キャラメルにリボン





(5)


“レンアイ”感情を持て余す、ということは、よく考えれば元親にとってあまり無いことだ。
今まで、いわゆる特定の“カノジョ”という存在が無かったといえば嘘になる。でもいつだって、付き合った相手に対して感情が先走って自分の行動がうまく制御できない、なんてことはなかったはずだ。酷薄な話だが、そこまでのめり込むほどの“レンアイ対象”は存在しなかったとも言える。
むしろ友人たちに対してこそ(友情、というといささか面映いが)義理堅く関係を優先してきた。
だからだろうか。あまり“カノジョ”たちと、長く関係が続いたことは無い。
毎回、相手から一方的に告白されて付き合い始めるのに、勝手に終わりを告げられる。元親は遠慮がちに別れ際に理由を問う。いつも言われるのは同じだった。
男友達以下の扱いが辛かった、と。
どうしてそんなに、特定の、特別の関係を作りたがるんだろうと不思議に思った。友人以上恋人未満の可愛い温い関係でいいじゃないか、野郎どもと同じ程度の付き合いだっていいじゃないかと。非難されるたびに口篭りつつ謝りながら、内心僅かばかりうんざりした。自分に何を求めているんだろうと首を傾げた。
けれど当然元親は相手を引き止めず、相手は益々哀しい顔をして、終わる。
期待に応えられず悪かったとは思うけれど、未練があるわけでもなかった。
非道い話だ。



・・・・・・、今は、なんとなく彼女たちの気持ちが分かる気がする。



欲が出るのだ。
隣に立ちたい、が、いつも一緒にいたい、になり。携帯のアドレス交換の次は、何処に住んでいるのか、になり。
親密でさえあればよかったはずが、好きだという明確な言葉が欲しくなる。
言葉が手に入れば、それだけでいいと思っていたのに、触れて確かめたくなる。すべてを知りたくなる。自分のものにしたくなる。
きりがない。相手に無関心になるまで続くだろう。
(それもこれも、好きだから、ってか?)
自虐気味に内心で唱えながら、元親は額を押さえた。われながら重症だと少し呆れている。
元就のことは、最初はむしろ、苦手なタイプだった。それがいつの間にか、興味が沸いたら、話をしたくなった。
話しているうちに、もっと相手を知りたいと思った。
知れば知るほど、一番の友人になりたいと望み、好きだという言葉が欲しいと願った。
願いはすでに叶っている。
これ以上何を望めばいい?望むビジョンだけがくっきりしすぎていて、元親は時折記憶を消したくなる。もっと触れたならどうなる?ぎりぎりで保ってきた「親友」という関係はあっさり壊れて、今まで曖昧にしか使ってこなかった「恋人」というまったく別の言葉がすとんと二人の間に落ちてくる。
勿論それも、望んでいたことの一部には違いない。現に今だって、恋人だと言えばそうなのだろう。精神的なつながりだけならば、間違いなくそうだ。元就も否定は決してすまい。だから、正直に言えば元親の「今の願い」は普通に叶うことかもしれなかった。
元親自身が、その行動に納得していない。
元就の肌に初めて触れたあの日、彼の義母に言われた言葉が耳にこびりついている。
『元就さんを、傷つけないで』
彼女はそう言った。



現在の元就の気性を形作った経緯を、元親はそれほど知っているわけではない。無理に聞きたいとも思わないし、話してくれたらそのまま受け入れるだけだ。
ただ、断片的に知る限り、彼が所謂“寂しい”時期を多く過ごしてきたのは事実だろう(彼自身がそう感じてきたかどうかは甚だ疑問だが)。
最近、元就はとても穏やかな表情をするようになった。だから今のままずっとこの関係を続けていけたらいいなと元親はまぎれもなく、願っている。傷つけたくないのは元親だって当然だ、誰が好きな相手を傷つけたいなんて思うものか。
一方で、自分の欲は、留まることを知らない。好きだ。もっと知りたい。もっと触れたい。もっと欲しい。もっともっともっと―――





