Pure snow
「あ」
ひらりと落ちてきた雪のひらを手に受けると、進藤は嬉しそうにぼくを振り返った。
「雪、雪」
今年は全然降らなかったのに、今日降るなんて気が利いてるよなあと、言いながら開いた掌の上には、
もう雪のひらは無くて進藤は少しばかり憮然とした顔になった。
「雪じゃないよ、風花だよ」
「なにそれ」
「雪は雪だけど、遠くの雪が風に飛ばされてきただけだからすぐ止んでしまうし、積もらないよ」
そういうと進藤の顔はさらにがっかりしたようになった。
「なんだ…ちぇっ」
「雪だるまでも作りたかった?」
「そんなガキじゃないってば」
ぼくの言葉にふてくされたように顔を反らせたけれど、もし降ってそこそこ積もったりしたら進藤は子どもたち
に混ざって作りそうだとそう思った。
「雪合戦とか、キミ…好きそうだよね」
「だーかーらー、ガキじゃねって言ってんだろ」
もうハタチだし、酒も煙草も解禁の立派なオトナですと変に威張って言うので、でも酒も煙草も感心しないなと
言ってやった。
「酒も飲み過ぎはどうかと思うし、煙草は体に悪いよ」
「別に、オレ喫ってないし」
「だからこれから先のことだよ。「オトナ」のキミが何をしてもぼくが口出しをすることは出来ないけどね、健康
を考えるならなるべく喫ってほしくないな」
せっかくそういうことになったのに、一人で残されるのは嫌だからと、顔を見ながら言うと進藤はみるみるうち
に赤くなった。
「…どうしておまえさあ、そういうこと今言うのかなあ」
「なんで?」
「おまえの親に会う時は、少しでも締まった顔してたいんだよ」
あんまりへらへらしていたら軽薄そうに見えるじゃんかと、今更なことを言っているので笑ってしまった。
「お父さんもお母さんもキミのことなら小学生の頃から知ってるじゃないか。それをいきなり取り繕っても無駄
だよ」
「えー?それでもやっぱりさあ、けじめって言うかなんていうか」
今日みたいな日には格好良くありたいからと、言って対局以外では着たことの無いスーツを進藤は自分で見
下ろした。
「やっぱ、まだ似合わない?」
「いや?」
「七五三って言われないかな」
「そんなこと無い、確かに最初はね、スーツに着られているような感じがあったけど今はとても似合ってる」
数々の対局をこなして、人間的に成長した、それがスーツを彼の体になじませたのだと思うと時の流れを感じ
ずにはいられない。
「最初の北斗杯の時は七五三みたいだったけどね」
「あ、おまえ今それを持ち出すか!」
彼にとって忘れられない負け続けた碁。でもあれで彼は飛躍的に成長したのだからぼくにとっては良い意味で
印象深いのだけれど。
「縁起悪ぃなあ、どうせなら勝った時のこと思い出してくれればいいのに」
NEC杯とかさあ、棋聖戦とかさあと、ぶつぶつと言っているので笑ってしまった。
「はいはい、悪かったよ。進藤棋聖」
「おまえは名人じゃんか」
その声音には責めるような調子があって、ああ悔しかったんだなと思う。年若く、駆け上っていくぼくたちに着い
て来られるものはまだ少なくて、最後の局面で顔を合わせるのは結局の所彼になってしまう。
「…おれたちの『夫婦喧嘩』って絶対それだろうなあ」
「タイトルの取り合い?」
「そ、絶対おれムカつくと思うし」
ぼくだって嬉しくはないねと言うと、「ほらな」と進藤は言い、初めて笑った。
「でもまあ、そーゆーんで離婚はしないようにしような」
格好悪いしと言うので、キミは以外にスタイリストなんだねと笑ってやった。
「さ、早く行こう?お父さんもお母さんも早くから起きてキミが来るのを待っているんだから」
「え…マジ?」
ああ緊張すると、ぼやくように言ってから進藤は大きく息を吸い込んでぼくに手を差し出した。
「なに?」
「おまえんちまで、手ぇつないで行こう」
「こんな昼間に?」
鈍く曇った花曇り。
昨日まで暖かかった気温は今日になって何故か冬に逆戻りしてしまった。
温もりに慣れた体には、確かに凍えるような気がするけれど。
「―人が見るよ」
「いいじゃん見られたって、おれたち隠さないでやっていこうって決めたんじゃんか」
そう言われてまだ自分は覚悟ができていなかったのだろうかと少しだけ狼狽した。
「今日から二人きりだ、おれたち」
わかってくれる人もいるけど、基本的に何があってもおれたち二人きりだぜと言って、進藤はまだためらってい
るぼくの手を自分からぎゅっと握りしめて言った。
「離すなら…まだ間に合うけど?」
問うように言われて、しっかりと握られた手を見下ろす。それから少しだけ心配そうにぼくを見つめるスーツ姿の
彼を。
「…おまえ耐えられないんだったらおれは」
いいよと言われて、何故か泣きたくなった。
「…冗談。追いかけてやっとつかまえたのに今更手放すつもりなんかないよ」
「違うだろ? おれがおまえをつかまえたんだって」
「それこそ違うよ」
ぼくはずっとキミを見てきたんだからと、そしてぎゅっと握られた手を握り返す。
「離したら許さない」
ぼくの方からは絶対にキミを離さないからと言うと、進藤は一瞬驚いたような顔になり、それから破顔という感じで
笑った。
「おっかねぇ」
でもおれも離すつもりなんかないから、これからヨロシク、一生と。そして町中だというのに、そっとぼくの頬にキス
をした。
「でもそのおっかねえとこが大好き」
「ぼくもキミの軽薄な所が好きだよ」
あ、ひでえと言うのに薄く笑ってそれから言う。
「行こうか?」
約束した時間に遅れてしまうと促した時にまた目の前を白いひらが舞った。
「風…花?」
「うん」
「これってなんだかさぁ」
舞うひらを凝りもせずに空いた手でつかまえると、進藤はぼくの前に持ってきて見せた。
一瞬で解けて消えるその白いひらはまるで儚い花びらのようにも見えて少し切なくなったのだけれど、進藤はそうは
とらなかったようで嬉しそうに言った。
「これってなんだか誰かが祝ってくれてるみたいだよな」
「誰が?」
「うーんと…碁の神様?」
吹き出しかけて、でもやめる。
「本当に、そうだったらいいな」
「絶対にそうだって」
「キミは本当に楽天的だよね」
でも少し見習った方がいいのかもしれない。何しろぼくたちは、はっきりと人と違う道を歩き出すことになるのだから。
三月十四日。
春というにはまだ不安定なこの日。正式に養子縁組をすることを決めたぼくたちは、報告と挨拶を兼ねて互いの家を
訪ねることになっていた。
※ホワイトデーです。良かった間に合って(^^;またもや変化球ですみません。ええと、これはプロキシ直前くらいかなあ。
結婚の許しは既にもらっているのだけれど、養子縁組をするかしないかというのはまだ決めていなくて、それを正式にす
ることに決めたので、その報告をしに行くという、そんな日のエピソードです。
つーか、本当に形式なんですが、法律的な手続きもあるのでその相談も兼ねているわけです。二人とも対局が多くてな
かなか休みが合わなくて、それをなんとか合わせて先に塔矢家に行き昼ご飯を食べて、その後進藤家で今度は夕食を食
べるという形です。進藤家では家の改築の相談も出ることと思います。更にこの後、アキラが引っ越すまでの間に両家での
食事会などがあるのだと思います。