虫が好かない、





指の肉が文字通り相手の犬歯に噛み千切られ、元親は流石に喉の奥から呻き声が漏れるのを我慢しきれなかった。聴こえたのだろう、僅かに紅く染まった舌先と唇を引き歪め、汚らわしい、と言わんばかりに口の中から今噛み千切った元親の肉の断片を吐き出し明らかに馬鹿にした眸でにやりと哂う。
「・・・のやろッ」
指を反対の手で押さえたまま、元親は長い脚で豪快に至近距離の相手の腹部を蹴り上げた。薄い肉の裏にあるあばらかどこか―――鈍く折れた感覚が蹴り足に伝わって、苦悶の表情が相手の面に一瞬浮かぶ、それを見て今度は元親が勝ち誇ったように笑みを浮かべてぺろりと唇を舐めた。
足首をつないでいる鎖がじゃらんと重い音を床に擦れさせ、男の体は蹲り、やがて耐えかねたように床にだらりとのびた。
「ざまぁ、―――」
まだだ。
視線だけがこうなってもなお、自分を穿ってくることに気付いて、元親は自覚できるほどに逆上した。ついぞないことだ(子供のころならなおのこと、最近でも)、足を三度踏みならし、次は石造りの壁を荒々しく蹴って、男を踏みつけようとして―――止まる。
腹立たしい。腹立たしい。
捕まえたまではよかった。牢屋に幽閉して二週間、当主を人質に中国本土の混乱も抑えて瀬戸内海の航路もすべて手の中にある。本州は四国と中国でまっぷたつに寸断され、さて各地有力武将も泡を喰っている頃であろう。目にもの見たか、あんたらが馬鹿にしてきた蝙蝠がどれほどのものか―――そういう歓喜の一方で油断も勿論、できぬ。さて誰が鬼の領土を喰らいにやってくるか。
そんな状態だから、元親は「此処」に居る場合ではないと―――当然理解しているのだが。
「・・・ふん。こんなところで我ごときと遊んでいる場合ではあるまい。貴様を狙って魑魅魍魎が押し寄せてくるであろうに」
見透かしたように、とぎれとぎれの息の合間から、そんなふうに言う目の前の男―――毛利元就に、元親はもうずっと手を焼いている。
・・・手を焼く、とは誤りか。



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何故殺さない、と訊かれた。
部下たちだけではない。当の本人からも表情ひとつ変えず問われた。元親も、そうあらためて訊かれ考えると何故なのかはわからない。
そもそも敵同士である。情報収集の際聴こえてくるのは、中国の当主が冷酷無比であるという噂ばかりであったから、なるほどそんな人でなしが相手ならさほど罪悪感も感じずにすむ、くらいに考えていた。
実際に武器もて打ち合ってみれば、相手は元親とさほど歳もかわらぬ(ように見えた)。冷静沈着、狡猾、計算高く感情を表に出さない男ともっぱらの噂であったが、元親にはあまりそうは見えなかったので拍子抜けした。策が成らぬと怒鳴り、こちらが罠にかかると見るや勝ち誇り(表情は乏しかったが)、破られればあっさり狼狽する。話だけならどれほど腹黒い妖怪変化かと身構えていたのが馬鹿らしくなった。武器の扱いも巧みではあったが一騎打ちでは元親の破壊力に敵うはずもない(と、これは部下の贔屓発言であるが)。
倒れた男の頭部から長い烏帽子兜がこぼれおちて転がり、痩せた横顔が見えたとき、元親は何故かすこし寂しくなった。
そんなわけで、足元に倒れた毛利元就の首をとるのはとても簡単なことだったというのに、なぜか元親はそうできなかったのである。
結局縛り上げて連れ帰り、中国との交渉に使うことにした。土地を荒らすのが目的ではない(漁場や航路の確保は当然要求しておいたが)、元親が焼き討ちなどをしないとわかると相手方も慎重に対応するようになった。
「あんたらの当主はあずかっとくぜ。新しい当主を立てるならご随意にってな。―――ただしその場合、烏帽子親は俺がやるし、俺のとこにいる旧当主はどうなろうと知ったこっちゃねぇ」
中国は新しい(仮の)当主をたてなかった。
とりあえず部下や領民たちはまだこの元就という男を待っているのだと思うと、元親は不思議な気がした。



