泣かない赤鬼
ハロウィンといい、バレンタインといい、よくもまあ次から次へと思いつくものだと思いながら、
ぼくは目の前に置かれた太巻きを見つめた。
「やっぱさぁ、日本人なんだし、こういう行事ごとはちゃんと押さえなくちゃだよなあ」
買って来たのはもちろん進藤で、すごい人混みの中戦って買って来たのだと嬉々としながら
節分の豆と一緒に自分に一本、ぼくに一本恵方巻きと呼ばれる太巻きを取り出したのだっ
た。
その年の縁起の良い方角を向いて食べるということで、今年の「恵方」は北北西であるらし
い。
「これを食べるのか?」
「ん、そう。願い事を思い浮かべながら黙って食べて、最後まで食べきれるといいことがある
んだって」
進藤はにこにこと説明してくれたけれど、ぼくだってもちろん恵方巻きのことは知っている。
起源がどうなのか行事として正しいものなのかどうかまでは調べる気も無かったので調べてい
ないが、何年か前から節分の行事として定着させようという動きがあるのは知っている。
知っているけれどなんとなく商魂たくましい誰かに踊らされているだけのような気がしてしまって
素直に節分の行事とは思えない気持ちがあったのだ。
「こんなにたくさん一度に食べきれないよ」
「だからおまえのハーフサイズのにしてやったじゃん」
ただでさえ太巻きは甘すぎてあまり好きでは無いというのに、こんな量を食べなくてはならないの
は正直かなり苦痛だと思った。
「あ、カツ巻きのが良かった? 海鮮巻きとかもあったんだけどさ」
「いや、それだったらぼくはこれでいい」
食べにくいからだろうか、最近では海苔巻きの代わりにロールケーキを食べることもあると聞く。
それでは太巻きの意味が無くなってしまうだろうと思うのだが、意外にもそれは人気があるらし
い。
「なあ、北北西って映画みたいで格好イイよな」
「もしかして『北北西に進路を取れ』のことを言っているのか」
「うん、そう。なんかそれみたいでカッコイイよな!」
音は同じでも、恵方と映画のタイトルとでは全く意味も内容も違うだろうと思いつつ、それでも兎
に角行事ごと大好きの進藤が、節分を全力で楽しんでいるのだけはよくわかった。
「これだけだとバランスが悪いからお味噌汁でも作ろうか?」
「あ、いいよ面倒だし。これ食ったらいくらおれでも腹一杯になると思うし」
「そう? じゃあお茶だけでもいれようか」
どちらを先にした方がいいのかわからなかったけれど、豆まきは後にして取りあえず先に恵方
巻きを食べようということになった。
「北北西ってどっちだっけ?」
「そっちの寝室の方かな」
へーそうか、そっちが北北西なのかと進藤は言いながら嬉しそうに太巻きを取り上げた。
「じゃあいただきま…」
「ちょっと待って」
もう今すぐにでも食べ始めそうな気配の進藤を慌ててぼくは引き止めた。
「食べる前に頼みたいんだけど、食べ終わるまではぼくの方を見ないでくれないか?」
「え?」
「手づかみで物を食べるのはどうしても嫌なんだ。どう考えてもみっともない姿になると思うし、
太巻きにかぶりつくのは綺麗なものではないと思うから」
そういう姿を見られるくらいなら食べない方がマシだと言ったら進藤は驚いたような顔をして、
でもすぐににっこりと笑って、「じゃあおれおまえの前に行く」と言ったのだった。
「おれ、おまえの前に座って食べて、食べ終わっても絶対に振り返らないからさ、だからそれ
でいいだろう?」
その代わり食べ終わったら教えてくれよなと、言われてぼくはほっとした。
「うん、わかった。教える」
「それじゃ、改めていただきまーす♪」
そして進藤は後ろで見ていて呆気にとられるくらい早いスピードで太巻きを平らげてしまった
のだった。
お腹が空いていたせいもあったのかもしれない。
むぐむぐと、でもその食べる姿は全然みっともなくは無く、むしろ快いくらいだった。
いつも思うことだけれど、進藤は結構な大食らいであるくせに食べる姿が決して汚くはならな
い。
楽しそうだ、美味しそうだとそう映っても決して浅ましくは見えないのだ。
物を食べるということはその人の本性が出ると思っているので、進藤のそういう所も自分は好
きだなと改めて思ってしまったりもした。
「もういい?」
ぺろりと平らげてお茶をすすり、まだ物足りなげに皿を見つめている進藤に苦笑していたぼく
は、問われて慌てて自分の分の太巻きを取り上げた。
「まだダメだ、これから食べる所だから」
「なんだゆっくりだな。でもいいよ。待ってるから」
焦んないで食べてと、わざわざ言われるまでも無い。口いっぱいに頬張ることになった太巻き
に悪戦苦闘しつつ、ぼくは進藤の何倍も時間をかけてなんとか半分を平らげた。
よくもまあこんな米も一杯具も一杯なものをあんなスピードで食べられたものだと変な所で感
心しながら残り半分を必死で食べ続けていると、退屈したのだろう、進藤はぼくに話しかけて
来た。
「しっかしさ、どこの誰がこんなこと考えたんだろうなあ、太巻き一本食べるなんて」
(まったくだ!)
