All The Lazy Dykes (Morrissey/Alain Whyte)
オール・ザ・レイジー・ダイクス
みんな怠惰なダイク達
パームの店で腕組してるよ それから バイクに跨り 腕に燃えるは 藍の刺青 ある甘やかな日 感情を揺さぶるホイール音 あんたは自分に優しくなり そして、ここに来て お嬢ちゃん達に仲間入り 怠惰なダイク達は、みんな あんたの生き方を哀れんでいるよ 「誰それの女房」 唯それだけ あんたは尽くして 尽くして さらに 尽くして 尽くして ある甘やかな日 感情を揺さぶるホイール音 あんたは自分に優しくなり そして、ここに来て お嬢ちゃん達に仲間入り 私に触って ぎゅっと抱き締めて きつすぎるくらいに抱きしめて よーく私を見て そうすれば 本当の私が見えてくる そして私ときたら こんなにも生きいきと感じたのは初めて 人生で初めてのこと 人生で初めてのこと 自分自身を解放するんだ 本当の自分におなりよ パームの店に来て 自分自身を確認しなくちゃ それでようやく あんたの人生が始る ついにあんたの人生が始るんだ ついにあんたの人生が始るんだ ・dyke 女性同性愛者の俗称。通常は蔑称の意味合いがある。この詩では、それを逆手にとる意図でわざと使用しているものと思われる。この曲について、モリシー自身は以下のように解説している。 「All The Lazy Dykes」はレズビアン・コミュニティーについての歌? 「いや。これは慣習的な結婚生活を送っている女性についての歌で、僕…歌のなかの『私』が、彼女にパームへ行くよう説得している歌なんだ。パームってのは、サンタモニカ大通にあるナイトクラブのことだ」 え、じゃあ実在するクラブなんですか? 「うん、そうなんだ。常連客達が舗道に溢れ出ているんだけど、すっごく魅力的な人達なんだ。本当に、とっても、とっても力強い女性達--自分達が何者なのか、何が欲しいのか、何処から来て何処へ行くのか、ちゃんと分かっている女性達だ。心を惹きつけられるよ」 (2004年NME誌インタビューから) たとえば、いわゆる一般的に「男らしくない」とみなされる男性は、得てして「オカマ野郎」などという言葉で侮辱される。モリシー自身も、だいぶこういった言葉を頂戴してきたことだろう。それを踏まえて、この詩で「Lazy Dykes」という言葉が使われている意味を考えてみた。 世間で「女性らしい」といわれる生き方に我慢できない女達……ナイトクラブに集い、バイクに跨り、他人に盲従することを良しとせず、自身の欲しいものを欲しいと言える女達は、モリシーにとっては「本当の人生を生きている女達」なのだ。 「オカマ野郎」や「怠惰なダイク」は侮辱として投げつけられる言葉であると同時に、偏狭な世間から逸脱し、それを潔しとして生きている人間にとっての勲章でもあると思う。大多数と違う生き方をするには度胸が必要でしょ。 ついでに蛇足としてあえて書き加えると、愛する人のために尽くすことを、自分自身で選択した生き方として本気で願っているのなら、それはそれで良い生き方だと思う。要は、自身にとって本意なのかどうかが問われるべきことだから。でもまあ、なかなか思い通りに生きるってのは難しいものだよね……と、わが身を鑑みて。 ……と、ここまで書いたところで、05年12月09日付のロイターで興味深い記事を見つけました。 【サンフランシスコで活動するレズビアンの女性バイクチーム「Dykes on Bikes」という商標を獲得】。米国特許商標庁は「Dykes」が女性同性愛者を誹謗する言葉だとして申請を却下していたが、同性愛者の権利擁護組織は、現在においてはDykesに中傷的意味合いは無く、むしろ女性同性愛者のコミュニティー間では自分たちの誇りと強さを表す言葉として使われていると主張した。(要約) この記事から、かつては確かに侮蔑の言葉であったものを、逞しくも誇りに逆転させてしまった彼女たちの強さを感じる。モズもカリフォルニアに住んでいたことだし、きっとこのグループのことを知っていたかもしれない。 収録アルバム 基本的にオリジナル・アルバムのみの記載です。 アルバム未収録曲に限りベスト盤等を記載します。 ・You Are The Quarry |