丁重に扱えよ、と部下に言っておいたが、幽閉場所に指定したのは地下の座敷牢である。態度を見て従順そうならば徐々に待遇をよくしていくつもりであった。
様子を最初に見に言ったとき、毛利元就は冷たい床にきちんと正座をして、差し入れられた書物を読んでいた。元親が来たことには気づいたであろうに、一瞥すらよこさない。
「可愛げのねぇ野郎だ」
木格子の隙間から覗いてそう吐き捨てた元親に、ようやく元就は視線を向けた。―――視線だけである。
ふん、と微かに哂う息遣いが漏れて、元親はかっとなった。おい、鍵持ってこい、と怒鳴る。部下が普段と違う元親の様子にうろたえるのを、無理やり鍵をひったくって、元親は牢屋の入口を身を屈めてくぐった。
「―――何用か。下賤の輩」
「――ッ、あんた口のききかたってもんを知らねぇのかい」
返答はない。
元親は呻いた。この狭い押し込められた空間で、優位に立つは明らかに元親のはずであった。支配する者とされる者、もっと柔らかい言い方をすれば命を助けてやった者と、助けられ感謝せねばならないはずの者。
それがどうだ。
「・・・あんた、自分がこの俺に、無様に命見逃してもらってることわかってんのか」
ことさらに蔑むように元親は言った。
見下ろすのは元親、しかし正座したまま微動だにせず、見上げてくる毛利元就の視線は、揺るがない。むしろ憐れむような色が滲んで、元親は苛々と白い頭髪をかきむしった。
「我が頼んだわけではない。生かしておるのは貴様の気まぐれであろう。――我に、貴様に感謝せよと申すか?」
「―――」
「狭量なことよ。小さな恩を振りかざしておるつもりか。恩だと思っているのは貴様だけ」
「・・・なんだと・・・あんたのために中国の奴らも新当主たててねぇってのにか?」
「ふん。駒ども様子見しておるのだろう。我が死んだとて別に奴らは困らぬ。そんなことも読みとれぬとは、愚かな。なるほど鬼と呼ばれるも道理の阿呆―――」



止まらなかった。
元親の拳が毛利元就の頬をこれでもかと殴って、かわいそうなほどに相手の軽い体は一瞬宙に浮き、落ちた。追い掛けて倒れた体に跨ると、これでもかと何度も殴りつける。
悲鳴は元親の背後からである、らしくない自分たちの頭領の態度に部下たちが慌てていた。側近の一人が元親の腕を抑えた。駄目です。これ以上は。人質の意味がない、と。
「―――虫が好かねぇ」
呟いて、元親は毛利元就の頬に唾棄すると、ようやく立ちあがった。立ち上がりざまにさらに足先で相手の体を蹴った―――ところが、すかさず手で掬われ、逆に元親が派手に転んだ。巨体が地響きたて、したたかに腰をうって、元親は呻いた。じゃらん、と鎖の音がして、男の影が上から元親を見下ろす。ぴしゃりと元親の頬に。
「―――お返しだ」
唾を吐かれたのだと気付いて、元親は立ち上がりざまに頭突きをくらわす。鼻血か、ぽたりぽたりと紅い点が床の筵に落ちた。毛利は掌で顔を押さえている、元親はさらに手をふりかざし―――
野郎ども三人に腕を掴まれて、やっと思いとどまった。
「まったく、気に入らない野郎だ。当主として国の心配するでもなく、領民たちに感謝するでもなく、」
「・・・そして貴様に感謝するでもなく、か?ふふ、まだ言うか。愚か者」
「・・・ッ、てめぇはいいかげん黙りやがれッ!!!」
叫んで、元親は反対の腕を振りかざす。風圧で燭の火がひとつ、消えて、視界が一瞬翳る。ようやく元親は我に返った、―――見渡せば、そこは薄暗い牢屋で、支配する者は先も今も変わらず自分なのであった。



