ALMA MATTERS (Morrissey/Alain Whyte)
 アルマ・マターズ
そう 僕の選択は
君には奇妙に見えるのかもしれない
けれどね どっちにしろ、君の意見なんか訊いてないよ?
駄目になるのは僕の人生
僕なりに、やりたいようにやるさ

あのね 何処かの誰かにとっては
アルマ・マターズは
精神に 肉体に そして魂の中に
一片の中に そして全ての中に

何故なら 何処かの誰かにとっては
アルマ・マターズは
精神に 肉体に そして魂の中に
一片の中に そして全ての中に

そうか 僕の人生は
君には間違いに見えるのかもしれないね
けれどね 僕は決してより確信的だったことはない
崩壊するのは僕の人生
僕なりに、やりたいようにやるさ

あのね 何処かの誰かにとっては
アルマ・マターズは
精神に 肉体に そして魂の中に
一片の中に そして全ての中に

何故なら 何処かの誰かにとっては
アルマ・マターズは
精神に 肉体に そして魂の中に
一片の中に そして全ての中に

あのね 何処かの誰かにとっては
アルマ・マターズは
精神に 肉体に そして魂の中に
一片の中に そして全ての中に

何故なら 何処かの誰かにとっては
アルマ・マターズは
精神に 肉体に そして魂の中に
一片の中に そして全ての中に宿っているものだから

あのね 何処かの誰かにとっては…oh yeah
Oh yeah ...
Oh yeah, oh yeah
Oh yeah ...


・Alma matters / Alma mater
 Alma materは「母校」を指す言葉。しかしながら、モリシーが一般的な教育機関における「校歌」、つまり自分の出身校や学歴、学生時代の良き思い出について歌っているとは考え難い。また、もしそういったものについて歌っているとしたら、次の
But who asked you, anyway ?  けれどね 誰も君になんか訊いちゃいないだろ?
It's my life to wreck  駄目になるのは僕の人生
My own way  僕なりに、やりたいようにやるよ
という一節がくることは有り得ない。

 そこで考えるのは、モリシーにとって「精神や肉体の中に存在するもの」とは何であるかだ。恐らくそれは、彼の愛する音楽、映画、文学、カルチャー、そういったものだろう。いつかのインタビューで、モリシーはこう言っている。「(自分が少年期、青年期を過ごした)70年代後半は、働きもしない男に対する世間の目はずっと厳しかった。部屋に閉じこもっていたりすれば、それだけで病気と思われたものだ」。

 学校の勉強にも身が入らず、卒業した後も定職に就かずに、音楽やポップカルチャーに耽溺していたモリシーは、かなり白い目で見られたことと思う。「飯のタネにならないことばかりに夢中になって、人生を駄目にしている」そう言われていただろう。

 そこでモリシーは思う「でも僕にとっては大事なことで、僕の魂なのだ」と。他人から見れば、人生の役に立たないようなものこそが、自分の魂を形作る重要な要素であり、愛すべきものなのだと。そういう人間にとっての「心の校歌」とは、真っ当とされる人間が眉をひそめたり、生きていく上で役に立たないと切り捨てるような何かなのだ。

・Alma mater は母校やその校歌のこと
・Alma matters のAlmaはスペイン語で「魂」。「matter」は英語で「事柄、物質、物体、重要な問題となる」といった、名詞、動詞。「魂が重要なのだ」  したがって「校歌」と「アルマ(魂)は重要なことなんだ」の両方にかけている洒落。


収録アルバム
基本的にオリジナル・アルバムのみの記載です。
アルバム未収録曲に限りベスト盤等を記載します。

・Maladjusted