背中合わせで見上げる空


5(政宗)

 他の誰かと寝るのは久しぶりだった。
 一体いつ眠ってしまったのか政宗は覚えていない。文句を言い続ける元就の手を、それでも決して離さず握り続けた。そのうち元就の小言めいた声は遠のいていって――
 目が覚めたときには、いつもよりは薄い日の光がカーテン越しに部屋の中に差し込んでいた。
 隣を見ると一緒に寝たはずの元就の姿は無く、政宗はひとつ溜息をついた。けれど掌を動かしてみて、自分の傍らのあたりのシーツにちょうど人一人分くらいのぬくもりが残っていることに気づいて目を瞬いた。
「…なんだ…そうか」
 少なくともつい先ほどまでは、彼は此処にいたのだと気づいて口元がほころぶ。
「道草くってる野良猫と、寝てくれたってわけだ。いいとこあるじゃねェか」
 独り声を出して納得して、それからどうにも嬉しくなって、頭から布団を被って声を殺して笑った。


 リビングルームに行くと、元就は制服に着替えていた。政宗に気づいてちらと視線を向けたが、無言でネクタイをしめている。
「今日、学校休みだろ?」
「…委員会がある。学園祭の」
「ふうん?反省会みたいなのか?大変だな、やっぱ」
 暢気な政宗の発言に、元就は眉を顰めて振り返った。
「貴様もさっさと家に帰れ。我はもう出るゆえ」
 それから「朝から片倉殿が心配して電話をしてきた」と告げた。
 政宗はちっと舌打ちをした。守り役の小十郎のことは信頼しているし兄のように慕ってもいるが、時折口喧しい母親のようで、うんざりすることも多い。
 政宗はダイニングテーブルを振り返って見た。今日は綺麗に片付いていて、どこにも朝食のある気配は無い。元就も食べていないのだろう。これはこのまま帰るしかなさそうだと肩を竦めて、政宗は仕方なく自分の荷物を探した。リビングのソファの横に政宗のスポーツバッグがひっくりかえって落ちていた。ひょいと器用に片足でひっかけて拾い上げた。
 玄関で靴を履こうとしている元就の後姿を見た。ふと気づいて近寄ると、手を元就の髪に伸ばす。
 髪を一束つまむと、急に触れられて驚いたらしい、ぎょっとしたように元就は振り返った。
「…なっ、なんだ!」
「寝グセ、ついてる。髪に」
「――ッ」
「珍しいな、いつも完璧なアンタにしちゃ」
 政宗がにっ、と笑うと、元就は口を尖らせ、履きかけていた靴を脱いでばたばたと洗面所へ走って行った。傍を通り過ぎるとき元就が、誰のせいだ、と小さな声で呟いたのを政宗は聞き逃さなかった。一緒に寝たからいつもと違った結果になった、と言いたいらしいのだと気づいて政宗はまた笑いを噛み殺した。
 ドライヤーの音が響いている。政宗は靴を履いて先に玄関外に出た。元就の髪に触れた指先を見つめる。
 元親がしたのとは少し違うが、案外簡単に触れられるもんだな。と思った。


