物や思ふと





欲しいものは何かと問われる。
元就は呆れるしかない。欲しい「もの」なぞ何も無いと何度言えば分かるのだろう。目に見えるものを与えたいと願うのは何故か。手で触れられるものでなければ納得できないのか。
「なぁ、何が欲しい」
―――そうやって我に問いかける貴様の声、と応えたら。この鬼はどんな顔をするのだろう。



欲しいものは何か。それが知りたいだけだというのに、強情な恋人は頑なに応えない。
元親は呆れるしかない。元就の望みを知りたい。彼を喜ばせたい。そう願うのは、強欲だと一喝されるほど浅ましいか。極端に物への執着が少ない元就に、何か形を与えたいだけなのに。
大事になんかしてくれなくてもいい。持っていてくれたらそれだけで嬉しいと思う。
「なぁ、何が欲しい」
元就はじっと見つめ返すばかりである。







特にどうということもない。
いつもどおり元就を訪れて夜更けまで酒を酌み交わし、そのまま彼を抱いている。
元親は元就を抱くとき、その皮膚の上に痕をつけることに躊躇がない。遠慮なく舐めて、吸い上げて、噛む。
所有の証か、と以前一度尋ねられた。そうかもしれないが少し違う、とぼんやり思った。
毛利の存続と繁栄以外、あとはせいぜい己の策の成功くらいしかこの世のものへの執着はなさそうな元就を、元親は時折とても不安に思う。本当に存在しているのか確かめたい衝動にかられる。
だからわざと痕をつけるのは、そのためなのかもしれなかった。
たくさんたくさん痕をつける。寧ろそれが目的ではないかというくらいに。
元就は普段首筋から足の先まできっちりと着込んでいるから、人目を気にしなくていいのも手伝っているのかもしれなかった。



執拗に元就の内腿を唇で愛撫する元親に、元就はほんの僅か、掠れた声で問うた。心なしか、追い詰められているように見えた。
「我を貴様のものだと―――それほどに認識したいか。させたいか」
元親は元就の白い皮膚に軽く歯を立てながら、少し視線を上げた。元就は壁にもたれて立った状態であったからだ。
元親の顔の近くに元就の膝がある。それが終始小刻みに震えていることは知っていたが、ずっと無視していた。座ったり横たわったりは、そういえば行為がはじまってからさせてやっていない。疲れたのだろうかと思ったが黙っていた。
「・・・さぁて?」
大して意味のない言葉だけ返して、元親はまた元就の内腿の柔らかい皮膚を舐る。吸い上げる。
もう随分長い時間そうしていた。
膝が震えることよりも、もっとすぐ目の前で元就自身が存在を主張しているのに無視している。先端が淡く白く光って誘うようにひくひくと蠢いていたが、元親は手を伸ばすと、元就の胸の突起のほうを強く摘んだ。
元就はひゅっと息を吐き出すと、その膝を折ろうとする。
元親は無言で元就の膝頭を押すと、座るなよと低い声で命令した。がくがくと震える膝が返事のかわりに頷いているようで、元親は思わず笑った。
元就は呻いて、また問うた。
「・・・何を怒っている」
問われて、元親は首を傾げた。
「怒る?なんで」
怒っているわけがない。こんなにも愛してる。
俺は今、怒っているように元就には見えるのだろうかと考えた。
「我が、答えないからか」
「何を?」
「――――ッ、貴様は」
勝手者め、と罵って、元就は瞼を閉じた。







発端はなんであっただろう。
元就の所領へ元親が来たのは、遠洋へ航海に出るためしばらく来られないことを伝えるためだった。
留守の間の四国と中国の同盟の確認を一応は当主同士、話し合い、それから徐に会えない間の分までと彼を胸に掻き抱いて互いに滲む体温を楽しんだ。
航海のたび、本当は一緒に行きたいとよく思う。
思うが、不可能だと割り切ってもいる。互いの立場へは干渉はしない、それが二人がこの関係を続ける上での、暗黙の了解だった。
元親は、元就の髪を梳きながら、いまだ完成したことのない何度目かの会話を試みた。
「なぁ。俺、あんたに土産を買ってやりてぇんだが。何か欲しいもの、言ってくれ」
「・・・・・・」
元就は抱かれた体勢のまま顔をあげると、まじまじと元親を見つめた。見つめるだけで答えはしない。それもいつもどおりであった。
知り合って、愛し合ってから、もう何度も繰り返されている光景である。



