「だいじなもの」





腹が減った、と元就が言う。
(この痩せの大食いめ)
元親は背後を歩く元就を振り返った。うんざりした目で見つめる。
「飯は朝食ったろ。俺よりたくさん」
「・・・詰め碁の手順を考えておった」
言った先から、別の話をする。元就はそういうことがしょっちゅうである。元親も最近は慣れてきた。ぐっと怒鳴りたいのを我慢すると、先を促す。
「で?」
「頭を使うと腹が減りおる」
「・・・あぁ、そうかい」
元親は額に手を置いて呻いた。荷物袋の中から保存食の薄い固焼餅を出すと、これでもかじってろと渡した。元就は、(案の定)嫌な顔をした。不味いから食べたくない、ということらしい。
「今はこれしかねぇよ」
ぶっきらぼうに言うと、元親は手近にあった大きな木に近づく。根元にどかりと座り込んだ。
(・・・まずいなァ)
今朝から、悪寒がする。先日雨に濡れたのがいけなかったかもしれない。一緒に濡れたはずの元就は普通に元気なのが癪に障る。ちらりと元就を見遣ると、先ほど渡した大きめの煎餅をじっと見つめている。表情は真剣だった、食べるかどうするか考えているのだろう。
やがて背に腹は代えられないと判断したのか、ぱくりとかじりついた。ぱりん、と煎餅の割れる小気味よい音がした。
思わず、元親は笑った。
元就はむっとしたらしい。近づいてくると、元親を一重の目で見おろす。戦場ならば迫力もあるだろうが、片手で煎餅を持っているうえにもぐもぐと口が動いているので、元親はおかしくてしょうがない。また笑うと、沓先で蹴られた。
「貴様がこれしか寄こさぬからであろう。何かかわりのものを買ってこい」
元就は、随分先のほうに見える、炊屋(かしきや)の煙を指差した。村か、市があるようであった。
いつもならば、元親も腹立たしいと思いながらも言うことを聞いてやるのだが(実際元親も空腹であった)、今日は緩く頭を左右に振って否定した。元就はかみつくように、何故だと問う。元親は座ったまま肩を竦めた。
「金がない」
「・・・なんだと?」
「参ったよなぁ。こないだ、あのぼろ屋敷に置いてきちまっただろ、財布。けっこう入ってやがって」
「・・・・・・」
「なんか物の修理とかで金稼ぐにも、ちっと具合悪くて無理そうだわ」
「・・・具合が悪い?」
元就は眉を顰めた。元親の前にしゃがむと、少し躊躇したあと、襟元に巻かれた布に隠れた首筋にそっと手を差し込んだ。ひどく熱い。
「阿呆だな、貴様」
「・・・病人相手にそれかよ。容赦ねぇな」
元親は苦笑した。元就は指先を口元にあてて、しばらく何やら考えている。
「ふむ。貴様がここで倒れれば我はやすやすと四国を手にいれられるな、考えてみれば」
口を開いたかと思えば、そう言う。意外と本気の口調だったので、元親はがっかりして項垂れた。使い慣れた巨大な碇槍は船に置いてきてしまったので、武器は普通の刀しか無い。それを腰から外すと抱くようにして、木の幹によりかかった。
元就は気分を害したらしかった。
「なんだそれは。我がこの機に乗じて貴様の寝首をかくと思うたか」
「あのよ、俺は眠りたいんだ、毛利。ほうっといてくれ、自分の身はこれで守るからよ」
元親は心底体がだるくなってきて、突き放すようにそう言った。
「腹が減ってるのに悪ぃな、恢復するまで―――」
言葉が途切れた。
元親はもう、眠っていた。



