キャラメルにリボン





(6)


(なんだ、あの野郎)
文句を言ったのは、政宗も同じだった。
いつになく、苛々した。
(あんなダセェ台詞で、一瞬で毛利さんの意識、自分のほうへ全部引っ張りやがった)
(ずっと話してたのは俺だってのによ)
(なぁにが、顔見れて嬉しい、だ。今朝毛利さんにあんな表情させてやがったクセして・・・チッ)
さっきも、思わずあの場で舌打ちをしてしまった。あれは自分らしくないと思う。
どうしてか無性にイラついて、腹が立ったのだ。元親の態度や、元就の意識の変化だけではない。
三人でいるとき、優位に立てていたと思った自分の立場が、一瞬にして覆されたことへの苛立ちかもしれなかった。
(・・・いや、)
そもそも、元就の意識が本当に政宗に向いていたかどうかは疑問ではあった。会話は政宗とだけ続いていたけれど、元親が来てからは終始元就は元親を気にしていたように思う。
滅多に味わうことのない敗北感が苦く喉の奥を流れていく。



政宗にとって、元親は貴重な友人だ。小十郎のほかには血のつながりのある従兄弟たち以外に滅多に本心を見せない政宗が、時折でも本音を漏らせるのは元親と幸村くらいのものだった。
同時に、対抗意識もある。
政宗のほうがより多く、自分自身の立場を認識しているかもしれない。そうして、強くあろうとしているかもしれなかった。


“弱みを見せたら、足元をすくわれる”


政宗は、幼少の頃からその言葉を噛み締めながら育った。
彼の足元をすくおうとするのは、大抵の場合実母だった。弟だけを彼女が大事にするのは何故なのか考えて考えて、小十郎にも従兄弟たちにも尋ねた。けれどだれも明確な答を教えてはくれなかった。
単に母は自分が「嫌い」なのだと納得し、認められるようになったのはつい最近だ。
その理由も単純だった、政宗は彼女にとって“都合の悪い子”なのである。病気のせいとは言え、結果的にハンディキャップを背負った息子はいらないということらしかった。子どもも、自分を飾るアクセサリーか何かと同じように思っているらしい。
元々資産家の令嬢で実家至上主義、父と結婚したのは自分の実家に役に立つだろうと見越したからだと、父が存命しているうちから公言して憚らなかった。むしろ彼女にしてみれば、今の伊達家があるのは自分のおかげということらしかった。
そういう人だけれど仕方ない。今更彼女自身を変えられるわけもなかった。
政宗は、だからこそ負けられない。
弟には言うまでも無く他の誰にも、必要ならば勝つだけだ。弱いところを見せたら、母はそれを口実に政宗を今の居場所から追い出すだろう。
事実彼女には資金も、伊達家の経営を受け継ぐ才覚もあった。彼女に足りないのは伊達の一族たちからの人望だけだ。
政宗を今は支えてくれる小十郎を始めとする面々は、血のつながりもあってよほどでなければ政宗を裏切らないだろう。けれど政宗が次代への意欲を失えば、あるいは落胆して去っても仕方なかった。それが現実である。誰しも生活があり背負う家族もある。やる気の無い弱者に好んでついていく者などいまい。
自分の将来を嘱望してくれていた父のためにも、育ててくれ、今は彼と家と会社を最大限支えてくれる小十郎のためにも、隙を見せてはいけない。誰が敵かを、他人の悪意を、嗅ぎ分けなければならない。相手の思惑を読めなければならない―――だから、いつも本心は、滅多に見せない。



政宗は学校ではさほど真面目な生徒というわけではない。可もなく不可もない、ごく普通の気楽なポジションを維持している。やれば最上位も狙えるのにと教師たちにはいつも言われるが、政宗は取り合わない。自分の実力すべてを、誰にでもはっきりと見せる必要はない。
唯一、真田幸村との剣道の勝負だけは毎回真剣にやっているが、思いきりできるのは多分に幸村の裏表の無い無邪気さのおかげだと思う。
母が揚げ足を取って文句をつけてきたら、その都度ねじ伏せる。・・・一番効果的なのは、弟と競って完璧に政宗が勝てばよい。そして自分たちの優劣の順位を知らしめるだけの幼稚な争いだ。一種の反抗としか傍目には映らないだろう。なんて可愛げのないと彼女自身にも言われた。政宗は笑うしかない。
弟も気の毒にと時々思う。兄と比べられ追い越せと望まれるのはストレスだろう。何より、あの自己主張の強い母と一緒に暮らすのはしんどそうだ、自分は今の状態でよかった、と政宗は思う。
最近母は政宗を引き摺り下ろすのをいいかげん諦めたのか、嫌味すら言ってこなくなっていた。
それはそれで気味が悪いが寂しいもんだ、などと思ってしまう自分は、たしかに可愛げが無い。きっと母に似たに違いないと政宗は自分を内心哂っている。



