Sweet・Honey・Valentine



買ってしまったのは勢いと、ディスプレイの美しさのせいだったと思う。

指導碁に行った帰り、駅までの道を歩いていたら、妙にきらびやかな一画があって、
立ち止まって見てみたらそれはチョコレートの専門店だった。



「へえ…」

ガラスの向こうに見える様々な種類のチョコレートは甘いものが好きでは無いぼくが
見ても美味しそうで、何よりとても美しかった。



ラム、カルバドス、コニャック、ガナッシュ、チェリー、キャラメル、エスプレッソにオレン
ジピール。



ショーケースの中を覗く内、いつだったか碁会所で貰い物のチョコレートを出してやった
時、進藤がエスプレッソを気に入って幾つも食べていたことを思い出した。



(進藤は結構甘いものが好きだったっけ)


和菓子でも洋菓子でも何でも食べるけれど、チョコレートは特に好きなのだと、あの時確
か機嫌の良い顔で言っていたと思う。


子どもだな苦笑してしまったものだけれど、もし今ここに進藤が居てこのチョコを見たら食
べたがるだろうなと思った。




「…買って行ってやろうかな」

この後、駅で落ち合ってそれから家で打つ約束になっている。

家には何も菓子の類は無かったし、これを買って行けばきっと喜ぶだろうなとその顔まで
容易に想像出来てしまった。


なので菓子としてはかなり値が張るし、女性ばかりの中で買うのは少しばかり恥ずかしか
ったけれど、ぼくは我慢して並んでチョコレートを一箱分買ったのだった。







「ごめん、遅くなった」

チョコを買うのに手間取り、待ち合わせの場所に少し遅れてたどり着くと、進藤は既に来て
いて何故かいつものデイパックの他に手に大きな紙袋を下げていた。



「なんだ? 泊りの荷物か? 別にパジャマもタオルも全部家にあるのに」
「………っておまえそれ天然?」


何故かいきなり笑われて、それから不躾に上から下まで眺められてしまった。

「進藤?」
「いや、すごい意外。おまえそれしか貰わなかったんだ」
「え?」
「いや、チョコだろそれ」
「うん」
「それでもって一個?」
「?…うん」
「おまえ絶対もっと貰うと思ったけどなあ」



進藤の視線はぼくが下げている小さな紙袋に留まっている。


「おれなんか今日すごい大漁!見てこれ!」

そして得意げに持っていた紙袋をぼくに向かって広げて見せた。

「今日、なんだかたくさん貰っちゃってさ、なんだったらおまえに分けてあげてもいいぜ♪」

中に入っていたのはカラフルなパッケージを施されたどうやら全てチョコレートのようなの
だった。


「…こんなに」
「な、すげーだろ♪二十個はあるぜ♪」


おれ絶対おまえには負けたと思ったからなんか勝って嬉しいとはしゃいでいる顔を見なが
らぼくは落胆を隠せなかった。


「そんなに貰ってしまったのだったらもうチョコなんかいらないよね…」
「え?」
「いや……さっき来る途中で美味しそうなチョコレートを見つけたからキミにって買って来た
んだけど」


そんなにあるのにそれ以上食べたいとは思わないよねと、喜ぶ顔を期待していたぼくは、か
なりがっかりした気分だった。


「…もっと他のものにすれば良かったな。ぼくも本当に間が悪い」
「って……なに? まさかと思うけどおまえ、おれにチョコくれる気だったん?」
「え? そうだよ。キミの好きなエスプレッソのがあったから」
「嘘」
「嘘なもんか、ほら、こうしてちゃんと――」


持っていた紙袋を突き出すようにして見せたら進藤は心底驚いた顔をして、それから怖いく
らい真っ直ぐにぼくを見た。


「これ、おれのだったん? 本当に…おまえが、おれに?」

妙に区切ったしゃべり方で進藤は念を押すようにぼくに尋ねる。

「そうだよ、さっきからそう言ってるじゃないか」

キミのために買ったんだよと言ったら進藤は一瞬貧血を起こしたかのように青くなり、それ
から顔中染めたように真っ赤になった。


「あ―――ありがとう」

すごく嬉しいと、ぼくからひったくるように奪うのを見て、何かおかしいとようやく気が付いた。


なんで進藤はこんなに喜んでいるんだ?

どうしてこんな真っ赤な顔に――。


そして彼が地面に置いてしまった元々持っていた紙袋のその中身と、自分がついさっき並ん
で買った店の中の有様を思い出してやっと、愚かしい程やっとその意味に気が付いたのだ
った。


そういえば今日はバレンタインデーで、だから彼はあんなにチョコレートを貰ったのではないの
か?


そしてぼくは―ぼくは彼にそういう意味であげたことになってしまったのでは―。


「あの―」

そんなつもりじゃなかったのだと、そう言おうと顔を上げた時、少し潤んだような彼の目とまとも
に目がかち合ってしまった。


「おれ、おまえのこと好き。ずっと好きだった。だからチョコ貰えてすげえ嬉しい」

これ間違いじゃないよな。そういう意味でくれたんだよなと念を押されて言いかけた言葉を飲み
込んだ。


「おまえの気持ちだって、そう思って…いい?」
「い……いいよ」


気が付けばぼくの口は勝手にそう言っていた。

「ぼくもキミがずっと……」

ずっとずっと好きだったんだと、言って自分で驚いたけれど、紛れもなくそれはぼくの本心だっ
た。


「キミのことがずっと…」

言いながら顔が火照っていくのがわかる。きっと今頃ぼくの顔は進藤のように真っ赤になって
いるだろう。


「嘘みてぇ、ホント、最高にシアワセ」



思いがけず両思いになったこの日、ぼくは彼と共に生まれて初めての、チョコレートよりも甘い、
幸福なバレンタインデーを過ごすことになったのだった。





※またまた甘甘です(−−;それでもって天然ボケアキラの話です。

キリリクのアキラが黒アキラだとしたらこちらは白アキラのバレンタイン話ということになるでしょうか。
一見噛み合っていますが最後の最後の方までヒカルとアキラの会話は実は全く噛み合っていません。


それからヒカルがそんなに貰ったのにアキラはどうして貰っていないの?という疑問をお持ちの方がいらっしゃいましたら(^^;
アキラの分は棋院に段ボール箱一杯分くらい届けられています。たまたまこの日、棋院に寄らなかったので受け取っていないわけです。


というわけで後でそれを知ったヒカルは少々拗ねると思います。2007.2.14 しょうこ


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