「ひなどり」





「・・・くそっ」
元親は、自分の白い羽毛のような髪を、苛立ちを隠さず手荒にかきまぜた。
元就は少し離れた道端の石の上に座っている。水干の袖先の紐を引いたり、結んだり、しながらちらりと元親を見る。
辻は行き交う者たちでごったがえしている。中に、明らかに日の本の者ではない人々が幾人もいる。商売港らしく、外国の商船が多く入っているせいである。
毛利領の中国は、元就の意向であまり対外的に貿易をしていない。銀の輸出は別だったが、それ以外は国の中ですべてまかなえるようにというのが元就の主義だった。他国に依存しすぎて共倒れになるわけにはいかないということらしい。
そういうわけで、元就にとっては他の民族や人種を見るのはほぼ初めてだった。
元親の着ている、えんじ色の外套と似た衣装の者もいる。不思議な衣服だなと以前訊いたら、海の向こうのもんだ、と答えていた。なるほど、と、いまさら理解して元就はひとりぼんやり道行く者たちを見ていた。
元親は相変わらず唸っている。
どうしても、思ったとおりのものが手に入らないので苛立っているのである。
先日、釣り竿に似た武器を作ったと得意げに見せてきた。どう見てもそれはただの釣り竿だったが、元親は武器にもなると言い張る。しかし、実際に目の前でふるってみれば、それはうまく作動しなかった。元就は、それ見たことかと黙ったまま視線だけで元親を馬鹿にしたように見つめた。
元親は、腹を立てたらしい。
見てろよ、明日大きな市場に出るから、そこで部品調達したらもっかい見せてやる、と。
そんなわけで朝早くに起こされ、元就は元親と一緒に街道沿いの市場にきているというわけだった。



外つ国の者たちは、不思議な言葉を使う。元就はそれもしばらくじっと耳をそばだてて聞きとって楽しんでいたが、やがて意味がわからないので飽きてしまった。
「まだか、ちょうそ・・・元親」
人前では、姓を呼び合わないようにしている。身分がばれたら一大事だ。
元親は、元就のほうを振り返りもせずに鍛冶屋と直談判に忙しい。そうは言っても、そこらの刀鍛冶が、元親の言うような精密な部品を、はいそうですかとすぐに作れるわけもないと、機械には疎い元就ですら思う。
そこを、元親は食い下がって、これこれこういうのを作ってくれと、自分でご丁寧に絵まで描いて説明する。迫られている鍛冶屋はたまったものではないだろう。見たこともないものを簡単につくれるはずもない。
「・・・チッ!わかった、もう頼まねぇよ」
やがて、元親は店先から出てきた。元就は、やれやれと立ち上がった。
「ようやくあきらめがついたか。では先を急ぐとしよう」
「冗談じゃねぇぜ。俺はこれを完成させたいんだ、この先にこんな大きな市場があるとは考えられねぇだろうが。ここで買い物すませちまわねぇと」
「・・・武器ならば、腰の得物をつかえばよかろう」
元就も、使い慣れた輪刀を今は持っていないのだ。別に刀一本でも困るわけではなかった。身を守れればそれでよいのだから。
けれど、そういう問題じゃねぇんだよ、と、元親はゆずらない。
結局、武器がどうということではなくて、新しく考案したものをどうしても作り上げてしまいたいのだろう。元親はそういうことに意地になるきらいがある。
また別の鍛冶屋を探そうと人ごみの中へ入っていく元親を、元就は不機嫌に呼びとめた。
「我は腹が減った。先に昼餉を」
元親は、ふりかえった。
「勝手に食ってろよ、あんた。ちょっと黙っててくれ」
そうして、広い背中が人ごみにまぎれていく。
元就は、じっとその背中を見つめていたが、ひとつ溜息をついて、少し離れた後ろを歩きだした。



