わくらば





政宗が厩番に手早く言いつけたらしい、門を出るところで呼び止められ葦毛の馬を一頭、半ば無理やり押しつけられた。
元親はそそくさと礼を述べるとひらりと跨った。それから元就に手を差し出す。二人乗りが嫌だと贅沢も言えない。
元就はその手を見上げて、俯いてしまった。
「おい毛利、早く上がれ」
元親が、門番の視線を背中に感じて声をひそりと掛けると、元就は苛立ったように眉間にしわを寄せた。
「上がれぬ」
「・・・あ?」
「このような恰好では上がれぬ!」
それを聞いて、元親は慌てて鞍から飛び降りた。―――元就はまだ件の女の恰好だった。着替えさせればよかったと後悔したが今更詮無いことだった。元親は元就を抱きかかえると(その瞬間、殺気めいたものが元就からあふれ出てひやりとしたことだ)、横座りになるよう鞍の上にその体を置いて、自分のえんじの外套を脱ぐと元就に着せた。大きな外套はすっぽり元就を包んで隠してしまった。
元親は後ろにあらためて跨った。
じゃあな、と門番と厩番に軽く手を上げると、元親は鐙を蹴り一気に駆けた。あっという間に伊達の屋敷は遠ざかった。
荷物を置いたままの先の旅籠へ戻ると、元親の乗ってきた馬を見てあるじの態度は一変した。鞍には派手な金で領主のしるしである、竹に雀の家紋が入っていたのである。もっとよい部屋へ通しますと平身低頭するあるじに元親は少し困ったが、結局そのままおとなしく「好意」に甘えることにした。
いくつか続きの間がある奥まった離れは静かでよく眠れそうだと元親は思った。一日が長かったなぁとしみじみ呟いてひとつ大きく伸びをすると、おい毛利と元親は、部屋の隅のほうで正座している元就を明るい声で呼んだ。灯りのともった部屋の、光の届かない影に元就は隠れるようにして坐していた。
「そんなすみっこにいねぇで、あっちの部屋行こうぜ。飯の支度、してくれてあるんだってよ。あんたも疲れて腹減ったろ?」
元就は応えず、ちらと元親を見て立ち上がった。
その姿を見て、元親はまた思い出した。
「―――そうだった、まずは着替えねぇと!・・・あんたの着物は、ええと、どこにしまったっけか?」
「よい」
短い返事が聴こえて、荷物を開けようとしていた元親は振り返った。
「え?」
「べつに、このままでよい。食事も貴様と二人であろう、あとは休むだけのこと。誰に会うわけでもなし。今更構わぬ」
「・・・あぁ、いや、・・・そっか・・・まぁ、あんたがそう言うなら」
言って頷いて、けれど元親は一人決まり悪そうに顎をなでた。
(この恰好はなぁ・・・)
どうにも正視できず、困る。
元親自身が政宗たちの前でやってのけたことのせいもある。当の元就がいまだ女の恰好のままでは、一連の今日の出来事を嫌でも思い出さずにいられない。
(・・・我ながら、えらいことをぶちまけてきたもんだぜ)
しかしよくよく考えてみれば、元親の言ったあれこれは、政宗に対して言い放たれた言葉だ。
本来言うべき相手―――元就には一切なにも言わず、ただ一方的に好いた相手を目の前に、俺はこいつが好きなんだぜとダチにまくしたて、あまつさえ唇を奪い、そのままさらってきた。どう考えてもよいおとなの取る行動ではない。
(まぁ、いいさ。飯食いながら、政宗のこととか・・・俺の言ったこととか・・・話せばいい)
嘘はついちゃいねぇんだから、と元親は暢気に自分を肯定した。



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元就の不機嫌はじりじりと増すばかりである。
大勢の他人の前で元親が宣言し、やった行為は、冷静になって考えてみれば元就にはただ理解不可能のことばかりだった。
さらに困ったことに、もっと不可解なのは、事件の最中には己が心底ではその元親の行動をあまり嫌がっていない、どころか、嬉しく感じてしまっていたことだ。だから、今の不機嫌の原因はそういうふうに考える自分自身に対してなのだろうが、ではその原因をつくったのは誰かといえば、やはり長會我部元親である。
元就はだんだんわからなくなってきた。
考えることは嫌いではない、寧ろ好む。理論どおりに動くよう自分にも相手にも、望む。・・・そして元親はまったくそれに当たらない。だから元就とは合わない。よく意見は衝突し、勝手にしろと言われる。言われたとおり勝手にしていると、なんでそんなことをするんだと怒り、窘められる。けれど別に嫌ではない。・・・
(・・・わからぬことばかりよ)
元就は口の中でだいぶ長い間咀嚼していた料理を飲み下し、ひとつこっそり溜息をついた。目の前では元親ががつがつと料理を平らげていく。元就も疲れて空腹だったが、あんな事件のあった後ではさほど食べる気にもなれないというのに、元親はまったく頓着せず、ときおり、これ美味いぜ、などと上機嫌に言いながら食べ続ける。
元就は、次第に腹がたってきた。
(そもそも我がこんな恰好をしているのも、伊達に勝手に言いがかりをつけられ連れ去られたのも、大勢の面前であのような・・・恥を・・・かかされたのも、全部こやつのせいだ)
(なのになんだ。我になんの説明もなく、詫びることもせず、気を使うこともなく、まるで何事もなかったかのようではないか)
そこまで考えて、急に元就はしゅんとなった。子供の頃父に怒られたときのような気分に近い。
(・・・何事も、なかった、か?)
そうかもしれぬ。元親にとっては、あれくらいは常日頃の範疇なのかもしれない。野郎共の一人が連れ去られても、この男はああやって取り戻すのかもしれない。特別なことではないのかもしれない。むしろ伊達の行動は元就には理解できた。よく笑って、解放してくれたことよと思う。それも、いつも元親はああやって仲間を守っているから、認めたのかもしれない・・・
だとすれば、元就が思考の中で独り右往左往しているのは、ただ滑稽なことに違いない。元親はいつもどおり、当然のことを為したまで(仲間と認めたものを救うという)。それでも以前のことを思えば、元就はずっと独りだったことを思えば。大切だと思ってくれていると思えば、・・・
(しかし)
あれは、あの場から逃げるための方策だったのかもしれない、と考える。心が重くなる。
(・・・駄目だ。納得いかぬ)
元就は苛立ち、息苦しくなってきた。
元親はまだ機嫌よく食べている。けれど肝心のことはなにも言わない。
(我は、貴様の、なんだ?)
考えて、いっそ問い掛けてやろうかとして、ふいに伊達の言葉が耳元によみがえった。
“アンタは、元親にふさわしくない”
「―――」
元就は、箸を置いた。



