キャラメルにリボン





(20)


元親は体格どおりに力が強く、元就は情の溢れすぎたその抱擁に自分は壊れてしまうのではないかと何度か頭の片隅で疑った。もっとも思考は最初から途切れがちで、自分を確かめるためには、呼気を塞ぐように愛おしげに元就を食んでくる元親の唇の温度にすがるのがせいいっぱいだ。
フローリングの床に元就の頭を圧迫するように元親は放してくれない。元就のまっすぐな髪はからまって乱れ、床と頭に挟まれ、動くたびに引っ張られ軋んだような痛みが走る。けれどそれすら心地よいと思える、―――重みが。自分の上にある重みが元親のものである、ただその結論に辿りつけば他はどうでもいい。



長いながい口付けにようやく終わりがきて、元親はゆっくりを元就の唇を解放した。優しい糸が二人をつなぐ、そのようすをぼんやりと、すこし焦点のぼやけた視界に捉えながら元就は小さく息を継ぐ。そうしている間に元親はやすやすと、元就の身体を抱き上げて少し離れた部屋の隅にあるベッドの上によいしょと運んだ。
仰向けにねかされ天井を仰ぐ。
白く滲んだその色は、もうずっと変わらないけれど今日初めて元親の髪の色と同じなのだと元就は気づいた。最初からこの色に抱かれていたのだと思えば何も怖くはない。
元親は黙って元就のシャツの釦をひとつずつ、ばかみたいに丁寧に外していた。見つめてくる片目に、自分の肉の薄い体はこの男のまっすぐな視線に晒す値打ちがあるだろうかと、ふと不安になって元就は眉を顰め微かに動いた。さっき碁をうつためにつけた部屋の蛍光灯に目がとまり、余計になんだか焦った。怖いわけではない、けれど。
元就が逡巡している間に、元親は釦を外し終えたらしい、元就の細い首筋に、先ほどキャラメルを食べるときそうしたように少し大袈裟に口元を開けてぱくりと噛み付いた。元就は我知らず、あ、と小さな声を上げた。甘噛みする柔らかい唇と、皮膚を辿る温い舌先の感覚に指先がシーツをかき集める。元親は珍しい菓子を大事に大事に食べるように少しずつ元就の黄みのかった皮膚を唇で辿る。心臓のあたりを通過するとき、元就はこの動悸の激しさがどうか振動になって長曾我部に聴こえませんようにと、きゅっと目を瞑って祈った。怖くはない、きっと怖いのではない。
ただ恥ずかしかった。
男同士の慰みの経験など元就にはこれまであるはずもない。
それは元親も同じで、だからその点においては互いに引け目があるはずはなかった。けれど元就は異性との経験も実はなかった。なんとなく言うは憚られたし今まで特に元親に問われたこともない。黙ったままここまできてしまったことが元就には少しひっかかっている。
元親の仕草は想像していた以上に自然でこれ以上ないくらいに丁寧で優しく、元就はふと苦しい気持ちになった。彼の舌先が臍の辺りをくすぐって、また覚えず、あ、と声が上がる。勢いで長曾我部、と名を呼んでいた。
元親は顔を上げた。感情の上の呼びかけではないと、なんとなく感じ取ったらしい。
「なんだ?」
元就を覗き込む位置に彼の顔が近づく。
元就はおそるおそる元親を見上げた。ふわりと元親のTシャツが自分の脇腹に触れて、あらためて自分の格好に思いいたり赤面した。視線を元親から外す。元親は、追いかけるようにさらに覗き込んでくる。
「どうした、毛利?・・・」
「貴様は、」
元就は思ったことを素直に口にしようとした。
「慣れて、いるのか。こういうことに」
「・・・え?いや、・・・あんたが初めてだ、けどよ」
「男は?ということか?」
「・・・えーと・・・」
「はっきり申せ。以前、言っていたな。あまり女性とつきあったこともないからどうしたらいいかわからぬと、―――逆に言えば付き合ったことはあるということだろう?」
元就が何を言いたいのかよくわからなくて、元親が今度は首を傾げた。片手で元就の髪をゆっくりと、さきほど絡まった部分もほぐすように、そうして言葉の先を促すように梳いてやる。元就は目を閉じた。
「女性との、経験は、あるのだろう?」
あからさまな質問に、元親は目を瞬いた。つい先ほど自転車ではっきりとこの状況を言い当てていた当人の言葉とは思えないな、と考えた。
「・・・まぁ・・・無いわけじゃ、ねぇが。それが?」
おおっぴらに言うことじゃねぇだろ、と、元親は少し言葉を濁した。元就は困って黙り込んだ。何が聞きたかったのだろう、この状況で?自分に驚くしかない。
元親も困っている。いざという段になって過去のことを持ち出すのは、よもやそれを理由に拒否されるのではないかと不安になった。けれどこの手の話は何を言い訳しても空々しいのはわかっているので何も言えない。毛利、と呼びかけるとそれよりわずか前に元就が言葉を発した。
「我は無い」
「・・・は?」
「同性は当然初めてだが、異性との経験も、無い。だから」
「なんだ、そんなこと。別に、俺らの年齢じゃ、ない奴のほうが多いだろうよ。気にするこたねぇだろ」
少しほっとして元親が笑うと、
「違う。そんなことではなくて―――」
どう言えばいいだろう、と言葉が続いて、元就は自分の髪を梳き続ける元親の手を取った。大きな掌と長い指を確かめるように数えている。
「きっと、つまらない」
「・・・なにが?」
「我は男で、愛想もないうえに、経験も無い、―――貴様のこの手で触れた他の女子たちの誰より、きっとつまらない。柔らかくもなく、声もなく、貴様は呆れるやもしれぬ、」
「・・・・・・毛利、おい」
「だから、・・・あぁ、何か違うな。なんだろう?どう言えばいいのかわからぬ。困ったものだ、我も」
一人そうやって、しきりに困った困ったと繰り返す元就に、元親は最初あっけにとられた。けれど彼の言いたいことが―――彼自身もわからないその感情が何か、先に気づいて、元親は我慢できず笑った。元就は不機嫌に見上げてくる。
「何を笑う」
「あぁ、すまねぇ。俺、あんたが言いたいことわかっちまったから、当ててやろうか」
「・・・遠慮する」
「じゃあ、あんたの気持ちじゃなくて、俺の気持ちを言ってやるよ」
元親は再び元就に口付けた。今度は先ほどのように激しくない、じゃれるようなキスだった。
「他の誰よりあんたが好きだ。だから俺は今ここで、こうしてる。つまらないなんて思うわけがない。嬉しくてしょうがないってのに」
「―――」
「嬉しい。嬉しい。ありがとうな、毛利」
見たことも無い元親の触れた他の誰かに「嫉妬」する元就に、そうやって告げて、元親は鼻先でくすぐるように元就の頬に触れる。なんと返事すればいいかわからず、元就はただ先ほどよりさらに動悸の激しくなった自分の心臓を恨んだ。何故にこんなに胸を打つかと。怖いとか流されていく熱に浮かされたような情とか、そんなものではなくて、ただ自分もこの男が好きで嬉しいからだと、知っている。





