キャラメルにリボン





(7)


下校時刻になってもまだ雨は止んでいなかった。
元親は傘を開いて靴を履いた。ぶらぶらとアスファルトの水溜りを避けながら校門へ歩いていく。そういえば子供の頃は水しぶきが楽しくてわざと入って行ったっけな、と思い出した。あの頃は、行動の結果どうなるかなんて考えていなかった。濡れても怪我しても、楽しかった―――
「長曾我部」
唐突に呼ばれた。
顔を上げると、元就が立っていた。
「毛利。どうした―――」
言いかけて、そういえば今日は一緒に帰る曜日だったことに元親は気づいた。新学期になったことと、しばらく会っていなかったせいでなんとなく忘れていた。
元就はじっと元親を見ている。元親は面目無さそうに長身を少し屈めた。悪い、曜日感覚おかしくなってやがった、一緒に帰る日だよな、と正直に言うと、元就は頷いて、元親の隣に立った。
帰るか、と言うと無言で元就は頷いた。
そのまま黙って二人でしばらくバス停へ向けて歩いて行く。風が無いので雨は細い糸の様にまっすぐ落ちる。二人の歩みはいつもほどに速くない。
雨の日は静かだな、と元親は言った。
昼間は、と、元就はそれに応えず呟いた。元親は、それより朝は、と続けて思わず言った。顔を見合わせる。
「・・・朝だけじゃなくて、昨日もだな。黙って行くような真似ばっか、すまねぇ。悪気はなかったんだ、ほんとうだ」
「・・・昼間の貴様は、いつもどおりだったな。不思議なことよ」
元就は少し眉を顰めた。
「理由もなく、昨日や今朝のような行動に貴様が出るとは考えにくいのだ。」
「・・・だから?」
「何か、我に意見があるなら申してみよ。」
言葉面だけはいつもどおりの厳しさだったが、声は僅かに掠れていた。
元親は、困って視線を逸らせた。元就はきゅっと口を引き結んだ。
「やはり。正直に申せ、長曾我部」
「別に、なにも」
「・・・何か怒っているであろう。貴様」
「怒ってねぇよ」
「嘘をつけ。何を怒っている」
「・・・怒ってねぇって言ってんだろ!」
思わず出た声と言葉の強さに、元親本人が驚いた。口元を押さえて恐る恐る元就を見る。一重の目が見開かれて、じっと元親を見つめていた。
「・・・すまねぇ、怒鳴るつもりは」
「・・・我は貴様に何かしたのか?いない間に、なにかあったか?」
「だ、だから。そんなんじゃねぇよ、あんたは何もしてないし、俺は怒ってるわけじゃねぇんだ。本当に」
「では何故我を避け――いや。目を逸らすは何故だ?」
「そんなわけ―――」
「では。我が嫌いか」
「んなわけ、ねぇって。絶対に、それは無い。昼も言ったろ、あれは俺の本心―――」
「では。・・・我と話すが、苦痛、なのか?」
「・・・」
「―――なるほど」
返答が無いのが肯定だと理解して、元就は愕然と俯いた。



元親は、慌てた。
「違う。苦痛ってのとはちょっと違う・・・けどよ・・・上手く言えねぇんだ。・・・まいったなあ」
いつの間にか、二人の足は止まっていた。雨を少しでも避けるために、そしてもう少し落ち着いて話すために、元親は近くにあったシャッターの閉まった店舗の軒下へ入ると、元就を手招きした。元就は黙って従った。
「なぁ毛利。・・・俺、あんたの親友で、・・・恋人だって、前、言ってくれたよな」
元就は、頷いた。
「今も、そうか?」
「・・・何を今更」
「じゃあよ。あんた・・・恋人って、意味、わかって使ってるか?」
「・・・貴様は我を愚弄するか?」
無論だ、と、少しイラついた声で言われ、元親は余計困った。掌がじとりと汗をかいていた。
「じゃあ―――」
元親は、元就をじっと見る。元就も真っ直ぐ見つめてくる。
雨足が僅かに強くなって、視界がついとけぶった。飛沫がはねて、元就のまつげに小さな水滴が乗って、元就はぱちぱちと瞬きをした。
その仕草にも、可愛いなと思ってしまう。元親は呻いた。そっと周りを窺った。
誰も顔見知りは歩いていない。雨でなにもかもが霞む。傘で隠して、いっそ、此処で堂堂とキスしてやろうかと一瞬元親は思った―――が、やがて重い溜息を吐いた。
(考えてみりゃ、・・・俺ら、まともにキスだってしたことはねぇんだよな、まだ。)
(それすら、申し訳ねぇ気分になるくらい、こいつが、こういうことに真っ白すぎて)
(なんつーかな・・・今だって二人きりだが、普通のダチと二人きりでいるのとさほど変わらねぇっつーか、恋人の意味わかっているぞ、て、野郎の俺に面と向かって言ってる時点ですでにわかってない気がするんだが・・・まぁ其処がこいつのいいところなんだろうが)
どうしてこんなに。
(なんか時々、俺、自信なくすな・・・恋人っていうよりは・・・俺こいつに兄貴みたく思われてるんじゃねぇだろうか、って)
好きすぎて、欲張りな自分が醜くて、嫌になる。