ようやく元就が首を傾げたときに天道虫が一匹目の前をかすめた。
夜中である。一体何処から迷い込んだか、虫は燭台の焔に誘われあっという間に熱の塊へ飛び込み焼け死んだ。
元親がかわいそうにと呟くと、元就は、でもきっと幸せだったろうと言う。元親は驚いた。
「幸せ?あの蟲が?何故」
「・・・きっと、日輪へ飛び込んだと信じていたであろうから」
元親はそれを聞いて、昏い声で返した。
「・・・燭の焔は日輪じゃねぇ」
「間違っていても―――本人は、幸せであろう」
元親は首を横に振った。
「あんた、時々どうしようもなくやけっぱちなこと、言いやがる。俺は不安だ。・・・なぁおい。俺と来るか?」
「・・・自棄?だと?貴様と海に出るほうが余程自暴自棄だと思うが?」
幼い表情で、元就は本当に元親の不安はわからないらしかった。
元就は、死に様について語っているというのに、自覚はない。
元親は、その場の空気を払拭するように、土産は何がいいかと再び尋ねた。
元就は、答えない。
「モノなぞ、いらぬ。欲しければ己で手に入れる」
「・・・」
そうして、付け加える。
「先程の蟲のような最期は―――少し、夢想する」
元親は、それを聞いて切れ長のひとつ目を開くと、いまいましそうに舌打ちした。
気にも留めず、元就は言った。
「死ぬるときは、あの蟲のようが我はよい。たとえ飛び込んだ場所が間違っていようとも―――」
「毛利、ちょっとお前、黙りやがれ。酔ってんのか」
「我は酔わぬ。何を望むかと問うたは貴様ではないか、長曾我部」
「・・・俺にどうしろってんだ?俺ぁ、あんたを、殺させろとでも言えばいいってのかよ」
「・・・それも一興ではあるな。そう簡単には許してやらぬが」
「・・・あぁもう!やめだ、やめ。」
元親はひときわ大きな声を出すと、元就を無理矢理顔を上げさせ、その朱色の唇を己の唇で塞いだ。
飛び込むなら、過たず、自分のところに来いと思う。当然ながらころしてなどやらないが。
代わりに自分を注ぎ込もう。何度でも、何度でも。毛利の頭のてっぺんからつま先まで、俺が喰ってやる。







欲しいものは、おそらく目の前にある。
知っている。伝えたつもりだ。
けれど、呆れたことに当人は気づかない。そうして壊れたカラクリのように訊くのだ。何が欲しいか。何が望みか。俺に何をして欲しいか―――
(五月蝿い、五月蝿い)
元就は歯を食いしばる。そうしないと声が溢れてしまいそうだった。
夜着はまだ帯も解いていない。帯の下、裾さばきを持ち上げて、己は情人(!)に好き放題させている。大毛利のあるじという立場は、敢えて考えないようにしている。
内腿を攻めていた元親は、もうずっと元就自身に触れようとせず、さりとて伏せることも許さず、いつものように背後から抱くわけでもなく。
(五月蝿い―――)
元親の、ぴちゃぴちゃと音をたてる舌先が憎らしかった。
欲しい欲しいとその舌で元就を惑わせる。欲しいと言うくせに与えたいとも望む。強欲な男だ、そんなに我の全てを貪りたいか。
「・・・ッ、早う」
熱くて、もっと刺激が欲しくて。思わず声に出してしまい、元就はまた、声にならない掠れた空気だけを吐き出した。膝が震えた。
元親は、元就を愛してくれない。天井を仰いで、欲情を逃すように低く呻く。けれどまた、今度は後ろを玩ばれる。
情けなさに涙が滲んだ。
この男は知らないのだろう。
元就が一番に何を欲しいと思っているのか、知っているのか知らないふりをしているのか。本当に知らないのか。言葉にしないと分からないほど阿呆なのか。
航海になぞ、行くなと―――







