進藤ヒカル誕生祭3参加作品
これ以上は無い程に
「誕生日おめでとう」 そう言って手渡してくれたプレゼントの包みの三つの内、二つは開けさせてくれたのに最後 の一つを塔矢は開けさせてくれなかった。 「なんで? 別にいいじゃん」 「ダメだ。これだけは絶対に家に帰ってから開けてくれ」 そうでなければさせないぞと最後の切り札を出されて、おれは渋々最後の包みを紙袋に戻 した。 一つはスゥオッチ、一つはシステム手帳、どれも一緒に出かけた時におれが欲しいなとちら りと言ったものでよく覚えていたものだと感心してしまう。 「結構高かったんじゃないのか? 一つだけで良かったのに」 おまえがくれるんだったら飴の一個でもおれは嬉しいんだからさと、三つも貰ってしまった嬉 しさに素直に喜びつつも少しばかり申し訳なく言う。 「決められなかったんだ。最初はどちらか一つと思ったんだけど、どうしてもその二つで決め られなくて」 それで両方買ったんだよと、照れ臭そうに言う塔矢の言葉におれは少しだけ引っかかった。 『どちらか一つに決められなくて両方買った』 …と言うことは残りの一つは買ったものでは無いことになる。 他の二つとは違い、明らかに大きいその紙袋は手触りの柔らかさから衣類かなと思っていて 、でも買ったものでは無いというなら塔矢が作ったということになってしまう。 (いや、まさか) いくら器用でもそんなことまでするとは思えない。どこか古着屋でおれに似合いそうなシャツで も買ったんだろうなと、それもらしくは無いと思いつつ無理矢理納得させようとした。 「今日はゆっくり出来るんだろ」 「うん、そのつもりで前々から予定を開けておいたし」 今日はキミの気が済むまで付き合うからと、言いながらワインで乾杯をした。 少し前、雑誌の取材で訪れたこのイタリア料理店は、内装も雰囲気も良くワインも料理も美味 かった。 だから本当はこいつの誕生日にでも連れて来てやろうと思っていたのだが、それまで待てずに 自分の誕生日に来てしまった。 「猪肉のソーセージ美味しいね」 「こっちのアスパラの炭火焼きも美味いよ」 前菜をつつきながら最近の棋戦の話や、囲碁とは関係無い知人の話などをとりとめなくする。 食べた後はおれの家に来て、そのまま泊まって行くことになっているので、塔矢もおれも時間を 気にすること無くのんびりと食事を楽しんだ。 「あ、ごめん」 塔矢がそう言って席を立ったのはデザートを食べ終え、コーヒーを飲んでいる時だった。 マナーモードにしていた携帯が震えたらしく、塔矢は胸元を押さえて慌てたように店の外に出て 行った。 すぐに戻って来るかと思ったのに話が混み合っているのか塔矢はなかなか戻って来なくて、手 持ち無沙汰になったおれは暇つぶしに貰ったプレゼントをコーヒーを飲みつつもう一度開けて 眺めていた。 「結構高かったよな、これ」 スウォッチを腕にはめてみたりしながらふと紙袋を見たおれは、開けていない最後の包みに目 を留めた。 (今ならあいつ居ないし) ちょっと覗くぐらいいいだろうと取り出して、そっと袋を開けた。 「………………え?」 中に入っていたのはざっくりとしたオフホワイトの毛糸のマフラーで、網目が少しだけ不揃いだ った。 「なんでマフラーなんか……」 クリスマスプレゼントやバレンタインにくれるのならまだわかる。けれど今はまだ9月で、季節的 には秋になるとはいえ、時に真夏のように暑い日もある。 そんな時にマフラーをくれるなんて塔矢らしく無いと思ったのだ。 「あいつ…いつもその時期にぴったりなモノくれるもんなあ」 それなのになんで今日はマフラーをくれたのだろうかと、つい引きずり出して見てみたら片方の 端に自分のイニシャルが編み込まれているのに気がついた。 