背中合わせで見上げる空





13(政宗と元就)


 アリーナの高い天井を見上げると、元親は煌々と明るいライトに目を細めた。
 観覧用の二階席部分から、一階へと視線を移す。元親も何度かバスケの試合で使ったことのある板目の床には、今日は剣道用に白いラインが真四角にテープで、何面分かひかれている。
 幾人かすでに準備運動をしている参加生徒たちがいるが、聞きなれたバスケットシューズの床を蹴る音は当然しない。隣にいる佐助が、俺らの試合のとき見るのと感じが違うでしょ、と、元親の感じたことを嗅ぎ取ったのか笑って言った。
「この一番大きいホール使うんだなぁ。同時にたっくさん試合するのか?」
「そりゃ、そうだよ。バスケもそうじゃん」
「ふぅん。なぁ、それより、どっちが赤とか白とか、どうやってわかるんだ?」
「背中にたすきを結ぶからね。試合ごとに違うからちゃんと確認しないと」
 元親は武道系スポーツにあまりなじみがないので、佐助から何かを教わってはいちいち頷いていた。
 ひとしきり練習風景を見降ろして、三人で一階の入り口付近へ下りた。正面扉の隣に大きな模造紙が張ってある。対戦表だね、と佐助が言って、元親も元就も近づいた。
「あいつら、個人戦はなにげに一回戦不戦勝じゃねぇか。すげぇな」
「そりゃね。結構毎回いいセンいくから、あの人たち。今回は、さてどこまで登れるか」
 そんなことを話していると、佐助、と幸村の元気よい声が響いた。三人は声のほうへ視線を向けた。
 すでに着替え終わって防具もつけ、面を小脇に抱えて幸村と政宗が立っている。幸村は屈託のない笑顔で、元親と元就によくぞ来てくださった、と嬉しそうに言った。政宗は対照的に仏頂面で三人をぐるりと見回し、ようと低い声でぼそっと言った。
「…わざわざ制服で来たのかよ?」
 政宗は少し呆れたように言った。今日は休日である。三人は顔を見合わせた。
「あぁ、それは幸村が―――」
 幸村が言いかけたとき後輩が二人を呼んだ。開会式が始まるらしい。
「じゃあ、俺さまたち上で見てるからね、旦那」
 佐助が言うと、走りかけていた幸村は振り返った。
「今日は別に上でなくともよいのだ、佐助」
「は?なに言ってんの?」
「今日は制服で来てほしいと幸村頼んでおいたのは、制服ならば試合場の近くまで寄れるからだぞ」
 そうして、幸村はにこにこと笑った。
「近くで見たほうが迫力あって面白いと思ったのだ。どうであろうか?」
 佐助は肩をすくめ、元就は黙っていた。元親だけが目を輝かせた。
「そりゃ、いいや!俺は近くで見たいな、うん。なぁ、せっかくだし、そうしようぜ」