アニキらしくない、と口々に部下が言う。不本意なことだ。
「虫が好かねぇ」
返す言葉はそれのみだった。つまりは元親にもよくわからない。征服したはずの者があまりに堂々と自分にたてついてくることが腹立たしいのか―――しかしそういうことは今までも何度かあった。土佐から四国を制圧していく中で。そのときは元親は、今より経験も浅かったにもかかわらずもっと悠然と相対したものだ。焦る必要など何処にもない。あれの首を落とすも、中国に残る一族を完全に根絶やしにするも、勿論このまま情けをかけてやるも元親の自由なのだから。
(・・・感謝だとぉ?)
毛利に言われた言葉を思い出し、元親は歯ぎしりした。
助けてやったのだ、感謝しろと考えるのは至極当然のはずだった。相手は敗北者、勝ったこちらに対して従うのが、これまでのであった「敵」たちの姿だった。豊臣に関してはそんな意見も訊かずにとどめを刺してしまったので知ったことではないが、どのみち従わぬなら滅ぼすのは当然のなりゆきである。
しかしあの毛利は、そういうものの考え方自体を「くだらない」と一蹴したように、元親には思え、なおのこと腹立たしい。世間が狭いとでも言われているようで―――田舎者と馬鹿にされているようで。
もっと言えば、あの牢で、元親は自分が勝者だと思えなかったのである。



気に入らないなら顔を合わせなければよいものを、元親はおかしなことにそれから毎日、毛利元就の顔を見に牢屋へ行った。中へ入れば先だってのようになりかねないため、格子の外から一言、二言言葉をかけるだけだったが、その都度さらにはらわたが煮えくりかえるような思いをした。ならば、もう二度と行かぬがよいと老境の家臣までも言うが、それはそれで自分が負けたように感じてできない。
意地だった。
(毛利を、足元に這いつくばらせて、)
やがてそんなふうに思念だけがどろどろと固まる。
(・・・どっちが支配してんのか、はっきりさせてやりたい)



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いつだったか、伊達の当主と話をした。
まったく初対面のくせにおそろしく意気投合した。どうやら相手もそうらしく、当主同士の会談も、そうでなく似た者同士の―――僻地から天下を覗う者という意味でもあり、隻眼同士という意味でもあり、当主としての考え方の一致でもある―――話も、とてもはずんで楽しい一時を過ごせた。
あんたとは馬が合う、と元親が言うと、me too,と異国の言葉で伊達も頷き煙管をふかしている。
馬が合うとは面白い言葉だ、と、酔った勢いもあるだろうがそんなことを言う。何故だと問えば、俺の知る異国の言葉ではそんな言い方はしない、と。どの馬だ、と訊くので元親は面白いことを考える奴だと笑った。
「そりゃ、俺の中にいる“馬”だろ。それか、俺ら二人で同じ馬に乗ってもいいってことじゃねぇのか」
「ふぅん?要するにどういうことだ」
「―――気が合うんだろ。あんたは違うのか」
「いや、いや。オレもそうだぜ?だから不思議に思っただけだ。アンタと言い真田幸村といい。しかし最初から気の合わない奴はずっと合わない」
伊達はぽんぽんと灰を落としながらしたり顔で言う。つまりはアンタはオレが選んだ貴重な人材だぜと言いたいのだろう。苦笑しつつ元親も悪い気はしないが、しかし。
「最初っから気が合わねぇ奴、か・・・あんまそういう奴に会った覚えがねぇな」
「おいおい、随分気の長い奴だな、アンタ。ぶっ殺したくなるような奴に会ったことはないのか?」
「まぁそういうことも無いとは言わねぇが。・・・気が合わなくっても付き合ってるうちにそれなりにどうにかなるもんじゃねぇのか」
伊達は眉をしかめた。それは、同じ陣営に居る者同士の話であろう、と。確かにそうかもしれないと元親も考え込む。敵であり、なおかつその人物が気に入らないならば、そこで相手の命を取って終わりのはずだからだ。
しかし伊達も、ふと首を傾げた。
「まぁ、気の合う合わないは直感だからな。理由があって好き嫌い言ってるわけじゃない。小十郎が言ってたが、相手がいけすかないときは、たいていその相手に自分に似たとこやら自分の期待を見ちまってるかららしいぜ。無意識にな」
「へぇ―――?」
「そう考えりゃ、改善する余地はあるのかもしれねェよな。まぁオレらには関係ないが・・・」



