After happy valentine
くれくれくれくれと、随分しつこく言って、人に用意までさせたくせに、当の本人は2月14日、 親戚の法事だとか言って出掛けてしまった。 「忘れてたんだって、ごめん」 許して、怒らないで、ああ、でもチョコは絶対食べるからムカっても捨てないで―と一体人 をなんだと思っているのだと思うくらい狼狽して、平謝りに謝るメールが携帯に届いた。 もちろんその前に駅から、焦った口調での「ごめん」という電話もかかってはきていたのだ けれど。 (怒ったからって捨てたりしないのに) 女の子で一杯の浮かれた売り場で、一体ぼくがどれほど恥ずかしい思いをして買ってきた と進藤は思っているのだろう。 それをすっぽかされたからという理由で捨てたりなんかするはずがないのに。 (そもそも、そういう用事でぼくが怒ると思っている辺りがバカだ) ぼくだってそこまで融通がきかない性格はしていない。がっかりした気持ちになったのは確 かだけれど、だからと言って法事に行くという進藤を責めたりなんかしないのに。 むしろそちらに行かなかった方がぼくは怒っただろうと思う。 (まあ…でもおもしろいから、しばらく返信しないでおこうかな) 最初、『わかった』『気をつけて』という返信を送った以来、あまりに頻繁にメールがくるのに 面倒くさくなってぼくは放置してしまったのだ。 進藤の性格からして、そういうことをすると不安になって更にたくさんメールを送ってくるとわ かっていたのだけれど、その内容が様子をうかがうようだったり、拗ねてみたり、また歯の浮 くような甘い言葉だったりするので、ついおもしろくなってしまったというのもある。 (後、どれくらいバリエーションがあるんだろう) 国語が苦手だったと変な自慢をする進藤が、言葉を尽くしてぼくの機嫌をとろうとしている。 それがなんだか可愛くて、もう少し見てみたいような気分になってしまったのだ。 (こういうのなんて言うんだっけ) 飴と鞭? (違うな) 適当な言葉が思いつかなくて、液晶画面をながめながら苦笑してしまった。 「もう…許してあげようかな」 さすがに可哀想になってきて、返信しようとボタンに指をかけた時だった。 また新しくメールが着信して、それにこんなことが書いてあったのだ。 『チョコのお礼もちゃんと用意してるから!』 (お礼?) そういうのは普通ホワイトデーにくれるものだと思うのだけれど、何やら進藤は既にぼくへの お返しを用意してあるらしい。 (なんだろう) 不思議に思いつつ、進藤のことだから、自分も楽しめるようなものに違いないと思った。 今までも折々、ぼくが読まないような漫画の本やSF小説、またはゲームの機械とソフトをく れたりしていたから。 「今度は何をくれるつもりなんだろう」 それが嬉しいか嬉しくないかは別として、進藤がぼくにくれるものは、他の誰もがぼくにくれな いような物ばかりなので次は一体何を選んでくれるのだろうかと実は密かに楽しんでいたりし た。 「バレンタインだし…遊園地のフリーパスかな?」 それだったらそれでもいい。まだ遊ぶには寒い季節だけれど、たまには二人でそういう所に行 って遊ぶのも楽しそうだと思った。 「仕方ない。許してやるか」 くすくすと笑いながらメッセージを送る。 『別に怒ってないよ。キミが何をくれるのか楽しみにしてるから』 幾らもたたないうちに『愛してる!』と返事が来て、その現金さに少し笑ってしまった。 進藤が帰ってきたのは二日後だった。 ご両親は旅行がてら近場にもう一泊してくるというのを彼だけ帰ってきたらしく、弾む息で駅か ら電話をかけてきた。 「おれ、今駅。これから行くから!」 