Cold day hot day
手袋をあげようと思ったのは、彼が寒そうに手をこすり合わせているのを見たからだった。
降り出した雨が雪になるかもしれないと天気予報で言われたその日、手合いが終わった後、
棋院から出た外はみぞれまじりの雨になっていた。
「うっわ寒ーーーっ」
なんか飲んで帰ろうぜと誘われて坂の下のカフェに入り、ぼくは温かい紅茶を頼んで、彼は
カフェモカを頼んだ。
「はーっ、温かーーーーっ!!生き返るーーーっ!」
カップを両手で包むようにしてなでさすっている彼の姿に子どもみたいだと笑って、それから
気がついた。
「キミ、手袋をしていないのか」
「だってあれ邪魔だし、持って出ると忘れてきちゃうし」
末端が結構冷えるらしいのに、どうも彼は小物を持つ煩わしさが嫌で持たないらしいのだ。
「前はしていたじゃないか」
確か年末頃までは、彼がアイボリーの毛糸で編まれた温かそうな手袋をしていたのをぼんや
りと覚えている。
「あれ? ああ…あれね」
あれは一週間で無くしたと面倒臭そうにカフェモカのクリームをスプーンでかき回しながら言
う。
「クリスマスにあかりにもらったんだけどさ、速攻で無くしたもんだからあいつ怒っちゃって」
しかも前科があったらしく、進藤は彼女にもう二度とあげないと宣言されてしまったのだと言
う。
「あんなに怒らなくてもいいのにさぁ」
一週間以上、メールも何もかもシカトだったと口を尖らせて言うのでつい窘めてしまった。
「当然だろう?」
手袋は手編みであったらしい。心を込めて送ったものをあげた早々に無くされてはその込め
た心を無下にされたような気持ちになるのではないだろうか。
「だっておれ、いらないって言ってんのにあいつ無理矢理くれたんだもん。おれすぐ無くしちゃ
うからって言ったのにさ」
「進藤も『無くしちゃう』って言い訳しないで、無くさない努力をすれば良かったんじゃないか?」
別に藤崎さんの肩を持つわけでは無いがあまりのかまわなさに少々ムッとくるものがあった
のでつい言ってしまう。
「世の中には貰いたくても貰えない人だっているんだから」
「え? なに? おまえあかりから手袋が欲しいん?」
ぎょっとしたように見つめられて、ぼくも思わずたじろいだ。
「ぼくが? まさか!」
ただ一般論として、女性に贈物を貰いたいと願っていても貰えない人だっているのだから、そう
いうふうに人の好意を粗末に扱っては天罰が下ると、ぼくの説明に進藤の表情は和らいだ。
「天罰――? 大袈裟だなあ」
「大袈裟なんかじゃない。人の気持ちを粗末に扱うといつか痛い目を見るってことだ」
これからはもう少し気をつけた方がいいよと言うと、進藤は不満そうだったけれど、それでも一応
「わかった」と言ったのだった。
貰ったものを大切にしない。
あげてもたぶんすぐに無くす。
それなのに彼に手袋をあげようと思ったのは、やはり彼がとても寒そうだったからだった。
その日店を出て駅に歩くまでもずっと手をこすっていたし、翌朝帯坂の途中で出会った時もやはり
彼は手をこすり合わせながら歩いていた。
和谷くんにハエみたいだとからかわれて怒っていたけれど、気をつけて見れば彼はいつも手を擦
り合わせている。
それまでは暖冬だということで冬だというのにそれほど寒いという感じでは無かった。だから彼もそ
んなに寒そうでは無かったのだが、2月に入りぐんと気温が下がって冷えが身に染みたのだろう。
(あんなに凍えたら石を持つ時に強ばるんじゃないか?)