 関係者のような顔をして試合場のすみっこに三人で正座して政宗と幸村の試合を待った。
 やがて幸村が呼ばれた。佐助がそわそわと腰を浮かした。三人で幸村の試合場へ移動する。幸村は赤。
 武田校長がいて、背後の三人をじろりと見たが、特になにも言わなかったので元親と佐助はほっとした。
 審判の始めの声と同時に気勢の声が上がって、二本の竹刀がほぼ同時に相手の面を打った。刹那、審判の赤い旗が三本同時に上がる。場がどよめいた。
「よしよし。旦那がまずは一本」
「…はやいな、おい…全然わかんなかったぞ、俺。毛利、お前見えたか?」
 元親が感心して隣の元就に話しかけた。元就は瞬きをして、いや、見えなかったとつぶやいた。どうやら元親と同じように感心しているらしい。
「毛利さんを驚かせるなんて、旦那やるね。あとで言っとくよ、喜ぶだろうから」
 佐助が嬉しそうに言った。元就は首をかしげたが、何も言わずまた試合に見入っている。
 毛利は正座している姿も背筋が伸びてとてもきれいだな、と元親は場にそぐわないことを考え、それから自分の考えに赤面してあわてて試合場へ視線を戻した。
 二本目はさすがに相手もすぐにはとらせてくれない。が、抵抗も最初だけで、やがてあっさりと二度目の赤い旗が三本、上がった。幸村の勝ちである。幸村は礼を終えると脇に下がってきて、面をとった。それからすぐに、頭に手ぬぐいも巻いたまま三人のところへ来た。
「どうであったか?」
「すごいよ旦那。長曾我部の旦那もだけど、毛利さんもあんたの試合見て驚いてたよ、早くて太刀筋見えないって」
 佐助がそう教えると、
「そうか!それはよかった!このあとも勝つゆえ、見ていてくだされお二方、佐助も」
 幸村は満面の笑みを三人に向けた。思わず元親もにこにこして、がんばれよと声をかけた。元就を少し小突くと、元就は怪訝な顔で元親を見たが、やがて幸村に「期待している」とだけ言った。幸村は嬉しそうにうなずいている。
「政宗は?」
 元親が伸びあがって、会場を見渡した。
「幸村のみっつ後に、同じ場所で最初の試合があったはず。此処は見えづらくはあるまいか?」
 幸村は、場外すぐのあいている場所を指差した。
「あそこは大丈夫なはずゆえ、もう少し近くへ来るとよかろう。政宗どのも喜ぶ」



 政宗は、柄にもなく緊張している自分に気付いて苛ついている。
 最初の対戦相手が、そこそこに手ごわい相手なのも気になったが、なにより、近くに元親や元就が座っていることが気になった。
 面をすでにつけ終えて、政宗はじっと自分の前の試合を見ている。勝ち抜けばやがてどちらかは当たるかもしれない相手だからだ。
 けれど、面の格子の端に、元就と元親が映るのがどうしても気になった。時折元親が長身をこごめるようにして元就になにか話しかける。元就は返事をする。また元親が話す。笑いかける。元就は返事をしている…
(…shit!)
 舌打ちをして、政宗は視線を逸らす。
(試合に集中しなくちゃなんねェってのに。幸村があいつら呼ぶから)
 でも、その程度で集中力を欠いているほうが問題だと、政宗もわかっている。わかっているが、どうしようもない。
 やがて名前が呼ばれた。返答をして政宗は立ち上がった。
 ちらりと元就を見ると、元就はじっと政宗を見つめていて、政宗は余計に緊張が体に走るのを感じて慌てて視線を試合相手へ移した。



 審判の合図とともに、幸村のときこれまた同じ、政宗と相手はほぼ同時に打ち合った、が、二本別の色の旗が上ったあと、主審は無効としたためそのまま鍔迫り合いになった。相手もここ数年のうちにベスト16に入ったこともあるレベル。押し返す力も互角で、政宗は面白くなってきやがったぜと内心で笑った。
 幸村が、政宗殿、ふぁいとでござる!と叫んでいる。その声はなかなかに励みになる。気合いの声をあげて、政宗は相手を瞬間押し返すと、すかさず面を狙った。かろうじて相手は足さばきでかわすと、続けて政宗の小手を狙う―――政宗はけれど、気づいている。
(もらった)
 瞬間、胴を斬って抜けていた。政宗の白い旗が三本同時に上がった。
「よしっ!!」
 幸村が手を打って喜ぶ声がする。面のため視界が狭いが聞きなれた声だ、よくわかる。政宗は声のほうへ顔を向けると、にやりと笑って、ほんの少し幸村へ頷いた。幸村も頷いている。
 それから元就をちらりと見た。
 視線が一瞬交錯した―――と、政宗は思った。
 けれど、元就はふいと目を逸らせた。
(…なんだよ?)
 少しむっとして、政宗はまたいらだちを募らせた。審判の、二本目の合図がかかって、政宗はきゅっと口を引き結び相手を見据え、気勢を上げた。



