嘘つきな唇



進藤の携帯が鳴った瞬間、嫌な予感がした。

案の定、「ちょっとごめん」と道の端に寄って話し始めた進藤は、話が終わり電話を切ると
ため息をついてぼくの方を振り返った。



「ごめん、塔矢。今日行けなくなった」
「どうして?」
「んー…なんかあかりが相談があるって言って来てさ」



久しぶりに待ち合わせてこれからぼくの家で打つはずだったのに、行けなくなってしまったと
申し訳なさそうに手を合わせる。



「おまえと約束してるからって言ったのに、どうしても来てってきかなくて」


だからごめん、本当にごめんと、この埋め合わせは絶対にするから今回は勘弁してと、彼が
心から悪いと思っているのはその顔にはっきりと出ていたのでぼくも嫌だと言うことは出来な
かった。



「…いいよ、そういうことなら仕方ないし」

本当はいいなんてちっとも思っていないのに、心とは裏腹に表情は笑顔を作り、口は言葉を
紡ぎ出していた。



「早く行ってあげた方がいいよ、ぼくは大丈夫だから」
「そうか? でもごめんな。この次は一晩中でも付き合うからっ!」



謝って、いいと言うのにまた更に謝ってから進藤はぼくにくるりと背を向けた。


「またな。後で連絡するから」
「うん。気をつけて―」



百点満点。

彼に対してみっともない振る舞いをしないで済んだとほっとため息をついたのに、何故かぼく
の手はぼくの心とは反対の動きをしてしまった。



「えっ?」


つんと引かれる服の裾に進藤が驚いたようにぼくを見た。


「何?」
「え?…………あっ………こ、これは………」



聞き分けよく彼を送り出したはずのぼくの右手は何故かしっかりと彼の服の裾を握りしめて
いたのだ。



「何?塔矢」
「な、なんでも無い。気をつけてって、ただそれだけだったんだけど…」
「そうか? ならいいけど」



腑に落ちないような顔をして、それでもまた踵を返して行きかける彼の服の裾をぼくの手は
どうしても離せずにいた。



「って……なんだよおまえ」


またつんのめるようにして歩みを止められた進藤は、ふざけるなよと少しばかり怒ったよう
な顔で振り返った。



「らしくないぞ、なんでこんなことすんだよ」


おまえ本当はおれになんか言いたいことがあるんじゃないのかとじっと正面から睨みつけら
れて思わず怒鳴り返していた。



「そんなことは無い! 別にキミに言いたいことなんか一つも無いっ!」
「だったら離せよ」



行けないじゃんと進藤に言われてもぼくの指は解けなかった。


「なあ、おまえ……なんか…………」


今日は変じゃねえ? と今度は心配そうに見つめられて顔が赤く染まった。


「だって手が…」
「ん?」


「だって手が勝手に…」
「って、その手を動かしてんのはおまえだろ」


「そんなこと無い。だってぼくはキミに何も言うことなんて………」
「だったら手、離せるはずだろ。離してみろよ」



言われても彼の服を掴んだ指は一本も動かすことが出来なかったのだった。



「ごめん……こんなつもりじゃなかったのに」
「こんなつもりって…」



やっぱりおまえマジでなんかおれに言いたいことあるんじゃねーのと、顔を近づけられてぼ
くは思わず顔を背けた。



「あんだろ? 言ってみろよ」


迫る彼のズボンのポケットで唐突に携帯が鳴る。

早く来いと急かしているかのような着メロに、気がつけばぼくの指は益々強く彼の服を握り
しめていた。



「なあ、塔矢…言ってみろって」



早く来てよ ヒカル 何してるの? 早く来て。


いつまでも鳴りやまない着メロはそう聞こえて、ぼくはぎゅっと唇を噛んだ。


「………から」
「え?」



蚊の鳴くような小さなぼくの声に、さすがに周囲を気にしてか、携帯を取ろうとしていた進藤
の手が止った。



「………今日は……から……」
「何? もう一度言って」



携帯を鳴りっぱなしにしたまま放置して、進藤はぼくを痛い程じっと見つめた。


「今言ったこと、よく聞こえなかったからもう一度言って」


言いかけたからにはちゃんと聞こえるように言わないと許さないという雰囲気がひしひしと伝
わって来て、ぼくはとうとう観念して言った。



「今日は……ぼくの誕生日……だから」