 元就が扉に鍵をかけた。がちゃんという乱暴で鈍い音が背後で響く。
 この音は苦手だ。
 バスに遅れる、と元就が言って、駆け出した。政宗はその後姿に、じゃあなと声をかけたが返答はなかった。いつものことだが今日は少し哀しい気持ちになった。
 元就と反対方向のバスに乗り、政宗は家に戻った。
 いかめしい門構えをくぐると、坊ちゃんがお帰りですとすかさず徒弟の声が飛んで、玄関から小十郎が飛び出してきた。
「政宗様!迎えに参ろうかと思っていたところです、いい加減に連絡くらいはきちんと――」
「何処に泊まるかちゃんと言っただろ?こうやって朝には戻って来てるんだからいいじゃねェか」
 五月蝿そうに政宗は言うと、靴を脱いで玄関を上がる。なおも追い縋る小十郎に、振り返ってじろりと一瞥をくれた。
「小十郎。いちいち毛利サンに電話すんな。カッコ悪いだろうが」
 小十郎は一瞬返答に詰まったが、厳しい顔で応えた。
「いい加減になされ政宗様。小十郎や家の者が政宗様の安否を気にかけているのは勿論のことですが、何より、先方にご迷惑をおかけしているのも事実です。一言礼を述べおくは常識かと――」
「――迷惑?」
 政宗は目を剥いた。
「毛利サンが迷惑だ、つったのか?オレのことを?」
「そ…それは、ありませぬ。しかし」
「だったら、いいじゃねェか」
 きっぱりと言って、小十郎を睨んだ。
「オレはただあの場所を――雨宿りで軒先を借りてるようなもんだ。分はわきまえてる、迷惑はかけてねェよ」
 政宗は黙ってしまった小十郎を置いて、自室に向かった。
 学生にはいささか不釣合いなだだっ広い部屋の床に荷物を放り投げると、ベッドにごろんと横になる。勢いがつきすぎて、前髪が見えるほうの目に半分被さった。視界が一気に狭くなって、政宗は溜息をついた。
「・・・片目の野良猫か。酷いもんだ」


 携帯がメールの着信を知らせた。
 億劫そうに手に取ると、幸村からだった。「練習練習!」とあって、政宗は苦笑した。
 県大会が近い。剣道の練習を一緒にしようという意味だ。幸村は自宅となりに剣道場がある。今日は学校の部活は休みだが、自主練習をしようという誘いらしかった。
 幸村は付き合いやすい。単純で、裏表がなく、わかりやすい。それは勿論元親も同じだ。友人はたくさんいるが、多分自分にとって親友と言えるのはこの二人だけだろうと思う。
「…幸村も、気に入ったって、言ってたな」
 元就を、である。
 幸村ならば、どういうふうにあの元就と付き合っていくのだろうと考えてみたが、すぐに馬鹿馬鹿しくなってやめた。どういうふうに、など愚問だ。元親も幸村も、まっすぐに真正面から元就を見据えて、彼ららしく友達として付き合って元就を知っていくことだろう。
 知り合ってから頻繁に元就の家に上がりこんですらいるのに、政宗は胸をはって言うことはできない。言う気も無い。たまに昨晩のように一瞬近寄ることはあっても、互いが互いに干渉しない。だから元就の言った言葉はとても的確で正しいのだ。
 野良猫、と。


 政宗は幸村に、Okey,と返答をした。起き上がると制服を脱いで普段着に着替え、部屋の隅にある防具を担ぐ。ひとつ伸びをした。
「小十郎!幸村んち行って来る、練習誘われた」
 同じ敷地にある別棟一階の事務所を覗いて声をかけると、書類に目を通していた小十郎は立ち上がった。
「お帰りは?」
「多分、夕方。晩メシは家で食うから」
「承知致しました」
「でも先に、朝メシ、なんかないか。なんも食べてねェんだ」
 小十郎は無邪気な政宗の言葉に、ほっとしたような、苦笑のような表情を浮かべた。朝食は用意してあるのです、と笑って、机を離れる。仕事はいいのか、と問うと、お独りで食べてもつまらないでしょう?と柔らかい声が返ってきた。政宗が食事する間一緒に座ってくれるらしい。さっき小十郎にかけたきつい言葉を思い出して少し申し訳ないような、いたたまれない気分になったが、何も言わず政宗は小十郎と一緒にダイニングに向かった。
 ふと、何も食べず駆けていった元就の背中を思い出した。彼は委員会の仕事をしながら、誰かと食事をしているだろうか。一人で食べているだろうか。
 一緒に何か食べてくればよかった、と、少しばかり後悔に似た気持ちがじわりと胸に広がって、それからさらに思いなおし、政宗は軽く頭を左右に振った。
 一緒に寝たことも、彼は困惑していた。髪に触れたとき嫌そうだった。と、思う。
 小十郎の言うとおり、元就にとっては政宗が傍にいるのはただ迷惑なだけの話なのかもしれなかった。


(6)