キャラメルにリボン





(3)


「―――そうやって授業中も、憚ることなく欠伸をしているのではありますまいな」
運転席でハンドルを握る小十郎の声に、政宗は欠伸のせいで左目尻に浮かんでしまった涙をこすりこすり、後部席のシートに座る姿勢をさらに崩した。そんな大あくびをしていただろうか、と考えながら、今度はうんと伸びをする。
「欠伸はしてねぇよ。欠伸出る前に寝てるからな」
「・・・政宗様。この小十郎自ら、そろそろ直々にお灸をすえねばなりませぬか?」
「No, thank you」
政宗は車窓に目をやった。
「しょうがねぇだろ。退屈なんだよ、だいたい学校の授業なんざ、聞いてたって聞いてなくたって成績は大して変わりゃしねぇよ」
どうせ日本の大学に行くつもりもねぇしな、と政宗は腕を頭の後ろで組んで目を閉じた。
「おそらくは政宗様と同じように考えておられても、律儀に良い成績を修めている者もいると伺っておりますが」
「・・・誰だ、そりゃ。・・・あぁ、待てよ、言うなよ」
「毛利殿ですよ」
「言うなっつっただろ!!俺が言おうと思ったんだ!!」
「くだらない駄々をこねてないで、少しあちらを見習っていただけると有難いのですが」
慣れた様子であしらわれ、政宗はふんと鼻をならしてまた車窓を見遣る。
小十郎は毛利家の浮沈を、先代である父親の代から仕えているためにそれなりに知っている。しかし政宗と同じ学校の同学年に「あちら」の跡取り(本来ならそうであって、将来そうなれるかは元就の実力と運次第だが)がいることを知ったのはごく最近、ゆえあってこの車に彼を乗せてからだったらしい。それから言葉の端々で比べるとまではいかなくても、元就を意識している発言が見えて、政宗は少々億劫ではある。
小十郎の期待はよく知っている。自分の目標もよくわかっている。片目というハンディキャップがあっても、自分に目標を実現するだけの、実力と器量があることも知っている。
・・・それを、実母に疎まれていることも。
(・・・退屈っつーか、よ)
政宗はぼんやりと考えた。
(なんか、面白くねェんだよな)
車窓は相変わらず雨だ。



雨の日は校門前が混み合うので、少し離れた駐車場に車は停まる。先に降りて傘をさし、後部ドアの前に立った小十郎がすぐにドアを開けないので、政宗は不審に思ってガラス越しに忠実な部下を見上げた。
小十郎は遠くに見える校門のあたりをじっと見つめて動かない。珍しいものでもあるのか、と政宗は自分でドアを開けてゆっくりと外に降りた。小十郎が、申し訳ありませんと少し慌てたように詫びて政宗を支える。
「別にいいぜ。なにかいるのか?」
ひとつ目を細めて見遣ると、見覚えのある細い青年が、校門に入らずぼんやりと立っているのが見えた。
「・・・毛利サンじゃねぇか」
「そのようですな」
「なんでぼーっと立ってんだ?」
「小十郎にもわかりかねます」
「・・・ま、あの人がぼんやりしたり感情を表に出すのは、あいつ絡みだろうけどよ」
肩を竦めて、政宗は小十郎から自分の傘を受け取った。ふと、見上げる。何か?と目で問う小十郎に、政宗は真顔で聞いた。
「小十郎。かつての毛利建設を俺に獲れと言うか?」
「・・・え」
「俺に、さりげに最近毛利サンの話をするのは、そういう意図があるからか?」
「ば、・・・馬鹿をおっしゃいますな」
低く小声で諭して、小十郎は眉を顰めて政宗を睨んだ。
「そんな飛躍した話を思いつく想像力は畏れ入る。それとも誰かが貴方に吹き込んだのか?小十郎はただ―――」
「あぁ、待て、今度こそ言うなよ」
政宗は一瞬で、いつもの子どもっぽい、人をくったような笑顔に戻った。
「同じような境遇のあの人と、友達になってみればって言いてェんだろ、どうせ」
「――――」
小十郎は黙った。そのとおりだったからである。
政宗はにやりと笑った。
「悪いけどな。俺は自分のつきあう相手は自分で決める。あの人は確かに面白い相手だが―――」
(友人にしとくにゃ、もったいねぇな)
肝心の言葉は言わず、政宗は校門へ向かって歩き出した。