元親は、何十歩か歩いて、我にかえった。
部品ひとつで苛々してみっともねぇな、と思ったのである。
あまつさえ、元就に八当たりしてしまった。気づいてしまうと、とたんに元就のことが気になった。勝手に一人で昼食をとれ、と言っておいてきてしまったはいいが、どこで何刻ごろに集合するかも何も言っていない。
(・・・金渡したっけ?)
そんなことすら覚束ない。元親は、後ろを振り返った。元就がついてきていないか、目を凝らす。
やがて見つけた元就は、けれどまったく別方向へ歩いていくところだった。
元親は焦った。また一人で勝手にどこかへ行くのかと肝を冷やした。腹が減ったと言っていたから、なにか食べるものを買うつもりなのだろうか。
けれどそれにしては、道の両脇に時々ある飯屋を、目にもとまらないと言った感じで通り過ぎていく。歩調に迷いがない。
元親は、さらに焦った。いつもより元就は早足のような気がした。人ごみにさえぎられて、まっすぐ追いかけることができないせいかもしれないが、けれどそれにしても、どこかへまっすぐ向かって歩いていく。
しかし先ほど突っぱねた手前、名前を呼ぶこともためらわれた。
(何所行くつもりだ、あいつ?)
元親は、黙ったまま元就のあとをつける。
(・・・一人で、国に帰るつもりか?)
ふとひらめいた考えだったが、途端になんともいえない落ち着かない気持ちがわきあがって、元親は慌てて打ち消すように強く頭を左右に振った。いつ帰るかは元就の自由だったが、こんな中途半端なところで別れるのはどうにもやるせなく、納得もいかない。
仕方無い、謝るかと元親は溜息をついた。その間にも、元就はどんどん歩いていく。怒っているのかもしれない。
そのうち、周りの景色に気づいて元親は少し眉を顰めた。歓楽街に入っているのである。
それでも、元就は歩調をゆるめない。
(・・・毛利、何処行くつもりだよ、ほんとに?)
周りのことは一切目にしていないのだろうかと、元親は不安になった。いったいなにに導かれているのだろうとふと考えた。
そうして、気づいた。
元就の歩く先に、えんじ色の外套が見えたのである。
元親と似た背格好だった。髪は、白に近い淡い金色であった。おそらく海を渡ってきた行商人であろう。
隣に立つ日本人(に見える男)と、笑いながら話している。そうして、どんどん歩いていく。
(―――あいつ、まさか)
元親は、気づいて、呆れ、そして可笑しくなった。
元親とあの男を、ひとまちがいしているのだ。男の歩幅は広く、それを追う元就の歩調も自然と早くなっていたのだろう。
元親は、一人堪え切れずくつくつと笑った。今度は先ほどのような不安ではなかった。
(・・・ったくよぅ。とっつかまえて、それから)
後ろから名を呼んだら、ひとまちがいしたのだと気付いて元就はどんな顔をするだろう。それとも、あれが元親ではないと気付いたときの顔のほうが見ものかもしれない、と、元親は少しばかりいたずらをする子供のような気分になっている。
結局、声をかけずに様子を見守ることにした。





元就はだんだん腹がたってきた。
追いかけても追いかけても、元親は振り返らない。一度も、である。
そうして、いつの間にか別の男と親しく話をしている。とても気があっている様子だった。そのこともさらに元就を苛立たせた。
ときおり、内緒話をするようになにごとかを耳打ちしている。それを見るたびに、どうしてかはらわたが煮えくりかえるような気分になった。
(だいたい、いつもそうだ、あれは。誰とでも親しく、誰とでもすぐ打ち解ける)
そのくせ、もうずいぶん長く一緒にいる元就とは、最初の頃から特になにかが変わっているわけでもない。いつもだいたい意見が合わず喧嘩になる(実は、たいていは元就が自覚がないままきついことを言っているのが原因なのだが、そこは元就は都合よく気づかない)。
考えるほどに、腹立たしかった。さっきも、自分のことに夢中になって元就を置いて先に行く。勝手にしろ、というのはいつも喧嘩したときの元親から元就への捨て台詞だった。
勝手にしろと言われたから、後をつけているのだ、と元就は自分に言い訳をしながら歩いている。
ふと、道の小石につまずきそうになって、あわてて体勢を立て直した。顔を足元に向けたせいで、一瞬元親を見失った。元就は伸びあがって、探した。
元親は、連れの男と一緒に一軒の店に入ろうとしている。
元就は堪忍袋の緒が切れた。飯屋だと思ったのである。自分には一人で勝手に食えと言っておきながら、自分は誰ともしれぬ者と親しく食事をするのかと。
「―――元親!」
凛と澄んだ声が呼んだ。
そうして、元就は駆けよって、元親のえんじ色の外套を引っ張った。





