HAPPY BIRTHDAY HIKARUKUN!
その日の手合いは長野であって、帰れるか帰れないかギリギリまでわからなかった。 だから予約の類をすることも出来ず、でも帰れるとわかってどうしても買って帰りたくなっ た。 『え? いいよ、ケーキなんかいらない』 おまえが帰ってくるならそれだけでいいからと、相変わらず自分がされる側だと欲のないヒ カルはアキラの電話にあっさりと言った。 「でも、せっかくの誕生日なのに…じゃあ帰ったら何か食べに行こうか?」 食べるというよりは時間的に「飲みに行く」になってしまうだろうがそれでも少しは『祝う』とい う雰囲気にはなる。 「いいよ、おまえ疲れてんのに飲みになんか行ったら明日死ぬぞ。それにさっきカップラー メン食ったから腹は一杯なんだ」 「…カップラーメン? 今日は誰にも誘われ無かったのか?」 二人の時には必ずそれらしいことはする。 でもどうしても都合がつかず一人で部屋で過ごすような時には、ヒカルは大抵友人達に誕 生祝いだと飲みに連れて行かれるのが常だったので今日もてっきり誰かに誘われて軽く 飲みに行くぐらいはしたと思っていたのに、話を聞く限りではそれは無かったようだった。 「ごめん…もしかしてぼくのことを待っていてくれたんだ?」 『待ってなんかいないよ。ただ…』 ただもしかしたらおまえ帰って来るかもしれないなと思ってと、対局が終わった時間で予想 したらしいヒカルは誘いの声を断ったらしい。 「だったらやっぱり待っていてくれたんじゃないか。ごめん」 この世で一番大切な恋人。 その恋人の誕生日に仕事で留守をしてしまったのが痛恨ならば、帰れるのにそれが誕生 日ギリギリの遅い時間で何も出来ないというのがまた悔しい。 「だったらやっぱりケーキを買って帰るよ。ラーメンだけじゃお腹も空くだろうし」 『いいって、本当に。それにおまえが帰って来る頃は店なんかみんな閉まってるんじゃねえ ?』 だから何も買わなくていいからその分早く帰って来てくれと、甘くねだるように言われて、ア キラは嬉しかったけれど、却って絶対に何か買って帰りたくなってしまったのだった。 (絶対に誕生祝いのケーキを買おう) そしてローソクを灯して「おめでとう」と言うのだと、あまりのヒカルの無欲さに逆にアキラは燃 えてしまったのだった。 アキラは甘いものがあまり好きで無かったけれど、ヒカルは呑兵衛なくせに甘いものもよく食 べる。 洋菓子もかなり好きで、アキラの誕生日には吟味して美味しいと評判の店で予約して買って 来てくれるくらいだ。 出来るならアキラもそういう店で買いたかったけれど、時間的にそれは無理だった。 駅に着く時間にはヒカルが言う通り、店じまいが始まるような時間で、そんな時間に更に自由 が丘や銀座などにまで足を伸ばしても店が開いているはずが無い。 (でも駅の近くだったら一軒くらいまだ開いている店があるかも…) 飲んだ父親が子どもに土産に買うように、全国チェーンの洋菓子店くらいなら開いている所が あるかもしれないと、一縷の望みをかけて降り立った駅前でアキラは自分が甘かったことを思 い知った。 「…開いて無い」 洋菓子店どころか、見渡す限り店という店は閉まってしまっていて、辛うじて開いているのは コンビニくらいだったのだ。 (いっそコンビニでも…) 思いかけて首を横に振る。 「いや、ダメだ。せっかくの誕生日にコンビニのケーキなんて」 コンビニのケーキが不味いというわけでは無い。でも少なくともホールでケーキを売ってい ないのは確かだった。 カットされたショートケーキではロウソクを灯すことも出来ないし、あまりにわびしすぎるでは ないか。 (後もう少し、もう一つ先の道まで歩いて探しても無かったら帰ろう) ため息をつきつつ歩き出したアキラは、道の先にぽつりとまだ開いている店を見つけた。 しかも運が良いことにそれは探し求めた洋菓子店だったのである。 「良かった!」 裏道の繁盛していなさそうな小さな洋菓子店だったけれど、それでもアキラはケーキを買 えるという嬉しさに飛び込むように店に入った。 「いらっしゃいませ」 仕舞い仕度をしていたらしい店主がカウンターの後ろから驚いたように顔を覗かせる。 「すみません、誕生日のケーキが欲しいんですが…」 「ああ、はい。ちょうど一つ残ってますよ」 今日は祝い事が多かったのかデコレーションケーキが良く出て、たった一つだけしか残ら なかったと。 チョコレートケーキですがよろしいですかと尋ねられて、ヒカルのチョコ好きを良く知ってい るアキラは間髪入れずに返事をしていた。 「はい、それでお願いします」 「お名前をお入れしますか?」 