元就のことは、小等部の途中から知っている。
無口でとっつきにくく、クラスメイトと一緒に遊んでいるのも、笑っているのすら見た覚えが無い。
一度元就が風邪で休んだとき、興味本位で願い出て、宿題を家まで届けたことがあった(おそらく彼は忘れているだろう)。
あいつの親だから、さぞかし冷徹な女性が出てくるものとばかり思っていたら、開いたドアの向こうに立っていたのは人当たりの良い若い女性で、政宗は唖然とした。使用人だろうかと考えているところへ、熱があるのか紅い顔をして無理にパジャマのまま元就が玄関まで出てきた。
元就は相変わらず無表情のままプリントを奪うように受け取り、無言で政宗に頭を小さく下げたが、ちゃんとお礼をおっしゃいと傍からたしなめられた。彼が小声で「はいおかあさん」と応えたのを政宗は聞き逃さなかった。
(本当に母親なのか、このブアイソな奴の!)
その後何度か学校で見かけた。ブアイソな元就は、母親と一緒に手をつないで帰るときは、ほんのすこしブアイソではなくなっていて、あいつは母親が好きなんだなと政宗はぼんやり思った。
その“母親”が、実は元就とは全く血のつながりのない人だとやがて知って、政宗は驚くよりむしろ感心した。そうして、自分と“実の母親”の関係と比べて、羨ましいとこっそり思った。
でも、その後は同じクラスになることもなく、付き合いも関係もなくなった。ずっと政宗にとって元就は「どうでもいい」存在だった。



あいつ面白い、と言ったのは元親だった。高等部に上がった頃だ。
この自分が認めた男が面白いというのはどんな奴だと興味を持った。そうしたら、それが毛利元就だった。政宗は面食らった。
面白みのない、の間違いじゃないのか?と聞きなおしたほどだ。
「はぁ?お前、あいつと喋ったことねーのかよ」
「・・・あるぜ。ていうか、俺もあの人もガキの頃からこの学校にいるからな、いるのは知ってる」
「それでなんで、そんな発言になるんだ?あいつ面白ぇぜ、俺は気に入った。見てろよ、あいつの一番の親友になってやっからよ」
何処が面白いのかは政宗は訊かなかったし、元親もにこにこするばかりで言わなかった。
「一番の親友ねぇ・・・」
どうせすぐ飽きるだろうと政宗は内心笑っていた。あのブアイソな男と、友人関係を何より大事にする元親が合うとも思えなかった。
けれど元親が言葉どおり、辛抱強く彼に近づき話しかけるにつれ、最近は以前に増して氷ついたままだった元就の面に表情らしきものが少しずつ浮かんでいくのを見るのは興味深かった。それが怒りにせよ焦りにせよ。
一番驚いたのは、元親と相対しているとき、彼が柔らかく微笑むのを見たときだ。
ずっと前から彼を知っているはずなのに、そんな表情を見るのは初めてだった。
やがて、元親以外の人間にその表情を見せることは無いことにも気づいた。
何故だか、政宗は元親に“負けた”と思った。何を競っていたわけでもないのに、である。



そのせいか。
二人が何故だかわからないがぎくしゃくしていたとき、ふと自分が元親の位置に取ってかわってやろうかという考えが頭をよぎった。
けれど、傷口にもぐりこむような真似はフェアじゃないと、その時はすぐ捨てた。傍観者として務めたつもりだが、少しばかり私情も入ったかもしれない。明敏な佐助には「何がしたいんだ」と問い詰められたっけ。
その少し前に、元就の、毛利の跡取りとしてのいきさつを小十郎から聞かされていた。
あの朗らかな元就の義母が一旦元就から距離を置いたことも。けれど息子を捨てたわけではないと直感的に政宗は思った。あの女性の実家は地元の有力な政治家だったから、何か事情があるのだろうと思った。さりげなく車に乗せたとき、その考えを伝えた。
果たしてそれを元就がどう受け取ったかはわからない。
その後、元親との関係修復と同時期に、元就と義母もまた繋がりは戻ったらしかった。
全部でなくても、元親のおかげには違いないのだろう。
政宗が再び、一抹の敗北感に苛まれたのは事実だ。