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伊達のことなど思い出したのは偶然でもない。
(ったく、・・・まんまあのときの話の状況だぜ、これぁ)
虫が好かないが、殺す気にもなれない相手が目の前にいる。
(俺とこいつは、似ても似つかねぇ)
まさに雲泥万里である。伊達はあのとき、自分と似ている相手を気に入らないと感じるのだと言っていたが、今度会ったらそこだけは否定してやろうと元親は苦々しく思った。
「おい、起きやがれ」
毛利の髪を掴むと、元親は引き起こし、自分のほうへ顔を向けさせた。気に入らない男は、相変わらず元親のことを、侮蔑を籠めた視線で見上げる。
「・・・俺に一言言えばいい。いや、言う必要なんざねぇな。あんたが思えば俺は分かる」
「・・・何をだ、鬼よ。貴様に感謝しろと?中国を見逃し、我を生きながらえさせたことを?」
掠れた小さな笑い声が漏れて、元親は眉を顰めた。
「とんだ矮小さだな。誰がそんなことを頼んだと前も言ったはず。・・・我なぞ所詮、駒のひとつにすぎぬ。人なぞ皆同じようなものよ、そして貴様も―――」
皆まで聴かず、元親は髪を掴んだまま毛利の頬を平手で張った。げほっと毛利は咳き込んだ。咳いた口の端から血が伝った。
「いいか、偉そうな口きくんじゃねぇよ。俺があんたのあるじなんだ、今は。あんたはそこんとこをもうちょっとわかるべき―――」
「あるじだと?我は誰にも支配されぬ」
また、哂う。
元親は、掴んだ頭をそのまま床の筵に勢いよく押しつけた。がつんと頬骨が床に当たる音がした。数え上げるまでもなく何度も、何度も、この細い体に痛みを与え続けていることに今更気づいて、元親はふと空しくなった。空しいながら、なおも手に力を籠めることは止めない。
「あんたがどう思おうと、誰が見たって俺が今はあるじなんだぜ。なぁおい、あんた頭いいんだろ?それっくらい理解しろ」
「・・・下衆が。他者の物差しなぞ我は知らぬ。この世なぞ我が死に知覚できなくなれば無いものと同じ」
元親は、それを聴いてぞっとした。
「あんた、・・・自分をなんだと思ってやがる。あんた一人で世界は出来上がってんのか。違うだろ」
返答はない。元親は、思わずため息をついた。どうしてこんなに気に入らない相手にかかわろうとするのか、自分自身がわからない。苛々する。殺してしまえば納得できるだろうか。殺してしまって、ほらあんたがいなくなっても俺はいるし、この世も在るぜと勝ち誇ってやればいいのか。けれどそのとき、この男は元親と別の次元に行ってしまって元親の勝ち名乗りを聴くことはなく―――当然、彼自身にわからせることのできない元親は敗者となるに違いなく。ならば殺してしまうことも、元親は自分が負けてしまうようで癪にさわって我慢ならない。
いっそもっと手酷い目にあわせてやればよいだろうか。這いつくばって元親に命乞いをするくらいの痛みを与えればいいのか。醜く半身を焼くか、元親のように片目をえぐるか。けれど死ねば楽になるとすら思っていない相手に、死なせてくれと懇願させるほどの苦痛は、屈辱は、何だろう?・・・
ふと、抑えつけている毛利の頭が僅かに動いて、切れ長の眸がじっと元親を見遣る。
「―――」
至近距離でじっくり観察して、元親は初めて、相手がそれなりに整った顔立ちをしていることに気付いた。食事をあまり取らないせいか頬は僅かにこけているが、そうであってもあまり武将と言うのはそぐわない面立ちである。囚人のため今は単衣一枚で袴すらつけておらず、視線を動かすと細い骨の形の見える脚が、裾を割って無造作に放り出されていたので元親は思わず先ほど噛まれた手を伸ばしてその脚をするりと撫ぜた。
途端に、毛利の体が撥ねた、―――と思うや否や、その脚がいきなり元親を蹴りつけた。細い脚に力はあまり入らないのか、大した痛みではなかったが、むしろ元親はその反応に吃驚した。
「・・・我に触れるな」
「あぁ。なるほど―――つまりは、こういうことか。あんたを支配するには、あんた自身にあんたを・・・生きてる人間だって知覚させてやればいいってか?」
ただの思いつきだったが、どうやら当たらずも遠からずだったらしい。いてもいなくても同じだと豪語する相手は、おもしろいほどに狼狽えた。戦場で策を破ったときと同じ反応だと気付いて、ようやく元親は楽しくなった。