こんなときでも律儀にいろいろと考え悩む元就を愛おしいと思った。元親は元就をできるかぎり悦しめるように導いてやろうと健気に考えたが、さりとて元親もさほど経験があるわけでもない。持っているのは溢れんばかりの、元就を欲しいと思う心だけだ。何度も願って、何度も諦めて、何度も自分を戒めた。だから今こうして自分の腕の中に彼がすっぽりおさまっている、ただその事実だけでも元親には十分に嬉しい。けれど同時に、元就はつまらないだろうと言ったが、とんでもないことで―――実際元就の肉付きの薄い、ほとんど日にも人目にも晒されたことのないであろう胸元や控えめな淡い紅色の胸の突起自体、他の誰かとなんて比べられないくらいに元親を追い立てるのも事実だった。遠慮がちに、元親はその赤い実を口に含んだ。元就が、今度は声を上げず、代わりに痙攣するように身を固くしたのがわかった。優しく舌で転がすと元就の呼吸が徐々に短く浅くなる、それにつれて腹筋がかわいそうなくらい上下した。やがて、へんだ、という声が上がった。元親は笑って、変じゃねぇよ、と返した。元就の言いたいことがわかる、それにすら嬉しいと思う、自分はほんとうに元就に「やられて」いると思う。
「気持ちいいんだろ?」
「だって、へんだろう、・・・あ、」
「変じゃねぇって。毛利が俺を好きだっていう証拠だ」
小さく咬んで、吸い上げると面白いように元就の背がしなり、仰け反る。感じやすいなあんた、と呟くと、元就は急に掌で口元を覆った。元親はまた笑わずにいられない。ほんとうに、どうしてコイツはこんなに―――可愛いんだろう!
もっと声を聞きたかったが、わざとそのままにしてやる。元就は少し潤んだ目で壁の方を見つめながら、頑なに声を潜めていた。その間にも元親は丹念に元就の胸を、さらに脇腹を唇で愛撫していく。どこもかしこも、すべて愛おしい、全部に口付けたい。
何気なく空いた掌をするりと滑らせてズボンのジッパーをおろす。恐らく情欲には疎い元就もさすがにそこは僅かに張り詰めていたが、元親が布越しにひとなですると、元就の身体全体が面白いように跳ね上がった。構わず今度は手を差し込んで直接指先で辿るように撫でると、元就は小さな悲鳴を上げて上体を捻り、逃げた。元親は無理に追いかけず、自分に背を向けてしまった元就を、背中から抱きしめた。
「どうした、毛利?」
「・・・・・・ッ」
息があがって肩が上下している。可哀相に、と思いながら、ますます可愛いと思えてしまって、元親はぎゅうと後ろから彼を抱きしめる。元親よりはだいぶ小柄な彼は腕の中に小さくおさまって、やっぱり少し可哀相に思えた。
「やっぱり、怖いか。今日はやめとくか?」
「違う、・・・貴様が怖いわけではない」
元就らしい返答だな、と、じんわりと胸が高鳴って元親はすぐ目の前の元就の髪に顔をうずめた。幸せに気が狂いそうだ。
「俺が怖いんじゃなけりゃ、なにが?」
「我は、・・・自分が怖い。どうなるのか怖い。この感覚が怖い」
元親は、今度は強引に手を差し込んで、元就自身を引きずり出した。元就が息を呑む感覚が直接伝わった。元親は耳元に囁いた。自分の呼吸もいつの間にか上がっている。目の前で、腕の中で、すぐ近くで、ダイスキで大好きで食べてしまいたいくらいにどうしようもないくらい、泣きそうなくらい大事な相手がいる、どうして我慢なんかできるものか。
「大丈夫だから」
「―――、長曾我部ッ、」
「大丈夫。俺を信じろ。あんたが好きだ」
元親は背後から元就を抱きしめたまま元就の分身を掌で包む。ゆるやかに掴んだ掌が上下する、緩急つけて元就を追い上げ追い詰める。その隙間を、休む暇もなく元親は元就の耳へ吹き込む。好きだ。好きだ。愛してる。誰よりも好き。
どうしたらいいか、元就はわからない。
ただ耳に響く声は優しく、言葉の意味するものはただ嬉しい。元親の掌が与える刺激はゆるやかにまた激しく、元就はどうすることもできなくて、怖いという気持ちも忘れて波に揺られつづけるしかなかった。大好きだと囁かれる、―――そうとも、自分だって大好きだ!
だから余計に恥ずかしい。今自分はどんな顔をしている?どんな声を上げている?なにもかもが遠く他人事のようで、けれど自分のことだ。