 それからは、接近戦になった。相手が警戒して、すぐつばぜり合いに持ち込むのである。下がって距離をとろうにも、場外に出れば反則。それで相手に一本を与えてしまうのは腹立たしいが、どうやら相手はそれを狙っているらしかった。政宗のほうが少しばかり相手より体格が小さいからだろう。
持久力にはある程度自信はあるが、さすがに何度も押し合いをしていると疲れる。また、焦りも出る。政宗は一本先行しているのだが、押されてばかりでは不利である。しかし間合いを詰めようにも相手がそうさせてくれない。
「チッ!ふざけやがって」
 口の中で毒づくと、政宗は体をひねって斜めから相手の面を狙った。間一髪かわされる。態勢を立て直し、今度は胴を狙うが、これは読まれていて腕に阻まれた。失敗したその隙に、相手はさらに間合いを詰めてくる。場外に出るものかと政宗はまた斜め後方へ―――
「!」
 汗のせいか。足が滑った。
 瞬間、竹刀を杖のように、政宗は背後へ突き出していた。倒れまいと粘った結果だった。
 けれど、面の隙間から自分の倒れる先に見えたのは、―――元就の驚く顔だった。
「あぶな…!!!」
 元親の声が叫んでいたが、間に合うはずもない。
 竹刀の先にいやな感触が当たった。防具も当てない体を刺したに違いなかった。ほぼ同時に政宗の体は床の上に大きな音をたてて倒れたが、そのときも誰かの体を下敷きにしたことははっきりとわかった。



 政宗はしたたかに打った後頭部をさすりながら、それでもすぐに立ち上がった。大丈夫か、という声が聞こえる。元親だ。政宗はよろめいた体を立て直し、元就を面の中から覗き込む。
 同じように床にあおむけに倒れた元就の、シャツの隙間の白い首筋から血が滴っていた。政宗は自分の竹刀の先を見た。元就のものとおぼしき赤い色がかすかについていて、眩暈がした。
「毛利ッ!!!」
「毛利さんっ!」
 元親の悲鳴と、佐助の冷静な呼び声がした。白い制服のシャツの襟元が少しずつ赤く染まってゆくのを政宗は茫然と見ていた。馬鹿者、と、席をはずして別の試合を見ていたらしい武田校長が近寄ってきた。
「大丈夫、これしき―――」
 弱々しい元就のかすれた声がした。気丈に首筋をおさえ、立ち上がろうとしたが、どうやら足もひねったらしい。顔をしかめて元就は座ったまま動けない。
「血が出ているな。救護室へ」
 武田校長の言葉に、
「…少し、首筋を掠めただけです。それより、足のほうが痛い。動けませぬ」
「よし。長會我部、運んでやれ」
 校長の指示で、元親は素直に元就を横抱きに抱え上げた。女のように扱うな、と元就が文句をこんなときに言って、元親は少しほっとして笑顔を口元に浮かべ、しょうがねぇだろ、救護室まで我慢しろよと言った。
 佐助も立ち上がったが、元親は、そのまま二人の試合を見ててくれと言って、一人で元就を運んでゆく。
 政宗はただ茫然と、その光景を見つめていた。
 元就に謝ってさえいないことに気付いたのは、審判に呼ばれて再び試合に戻ってからだった。



 そうして、政宗は負けた。もう何年も経験していない、一回戦負けだった。
 試合の後、肩で息をしながら外した面を見つめる政宗に、幸村が近づいた。
「申し訳ない。幸村のせいだ。近くで見てほしいなどと我儘を言ったために」
「お前のせいじゃねェ!謝るな!!オレを馬鹿にしてんのかッ」
 幸村の肩がびくりと震えたのが視界の端でわかって、政宗は自己嫌悪にさらに項垂れた。


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