普通に歩いて十五分ほどの道のりを走ってきたのだろうか、十分弱で、部屋のドアがノックさ れた。 「おかえ―」 ドアを開け、おかえりの「り」を言う前に、いきなり抱きしめられてしまった。 「塔矢ーただいまー。ごめんな約束すっぽかして」 おれがいなくて寂しかった?浮気しなかった?と矢継ぎ早に言いながら犬のように鼻面をぼく の髪にもぐりこませる。 「あー気持ちイイ。おまえに触りたくて二日間気ぃ狂いそうだったー」 「し、進藤っドア開けっぱなし」 「いいじゃん、こんな昼間だれも通らないって」 「それでも誰か見ていたら―」 もがくのを離すまいと抱え込んで、進藤はぼくの額にキスをした。 「シアワセ。もう禁断症状出るかと思った」 たった二日なのに大袈裟だなと思いつつ、でも嬉しくて抱き返す。 いきなりで気が付かなかったけれど、進藤はスーツ姿で、でもいつものごとく着替えを持って 行かなかったのか、少し生地がよれていた。 「…とにかく、中入って」 スーツだけでなく、よくよく見れば本人もひどく疲れている様子で、早く休ませてあげたいと思 うのになかなか離してくれない。 「進藤、もう離して。お茶でもいれるから」 「んー、ヤだ。茶なんかいいからしばらくこうしていたい」 そう言って、更にぎゅっと抱きしめてくるので、仕方なくそのまま抱かれてしまった。 「あー満足した♪」 ようやく引きはがして上着をぬがせ座らせると、進藤は上機嫌でぼくに両手を差し出してき た。 「ちょうだい」 「なに?」 「え?なにって焦らすなよぅ。くれるって言ったじゃん」 バレンタインのチョコレートだよと口を尖らせて言われて、そんなに欲しかったのかと苦笑する。 「はい、義理だよ」 そう言ってラッピングされたチョコの箱を手の上に置いたら露骨に情けない顔になった。 「違うだろ?本命だろ?」 「さあ、どうだろう。もしかしたら義理かもしれないよ」 こんなデパートで買ったようなチョコだしねと言うと、「それでもお前が本命だと思って買って くれたんなら本命だって」と進藤はぼくの顔をじっと見つめた。 「…本命だろ?」 「はいはい本命だよ」 意地悪も過ぎれば喧嘩になる。二日ぶりに会った恋人と好きこのんで争いたくはないので そう言うと、進藤はぱっと嬉しそうな顔になった。 「さんきゅ、すげー嬉しい」 すりすりと箱に頬ずりをされて、こんなに喜ぶのだったらもっと高いチョコにしてあげればよ かったと思った。 本当は母が好きな洋菓子屋が自由が丘にあって、そこの生チョコは甘いものがあまり好き ではないぼくが食べてもおいしかったので、そこで買ってこようかと思ったのだ。 でもいかにも本命という感じがしてしまって気恥ずかしく、やめてしまったのだけれど。 「なあなあ、これ開けていい?」 「どうぞ」 「食ってもいい?」 「キミにあげたものなんだから好きにしていいよ」 ブランデーのきいたトリュフをつまみあげると、進藤は嬉しそうに口に放り込み、あっという間 に食べてしまった。 「おいしい?」と尋ねる間もなく続けて二つ、三つと食べてしまうので少しばかり驚く。 「そんなに…食べて大丈夫?」 どんなにおいしいものでも、ぼくはチョコレートをそんなには一度に食べられない。 「大丈夫って言うか、マジうまい。ありがとうな!」 にこっと思い切りの笑顔を返されて、どきりとしたものの、続けて言われた言葉に思わず相手 の頭を叩いてしまった。 「いや、おれ朝から何も食ってなくて腹減ってんだわ」 一瞬でも喜んでしまった自分が情けなく、恥ずかしかった。 