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鎖につながれた脚を割る。
させるものかと、毛利は手を伸ばし元親の白い髪を掴むとこれでもかと引っ張った。痛みに顔を顰めたが、元親は動じずそのままほうっておいた。毛利はさらに元親の顔を殴る―――が、元親がそれより先に片手で毛利の喉元を抑えつけた。強すぎたらしい、毛利は反射的にむせかえり、ひくりと痙攣したので元親は慌てて少し力を緩めた。殺すつもりはない。
殺すより非道いことをしようとしているには違いない。
きちんと着ていたはずの単衣はすでに先ほどからの元親との格闘で乱れていて、脱がすのはわけもないことだった。薄汚れた着物の裾をさばいてみれば、可哀相に毛利は下帯すらつけておらず、きっとこれまで此処で寒かっただろうと元親はほんの少し憐み、けれど同時にぞくぞくと悦んだ。悪趣味な奴だ、俺はと自嘲する。実のところ衆道がひそかに、あるいはおおっぴらにもてはやされているというのに、元親自身は経験がなかった。野郎どもとは普通にじゃれあっているほうが気楽であり、抱くなら柔らかい女のほうがよい。そんなふうに考えてきたから、さて、これから毛利元就の体を暴こうにも実のところ本能のままにふるまうしかない。だいたい男相手に勃つものか―――そんなふうに考えて内心苦笑しながら、元親は元就の喉輪を注意深く抑えつけながら、日ごろ女を扱うようにその内腿を掌で擦った。掌に伝わる感触はごくふつうのなめらかな肌で、元親は一瞬拍子抜けした。ただ女と違うのは、柔らかさは無い・・・引きしまった筋肉の形が撫ぜているだけでわかる。骨は太く硬く、あぁやはり男の体だと元親は妙に安堵した。
ふと毛利の顔を見て、元親は驚愕し、大慌てで今まで腿をなでていた手を口に突っ込んだ。すでに血が溢れている。舌を噛み切ろうとしていたらしい、元親は呆れたが、死んでも生きてもどうでも関係ないという態度だった男が死のうとしている、とすれば、元親が今与えようとしているものは、彼にとってはやはり屈辱であり忌むべきものに間違いなかった。
元親はさっき脱がせた毛利の単衣を掴むと、それを無理やり口に突っ込んだ。それから単衣の帯で腕を後ろ手に縛る。暴れる両足を自分の足と体重で抑え込んで、ようやく元親は息をついた。
見下ろす景色はなかなかのものだと思った。睨み上げてくる視線は怒りに溢れ、それもまた元親を悦ばせた。
「―――さて、どうするか」
言いながら、元親はいきなり毛利のくたりと萎えた棹を掴んだ。うー、と声が零れて、毛利は激しく頭を振った。反応のあることが面白く、なんだ簡単なことじゃねぇかと呟いて、元親は毛利の頬に軽く噛みついた。汗の塩辛い味がする。べろり、と音をたてて舐めてやると、ぶるぶると毛利の全身が戦慄いた。そのまま首筋と肩、胸と上半身をくまなく舐めてやる。合間に手の中のモノをこれでもかと優しく擦ってやる。あんたは俺に支配されていると―――随分違う意味になっちまってる気はしなくもねぇが、と元親は苦笑した。
皮膚のあちこちに(元親の暴力のせいで)青痣が浮いており、さきほどひびが入ったかもしれないせいか、あまり上半身を動かしたがらないのだと気付いて元親はなんとなく、少しずつ自分が落ち着いてきていることを自覚した。
「あんま動くなよ。動くとあばら、痛いんだろ。」
そうは言っても、息をするだけでも痛みは起こるだろう。先ほどまでの気丈な態度は誇り持って元親と対等に、否、それ以上の目線から見下ろしていたせいだったのか。ただの強がりか。
いずれにせよ、どうやら毛利の意地は、今はすでにかなり委縮してしまっていて、元親は残念に思う反面これまでの願いがかなうとばかりに嬉しくもある。この小賢しい男を存分に啼かせてやれば、やめてくれ、助けてくれという言葉を聴けば、もっと楽しくなるだろうか。