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食事の味がよくわからないのは初めてだった。
元親は目の前に並べられた馳走を見てはじめ喜び、元就と向い合せに座った。いくつかの膳にところせましと盛られた皿を次々たいらげていく、・・・しかし空腹のはずが、味がよくわからない。
目の前では、元就がいつもどおり、ゆっくり静かに箸を口元に運び、口をとじて咀嚼する。その口元を元親は黙って見つめる。元就の視線がふと流れてくると、慌ててそらす。これ美味いな、と誤魔化すように声にだすと、元就は黙ったまま頷いて、また少し俯き加減にもぐもぐと口を動かす・・・
(・・・くそっ!なんだよこりゃァ)
元親は情けない気分になってきた。自分の腹立たしいのを紛らわすようにがつがつと食事を次々口にかきこんでいく。腹は膨れるが、しかし満たされない。
元就の視線は元親を見ないし、見たとしてもずっと、冷たい。声も。
(・・・まぁ、いきなりああいうこと言われてされた日には、呆れるだろうしな。でも俺は)
嘘は言っていない。
そう考えて、けれど元就に直接言わなければ嘘になってしまうことも元親は知っている。
政宗から逃れるためにああやって芝居をうったということにも、できるはずだった。そうすれば元就は傷つかずにすむだろうかと、そんな考えもぼんやりと浮かぶ。
かたり、と音がした。元親は視線を上げた。元就が箸を置いた音だった。
丁寧に両手を合わせ口の中で食事への感謝の挨拶を述べている、そして立ち上がりかける。無表情の面にはなんの色も浮かばず、けれど元親はどうしてか、彼が怒っているように思った。慌てて呼びとめた。
「お、おい。毛利。どこ行くんだ」
「・・・決まっておる。疲れたからもう休む」
「ま、待てよ!まだ―――」
(まだ、言ってねぇだろうが、なんにも!)
元親は焦った。元就がじろりと元親を見遣る。怒っているいないより、明らかに機嫌は悪そうだった。元親は、咄嗟に手近にあった酒瓶をひったくるように手に取ると、杯になみなみと注いで元就のほうへ差し出した。
「ま、まだ、・・・ほら、まだ飲んでねぇだろ。とりあえず、無事にあんたが戻ってこれたんだから、飲もうぜ。そのほうがあんたもきっと体もあったまって、よく眠れるって!な?」
元親は情けない思いで自分のその言葉を聞いていたが、元就はふと動きを止めた。それから、首を傾げた。
「我は、酒は飲まぬ」
「・・・え?」
「父も兄も、酒の害で早逝したゆえ呑まぬよう自分に課した」
「・・・飲んだことないとか?」
「ふむ?以前はあるやもしれぬが、我は覚えておらぬ」
「――そんな、いっぱいくらいだったら別に害にゃならねぇよ。むしろ酒は百薬の長って言うくらいだ。な、とりあえず飲めって」
元親は意地になって、酒をすすめた。ここで先に眠ってしまわれたら、きっと明日になって、そのまままた何も言えないだろう。それくらいなら、酔っ払っている元就相手だとしても、ちゃんと今日のことを説明すべきだと思った。
(それに、こいつも酒飲んだら、いつもより少しおおらかになるかも・・・)
一抹の期待も抱いて、元親は盃を差し出した。元就は考え込んでいたが、やがてそろそろと手を伸ばしてその杯を受け取り、ゆらゆらと波紋をつくる液体の面をしばらく見つめ、
―――暫し経って、こくりと一口、それを飲んだ。
一旦口をはなし、首を傾げ、ほんの少し口角を上げると、残りの液体をすべて飲み干した。
「―――おっ。あんた、イケるクチじゃねぇか」
元親は嬉しくなった。よし、じゃあ俺もと手酌しようとすると、目の前に杯がころんと投げられた。
「・・・?」
元親は、顔を上げた。元就は立ち上がっている。目元が朱に染まっていて目が彼らしくなく潤んで見える。元親はわけもなく狼狽した。
「おい、毛利?どうした?」
「―――を、」
「ん?なんだ?もっと飲みたいってか?ちょっと待てよ、俺にも飲ませろって・・・」
「命令を。我はなにをすればよい?なんなりと言うがよい。」
元親は、その言葉に飲んでいた酒を勢いよく吹き出し、激しくむせこんだ。
いつか聴いたことのある言葉だった。随分昔―――
おそるおそる顔を上げると、目の前に虚ろな目の元就の顔がこれでもかと接近している。焦って、元親は後ずさる。さらに元就は顔を近づける、・・・そして、ふいににこりと笑った。いつもの元就とまるで違う、天真爛漫で、疑いを知らない幼い笑顔だった。