昇りつめていく元就はいつもとても綺麗だ。
日頃人形のように表情の無い男だから、ほんの少し呼吸が乱れる様だけでも、元親には十分すぎるほどだった。
つい先程まで、死に際の話なぞしていたからなおさらである。
俺はやっぱり怒っているのだろうかと、ふと思った。元就自身が、またびくりと震えて白いものをゆるりと吐き出す。喰っちまいてぇな、と考える。いつもならとっくにそうしているだろう。
今日はまだ触れてもいない。
さっき、元就がたまりかねたように「早く」と言ったのは聞き逃さなかった。
嬉しかった。
だから、絶対ころしてなんか、やるものか。たとえ食い尽くしても、望んで、望んで、離さない。ずっと手元に置いておきたい。もうずっとそう伝えているつもりだ―――態度で。言葉で。
けれど通じているとは到底思えいことのほうが多くて。甘いささやきを期待する状況ですら、唐突に生き死にの話をされる。
そういう男だと知っている。そういう男だから自分は愛してやまないし目を離せないことも知っている。でも悲しかった。伝えたいのに伝わらない。伝えたいのに、わざと彼を焦らしている。
「・・・何が、欲しい?」
「なに―――何、が」
「土産、さ」
「あ、あぁ、あ、」
堪え切れなかったのか、元就はきれいな声を上げた。



元親はその声で我にかえった―――いや、我を忘れたのだろうか?
欲望を溢しながら上下に揺れる元就にしゃぶりついた。またひときわ高く、声が響いた。
「元就」
滅多に呼ばない名を呼んで、元親は夢中で元就を貪った。此処にいるよな?と語りかける。何が欲しい?何が欲しい?俺に教えてくれよ、なぁ。あんたが好きだから知りたい、どうしてわかってくれない?
元就は崩れるように座り込んだ。今度は元親は許した。そのまま彼の細い肢体を掻き抱く。毛利、と呼んで、口内から元就を解放すると、己の張り詰めたものを出して元就のそれに圧し当てる。ぬるりと互いが擦りあう。元親は、息を吐き出した。心地よさに狂ってしまいそうだと。
瞬間、小さな悲鳴のような声を上げて、元就がのけぞった。
元親の目の前で、白いものが飛び散って、元就自身の顔を点々と汚した。元親は何故だか無性に安堵した。元就を抱きしめる。
「毛利、好きだ。好きだ。・・・俺が喰ってやる、だから間違ったとこになんか、飛び込むんじゃねぇ。勝手に行くな」
「・・・ッ、この・・・勝手者めがッ」
再び罵って、元就は確かめるように腕を伸ばしてくる。俺は此処だと、元親はその腕を自分の背に回してやる。背中をぎり、と引っ掛かれた。
「何が、欲しい、毛利?」
もう何度目だろう―――問うのは。
元就は、元親の唇に噛み付いた。
「なん、ど、も、しつこい。我は―――最初から」
「最初から?」
「言わせたいか、鬼めが。」
元就の舌は甘くて、目の前が痺れてしまう。早く言ってくれ、早く。
「・・・貴様が、欲しいと、言っておろう、―――満足か。我を置いて、行く、くせに・・・長曾我部、貴様なぞ」
「毛利、愛してる」
「・・・痴れ者が!」
一喝されながら、元親は元就を貫いた。







元就は荒い呼吸のまま元親の肩にぐったりともたれかかっている。小さな唇からもれる吐息も全部気に入っている元親は、上機嫌で元就の髪を梳く。互いの心臓の音が心地よい。
「なぁおい。土産、何がいい」
それを聞くと、まだ言うか、とばかりに元就は露骨に呆れた顔をした。元親は屈託なく、なぁおいとまた尋ねる。
とうとう、元就は俯いて、ぼそぼそと何事かを口にした。
「ん?なんだって?」
「・・・し」
「もっかい」
「天道虫。綺麗な」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、疲れたと続けて呟いて元就は目を閉じてしまった。元親は目を瞬くと声を抑えて笑った。
「天道虫なぁ・・・」
さてどうしよう。やっと引き出した念願の言葉をどう解釈して形にし、彼に再び与えようか。それを考え悩むのもまた楽しいと元親は思った。







数週間後、元就に荷物が届いた。元親からだった。
潮の香りのする木箱を目の前にし、元就はしばらく仏頂面で黙ったままそれを見つめていたが、やがて面倒なと呟いた。
そろそろと手を伸ばす。
箱の中には、天道虫を模った陶器の釦がみっつ、丁寧に布に包まれて入っていた。
釉薬の赤は少しくすんでいたけれど、元就は目を瞠った。骨ばった指でひとつ摘む。燦燦と輝く日輪にそれを透かして、満足そうに頷いた。
「長曾我部め。多少ましなものも寄越せるではないか」
誰にも聞こえないくらいの小さな声でそう呟いたのだった。






「忍ぶれど色に出でにけり我が孤悲は物や思ふと人の問ふまで」

白い染衣装のボタンが天道虫だと知ってからずっと、あれはアニキの舶来土産だと信じて疑わない自分です(痛)