毛利は元親がぎこちなく愛撫を加え弄ぶたびに緊張し、弛緩し、きしんで歪んで、逃れようともがいた。一方で若い本能は屈託なく元親の手に反応して―――面白いほどに強張りゆるい蜜を次々に零すので、元親はすっかり気に入って何度も何度も扱いてやる。けれど完全に射精することは許さず、そうなる前に手を止め、あるいは根元をきつく握るを繰り返す。毛利はその都度呻き、地獄の閻魔もかくやという恐ろしい眼で元親を睨む。―――元親は睨まれていることが心地よい。
どちらが上か、この場では明らかである。次第に毛利の雄の本能を制御している、そのことがたまらなく快感だった。
同時に元親は、自分自身が興奮していることも面白がっている。毛利の骨ばった、肉の薄いからだに・・・というよりは、支配する喜びに。けれど確かにうっすらとではあるが、手に零れる饐えた情欲の滴りにも興奮していることは確かだった。この執着も、愛情と言いかえればそうできないこともないのかもしれない、などと考えて、元親は低く笑った。
掌に溜まった蜜をそのまま毛利の秘所に塗りこめ、己の指を無理やりねじこむと、毛利はくぐもった悲鳴を上げ、のけぞった。元親はまた喜んだ。指をさらにふやすとめちゃくちゃにかきまわす。うー、うー、と懇願するような声が響く。此処に自分をぶちこんでやったらこの男は今度こそ自分へ頭を下げるだろうか―――
(いや、それはねぇな。そんなことで頭下げられても全然嬉しくねぇよ)
永遠に抵抗しつづければいい、と。
やがて元親は猛る己の分身を堂々と取りだす。視界に入ったのだろう、毛利は恐ろしい勢いで身を捩った。骨がきしんで、激痛が走ったのか、きつく目を閉じる。元親はその隙に毛利の中へねじ込んだ。うー、と、また声がする。何度めだろう。何度でも。何度でも聴きたい。少しずつ入り込みながら、胸元の摘みに吸いついた。歯をたてると毛利の体は震えた。じわり、肉の内側から濡れたものが染み出す。血なのか、別の液体なのか、わからない。ただ元親の脳髄は、絞られるように肉の熱さを感じてたまらず、何度も呼吸を繰り返す。
「あぁ、・・・くそっ。」
男の体だというのに締め付けられる感覚は果てもなく、女のそれとはまるで違う、殺されるかとおもうような刺激に元親はゆっくりと頭をふって衝動をやりすごそうとする。手はまだ毛利の棹を扱いていて、一瞬萎えたそれはまた徐々に硬さを増してきていた。このまま毛利だけおいてけぼりも、それはそれで楽しそうだと(虐げるのには)考えたが、どういうわけかそうする気になれない。柄にもなく(場にもそぐわないことだ)、こいつにも気持ちよくさせてやりたい、などと考えて元親は小さく笑った。
ゆっくりと動くと、先端がどこか弾いたらしい、毛利はまたうーと可愛い(そう聞こえるあたり重症だ)声をあげた。そして元親の神経は、その声で焼き切れたらしい。
気づけば無茶苦茶に動いて、―――我に返ったときは、二人して毛利の吐き出した白い飛沫にまみれていた。当然、元親の吐精したものは毛利の腹の中である。それすらも、ぞくぞくと心地よい。