「なんだよう、少しでも早くおまえに会いたくて急いで帰ってきたのに」 「だったら新幹線の中でお弁当でもなんでも買えばよかったじゃないか」 「あー、ずっと寝てたから」 なんか向こうでずっと忙しかったからと進藤は言った。 「いや法事でって言うよりはこれでさ」 そう言って石を置くまねをする。 「ほんとは滅多に会えないイトコとかいてさ、そいつらと遊びたかったんだけど、プロになったの 知れ渡っちゃってるもんだから」 ずっと叔父たちの碁の相手をさせられていたのだと進藤は苦笑のように笑った。 「近所の××さんとか、行きつけの碁会所の○○さんとか、法事にかんけーねえじゃん!て人 まで呼んでくるからさあ」 でもきっと、嬉しそうに相手をしていたのだろうなと進藤の顔を見ながら思った。 「まあ…おもしろかったけどさ。さすがにツカレタ」 四個目のトリュフを口に運びながら進藤は言い、それからぼくの顔を見た。 「おまえもいつか一緒に行こうぜ」 「え?法事に?」 「違うよ、そーゆのと関係なく。どイナカだけど結構いいトコだからさ、遊びで行こう」 温泉あんだよ、温泉と言って進藤は思い出したように持っていたカバンを引っ張ってくると中 から温泉饅頭の箱を取り出してぼくに手渡した。 「おみやげー。ただの饅頭だけど、ここの結構ウマイから」 「なんだ」 少しばかりがっかりしてそれを受け取る。 「なに?」 「お礼を用意しているって言うから、つい三倍返しをね」 期待してしまったじゃないかとわざと拗ねたように言うと、進藤は慌てたように手を横に振 った。 「あ、違う違う、それ違うから。饅頭は本当に純粋におみやげ」 「じゃあ…不純なおみやげもあるんだ?」 「不純…って、おまえなんか恐いなあ。やっぱ怒ってる?」 「まさか」 バレンタインにすっぽかしをくらったくらいで怒るような心の狭い人間だとでも?と言うと、 進藤はぼくをじっと見てから「しっかり怒ってるじゃん」とぼそりとつぶやくように言った。 「ああ、ごめん、嘘だよ、別に本当に怒ってなんかいないから」 ただ、キミが何をくれるのかと楽しみにしていたからねと言うと、進藤は今度はばつが悪そ うな顔になった。 「…そんな期待されると」 なんだ、これではフリーパスではないなと思った。それでは彼がぼくにくれるものとはなんな んだろう? 進藤の方でもぼくにチョコを用意していたとかそういうことなんだろうか? 「あのさ…目ぇつぶってくれる?」 「いいけど」 「そんでもって右手出して」 なんだかものものしいなあと思いつつ、言われた通りにする。 「じゃあ、いいか?絶対目ぇあけんなよ?」 一体何を―と思った瞬間、掌の上にすっと指が触れてくすぐるように動かされた。 「なに?」 驚いて目を開けると、何故か真っ赤な顔をした進藤が「目ぇ開けちゃダメって言ったじゃん」 とぼくを怒った。 「も一回やるから絶対目ぇ開けんなよ」 何がなんだかさっぱりわからなくて、でもぎゅっと目をつぶっていたら、また掌の上で進藤の 指が触れてくる感触があった。 横に、縦に動かされる指を無意識にたどっていて唐突に気が付く。 (字を書いているんだ) 子どもが遊びでするように、掌に進藤は文字を書いているのだった。 「わかった?」 「ごめん…もう一回書いて」 今度は集中して指の動きをたどる。 「『あ』…『い』?」 『し』『て』まで言った所でかっと顔が熱くなった。 アイシテル。 進藤はぼくの掌にそう書いたのだった。 『せ』 『か』 『い』 『で』 『い』 『ち』 『ば』 『ん』 『お』 『ま』 『え』 『が』 『す』 『き』 「―わかった?」 尋ねられて黙って頷く。というかもう恥ずかしくて手を引っ込めたくてたまらないのだけれど、 進藤は何故かそうさせてくれないのだ。 