「バカみたいだとは思うんだけど、でもやっぱり山になって売ってるのを見るとつい買いたくなっ
ちゃうんだよな」
(だからキミは子どもだって言うんだ)
「なあ………」
おれのってそれくらい? といきなり聞かれてぼくは思い切り吹いてしまった。
米粒が気管に入り、ごほっ、げほっと激しい咳が出る。
「わ、ごめん。塔矢大丈夫?」
吹かせるつもりなんか無かったんだと振り返り、慌てて近づいて来た進藤は、ぼくの背を撫でなが
らお茶を飲むように手渡してくれた。
「大丈夫? まだ苦しい?」
茶を飲んでようやく喉につまっていた米粒がすんなりと流れる。
すっかり涙目になってしまったぼくを進藤は心配そうに見つめるけれど、ぼくはのど元を押さえた
まま無言で返事をしなかった。
「塔矢ごめんって、わざとじゃないんだって」
ぼくが怒ったと思ったのだろう、進藤は更に心配そうな顔になり謝りの言葉を繰り返したけれど、
ぼくは相変わらず返事をしなかった。
「塔矢、なんか言ってくれってば」
肩を掴んでそちらを向かせようとするのをやんわりと手で払い、食べ残した後少しの太巻きを持つ
と、ぼくは無言のまま一気に口の中に押し込んだ。
「バカ、無理すんなって!」
「………大丈夫」
ようやく食べきってからぼくは初めて進藤に返事をした。
「…苦しかった。死ぬかと思った」
食べるなら丸ごとでは無く切ってある方がやはり食べやすくていいと、目元に滲んだ涙を指で拭い
ながら言うと進藤は萎れたように俯いてしまった。
「ごめん、おれちょっとふざけ過ぎた」
来年からはもう買って来ないから、だから許してと言う姿は、まるで叱られた子どものようだった。
「いいよ、来年も別に買って来ても」
ただし今度は食べきるまでは絶対に変なことは言わないで欲しいけれどと言ったら、進藤は少し
だけほっとしたような顔になった。
「本当にいいん?」
「いいよ」
「あんなに怒ってたのに?」
おれが謝っているのに口もきいてくれなかったじゃないかと言うのに苦笑する。
「違うよ、別に怒っていたわけじゃない。単にまだ食べきっていなかったから」
「え?」
「恵方巻きは願い事をしながら食べるものなんだろう?」
食べきるまでに喋ってしまうと叶わないと聞いたから、苦しいけれど我慢して食べたのだと言った
ら、進藤はきょとんとしたような顔でぼくを見た。
「それで?」
そんだけのことでおれに返事しなかったん? とその顔はすっかり拗ねたような表情になってしま
った。
「おれ、すごく心配したのに! 怒ってると思って青くなったのに!」
そんなにまでして何を願っていたのだと言われて、ぼくは一瞬躊躇った。
「…キミとのこと」
「へ?」
キミとずっと一緒に居られますようにと願ったのだと言ったら進藤は黙り、それからゆっくりとその
頬が赤く染まっていった。
「え……ウソ!」
「本当だよ。こんなことで嘘なんかついたって仕方ないじゃないか」
大体がぼくが何かに願う時は、その願いごとはいつもキミのことなんだよと、ぼくの言葉に進藤は
更に赤くなった。
「もしかして嫌だった?」
尋ねるとはっとしたように首を横に振る。
「まさか!」
そんなわけねーじゃん! すげえ、すっげえ嬉しいと言って笑う、進藤の顔は本当に嬉しそうで、
見ていてぼくも嬉しくなった。
「キミは…何を願いながら食べた?」
「え?」
「何も願いごとはしなかったのか?」
「あ、えーと……」
「別にそれならそれでかまわないけど」
「違うよ、したよ!」
おまえと同じこと願ったと、赤く染まった顔で怒鳴るように言われ、今度はぼくの顔が赤く染まっ
た。
「そうか…ありがとう」
お礼を言うのは可笑しいかと思ったけれど、でも口からはその言葉しか出て来なかった。
「そんなん、おれのがありがとうだって!」
言いながら更にまた赤くなる進藤の顔はまるで赤鬼のようだった。
そしてきっと火照ったぼくの顔も赤鬼のようになっているんだろう。
「節分に太巻きなんて踊らされているような気がするし、太巻きはやっぱりあまり好きじゃない
けれど」
でも今年のように来年もまたその次の年もこんなふうに、キミと二人で笑いあえるのだったら
また無理をしてでも食べてもいい。
来年も再来年もその次もキミとこんなふうに二人で過ごしたい。
そう言ったら進藤はこれ以上無い程嬉しそうに笑い、「うん、おれも」と言うと、ぼくにそっと優
しいキスをしてくれたのだった。
※節分までネタにしていたらきりがないでしょーとセルフツッコミを入れたりして、だから本当は書くつもりではありませんでした。
でもなんとなく、せっかくの行事は外したくないなあと(苦笑)ヒカルとアキラはこの後二人でいちゃいちゃと豆まきをします。
それでもって年の数だけ豆を食べ、それからしょうもない雑談をしていたりします。
「なー、で、実の所おれのってあの太巻きくらい?」「そんなはず無いだろう、バカっ!」と答えるか、「うん、だからいつも口が疲れて」
と答えるかは皆様のお好きな方で。
それでは良い節分を????? 2007.2.3 しょうこ