誕生日くらいはキミと一緒に過ごしたかったのだと、それは絶対に言わないと心に決めて
いた言葉だった。


「なんで…? おれ…?」
「誕生日くらい我が儘を言ったっていいだろう」


ぼくだって誕生日くらいは好きな人と過ごしたいと、そう言った瞬間、進藤は驚いたように
目を見開いてそれから一言「バカ」と言った。


「ごめん………」

こんなどさくさ紛れに言われても困るよねと、それに更に「バカ」と彼は言うと、大きく一つ
息を吸い込み、それからまだ鳴り続けていた携帯をポケットから抜き出すとボタンを押し
て、相手と一言二言会話してからあっさりと切ってしまった。




「行くぞ、ほらっ」


くるりと振り返り、ぼくに手を差し伸べる進藤に、わけがわからずきょとんと突っ立っている
と、再び「バカ」と言われてしまった。



「おまえんち行こうって言ってんだよバカっ」


それでもってその前にケーキと、なんかゴーカな食い物たくさん買って行こうぜと、そこまで
言われてもまだぼくは状況がわからずにいた。



「え………? 彼女の所に行くんじゃ?」
「行くわけないだろっ! す……好きなヤツに好きって言って貰えたのに、それを放ってお
いて別のヤツの所に行くなんて有り得ないっつーの!」



おまえ本当にバカなんじゃないかと、こんなに人にバカを連呼されたのは初めてだったかも
しれない。



「だって…キミは彼女のことを大切にしているじゃないか。こんなふうに土壇場で呼び出され
て行くことは今までもあったし」


「それはおまえの気持ち知らなかったから! おまえがおれのことそんなふうに思ってくれて
いるなんて全然知らなかったし、それにもしおまえの気持ち知らなかったとしても誕生日だっ
て知ってたらあかりの用なんか最初から断ってたって!」


あかりじゃなくても、他の誰でもどんな大事な用事で呼び出されてもおれは断ったよと一気に
怒鳴るように言われてようやく頭が追いついた。



「それは……つまり…今日はぼくと過ごしてくれるということ?」
「遅ぇよ!」


「そして他の誰の用事があっても、ぼくの誕生日の方を優先してくれるんだ?」
「そうだよ!」


「それで……キミはもしかしたら…キミも…」

ぼくのことを好きなんだろうかとまだ信じられない気持ちで呟くように言ったら、今までで一
番大きな声で怒鳴られてしまった。


「そうだよ、バカっ!」

おれにとってはおまえがいつだって最優先事項なんだよっ! と、一気に言われて、進藤
の顔が真っ赤に染まっているのに気がついてゆっくりとぼくの頬も赤く染まっていった。



「あ……ありがとう」


もっと気の利いたことの一つでも言えれば良かったのだけれど、ぼくにはそう言うのが精
一杯だった。


言わないつもりだった我が儘を言って、絶対に呆れられるか嫌われるかと思ったのに、奇
跡のように彼はぼくに自分もぼくが好きだと言ってくれたのだ。


「嬉しい…本当に」

夢みたいだと言ったら進藤は更に赤い顔になって、でも口調はぞんざいに怒鳴った。


「反省しろ!」


おまえがそうやって、言いたいことをちっともおれに言ってくれないから、もう少しでおまえの
誕生日を祝い損ねるところだったんだからなと、照れ臭さもあるのだろう、怒鳴り続ける進
藤を見ていたら幸せな気持ちが胸元まで持ち上がって来た。


「ケ、ケーキはキミの好きなものでいいよ」
「おまえの誕生日だろ? おまえの好きなヤツにしろよバカっ!」


バカバカバカバカと、いつもだったら腹が立って仕方が無い、こんな汚い言葉が嬉しい。


ぼくはぼくのことを罵り続ける彼の服を今だしっかりと掴みながら、早足の彼に引きずられ
るようにして、幸福な誕生日を過ごすためにぼくの家に向かったのだった。






※いつもはあっさり行かせてしまっていたアキラですが、さすがに自分の誕生日には
心穏やかに見送ることは出来なかったと、そういう話です。ちなみにまだ十代で互いの誕生日も知らなかった頃です。
知りたいけどわざわざ聞けないしなあという。


もちろん互いの気持ちを確認したのもこのどさくさです。

でもまだ子どもなのでちゅー止まりだと思います。
2007.12.14 しょうこ



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