元就は、しばらく元親の寝顔を見ていたが、やがて立ち上がった。此処にじっとしていても事態が変わらないことくらいはわかる。
元親を置いて、昼食の支度の煙の出ている方向へ歩いていく。近づくと、村と、小さな市場があった。よい匂いも次第にただよってきて、元就の腹の虫がぐぅと喚いたが、元就は我慢して歩いた。
とりあえず、自分が食べるのが先ではあったが、元親にも何か買ってやらねばと考えている。何か喰わねば、体力も恢復しないだろう。
しかし、元就とて金があるわけではない。元親と同じに、先日なくしてしまった。こうなるまで気にもしていなかった。
生まれてこのかた(部下の人質であった時代ですら)金銭のことで苦労などしたためしが無い。租税は百姓が納めるものであり、元就はそれを元に治世をする。その日のことではなくて、一年、十年、それ以上の単位で考えるべきであった。
食事もそうだ。女たちが用意してくれるから、元就は炊屋にすら入ったことはない。戦最中の兵士たちの炊飯の景色は何度も見ているが。
そういうわけで、当面の金子をどのように手に入れればよいか、食事をどうすればいいか、皆目見当もつかない。
しかし、物盗りのようなことをするわけにもいかない。
考え考え歩いていると、ぱちん、と聞きなれた音が響いた。元就は顔をそちらへ向けた。
爺と野武士のような男二人、縁台を出して、碁を打っている。少し人垣ができていた。元就も近寄って、見てみた。
野武士の一方的な勝ちなのは明白で、やがて勝負はついた。
元就の目の前で、男は手を差し出した。忌々しそうに舌打ちして、爺は金子をその手に置いた。けっこうな額である。ほう、と元就は目を瞠った。
じゃらじゃらと音を立てながら、男はそれを袖に入れた。元就は人垣をかきわけて、前に進み出た。
「そのほう」
一斉に、群れた人々が元就を見た。元就は気づかない。碁盤と、男の袖を、交互に見つめる。
「我と対局せよ。勝てば金が手に入るのであろう?」
男はぽかんと元就を見ていたが、やがて低く笑った。周りの数人も笑った。どうやら仲間らしい。元就はむっとした。
「やってもいいが、あんたは何を賭ける」
訊かれて、元就は首を傾げた。
「賭ける?」
「これは賭け碁だ、あんたは俺から金銭を取りたいわけだろう。あんたが負けたときは逆に俺に払ってもらうぜ」
「金は無い」
悪びれもせず、元就は言った。男は呆れている。
「・・・なんだと?話にならねぇな」
「問題ない。我は負けぬ」
周りから失笑が漏れた。元就は気にかけず、縁台に腰掛けると先ほどの碁石を片付け始めた。怒る男に、仲間らしい者が耳打ちする。なるほど、と頷いて、男は下卑た笑いを浮かべた。
「じゃあ、こうしよう。あんたが負けたら、あんたを売る。いいな?」
「売る?―――我を?」
高く売れそうだ、と仲間たちが笑う。元就の容姿を品定めするように見ているのだった。
しばし考えて、さすがにそこは意味を理解して、元就は怒りをあらわに、男たちを睨んだ。
「―――下衆めが」
そうして、勝負が始まった。



元親は目を覚ました。
眠ったせいか、少し楽になっている。水筒の水を飲んで息をついた。空になったので、水を汲みに行こうと立ち上がる。
「―――毛利?」
呼びかけるが、返事がない。何処行きやがった、世間知らずのくせにと文句を言った。沢に下りて水を汲んで、戻っても、やはり元就の気配は無い。
「・・・おい、毛利!返事しやがれ!」
少し大きめの声で呼んでみたが、梢の鳥が驚いて逃げただけだった。
「参ったな・・・」
しばらく考えたが、元親は近くの村に行ってみることにした。空腹だと文句を言っていたから、煙につられて行ったのかもしれない。しかし元就も金を持っていないことは元親も知っていたので、かえって心配であった。
なにせ、世間を知らない。
元就の頭にあるのは、戦に勝つことと、毛利領をどれだけ安定して繁栄させ治めるかということだけだった。
(考えてみりゃ、なんで俺があいつの心配しなきゃいけねぇんだ、ったくよぉ)
内心愚痴を言いながら、元親は歩いていく。
邑の目抜き通りについた。周りを見渡しながら歩く。背高く、白い髪に隻眼、南蛮の衣装、どれも目をひくらしく、時折通り過ぎる者が振り返る。昨今は信長の政策の影響で南蛮人も城下町には増えたが、元親はそれともまた別の異相には違いない。
やがて人垣にぶちあたった。囲んでいる周りの者の中に元就がいないかと目を凝らしたが、いない様子だった。諦めて離れようとすると、わっと声が上がった。元親は、輪の中心を覗きこんだ。
元就がいる。
滅多に見せない笑みを浮かべると、相手に手を差し出す。相手の男は、袖の中から金子を出して渡そうとした。
(・・・おいおい、賭け碁かよ!?)
元親が呆れていると、仲間らしい男が、金子を出そうとする男の手を止めた。
「兄さん、勝ち過ぎだ」
元親はそれを聞いて溜息をついた。ひとり勝ちを免れるは博打では暗黙の了解である。ほどほどでやめねば恨みを買う。
周りの男たちの殺気だった顔を数えて、元親は再度溜息をついた。少なくとも5、6人には勝ったのだろう。
元就は意味が分からないという表情で、冷たい眸で男たちを睥睨している。
「愚か者。勝てば金子をよこすは最初の契約であろう。一度目は兎も角、二度目からは、挑んできたはそのほうたち。我は応じたのみよ」
(・・・正論だな)
いつでも元就の言うことは正しい。正しすぎて、他人がついていけないことが多い。清濁併せ持つのが人というものであろうが、元就はそうではない。
(だから、ほっとけねぇんだよなァ)
一人納得しつつ、元親は人込みをかき分けて前に出た。まさに男たちが複数で元就を取り囲み、襲おうとしているところであった。