「あのよ、毛利・・・提案なんだが」
「なにか」
「俺ら、二人っきりで会うの、ちょっとやめとかねぇか、しばらく」
「―――え・・・」





元就の表情を見て、元親は自分が発した言葉の重さに気づいた。
「・・・二人だけで会わないほうがいい、とは」
元就の肩が、震えた。
「い、いや、ちょっと待ってくれ、なんか言葉遣いが間違ったような―――」
誤解をさせたことは明白だった。勿論その意味は元就が受け取っただろう意味ではない。二人だけでいると、今の元親はいろいろ考えて元就の顔をまともに見られないのである。それが元就に不審を抱かせているのが申し訳なかった。この先どうしたいのか、きちんと言葉で伝えるために、考える時間が欲しかった。
でも元就はショックを隠せない。
「・・・二人だけで会いたくない、ということ、か」
「待てよ。会いたくない、じゃねぇよ、会うのを控えるってぇか、会わないほうがいいっていうか・・・あぁ、これも違う、何言ってんだ俺は?」
元親は白髪をかきむしる。
「同じことよ」
元就が、小さく息を吐いた。
「個人的な付き合いに距離をおきたいという、こと、であろう?」
「ち、違うって!だから―――俺は、あんたが好きだし、今までどおりにしたい、けど二人っきりはツライんだ俺は―――」
「辛い?・・・意味不明だな。二人きりが辛いとは、すなわち我の今言った言葉とどう違うのか。」
「だ、だから、・・・あぁ、くそっ。」
元親は、懇願する。
「毛利、頼む、待ってくれ。俺自身どうしたらいいかわからねぇんだ。俺が今欲しいのは、時間なんだ、それだけだ。」



元就は、しばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「・・・よい。納得いくまで考えよ。貴様の結論が出るまでなるべく貴様の意向に沿うようにしよう。」
「毛利」
元親は、ほっとした。さんきゅ、とつとめて明るく言ったが、元就はかえって顔を曇らせた。
「・・・さて、我は先に帰る。」
言葉のとおりに二人きりを避けるため、元就は歩き出した。元親は自分で言い出したことながら、一緒にすぐ傍のバス停までも歩けない、自分で発した言葉をまじないのように感じ、ただ硬直してだんだん離れていく元就の背中を見送るしかできない。



ふと、その背中が動きを止めた。
元就が振り返る。
「長曾我部」
「ん?」
「・・・他の誰かがいれば、話し掛けてもよいのだな」
普段の元就からは想像もできない、遠慮気味な声だった。
元親は、弾かれたように軒下を飛び出した。
どうしようもなく嬉しくて哀しくて、元就に追いつくと、ぎゅっと抱きしめた。耳元に、好きだ、好き。と囁く。でも、ごめんな、という呟きも同時に発せずにはいられない。
体を離して、元親は俯いた。自分は意気地なしだと思った。手をつないだり抱きしめたりはできるのに、恋人としての確定的な行動に―――ただ口付ける、それだけが出来ない。
やがて体を離すと、元親は、じゃあなと言って手を挙げた。傘も差さずに走り去る背中は、すぐ元就の視界から消えた。
前と何も変わらない抱擁なのに、何が違っている?
元就にはわからない。



(結論、か)
さっき自分で言った言葉を思い出して、元就は苦しくなった。
なんの結論か?
何故自分たちは立ち止まっているんだろう。
元就は、人と話すのは苦手だ。スピーチやディベートは寧ろ得意だが、それは話す内容や主題が決まっているうえ、特定の相手にむけて話しているわけではないからである。普通の、なんの他愛もない話となると何を話せばいいかわからない。結果、面倒だから余計なことは言わない。
今まで元親と一緒にいるときも、大抵喋っているのは元親で、元就は頷いたり相槌をうったりする程度だった。
それがいけなかっただろうか。
(・・・仕方あるまい。他者と話すはどうにも苦手よ。・・・本当は・・・)
本当は、人と二人きりでいることすら苦手だ。
一緒にいて心から安心できるのは、義母と、元親だけだ。それを、元親は、わかっているだろうか。
(半月)
たった半月程会わないで、どうしてこうなった?なにがあった?いつも会ってないと駄目なのか?約束を違えたから?そんなつまらない程度のつながりだったか?
(でも、・・・我は待つ。待てる)
以前、元親が、勘違いした自分を辛抱強く待ってくれたように。



元親は濡れそぼり一人、歩いていた。
思い出すほどに、自分の要領の悪い発言に呆然とするしかない。
「参るぜ、くそっ。正直に言うべきなんだろうが・・・」
(正直に?・・・キスしたいって?抱かせてくれって?)
頭を抱える、としか言いようが無い状況だった。
元就の呆れた顔を見るのも辛いし、彼が受け入れてくれたとして、その結果本当に彼を抱いて、そうしたらどうなるんだろう?彼は怒るだろうか。怒るなら、まだ、いい。泣いたら?ショックをうけたら?
傷ついたら?
傷つけたくない。それは絶対に自分が許せない。
(・・・俺自身が、あいつに嫌われたくないってのも、あるかな・・・)
自分は怖いのだと、知っている。