それよりも何よりも指先がとても寒そうで、痛々しく見えてしまったのだ。
「まあ……いいか、無くされても」
家に帰る途中、通り過ぎる店のショーウインドーに温かそうな手袋を見つけてからは更に一層、手袋
をあげたいとその気持ちがつのり、結局散々迷ってからぼくは彼のために手袋を買ったのだった。
どうせすぐ無くしてしまうに違い無いけれど、それでも、ほんのひとときでも彼の指先が温もればいいと
半分諦めたようなそんな気持ちだった。
「進藤、これ―」
手袋を渡したのはいつだったかと同じような冷たい雨の降る夜のことだった。
いつものように碁会所で打って、これもまたいつものようにかなり遅い時間になった。
帰ってから食べるよりはとそのまま二人で近くのファミレスに夕食を食べに行き、待っている間、彼が寒
そうに手を擦り合わせるのを見て今だと思った。
「え?なに?」
驚いたようにぼくから包みを受け取った彼があまりに不審そうに中を確かめもせずにしげしげと見つめて
いるので苦笑しつつ「手袋だよ」と言った。
「キミはいらないって言っていたけど、やはり今日みたいな日は無いと寒いと思う」
高いものでは無いから気にせず無くしてくれていいと、そう言ったぼくに進藤はいきなり包みを突き返して
来た。
「もらえない」
「なんで? 別に高いものじゃないって言ったじゃないか」
「高くても安くてもとにかくおまえが買ってきてくれたもんは使えない」
なんだ、幼なじみからの手編みの手袋は受け取ったというのにぼくからのものは受け取れないのかとそう
思ったら非道く悔しく、ぼくは突っ返されたものを更に彼に突き返した。
「やると言っているんだから返すな、受け取れ」
「いらないって言ってんだろ、なんでそんなお節介するんだよ」
「お節介でもなんでも、キミが寒そうにしているのを見るのは嫌なんだ」
ぼくも凍えるような気分になるからと、そう言ったら一瞬口を噤み、それから改めてもう一度ゆっくりとぼくに
手袋を突き返して来た。
「それでも貰えない。気持ちは嬉しいけど」
「どうして、手編みでなければ嫌だとでも言うのか? だったら市河さんに習って手編みで作ってくる」
「そんなことされたら余計に貰えないっての!」
おまえがおれにくれるんだぞ? 無くしたくないからだからいらないと、一気に怒鳴るように言われて呆気
にとられた。
「……………え?」
「おまえがくれたもんなんか、死んでも無くしたくないに決まってんじゃん。でもおれきっとどんなに気をつけ
ていても無くしてしまうかもしれない」
だから貰うわけにはいかないんだと繰り返し言われてやっと意味が通じた。
「えーと……ぼくがあげたものは無くしたくないんだ?」
「当たり前だろ」
「藤崎さんのは無くしても?」
「あかりには悪いと思ってるけど、でも違うんだって、あかりがくれる手袋とおまえがくれる手袋はおれに
とっては全然違うんだって!」
言いながらゆっくりと真っ赤に染まっていく彼の顔を見ていたらぼくの顔も赤く染まった。
「…いいよ無くしても」
「だから!」
「あげたぼくが無くしてもいいって言っている」
無くしてもまたあげるからと、言ったら進藤は何か言いかけていた口をそのまま閉じた。
「また…くれるん?」
「あげるよ何度でも、なんだったら一生あげてもいい」
キミが貰って使ってくれるならねと言ってそっと手袋の包みを押しやったら進藤は今度は突き返して来
なかった。
「あ……ありがとう」
「いいよお礼なんか。それよりもちゃんと手にはめて使ってくれ」
「あ、ああ…………うん」
まだ赤い頬のまま包みを開けた進藤は、手袋を見て一瞬凍ったようになってからいきなり笑い出した。
「これ、おまえの趣味?」
「そうだ。キミに似合うと思って買って来たんだから絶対に使えよ」
今まで人の好意を無下にしてきた罰だと少しだけ諫めるつもりもあって買って来た、ピンクの毛糸で編
まれた手袋。
甲の部分には白い毛糸でねこの編み込みがある、その可愛いことこの上無い手袋を彼は苦笑しつつ
もしっかりとはめて使い、人にからかわれても外すことは無かった。
そしてどうせすぐに無くしてしまうだろうというぼくの予想に反して、冬が終わり春になっても無くすことは
無く、すり切れて穴が開いたのを見かねてぼくがまた新しいものを買って送るまで、彼はずっとその手
袋を大切に愛しそうに使い続けたのだった。
※すみませんーこれ書いたのは1月で、まーさーかー2月になっても温かいままだとは思いもしませんでした。恐るべし暖冬!!
なので現実とちょい状況が違ってしまっていますがご勘弁を〜。そしてアキラが次にヒカルに買ってあげたのはやはり似たよ
うな蛍光イエローにうさぎの編み込みがある手袋なんでした(笑)2007.2.19 しょうこ