、元親は突然“あの日の”ことを思い出した。
わっ、と奇妙な声を出して、元親は引き剥がすように元就を離した。えっ、と、元就は明らかに驚愕している。
「す、すまねぇ」
早口に謝って、そのままつり革を握ると、元親は車窓へ視線を固定した。
その後バスを降りるまで一度も元就を見なかった。会話も無かった。バスを降りて傘をさして二人並んで校門をくぐり、互いの顔見知りに挨拶をしているうちに、はぐれていた。
「・・・・・・」
元就を見失ったことに気づいて、そうなってから元親はどうしようもなく不安になった。次々に校門をくぐり入ってくる傘の群れ、どれも元就のと同じような紺色の傘で、このままずっと元就を見失ったらとあらぬ考えを抱いてしまい、元親は背中につめたい汗が流れるのを自覚した。
こんなに、好きだ。いつでも会いたい。声を聴かないと不安になる。メールが届くと嬉しい。笑ってくれたら幸せになれる。
なのに、触れることができない。
触れたら、己の浅ましさに向き合って、情けなく恐ろしく、どうしたらいいかわからなくなる。この態度が元就を傷つけているだろうこともわかっているのに、どうしたらいいのか――――
(・・・俺は)
なんて醜い、と思わずにいられなかった。



(・・・好きだから)
傷つけたくないのだ。
元就が女性だったらと思ったことは一度も無い。
それでも、この先をどうしたらいいのかは、さすがに元親には途方に暮れるしかなかった。