「これ…もしかして」 手編みだと思った瞬間に思い出したことがあった。 一年前、やはり誕生日に会った時、これからの季節にちょうど良い秋物のジャケットを塔矢はく れた。 それはおれに似合う色で貰ってすごく嬉しかったのだけれど、酔っていたおれはついいらんこと を言ってしまったのだ。 「おれ、一度手作りのモノ貰ってみたいなあ…」 「手作り?」 「そ。手編みのマフラーとか手袋とかさ」 そういうのって付き合い始めの定番じゃんと、でももちろん塔矢に編んで欲しいと本気で思った わけではなかった。 「付き合い始めって…ぼくとキミ、何年の付き合いだと思っているんだ」 「わかってるけどさ、おれそういうの誰からも一度も貰ったこと無いから憧れていて」 「悪いけど、ぼくは女性では無いしそういうことを望まれても困る」 非道く不機嫌な顔をされてしまったので慌ててその場を取り繕ったのだけれど、どうやら塔矢は それをしっかり覚えていて叶えてくれようとしたようなのだ。 (あいつ器用なのに) それでもかなり苦労したのだろう、不揃いな網目を指で辿っていたら胸の奥が熱くなった。 互いに手合いもあり、それ以外に取材や個人的な仕事もある。遠方に行くこともよくあるし、自分 の時間などほとんど無いに等しい時期だってある。 囲碁の勉強もしなければならないというのにその時間を削って塔矢はこれを編んでくれたのだ と。 (酔っぱらいの我が儘な戯れ言だったのに) そっと首に巻いてみる。 冷房のよく効いた店の中でもそれはまだ少し暑すぎた。けれどその温かさがそのまま塔矢の愛 情のように思えておれは嬉しくてたまらなかった。 「進藤お待たせ―」 戻って来た塔矢はおれを見て一瞬絶句して、それから真っ赤に顔を染めてくってかかった。 「見るなって言ったじゃないか!」 「んー、でもおれが貰ったもんだし」 「見たらさせないって言っただろう」 「でもこの後おれんち行くしさ」 やらないって言っても結局やることになると思うしと、それよりもそんなこと大声で言わない方が いいぜと言ったら塔矢は真っ赤な顔のままぐっと言葉に詰まってしまった。 「おまえ用事は済んだん?」 「うん…」 「別に急な用事とかじゃないん?」 「ああ、それは…。昨日渡した『週間碁』の原稿の文字の確認だったから」 だから別に大丈夫だよと言うのににっこりと笑う。 「そうか、じゃあもう店出てさ、おれんち行かない?」 「…まだコーヒーを飲んでいない」 「もう冷めちゃってるし、家でおれが煎れてやるから」 だから改めてゆっくり飲まないかと、そこで文句もちゃんと聞くからと言うおれの言葉に塔矢は 渋々頷いた。 「わかった…でも約束を破ったんだからさせないぞ」 「いいよ、それでも」 もう十二分にシアワセだからと、伝票を持って席を立つおれに塔矢がぎょっとしたように言った。 「そのままで帰るつもりか?」 「ん、せっかく貰ったもんだから。まあちょっと季節はずれの服装だけどな」 それでも絶対外さないからと、おれの言葉に塔矢は再び顔を赤くして怒鳴りつけようと口を開 いた。 「させてくれるなら外してもいいけど」 「え?」 「家に帰ってコーヒー飲んで、じっくりおまえの文句を聞くから。その後でヤラせて?」 そうしたらこのマフラー惜しいけど外して帰ってもいいと、我ながら非道い取り引きだと思う。 「卑怯な…」 案の定渋い顔をした塔矢は長い間テーブルの向こうからおれのことを睨んでいたけれど、終 いに観念したように「…いいよ」とつぶやくように言ったので、おれは機嫌よくマフラーを外して 他のプレゼントと一緒に紙袋に仕舞うとテーブルの向こうに回り、これ以上無い程不機嫌な 顔の塔矢の手をこれ以上無い程幸せな気持ちでそっと握りしめたのだった。 |