「進藤…もう目を開けても―」 「まだダメ!」 そして再び指が滑り。 『え』 『い』 『え』 『ん』 『に』 『お』 『ま』 『え』 『だ』 『け』 『あ』 『い』 『し』 『て』 『る』 「と、以上、おれからのお返しでしたっ!」 照れくさいのだろう、ぶっきらぼうな口調で言って進藤はやっとぼくの手を離した。 「いいの?もう目を開けても」 「うん」 自分で自分が真っ赤になっているのがわかる。 そんな顔を見られるのが恥ずかしくてうつむくと、進藤が心配そうな声で言った。 「やっぱ…がっかりした?」 「あ…いや、そんなことは」 「くっだらねーとか思ってる?」 「まさか!」 その逆だ、嬉しくて、嬉しくて、どうしようかと思うくらい嬉しかった。 「ごめん、ホワイトデーにはちゃんと三倍にして返すからっ」 ぼくがうつむいたままなのを逆にとって、進藤は気まずそうな声で言った。 「そうだよな、ガキじゃあるまいし、こんなの嬉かないよな」 怒んないでと言って、進藤が様子を伺うようにぼくの方に顔を寄せてきた。 「…ね、塔矢」 「手を貸して」 「え?」 「キミの右手…貸して」 それでもやっぱり顔を上げることができなくて、傍らに来た進藤にぼくはそう言った。 「なんで?」 「いいから、キミの右手をこちらに」 おずおずと差し出されてきた手を掴むと、ぼくはすっと息を吸い込んでうつむいたまま 進藤の掌に指を走らせた。 『ぼ』 『く』 『も』 ぼくもキミのことを永遠に愛してる―。 死ぬほど恥ずかしかったけれどそう書いたら、いきなりぎゅっと手を握り返されてしま った。 「進藤?」 痛いほど掴まれて顔を上げると、熟れたように真っ赤な顔をした進藤と目があった。 「ご…」 「ご?」 「五百倍くらいにして返さないといけないかも」 そう言って進藤は握ったぼくの手にそっと唇を押し当てた。 「なんつーの?海老で鯛? いや、最初に鯛もらってそれに海老返したらまた鯛もらっ たみたいな」 言って自分でも何が言いたいのかわからなくなってしまったらしい、「ごめん」と進藤は 言ってから、もう一度ちゅとぼくの手にキスをした。 「とにかく、そんくらい嬉しいってこと!」 ちゅ、ちゅと優しいキスが腕を上がってくる。 「そんなの…」 ぼくの方がもっともっと嬉しかったよと、でもそれを言う前にキスで口を塞がれてしまった。 「ほんと、ホワイトデーにはもっとちゃんとしたもんで返すから」 だから今はこれでユルシテと、言って深く合わせてられた唇には微かにチョコの味が残 っていて微笑んでしまう。 (五百倍にして返さないといけないのはぼくの方なのに) デパートのチョコなんかで、この世で一番嬉しいものをもらってしまったのだから。 「とりあえず、じゃあ…キミの体で返してもらおうかな」 冗談めかしてそう言うと、進藤はひどく驚いた顔をして、でもすぐに嬉しそうに笑った。 「えっちだなあ」 「ぼくは碁のことを言ったんだよ!」 「えー?違うだろ。だってさ」 こっち結構カタクなってるしと、言って進藤はそっとぼくの足の間に手を滑り込ませた。 「おれ、えっちなおまえもすげえ好き」 にこにこと笑われて怒鳴るのをやめた。 二日遅れではあるものの、一応バレンタインであるのだし。 バレンタインは恋人同士の愛情を確かめる日であるということだし。 だったらこのまま流されてやってもいい。 碁でもキミの体でも、どちらも五百倍ではきかないくらい、ぼくにとっては幸せでたまら なくなるくらい大好きなものだから。 「…ケダモノだ」 でも、そんなケダモノなキミも好きだよと、そう囁くと、進藤は更に赤い顔を赤く染めて 「もっと好きにさせてやる」と笑いながら言ったのだった。 |