荒い呼吸の下で、やがて毛利は目をあけた。
口の轡を外してやると、低い声がとぎれとぎれ、言葉を紡ぐ。耳を欹てると、謳うような、呪文。
「・・・貴様なぞ、・・・死ね。いつか。我が、殺して―――」
「おう。俺も、あんたを殺しに・・・捕まえに行ってやるぜ。何度でもな」
「・・・ふん。よくぞ言うたな。返り討ちに・・・」
「俺があんたを見て、探して、追い掛けて、捕まえるたびに、そしてたとえ殺したって。あんたが死んだって世界は終わらないぜ。だってよぅ、俺があんたを殺したことを知ってんだから。あんたを見てんだから。どうだ、毛利。ざまぁみやがれ!」
それを聴いたとき、一瞬、元親には毛利が泣きそうな顔をしたように見えた。



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部下たちからの報告と進言は、尤もなことばかりだった。
四国が中国を併合したために列強各国が元親を標的にするのはわかっていたことだ。四国だけなら戦える―――しかし、中国は元親の思った以上に広大だった。元親は自分の内政能力にも自信は持っていたが、中国にそれを浸透させるにはまだあまりに時間は足りず、そして敵は待ってくれない。
「せっかく併合したってのに、足手まといってか。くそっ」
部下の報告では、とにかく士気が上がらないらしい。かといって中国を切り捨て“捨て駒”とするのは元親のもっとも忌み嫌う行為である。
合議の末、結局元親は中国の支配権を手放すことにした。しかし新しい当主を立てても、あの広大な領土が東西から攻められれば、あっという間に瓦解することも目に見えた。今更ながら、元親は毛利元就の政治手腕に心の中で舌を巻かずにいられない。そして、これまで何度も四国を攻めると見せかけつつもはっきりと決着をつけなかった理由も。
(・・・つまり、時が来るまではあいつにあの国は任せておいたほうが無難ってか・・・四国のためにも?)
部下たちの意見も概ね元親の考えと一致している。となれば、毛利元就の返還ははやいほうがよい。
当然の意見だったが、それを聴いたとき元親はひどく慌て、渋った。部下たちが不思議そうな顔をしている。アニキはあの野郎を嫌いだからはやく追いだしたほうがいい、という者。いや嫌いだからもう少し痛めつけておいて、二度と攻めてこないように恐怖心を植え付けるべきだ、という者。
どちらも当たっておらず、そのことに元親は頭を抱えた。とりあえず、まだ毛利は完全に体調が恢復してないから、などとなにやかや理由をつけてほんの少しだけ猶予を得た。
(・・・らしくねぇな、・・・帰したくねぇなんざ)
言葉にして、驚いた。元親はゆっくりと頭を左右にふると、舌打ちをひとつ、大きな溜息をついた。
(虫が好かねぇはずだってのに)
あれから、何度も抱いている。
抱けば抱くほど、面白い。毛利元就という男の内面に深く沈んでいく気がする。ひとりがいい。自分だけでいい。何度も、抱かれながら彼は叫んで、今もそう。その都度元親は、あんたはひとりじゃねぇよ、俺があんたを追い詰めるんだから、俺があんたを啼かせて、あんたに屈辱を与えて、ほら俺が此処にいる。
そんなふうに呼びかける。
そうこうするうちに元親の“虫”は、―――“無意識”は、毛利元就を直感ではなく理性で理解してしまって、今はなりを潜めてしまった。
あの態度も、言動も、彼なりの理由があるのだとなんとなくわかってしまえば嫌うほどのものでもなく。情が移ったと言ってしまえばそれまでだが、元親はどうにも毛利元就を手放すことにためらいを隠せない。
帰して、彼はどうするだろう。また元通り―――
(・・・あぁ、そうか)
ふいに、元親は納得した。
きっと、元通りになるだろう。彼は今までどおり、四国と中国をはさむ敵国を牽制するために、淡々と。時には四国へ攻撃をかけ、時には同盟を持ち掛け、巧みに乱世を渡っていこうと画策するだろう。元親は同じようにそれを利用しつつ―――ただ、以前と違うとすれば。
元親は、すでに、毛利元就という男を“知って”いるのだった。
ずっと手元に置いておきたいと思うほどには。