小十郎は政宗が元就に話しかけ、二人の姿が校門に消えるのを確認してひとつ大きな溜息をついた。
「やれやれ・・・あれだけ“読める”くせに、もう少し成績のほうにも頭を使えばいいものを」
毛利建設を、という政宗の読みは、小十郎の狙いとさほど離れていたわけではない。現在の経営陣とは疎遠になっているが、かつては業務提携も行っていたし、良い技術者がそのまま残っていることも知っている。今の跡取り候補である元就が、その生い立ちから経営陣の一部からは睨まれ、一部からは過分な期待をかけられていることも。だから、元就が将来会社を手中に収めた場合、政宗と元就が親密になれば以前のように提携することも比較的スムーズであろうと思ったことは事実だ。
(・・・毛利元就か)
あれから少し調べた。
政宗と、どことなく似ていると思う。
守り役の小十郎にしてみれば、政宗は先代から預かった大事な宝であり、自分のすべてを注いで育ててきた次代でもある。片目を幼少の頃に病気で失明したというハンディキャップはあるが、そのことを感じさせないほど容姿も良く、頭の回転もよく、また人に好かれる魅力もある。度量もある。すこしばかりポーズをとりたがるために、できるテストでわざと悪い点を取ってみたり友人とふざけていたずらをしてみたり、と時々悪ぶってみせることをのぞけば、申し分ないよく出来た青年に育ったと思う。小十郎にとっては、主人であると同時に目にいれても惜しくないほど可愛い弟のようなものだ。
(・・・母親殿が問題ではあるが、な)
さまざまな問題を経て、今もあまり政宗と実母の仲はよくない。もっとも政宗は、そのことすら楽しんでいるように見える。見えるが、小十郎や周りのものがどんなに愛情を注いでも、それが母親のかわりにならないことも小十郎は理解している。
だからというわけではないが、政宗は、同じ年代の子どもと昔から心を割ってつきあう子ではなかった。本心を出すのは小十郎や、従兄弟たちばかりだったのである。
政宗にとって、今の学校生活は今までになく充実しているらしい。真田や、長曾我部や、その他名前もよく聞く。政宗の表情が生き生きしていて小十郎はとても満足しているが、それでも。
(もっと、こう―――他人でありながらも、さっきの表情を見せられるような友人ができればいいんだが)
似たような境遇の者ならあるいは、と考えたのは短絡にすぎると小十郎自身思う。それでも、どうしてかあのか細い青年には興味がある。
以前車に乗せたときの、政宗と元就の会話が、いつもの友人に対する政宗とは違っていたからだ。





「Morning,毛利サン」
紺色の傘が少し震えて振り返った。あぁ、伊達かという小さな抑揚のない呟きに苦笑しながら、政宗は元就の横に立った。
近くにまっすぐ立つのははじめてだということにそこで気づいた。元就の目線は政宗より少し低い位置にあって、この人自分より小さかったんだなと政宗は奇妙に納得した。
「元親じゃなくてがっかりかよ?とりあえず校舎にはいろうぜ、雨足強くなってきやがったし」
その名前を出すと最近は柔らかい笑みが見えるようになっていたのに、元就のまわりの空気がきゅうにはりつめたので政宗は歩き出していたのだが、止まった。
「毛利サン?どした?」
「・・・長曾我部は、先に校舎に入った。ゆえに、貴様をあやつと間違えるはずはない」
「・・・へぇ。なに、アンタらまた喧嘩してんのか」
自分の頭の回転のよさは知っているが、思ったことをすぐ口に出してしまうのはどうかと、このときばかりは少し政宗は後悔した。
元就は俯いてしまった。また、とは何かと呟いている。
政宗は歩き出さない元就をじっと見た。それから、校門の外に戻ってみる。さっき降りた小十郎の車はもうなくて、多分校門に入ったことで安心して帰ったのだろうと政宗は考えた。
柄じゃねぇんだが、と呟いた。
そして、元就の手を取った。



「――――」
「授業始まるぜ。アンタは知らないだろうけどな、うちの小十郎が随分アンタを買っててな、・・・そんなこと程度でぼんやりしてて遅刻するような奴だって知ったら小十郎ががっかりするからよ」
ぐい、と手を引くと、元就の足は素直に前に出た。
「どーせ、元親が、なんかうじうじぐだぐだしてるんだろ?Ha!気にすんな、アイツは昔っから駄目な奴だ」
大きめの声で言うと、元就がかすかに笑う気配がした。
「駄目な奴、か。断定か」
「おう、断定さ。時折蹴り飛ばしてやりたくなる」
「友人だからか。遠慮がないな、貴様」
「友人ね。・・・まぁ、それもあるが―――」
最後まで言わないうちに、昇降口についた。政宗は自然に手を離した。じゃあな、とそのまま元就を見ずに自分の教室へ向かう。だから元就も、小さくぺこりと会釈するだけにとどめた。元就の背中が教室へ向かう階段へ消えてから、政宗はふりかえった。
(・・・前にもこんなことがあったな)
元就を保健室へ送っていったときだったか。あのときもやっぱり元就は元親となにかもめていたらしかった。
なりゆきでつないでしまった手を、しげしげと見た。
「・・・どうも、柄じゃねぇことを、してしまうな・・・」
毛利元就は、一言で言うなら、政宗にとって「面白い」対象であることには違いない。彼自身が面白いことは勿論だが、彼に興味を持っている自分自身が面白いことのほうが、より強い。先程の小十郎との会話を思い出した。
「・・・なんでもかんでも小十郎の思うとおりにしてやるのは、腹が立つんだがな」
もう少し、積極的に「毛利元就」に近づいてみてもいいのかもしれない。いや、そうしたいと自分は願っているのかもしれない。
そんなふうに思った。