最初比較的緩やかだった元親の手の動きが激しさを徐々に増す。元就は頭に霞がかかったように、どんどん何も考えられなくなった。歯を食いしばっているつもりが、自分の声らしきものが耳に届く。恥ずかしい、と耐えられず言葉にして、元就は再び掌で顔を隠す。恥ずかしくなんかねぇよ、俺にあんたの顔を見せてくれよと元親が言う。その言葉にすら感じてしまう。
「あ、あ、・・・だめだ、」
「なんで、だめなんだ、毛利」
貴様の手が汚れる、と、残ったわずかばかりの理性でそう、途切れ途切れに告げると、元親は聴こえていないかのようにさらに元就を激しく攻め立てた。先走りの液体の特有の饐えたような匂いがして、皮膚と掌のこすれるぴちゃぴちゃという水音が響く。元就は自分を浅ましいと哂い、涙を溢した。元親が気づいてその涙を舐め取る。また耳元に囁く、あんたは俺が今どんだけ幸せか知っているか?と。こんな自分の何を見てそう思うのだろうと元就は哀しいような寂しいような気持ちに襲われた。嬉しい。苦しい。愛しい。寂しい。もっと強く抱きしめてほしい。
「長曾我部、・・・すき、だ、」
言葉に反応したように、先端にきゅ、と力を入れられた。
「―――!!」
元就の背がさきほどと比べ物にならないくらい軋んだ。がくがくと全身が揺れる。
やがて力が抜けた人形のように、元就のからだは元親の腕の中で沈んだ。何度も何度も長い熱い呼気を吸って、吐いて、一生懸命呼吸を整えようとしている元就が、またどうしようもなく可愛くて。掌に吐き出された元就の精を、元親は静かに、丁寧に舐めた。