“元親”は、振り返った。
そこではじめて、元就は、自分の追いかけてきたのが、自分の元親ではないことに気付いた。背格好は似ていたし衣装も似ていたが、顔は元親とは似ても似つかない、いかつい異人であった。
「―――あ、」
なにが起こったか一瞬分からず、うろたえて、元就は半歩後ろへ下がった。どん、と、何かに当たった。振り返ると、同じような巨体の異人がもう一人いる。
二人は、元就にはわからない言葉で何事か話すと、青い目でじっと元就を見つめてくる。やがてにやりと笑う。
手首をぐいと掴まれた。
「―――はなせッ」
かろうじてそれだけ言って、元就はふりほどこうともがいた。二人はなおも何事か相談しつつ、白い粉のようなものをどこからか取り出して元就にふりかけた。元就は咄嗟に息を止めたが、いくらか吸いこんでしまい、むせて咳き込んだ。
元就は、ようやく周りの景色の異常に気づいた。元就がもっとも嫌う、いかがわしい掃き溜めのような場所であった。こちらを見つめる視線が、異人も日本人も関係なく、どれも濁っているように思えた。
ただよう重苦しい空気の中に、水煙草や、それ以外の何か―――元就の知らない薬のようなにおいも混ざっていた。今かけられた粉の匂いだったのかもしれない。
頭がぐらぐらした。
ここは危険だ、と、元就の頭の中で警鐘が鳴る。
色々な記憶が一気に押し寄せる。もう忘れたと思っていたずっと昔の―――





ひゅん、と、小気味よい弓の弦のような音がした。
悲鳴とともに、異人は掴んでいた元就の腕を離した。糸のようなものが、元就の目の前をかすめて飛んでいく。
元就は糸の先を視線で追った。
本物の、元親がいた。いつの間にか、手に拳銃らしきものを持って、ぴたりとこちらに照準をかまえている。
異人たちが、なにか焦って怒鳴っている。どうやらあの拳銃は異人たちのものらしかった。元親が、お得意のカラクリで取り上げたのだと元就は気づいた。
元親は、にやりと笑うと、口を開いた。出てきた言葉は元就の知らないもので、異人たちとよく似た音の羅列だった。
異人たちが、なにごとが怒鳴り返す。元親は、銃口を異人たちに合わせたまま、つかつかと近づいて、そうして元就の腕を掴んで自分の背後に隠した。
「――― 」
元親の言葉を聞いて、異人たちは顔を見合せた。元親は、さらに何事か口にした。そうして、銃口をつきつける。
二人の男は、じりじりと下がってゆく。
店の中から、さきほどの日本人が出てきて二人を呼んだ。状況が把握できず驚いている。
その隙に、元親は元就をぐいと引っ張った。
「逃げるぞ、元就ッ」
怒号に追いかけられながら、元親と元就は走った。





