氷菓子
砂の上に字を書いていた。
ずっと、ずっと繰り返し、同じ文字だけを何度も何度も指でなぞるようにして書き続
けた。
「進藤」
「ん?」
「そろそろ帰らないか? 大分風が出て来たし」
久しぶりに遊びに行こうと誘い出した季節はずれの海。まだ波間にはサーファーが
アザラシみたいにぷかぷかと浮いていたけれど、それ以外に泳いでいる人影は全
く見えない。
夏の海に特有のギラギラとした日の光も無い。
イカ焼きやかき氷や焼きそばも無い。
立ち並ぶ海の家はもうほとんどが閉まっていて、奇跡的に開いている店でも飲み物
くらいしか売っていない。
そんな中、おれ達はぼんやりと海をながめながら、もうかなり長い時間をそこで座っ
て過ごしていた。
「もう少し…おれ、見ていたいな」
海からの風は服を透かし肌を冷やす。
ほんのちょっと前までは暑くて死にそうなんて言っていたのはなんだったんだろうかと
思うような、少しうらぶれたそこは秋の海だった。
「キミが居たいなら別に構わないけど…意外だな」
そんなにキミは海が好きだったのかと言われて一瞬口ごもる。
「おれが海が好きだと変かよ」
「いや、真夏の海ならとても似合うと思うけれどね。秋の海って少し寂しい雰囲気があ
るじゃないか」
それにキミの食べたそうな物も何一つ売っていないしと笑われて、畜生おれは食い気
専門なのかよと思う。
「もう少し…もうちょっとだけ眺めたら帰るからさ」
駅前の食堂でなんか食べて帰ろうと言ったら塔矢は笑った。
「いいよ。うん、あそこは美味しそうだったものね」
珍しく碁は無し。
でも、だからと言って何を話すわけでも無し。
それでも全然居心地が悪く無いんだから相当だよなと心の中で密かに思う。
「なあ…」
「何?」
指で砂に文字を書きながら思い切って口を開く。
「今日って何日だっけ?」
「9月20日だろう?」
カレンダーも見ていないのかと少し笑われて口を尖らせる。
「見てるよ、ちゃんと。ただ聞いてみただけだって」
「面白いな…キミは」
塔矢はおれが聞いたことの意味をまるで考えていないようで、ただ遠くの海をじっと
見詰め続けている。
風が吹くと髪がそよぎ、整った顔に前髪がかかる。
(綺麗だな)
相変わらず綺麗な顔だとそう思う。
「そういえば…」
「何? なんか思い出した?」
ぽつりと呟いた塔矢に食いつくように言うと塔矢は驚いたような顔でおれを見た。
「思い出す?いや、ただそこの海の家、アイスだけは売っていたなって思い出して」
「アイス? こんな寒いのによくそんなもん売ってるな」
「なんとなく食べたくならないか? こういう所に来ると」
「別におれは食べたくならないけど…」
でもおまえが食いたいなら買って来てやるよと砂を払い立ち上がる。
「ごめん、後でお金は払うから」
「いいよそれくらい。おれに奢らせろ」
笑いながらその場を去って海の家でアイスを買ってゆっくりと戻る。
塔矢は同じ場所に座ったままでおれを見るとにっこりと笑って手を振った。
「ありがとう―」
「バニラしか無かったから文句言うなよな」
「いいよ、なんでも」
奢って貰うものに文句なんか言ったりしないと、その言葉に律儀だなと笑いつつ
腰を下ろしてぎょっとした。
右側。
塔矢からは見えない筈の、おれの右側の砂におれの書いたのでは無い文字が
書き足されていたのだ。
『ぼくも』
たった三文字のそれはおれが書いては消し続けた文字への答えだった。
『塔矢好き』
『大好き』
書いては消し、消しては書いた。
どうしても思い切れず言葉に出来ずに居た言葉を塔矢はちゃんと気が付いてい
たらしい。
「ぼくもキミが好きだよ」
おれが気が付いたとわかるや否や、塔矢は俯いて赤くなって言った。
「だから今日誘ってくれて嬉しかった」
大好きなキミの誕生日を二人だけで過ごすことが出来て良かったと、言いながら
塔矢はゆっくりとおれにもたれかかる。
「寒いね」
「うん」
「でも…寒く無いね」
「…うん」
ドキドキと胸を震わせる鼓動は、塔矢のものなのかおれのものなのかわからなか
ったけれど、でも二人して凍えながら食べた季節はずれのアイスクリームは、暑い
真夏の太陽の下で食べるよりもずっと何百倍も美味しく感じられたのだった。
※タイトル。本当は氷菓子だとアイスキャンディーかなと思いますが、なんとなくアイスやソフトクリームというよりも
「氷菓子」って響きなような気がしてつけました。こういうなんでもないことがたぶん一生忘れられないんですよね。
2008.9.20 しょうこ