「それじゃ『ヒカル』で…」 カタカナにした方がいいか、それともローマ字でHIKARUにした方がいいかと一瞬アキラが 迷っていると店主が再び顔を覗かせた。 「『ちゃん』にしますか? 『くん』にしますか?」 「は?」 言われている意味がわからなくてきょとんとしていると、店主はアキラに見えるようにケー キをカウンターの上に置いて見せてくれた。 「ここにお名前をお入れするんですがね、『ヒカルちゃん』にしますか? それとも『ヒカルく ん』にしますか?」 この頃、女の子さんも男の子さんも区別がつかない名前が多いので念のためと言われて アキラはしばし絶句してしまった。 「これは…」 目の前にどんと置かれた丸形の大きなチョコレートケーキ。 そのケーキにはあろうことかホワイトチョコとクリームで大きく、あの有名なネズミのキャラ クターが描かれていたのだ。 名前を入れると言われたプレートにも可愛らしく他のキャラクターが踊っていて、アキラは 頭の中が真っ白になってしまった。 「あの…ええと……」 チョコレートケーキと言われてアキラが想像したのは、洋酒の利いた、デコレーションもシ ンプルな上品な大人のケーキだった。 けれど目の前のこれはどう見ても小さな子ども向けで…。 (どうしよう) 今更いらないとは言えない雰囲気だった。 店主はもう名前を入れる気満々でじっとアキラを見つめているし、何よりたぶんこの店で 買わなければきっと今日中にケーキを買うことは出来ないだろう。 (でも、いくらなんでもこのケーキじゃ…) 「お客さん?」 (でも、でも………どうしても今日進藤にケーキを買って帰りたい!) 「あ、もしかして弟さん…妹さんかな? ミッキーはお嫌いでしたか?」 「いいえ」 このネズミのいるテーマパークにヒカルは何度も行っている。少なくとも嫌いでは無いだ ろう。 「そうですか、じゃあ問題ありませんね?」 確認するように言われてアキラはゆっくりと頷いた。 「で、どっちにします?『ちゃん』か『くん』か」 「『ヒカルくん』にしてください…」 目を閉じて軽く息を吸ってからアキラは観念したようにそう言った。 「はいっ! ローソクは何本おつけしますか?」 「にじゅ……いえ、三本つけてください」 名前が『ヒカルくん』なのに22本もローソクを貰うことは出来ない。 「小さいのを2本と、大きいのを1本…」 「はい。ということは十二歳ですね。可愛いでしょうねぇ」 「はあ…まあ」 本当は逆なんだ。本当は逆にしたかったんだと心の中で叫びながら、アキラは顔では にっこりと笑顔をつくった。 「はい、お待たせしましたー」 数分後、アキラは綺麗にリボンをかけられたケーキの箱を手にした。 「サービスでイルカのクッキーもつけておきましたから」 弟さんにあげてくださいねと店主の中ではもう完全にケーキはアキラの居もしない弟の ためとなっているようだった。 「…ありがとうございます、きっと喜ぶと思います……」 念願の…念願のヒカルの誕生日のケーキだった。でも、気分はずっしりと重い。 「…どうしよう」 やはりこんなケーキならば買わない方がマシだったのではないか、いや、それでも無い よりはマシだと、家に着くまでの間、散々アキラは自分の中でせめぎ合ってしまった。 「…ただいま」 「おかえりっ、おまえ言っていたより遅かったじゃんか」 鍵を開けるよりも早く、足音でドアを開けたヒカルは問いつめるようにアキラを見た。 「ちょっと…寄り道をしていたから」 「寄り道?」 不審そうなヒカルの目が不自然に後ろに回したアキラの手に止る。 「あ、なんだ。いらないって言ったのにおまえケーキ買って来てくれたんだ!」 「う……うん」 「いいのに、そんな無理しなくっても」 けれど、いらないと言っている割にはヒカルの顔は嬉しそうだった。 電話ではああ言っていたけれど、やはりヒカルはアキラが何もしないわけは無いと 期待していたのだろう。 (良かった、買ってきて) そう思ったものの、でもアキラには箱の中のケーキを見せる覚悟がまだ出来てい なかった。 「なに? どんなん?」 おまえが買って来るんだからあんまり甘く無いヤツかなあとわくわくとした口調で言 われてアキラは冷や汗が流れるのを感じた。 「…ご」 「ご?」 「ごめん、進藤。買って来ることは……来たんだけど、実はこれ、帰って来る途中 で落としてしまったんだ」 「えー?」 「きっとぐしゃぐしゃになっていると思う。だからこれは捨てて明日また別なのを買 ってくるよ」 「いいよ、そんなのおれ気にしないよ。