「―――おい、てめェら!俺のモンに何手ェだしてやがる!?」



はったりだったが、元親は凄みを利かせてそう怒鳴った。一斉に衆目が元親を振り返る。実は風邪と空腹で倒れそうなのだが、そこは巨体と異相と、少しばかりの演技力で、皆をおびえさせることにどうやら成功したらしい。
男たちは、元親を見て怯んだ。明らかに自分たちより強い、もしくは同業者と踏んだのだろう。そのまま、肩をこづきあい、離れていく。自然、人垣も三々五々散っていった。
あとに、元親と元就が残った。
元就は、不貞腐れた表情で元親を見ていたが、やがて「阿呆」と言った。元親は呻いた。
「あのなぁ!勝手に遊びに行くのはけっこうだが、助けてもらってその言い草はどうなんだ、あんた」
「我は別に貴様に助けなぞ求めた覚えは無い。我一人であのくらいの人数、蹴散らせたわ、みくびるでない」
そして、最後の勝負の分の金子を手に入れ損ねた、貴様のせいぞとなじるのである。元親はあきれ果てた。
「あぁそうかよ。勝手にしろ。また襲われても知らねぇからな、俺は」
くるりと背を向けて歩き出した。
元就の沓音は、ついてくる気配が無い。
どうしてか、少しばかり寂しいような気になって、元親は肩をいからせた。そのままどんどん、元いた木のところへ歩いていく。木にたどりついても、沓音はしなかった。
結局は敵同士だからな、と自分に言い聞かせて、またそこに座り込む。ただ無駄に歩いて体力を消耗しただけであったことに気付いて舌打ちした。
(それもこれも、あいつにかかわるからだ。金輪際、知るか。勝手ばっかしやがって―――)



微かに、地面を蹴る音がした。体重をあまり感じさせない特徴ある歩調だ。
元親は顔を上げた。目の前に、元就が立って、じっと元親を見下ろしている。
手が差し出された。餅粉の饅頭である。元親は、元就と饅頭を、交互に見た。
それから、黙って受け取った。元就も黙って、隣に座った。自分の分(何個もあった)をひとつ取り出すと、元親より先にぱくりとかぶりつく。
「やはり餅は柔らかいに限るな。貴様のあれは不味くて硬くて仕方無い」
食べながら、そんなふうに言うので、元親は肩を竦めた。そして、空腹だったので、元就に倣ってほおばった。
とても美味だった。正直に美味いと言うと、元就はぱっと顔を上げて元親を見た。
それから、微かに笑った。少しばかり得意そうであった。
元親は、元就のその反応が内心可笑しくてしょうがなかったが、もう一度、美味いな、と噛みしめるように言った。
「あの金で買ったのか」
問うと、元就は頷いた。
「全部餅にしようかと思ったのだが」
「―――えっ。まさかほんとにそうしたんじゃ」
「せぬ。金が大事なのがよくわかった。残してある」
素っ気なくそう言って、元就はひとつめの饅頭を飲み込むと、指先についた餡をぺろりと嘗めた。それから、もうひとつ取り出してまたほおばった。
「碁で金が稼げるとは思わなかった。奴ら弱かったゆえ、あまり内容は楽しくなかったが」
「・・・毛利。その手は今後はなるべく使うなよ、あんまり褒められた手段じゃねぇんだからよ」
「わかっておる」
淡々と、元就は言うと、あとは黙って食べることに集中している。
「我は金儲けは向いておらぬようだ。貴様に任せる」
そして、食べ終わると、残った餅を大事に腰の袋に入れて、袖の中から金子を取り出し、元親に渡した。
「貴様の欲しい食べ物は我には分からぬ。自分で買え」
元親は、しばらく元就の顔を見つめていたが、やがていつもの、日輪のような笑みを浮かべた。
「ありがとよ、毛利」





街道をゆく、牛にひかれた荷車があったので、二人でそれに駄賃を払って乗せてもらった。元親は、揺れる荷車の上で、地図を出した。今日の場所を携帯した筆の先を舐めて描き込む。
「そういえば―――」
隣で、元就が呟いた。
「俺のもん、とは、どういう意味だ」
野武士たちを追い返したときの台詞を言っているのだと気付いて、元親は笑った。
「―――あぁ。言葉どおりだ。俺の女に手を出すな、ってやつと同じだな」
「・・・我は女でもなければ、貴様のものでもないわ。二度と言うな」
吐き捨てるように言う。元親は首を竦めて、あの場を乗り切るための方便だろうがよと言った。
それから、ふと気付いた。
「なぁ、あんた。賭け碁だったんだろ、あんた何賭けてたんだ、金もねぇのに」
「知らぬ。奴らは我を賭けろと言ったが。我は負けぬゆえ関係ない」
元親はその言葉に一瞬何故か、ひやりとした。そっと元就を覗い見る。空を見上げている横顔は端正で整っていて、手の込んだ作りもののように隙がない。あの男たちが売り物にと考えたのも無理はなかったろうと思う。
あぶなかったぜ、と呟いた。元就が怪訝な顔をしている。
「俺のモンを、売り飛ばされるところだった」
そんなふうに、我知らず言っていた。元就は聞こえていないのか特に反応もしない。ただ、小さくあくびをした。振動で眠気が出たのだろう。荷台に横たわる、やがて小さな寝息が聞こえた。
元親は、しばらくその寝顔を見ていたが、そっと手をのばして額にかかる前髪を梳いた。
なんだかとても嬉しかった。
ありがとよ、毛利、と呟いて、元親も元就の隣に身を寄せて寝転がった。互いの体温が心地よかった。


だいじなもの・・・元親=「毛利」 元就=「金」w