PICCADILLY PALARE  ピカデリー・パラレ
イカれていたのは僕 そして
イカれた僕は
そうしているのが楽しかった
僕の邪魔をするな!
棚に乗っかっていたのは僕
尻軽で、まあまあお買い得
それなりにお買い得

ピカデリー・パラレ
それは僕らが仲間内で使う
馬鹿げたスラングだった
「あらコンニチハ、まあ、アンタったら
 可愛いカオしてるじゃない
 カミガタも可愛いわぁ」

僕らが営むは古代から続く取引
その場所で僕らは人生についての
取り扱い説明書を投げ出して
嘘と当てこすりの応酬を交わした(僕のやり方だ)
だってベルト付コートの中では
おお、心の奥底では
自分が何も分かっちゃいないことを知っていた

(No, no. No, no, no. You can't get there that way. Follow me...)
(ダメ、ダメ、ダメ、ダメだよ。そっちの道じゃ行けないぜ。ほら、俺についてきな)

ピカデリー・パラレ
それは僕ら仲間内の
馬鹿げたスラングに過ぎなかった
お喋りするときに使うのさ
お前みたいな良い子ちゃんには
理解できないだろうね
絶対に!

それで、何だってアールズ・コートを
思い浮かべると微笑むのさ?
だって、今までやってきた喧嘩のことを思い浮かべると
泣いちゃうんでしょ?(負けたんだものね)
世界は明日で終わるのかもしれない
あるいは永遠に続くことだってありえる
その場合、僕にとっては絶望的
永遠に続くだなんて
その場合、僕にとっては絶望的

あら、ステキな服ね


・Off the rails
 (軌道から外れて/道を踏み外して)頭がおかしくなる

・Piccadilly Palare
 「ピカデリー・パラレ」とは、ロンドン一の繁華街だったピカデリー周辺で使われていた隠語(スラング)のこと。検証サイト等によると、その歴史は古く18世紀まで遡れるらしい。当時ピカデリーにいたゲイや男娼達が仲間内のスラングとして使い始めたのが始まりで、その後、彼らから劇場関係者(ピカデリーは演劇の中心地でもある)、旅回りの芸人、船乗り、ロマの人々へと広がっていった。言うなれば、ピカデリーの妖しい地下社会、風俗社会を象徴するものだったのだろう。

 60年代後半のBBCラジオに「Round the Horne」という番組があり、これにJulianとSandyいうゲイの役柄が登場する。多くの英国人がこのドラマをきっかけにPiccadilly Palareという言葉を知ったそうである。

【歌詞に登場するパラレ】
・Palare=chat, talk お喋り、〜語
・Bona to Vada=good to see こんにちは
・eek= face 顔
・riah=hair 髪
・drag=clothes 服、衣装

参考
http://www.chris-d.net/polari/
今でもよく使われる"camp"という言葉もピカデリー・パラレから派生したようだ。

 モリシーはこの曲について以下のコメントを残している。

「パラレというのは、劇場関係者がジプシーのスラングから借用して使っていた言葉だよ。僕は70年代に男娼が使っているのを聞いたことがある(笑)。仲間内で話す時や、人の品定めをする際に使うのさ。
 この曲はピカデリーの男娼を歌ったものだ。70年代には大きな社会問題だったんだ。"Johnny Go Home*"みたいなドキュメンタリーを知ってるかい? 当時、イングランド北部では、僕の知り合い達の多くは、こういったことに奇妙なロマンティシズムを感じていたものさ。"自由"に魅了されたんだね。長距離バスに乗ってピカデリーに行き、そこで数日過ごすなんて特別のことだった。今はソーホーも小奇麗になってしまって嫌になるけど、当時は本当にパワフルな場所だったんだ」

*Piccadilly Palareのアウト・テイク版歌詞に「No Dad, I won't be home tomorrow」という一節があるのは、このドキュメンタリーへのオマージュなのだろうか?

 ちなみに、私が一番好きな部分は最後の「It could go on forever, In which case I'm doomed」の一節。「永遠に続くことへの、うんざりした気持ち」はモリシーの歌詞にたびたび登場するテーマだ。ピカデリーの若い男娼の刹那的な生き方、厭世感と重ねられているこの一節に、「奇妙なロマンティシズム」を感じる。

収録アルバム
基本的にオリジナル・アルバムのみの記載です。
アルバム未収録曲に限りベスト盤等を記載します。

Bona Drag
Suedehead