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「じゃあな」
出迎えも何もなく、ぽつんと其処に立つ毛利の姿は船の上から見ているにせよ、可哀相なほどに小さく見えた。元親を見るでなく、顔を上げるでなく、自分を再び受け入れた大地に感謝するでなく。ただひたすらに茫然と視線は定まらない様子で、少しばかり元親は気がかりに、身を乗り出した。
「毛利、」
呼ぶと、ちらりと視線だけが元親を追う。最初に会った頃の射殺されるような強さは無い。
なんと言えばよいかしばし考えて、やがて元親は彼らしい温和な笑みを浮かべた。
「・・・またあんたを捕まえに来るぜ」



毛利の体が僅かに動いた。当然のように礼はなく、応えすらせず、彼は元親にくるりと背を向けると一歩、また一歩と自分の元いた場所に向かって歩き出す。振り返ることは無いだろうと知っていながら、元親はぼんやりとその背を眼で追っていた。
毛利の影が止まった。
「―――」
毛利の横顔が一瞬見えて、元親はぽかんと口を開けた。
ほんの一瞬、―――そして二度と無い。同じ歩調で歩き去る。
けれど確かにあの一重の瞼が見えたことに変わりはなく、それは何者にも捉われないはずのあの男が元親を“振り返った”という事実にほかならず。
「・・・よし、よし!」
何度でも、捕まえてやるぜ、と。呟く声にはいつもどおりの元親の穏やかさが溢れて。





その瞬間、元親は、自分が勝ったことを知ったのだった。












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毛利は重い脚を引き摺る。
この数カ月、戦場以外で初めて、生きていると実感していた自分が滑稽だった。これまでは自分がいてもいなくても毛利が在り続ければよいと―――そう仕向けてきたし、現にそう考えてきた。だから当然、誰も毛利を見ようとせず、触れようとせず。采配を振るい戦に勝ち、領内がそれなりに平和でさえあれば、当主は誰でもよいのだ。
だから恐ろしいまでに毛利は一人であった。一人で生きて、一人で死ぬ。誰にも気づかれない獣の王のような死にざまがよい。
けれど今は、もはやそれは叶わない。
毛利がどこに行こうと、何をしようと、あの鬼のひとつ眼が常に探そうとする。毛利は、毛利を自分以外が知覚することに慣れていない。いてもいなくてもよい者だったはずが、あの鬼は、自分ひとりだけを探す。毛利元就でなければその役目は出来ない。屈辱に戦慄きながら、けれどほんとうに不思議で滑稽なことに―――他者の眼があることで、毛利元就という“ひとり”が、ふわりと浮かび上がる。
自分の国に帰っていいぜと言われたとき、そのほうが四国を治めるのに都合がよいからという打算ゆえの結論だと、毛利は瞬時に理解できた。だから自分を帰すのだと。つまり元親に他意はなく、あくまでも自国の利益のためであろうと。
なのに、実際に船から一人下ろされたとき、毛利は何故だか強烈に、長會我部の顔を見たい衝動にかられた。
今あの鬼はどういう顔をしているのだろう。勝ち誇ったように?我を蔑むように?それとも興味も持たずすでに船室へ?
そして、呼ばれた。
「毛利、」
思わず向けた視線の先で、白い髪の鬼は、船縁に手をついて身を乗り出していた。
「・・・またあんたを捕まえに来るぜ」
聴こえた瞬間、毛利は踵を返した。
振り返るな、振り返るな。己を元の真っ白な、存在しないものにせよ。言い聞かせながら一歩ずつ歩いて、けれど足は自然に止まる。
「―――」
刹那だけ、振り返っていた。
ほんの一瞬だ、―――けれど確かに。歩き去る自分の矜持が音もなく崩れる・・・
「・・・長會我部、元親」
初めてその名を呼んだ。
「・・・虫の好かぬ男よ」





毛利は、自分の敗北を知った。




アニキストーリーバージョンで慣れ染め。執着したくない元就と、執着させたいアニキの話。
河合/隼雄氏のエッセーのうち「大人の/友情」(部分)より着想いただいてます。