HALF A PERSON  ハーフ・ア・パーソン
病気とでも、意気地なしとでも呼んでちょうだい
あなたを尾けまわすのに6年を費やした
何て長い6年間
あなたの痕跡を辿って

病気とでも、意気地なしとでも呼んでちょうだい
あなたを尾けまわすのに6年を費やした
人生のうち、まる6年間 あなたを追いかけて

5秒でいい 時間をくれたなら
自分の人生すべてを話してあげる
16歳で不器用で恥ずかしがりや
ロンドンに行ったの そして
Y……W・C・A(女子用宿舎)にチェックインした
「素敵なお部屋ですね 泊まらせてもらえます?
 素敵なお部屋ですね 泊まらせてもらえます?
 男の相手をできる部屋はある?」

彼女、置き去りにされてね、クサってるんだ
手紙を寄こしてきた 同じく不機嫌な調子で
彼女曰く
「どうしようもなく惨めったらしかった頃の
 アンタの方が、まだマシだったわよ」

5秒でいい 時間をくれたなら
自分の人生すべてを話してあげる
16歳で不器用で恥ずかしがりや
ロンドンに行ったの そして
Y……W・C・A(女子用宿舎)にチェックインした
「素敵なお部屋ですね 泊まらせてもらえます?
 素敵なお部屋ですね 泊まらせてもらえます?
 男の相手をできる部屋はある?」

病気とでも、意気地なしとでも呼んでちょうだい
あなたを追いかけて、本当に長い時間を費やした
長過ぎる時間を
あなたの痕跡を追いかけて

5秒でいい 時間をくれたなら
自分の人生すべてを話してあげる
16歳で不器用で恥ずかしがりや
これが私の物語
これが私の物語
これが人生……


 この詞における一番の悲しみは、自分の「人生」を語るのに5秒しかいらないという、「私」の抱える厭世観の深さにあるのではなかろうか。

 さて、The Smiths時代のモリシーは、男女それぞれの聴き手が自由に思い入れ出来るようにと、歌詞の「私」(以降ナレーターと表記)にあえて性別を持たせなかったのは知られた話しであるが(そして、それがモリシーの詞における性別観に不思議な混乱をもたらしている)、この作品はその典型例と言って良いだろう。

・YWCA (Young Women's Christian Association)
キリスト教女子青年会

 そこで、YWCAがポイントとなってくる。そう、キリスト教男子青年会ではないのだ。ここが女子用宿舎か男子用宿舎かで、この詞の意味合いが大きく違ってくるし、ナレーターの人物像がより複雑化されるポイントになっている。箇条書きで整理してみよう。

*ナレーターが片思いをしている人物「あなた」の性別は明かされていない。

*ナレーターは”I've spent six years on your trail ”と現在完了形で「あなた」を追っかけているわけで、“追いかける”という行為自体は止めたかもしれないが、片思いの気持の方は絶ち切れていないのだろう。

*歌詞2番に登場する「彼女」は”She was left behind〜彼女は置き去りにされた”と受動態で書かれている。

*ナレーターは6年間「あなた」が去った後の痕跡を追っていたわけだから、「あなた」を“left=置き去り”しては辻褄が合わない。よって「あなた」と「彼女」は別人物と設定されている筈である。

*つまり、この歌には3人の人物が登場している。「ナレーター(私)」と、「あなた(片思いの相手)」「彼女(おそらく私の友人)」。

 男子でYWCAに行って「部屋ある?」と訊いているなら相当なイカレポンチであるし、「病んでいるな〜」という感じがより強くなって、それはそれで面白い(ここら辺、モリシーは相当遊んでいると思える)。
 ご存知の通り、YMCA(男子)といえば「ハッテン場」として知られる場所で、きっとモリシーは「Y……ときたらYMCAだと思ったでしょ? でも違うんだよ、ふふ」と含み笑いしながら書いていたと想像する。

 ナレーターの性別が不明だとしても「あなた」は女性と仮定できるかもしれない。ナレーターが「あなた」の痕跡を追っていることから、以前「あなた」が泊まったことのあるYWCAと考えることもできる。

 しかし結局のところ、この詞は答えを求めるよりも「混乱した感じ」を楽しむべきなのだろう。

収録アルバム
基本的にオリジナル・アルバムのみの記載です。
アルバム未収録曲に限りベスト盤等を記載します。

The World Won't Listen
Louder Than Bombs