とりあえず、なにはさて置き自分の不審な態度を謝るべきだという結論に達して、元親は昼休み、ぶらぶらと元就の教室へ行った。うまく伝えられるか自信はないけれど、真摯に話すべきだと佐助に諭されて思ったから。
ひとつ深呼吸のあと、ひょいと教室を覗いた。席替えをしたのだろうか、目当ての位置には違う生徒がいた。きょろきょろと視線を動かして、馴染みの顔を見つけた。
「――――」
声をかけようとして、元親は言葉を飲み込んだ。もうひとつ、見慣れた頭がある。元親を背にして、元就と向かい合って座っていた。本来ならばこのクラスではないはずの―――
「オイ、政宗」
元親はぶっきらぼうに、元就ではなくそちらに声をかけた。なんでお前が此処にいるんだという意思をこめると同時に、少し安堵して感謝してもいる自分をずるいと思う。政宗がいるおかげでその場に近づきやすかったのだ。
政宗は振り返った。元親とは違う目に、眼帯。ひとつの目が、少し驚いたように元親を見た。
「なんだ、元親じゃねぇか。なんか用あるなら教室で言えよ、こんなとこまで追っかけてこねぇで」
「・・・お前を追っかけてきたんじゃねぇよ」
無愛想に言うと、空いていた隣の椅子にゆっくり腰掛ける。元就はじっと、元親と政宗を交互に見つめるだけで言葉は無かった。
政宗は、自分に用が無いと聞くと軽く肩を竦め、元親をそのまま置いて元就にまた向き直った。
「どこまで話してたっけ?・・・あぁ、I remembered it,其処の床の細工がなかなかだって話だったか。いっぺん見てみるといいぜ、古い建造物だって馬鹿にはできねぇな」
「・・・ふむ。所詮はどんな建築物も、実現する者がいなければ絵に描いた餅だからな。技術者や職人の確保は重要であろう」
「しかし、下請けを抱えすぎるとな。面倒も増える」
「資金繰りの問題だけならば、経営者の才覚」
「金が回ってるうちはな。いつまでもそういうレベルじゃなく、もう一歩伸びたいもんだが・・・」
「上場か?すでに二部上場はしているのではなかったか」
「まぁ、上場が必ずしもいいとも言えねぇしなァ。それにあまりに急激に伸びた木は易く倒れる。タイミングの見極めが難しい」
・・・・・・



それは、多分二人の―――彼らが将来就くだろう位置を擬似的に模している会話だった。
元親は、自分が其処に入っていけないことをやがて理解して、呆然とした。元就は表情を崩してはいないが、会話そのものを楽しんでいることは元親にはわかってしまう。
怒らせてしまっただろうかと、唐突に焦った。元就が怒っていたとしても当然だ、さっき雨のなか置き去りにしたことも、その前のバスの中の会話も、昨日のことだって。
謝らないといけない。
でも、政宗がいるこの状況では、何も元親は言えない。
元親は、ぼんやりと元就の顔を見つめていた。元就は、時折ちらと元親のほうを見るが、会話はそのまま政宗とだけ続けていた。政宗は気のせいか、いつもより上機嫌で饒舌だった。話題は移り変わって、元親も入れるような話も出たが、なんとなく気が引けて元親はそのまま黙って頬杖をついて元就を見つめていた。
けれど見ているうちに、少し気持ちが落ち着いた。一方で、政宗とばかり話す元就には軽く嫉妬もしているのだが、不思議とあまり気にならない。
久々に、元就の静かな声をゆっくり聞いたような気がした。それがただ嬉しいと思えた。



「・・・何か、我の顔についているか」



やがて、たまりかねたように元就が元親に声をかけた。
喋り続けていた政宗が黙った。元親は、あぁ、と気づいて、いずまいを正して元就をしげしげと見つめた。
今は、触れたいという自分の浅ましい(と、元親は思う)欲は、静まっている。
代わりに、知り合った最初の頃に元就に感じていたようなじんわりと高揚する暖かい気持ちが蘇って、元親はふと笑顔になった。
元親は、そのまま、告げた。
「いや。あんたの顔見れて、嬉しいなァと思ってよ」
「――――」
元就が、ぽかんと元親を見て、それから困ったように視線を逸らせた。
政宗が、一瞬の間の後、舌打ちをした。
そこで元親は、自分が言った言葉に気づいて一気に焦った。
嘘ではない、本心だ。元就の顔を見ているだけでこんなに嬉しい。でも、昨日と今朝からのことをまず謝るべきだった。あの態度と今の言葉のギャップが激しすぎて、元就にいっそう不審に思われても仕方ない。
「い、いや。ええと、・・・昨日はよ、・・・その、俺は、あんたに・・・」
しどろもどろに言葉を選んでいた元親に、そこで、昼休みが終わったことをチャイムが無常に告げた。



政宗が勢いよく立ち上がると、元親の腕をぐいと掴んで無理矢理立ち上がらせる、帰るぜ、という言葉とともに。
問答無用の強引さだった。
政宗に引き摺られながら元親は振り返り、元就に、またな毛利と言った。政宗も、またな毛利さん、楽しかったぜと言った。元就からの返答は、どちらにもなかった。
しばらく廊下を引き摺られて歩いて、自分たちの教室の前で政宗は元親の腕を離した。元親は握られていた腕をさすり、見た。普段竹刀を握っている彼の握力は強く、特に小指と薬指の圧していた部分はくっきりと痕がついていて元親はやれやれと溜息をついた。
「いってぇよ、政宗」
声をかけたが、政宗は無言で自分の席に戻ってしまって、元親はなんだあいつと口の中で文句を言った。
それから、帰りにもう一回毛利と話す機会を作れるだろうかと思った。メールや電話で謝りたくなかった。
「・・・好きなんだよなァ」
呟いて赤面し、元親は自分の席について窓の向こうに見える元就のいる別棟を見る。あとで会ったときも、さっきのように話せるといい。そう願った。