どんなに崩れてたってケーキの味が変るわ けじゃないし」 折角おまえが買って来てくれたんだもん、どんなに崩れていたっておれにはそれ が世界で一番美味いケーキだと、気を遣ってくれているのがわかって、アキラは 更に汗が噴き出すのを感じた。 「いや、でも折角の誕生祝いなんだから!」 「いいって言ってんじゃん。おれの誕生祝いなんだから言うこと聞けよ」 とにかく落ちてぐしゃぐしゃでもなんでもおれは今おまえが持っているそのケーキ が食べたいんだ!と、きっぱりと言い切られてしまってアキラは何も癒えなくなっ た。 「どうしても……食べたい?」 「うん、絶対それが食いたい」 それを食わせてくれないんだったら別なの買って来ても一口も食わないからなと、 それが自分への愛情から出ている言葉だとわかっているだけにアキラは嬉しく 思いつつも泣きたくなってしまった。 「そうか……はは……キミがそこまで言うなら…」 どうぞ見てくれと、アキラは半ばやけくそでケーキの箱をヒカルに手渡した。 「わーい、さんきゅーっv」 ケーキの箱を受け取ったヒカルはそのまま子犬のように弾んだ足取りでリビングに 向かった。 ケーキ♪ケーキ♪と大喜びでリボンを解いている気配にアキラは思わずその場に しゃがみ込むと耳を塞いだ。 がっかりするヒカルの声を聞きたく無かったからだ。 (………終わりだ) きっとヒカルはケーキを見てがっかりしたことだろう。いくらヒカルがねずみの国が大 好きでも21歳の誕生日にあのケーキは無いと思ったに違い無い。 『たんじょうびおめでとう ヒカルくん』 手渡したケーキの真ん中、ネズミの顔の真下にはそんな文字がチョコレートで入れ られていたからだ。 (やっぱり買わなければ良かった) アキラの心が後悔で塗りつぶされかかった時だった、「塔矢、塔矢っ」、戻って来た ヒカルがアキラの肩を揺さぶり、耳を塞いでいた両手を掴んで離した。 「あのケーキ、すごいな」 「ごめん…期待させてしまって…」 来年はもっとちゃんとしたケーキをあげるからと、もごもごと口の中で呟くのを遮ら れる。 「なんで? すごく嬉しかったってば!」 振り返ったアキラは一瞬自分の耳を疑ってしまった。 「あんなケーキ…なのに?」 「だってあんなの、この年で貰うことなんか絶対無いじゃん!」 おれガキの時だってあんな可愛らしいケーキ貰ったこと無かったと、それは良い 方に解釈すれば良いのか悪い方に解釈すれば良いのかアキラにはわからなか った。 「『ヒカルくん』…なのに?」 「それが一番良かったんじゃん!」 キラキラと嬉しそうにヒカルが言う。 「おまえがどんな顔してアレ頼んだのかと思ったらもう可笑しくて可愛くてさー」 想像しただけでおれメシ三杯食えるかも! と言われてアキラは思わずヒカルをひ っぱたきたくなってしまった。 「21歳のオトコの誕生祝いだなんて言えいよな、アレじゃ。きっとおまえのことだか らすげー葛藤して、すげー悩んで恥ずかしい思いをしながら買って来てくれたんだ よな」 まるで買う所を見ていたかのように、にやにやと笑いながら頷いている。 「もう想像しただけで勃ちそう! これってある種の痴情プレイだよな!」 すごく萌えたからと言われてアキラは真っ赤な顔で手を振り上げた。 「進藤っ!」 人が恥ずかしさのあまりに死にそうになっているというのにその言いぐさはなんだと 殴ろうとした瞬間、ヒカルはにやにや笑いからすっと真面目な顔になった。 「―こんな時間に開いてるケーキ屋探すだけでも大変だったろ?」 ありがとうなと、マジですごく嬉しかったと優しい言葉にアキラは振り上げた手を下ろ すことが出来なくなった。 「…キミは意地が悪い」 「なんで? 素直に言ってるだけじゃんか」 マジで嬉しかったし、マジで燃えたし、普通の誕生祝いのケーキを貰うよりも何倍も 嬉しかったと言われてアキラは少しだけ救われたような気持ちになった。 もっともそれは一瞬で続けて「来年もぜひああいうのにして♪」と言われた時には再 び殴りたい衝動に駆られたのだが。 「…いいよ、わかった。絶対にそうしてやる」 「その代わり、今度はロウソクは誤魔化さないでちゃんと22本もらって来てくれよな」 その時の顔を思い浮かべると今からもうメシ10杯は軽く行けそうと、思い切り嬉しそ うにそう言われ、今度は躊躇なく手を振り下ろしたのだった。 バカバカバカバカバカバカバカバカ。バカを連発しながら殴る。 (人の苦労も知らないで) 悔しさのあまり耳まで真っ赤に染めながらヒカルの胸板を殴り続ける。 けれどヒカルは嬉しそうで、どんなに殴っても笑い続けているので、アキラは仕舞いに 殴るのを止めると、大人しく温かい腕に抱きしめられたのだった。 |