あぶなかったぜ、と元親は呼吸を整えながら言った。
元就も胸をおさえて荒い呼吸をしている。全速力で走り通しで、やっと追手をまいた。市場には当然戻れない。
元親が、ふいに声をあげて笑った。元就は眉をひそめて元親を見た。
「―――っ、すまねぇな。けどよぅ、あんた、なんの疑いもなくあんな野郎についていきやがるから」
元就は、じろりと元親を睨んだ。元親は、悪い悪いと言いながら、けれど笑いが堪えられない。
「国で飼ってる鸚鵡のひなの頃みてぇだったぜ。俺の後、ちょこちょこ一生懸命ついてきててよ、ほんとに―――」
そこまで言って、元親は口を噤んだ。
元就は仮にも一国のあるじである。ひな鳥にたとえるなど、さすがに今のはまずかったかもしれない。
そっと元就を見る。元就は、意外にも怒っていないようだった。
ただ無表情に、ぼんやりと足元を見つめている。
「・・・どうした、毛利?」
元就は、訊かれて元親を見た。やがて口元が動いた。
「・・・いろいろ、思いだした。不思議なことよ、まだ覚えていたとは」
「?思い出した?」
「童の頃、城を乗っ取られて追い出されていた頃のことや―――」
はじめて聞く話で、元親は目を瞠った。
元就は、茫然と続けるのである。元親に聞かせているのではなく、自分で確かめているようだった。
「手を掴まれた。どこかへ連れていかれそうになった。信じていた者がそうではなく、―――」
「―――もういい!ちっと黙れよ、毛利」
元親は無理矢理話を遮った。
それから、元就の手を取って、袖をすこしたくしあげた。
手首は掴まれた指の形のままに紅く腫れていて、元親は唇を噛むとそこを自分の手でさすった。
「・・・すまねぇ。俺がつまんねぇことにこだわったせいで、あんたに怖い思いさせちまった」
「・・・」
「どうもあの場所は怪しかったな。なにか悪い薬を売り買いしていたのかもしれねぇぜ。何もなくてよかった」
元就はそれを聞いて、自分に振りかけられた粉のことをふと思い出したが、緩く頭をふって何事もなかったことにしようと目を瞑った。
視界が閉ざされる。
ふわりと、ぬくもりが降ってきた。元就は目を開けた。
いつの間にか、元親に抱きすくめられているのだった。なにもなくてよかった、ほんとに、と耳元で声がする。
元就はひどく安堵して、ゆっくりと何度も深く息を吸い込んだ。えんじ色の外套から、元親の匂いがした。どうしてあんな男と間違えてしまったのだろうと自分を不思議に思った。
「・・・さきほどの、貴様の欲しいものは、もういいのか」
訊くと、元親は元就を抱いたまま小さく笑った。
「あいつらの拳銃手に入ったから、これバラしゃなんとかなるだろうぜ」
「・・・ふむ。貴様もなかなかの悪党だな」
皮肉を言って、けれどどうやってあいつらから取り上げたのだ?と問う。元親は得意げな声で、未完成の武器だが、釣り竿みたいに遠くの獲物をとることはできるんだぜ、と笑った。
「貴様のくだらない発明で命拾いしたな」
「・・・ほんっとにあんた、顔に似合わず口が減らねぇよなァ」
いつの間にか、元就の腕も元親の背中を抱きしめている。そうやって互いを互いに抱き締めながら、互いを罵り合う。ちょうどいい、と元就は思った。これくらいがちょうどいい、自分たちには。
「・・・怖かった」
ぽつりとつぶやいた。聞こえないようにしたつもりだったが、元親の腕がさらに強く元就を抱き締めたからには、たぶん聞こえていたのだろう。





今日の宿を探しながら、元就は問うた。
「―――貴様、異国語も話すか」
「ん?ああ、―――まぁ、ちっとだけな。ダチに教えてもらった。このさき外洋に出るにも必要だろうと思ってよ、けど、さわりだけだ」
「なんと言ったのだ、あのとき」
好奇心で訊いてみる元就に、元親は少し困った顔をした。
「別に・・・なんてことないことだぜ」
ぷい、と顔を背ける。元就はむっとした。教えろ、と詰め寄るが、元親は知らねぇよと頑として応えない。
しばらくそうやって言い合いしながら歩いていく。いつの間にか手がつながれているが、二人ともまるで気づいていないように何も言わない。





長く伸びた影は、親子のようでもあり、伴侶のようでもあった。





元親の台詞→「俺の恋人だ、さわんじゃねぇ!」(たぶん)