「・・・shit,」
呟くと、すかさず小十郎から小言が来る。
「政宗様。言葉遣い」
「あぁ、うるせーな。わかったよ、くそったれが、て日本語で言やぁいいか」
「・・・政宗様。機嫌が悪いのは結構だが、誰に怒っておいでかご自分でわかっておられるなら落ち着かれよ」
「・・・ったく」
かなわねぇな小十郎には、とさらに呟いて、政宗は後部座席で目を閉じる。
(誰に怒っているか、だと?自分に対してに決まってる)
面白い、と元親は毛利元就を知った最初、興奮してそう言った。
政宗は、知ろうともしなかった。
今、政宗は元就を、面白いと思っている。間違いなく元親に遅れを取っている。元就の隣に、元親はすでに揺ぎ無い位置を占めていて、最初に彼が望んだ「元就の一番の親友」という配役を取り、それはもう残っていない。
「・・・今日なぁ。毛利さんと少し話したぜ」
何気なくそう言うと、小十郎はほうと感心したように応えた。いかがでしたか、と嬉しそうだ。
「頭のいい人だな。お勉強だけじゃなくて、・・・ちっせぇ頃から打たれてるせいか、あれで悪知恵もなかなか回るだろうな、こと仕事だと容赦なくいらねぇ部分は切捨てそうだ。合理的ってのか?」
「ほう。政宗様と似ておられますな」
「・・・悪知恵が回るところか?」
「いえ。打たれ強いところ、ですよ」
小十郎はハンドルを握りながら笑っている。嘘吐け、悪知恵部分だろ、と毒づいて政宗も笑った。こういう会話は結構気に入っている。
此処にあの人もいればいいのに、と思った。どんな反応を返してくるだろう。今までさほど会話したことはないが、いつも、政宗の読んでいない応えを放り投げてくる。それが面白い。
朝、雨の中ぼんやり立ち尽くしていた元就を思い出した。つないだ手は思った以上に薄く冷たくて、でも心地よかった。ほんの短い時間だったのが惜しいとさえ思う。
普段の政宗ならば、あんなことはしないはずだった。本音の行動と言えなくもない。元就は表情に乏しくて何を考えているかあまり分からない。本来ならば自分をさらけ出すことは最も避けるべき相手だ。
でも何故か不思議と、そうしてもいいのではないかと思えた。幸村のような裏表が無い相手とは到底思えないのに、何故だろう?
元親もきっと、こうして彼に興味を持ったに違いなかった。
(・・・あいつら、今日俺の前でろくに喋らなかったな)
朝の様子がおかしかったことと言い、何を、もめているのだろう。あの二人は。何を葛藤しているのだろう。
互いの立ち位置に、何を迷う?



「・・・誰かのポジションを、後出しで横から掻っ攫うのは、あんまりcoolじゃねぇよなぁ」



思わず声に出た。小十郎には聴こえただろう。政宗は、言い訳せずに黙って返答を待った。
ややあって、それもいいのではありませんか、と柔らかい声が応えた。政宗は目を瞬いた。
「いいのか」
「どうしても手に入れたいならば。その価値があるならば。リスクはあっても、やってみることも必要かと思いますな」
「企業の倫理的にはどうなんだ」
「余程強引でなければ・・・あとは、力関係に無理がなければやがて周囲も納得しますよ。どんな合併や吸収であっても。どんなにうまくやっても恨みをかうことは避けられませんが、その覚悟と後始末の責任を取る意欲さえあれば―――まして欲しいところが提携先と揉めている場合などはチャンスかと―――と、これは例えです」
「・・・ふん」
政宗は口の端を引き上げた。どこまで知って言っているのか、喰えない男だ、小十郎は。
お前を敵に回したくねぇなと言うと、ご安心召され、この小十郎は政宗様の敵には一生なり得ませぬと朗らかに言う。あぁ知ってるぜと政宗も笑顔で言った。



元親にしか見せないはずの微笑の気配を、なりゆきとはいえ、今朝方、元就は政宗に感じさせた。そのことを思い出して政宗は考え込む。
これは、チャンスだろうか?



「・・・欲しいならやってみるか?政宗?」
自分に問いかける。
答は当然のように、Yes,としか出てこなかった。