捨て猫




動物に例えるなら塔矢は絶対猫だろうなと思っていたけれど、実際に全身濡れそぼって、
髪から雫を垂らしている姿を目の前で見たら、本当に捨てられた猫みたいだと思った。




「どうしたん? こんな時間に」

夜、8時を回った頃にいきなり家に訪ねて来て、出てみたら塔矢はびっしょりと濡れた姿で
玄関に立っていたのだった。


「ごめん、いきなり来てしまって…」

濡れて寒いせいなのかどうなのかいつもの勢いが無く、非道く俯いているのが気にかかる。

「近くで仕事でもあった? あ、それでもしかしてうちに傘借りに来た?」

だったらせっかくだから上がっていけよと中に促す。

「今、中学ん時のダチが来ていて、おれの誕生祝いやってくれてるから」

ケーキとか料理とか結構まだ残っているから食べて行けよと言ったのに、塔矢は一瞬躊躇
った後、「邪魔しちゃ悪いから」とそのまま背中を向けて帰ろうとする。


「わっ、ちょっと待てって、傘借りに来たんじゃねーのか、おまえ」
「そういうわけじゃないんだ。ただ…近くまで来たから」


ちょっと寄っただけだったんだと、そして取り付く島も無く激しく降る雨の中再び歩いて行こう
とする。


「あ、おい、ちょっと待てって!」

慌てて肩を掴んで引き止めて渋るのをなんとか正面を向かせる。

「なんだよ、おまえどうしたんだよ」

こんな時間に訪ねて来るのも変ならば、そもそもいつもぬかりのないこいつが傘を忘れて
ずぶ濡れなのもすごくおかしい。


「別に…ぼくはいつもと変わらないよ」

そして妙に頑なで、どこか拗ねたような風情があるのは何故だろう。

「とにかく…こんなびしょ濡れで帰したりしたら、おれが市河さんや芦原さんに殺されるから
中に入れよ」


奥からはどうしたんだ進藤? と誰かの声が聞こえてくる。途端にキッと塔矢はおれを睨み
付けた。



「嫌だ」

それはびっくりするほどきっぱりとした言葉だった。

「なんだよ、何が気に入らないんだよ」
「別に何も気に入らなくなんか無い」


ただぼくは早く家に帰りたいだけだと支離滅裂なことを言っているので、おれは本気で心配
になって来てしまった。


「おまえ…なんかあった? あ、もしかして置き引きとか、それとも財布スられて家に帰れな
いん?」
「キミじゃあるまいし、そんなことあるわけ無いだろう」
「だったらなんで…」


なんでそんなに変なんだよと言ったら、塔矢はいきなりおれに向かって小さな包みを突きつ
けた。


服の下にくるむようにして持って居たらしいそれは、少し端がひしゃげていて、それを見た瞬
間、塔矢はあっと小さな声をあげた。


「何?」
「なんでも無い」
「なんでも無いって…」


つっけんどんな口調で、でもおれが包みを受け取るのをひたすら睨んで待っている。

「わかんねーなあ…何これ?」

見た所、皿をラップとアルミホイルでぐるぐる巻きにした物のように見える。

「なんでもいいから受け取れ!」
「はいはいはいはい、もーおまえのわけわからなさは昔から変わらないよな」


根負けして受け取ったら、塔矢はほっとしたような顔になって、それからあっと思う間もなく
身を翻して雨の中を走って行ってしまった。


「塔矢――おい!」

追いかけようかどうしようか迷いながら、それでも気になってホイルの端をめくって見る。

何かと思ったそれはカットされたケーキで、その甘い匂いと濃いチョコの香りに「あっ」と思い
出すものがあった。


「これ…いつだったかおれが美味いって言ったヤツ」

塔矢の家の碁会所で、お客さんの差し入れだとかで食べさせて貰ったもので、チョコケー
キのくせに甘過ぎず、こんな美味いケーキは食ったことが無いと、お代わりまでして塔矢
に笑われたものだった。


残念ながら他県の店のものだったので以来食べる機会に恵まれなかったのだが、きっと
塔矢は今日どこかで偶然それを出されたんだろう。そして以前おれが美味いと言っていた
ことを思い出して自分では食べず、おれのためにわざわざ持って来てくれたのだ。


(あの塔矢がケーキの皿を持って電車に乗ったなんて)

しかつめらしい顔をして皿を持ってつり革に掴まっている姿を想像すると笑えて来る。でも
それ以上に胸の底から沸き上がる照れ臭いような喜びの方が大きかった。



「あいつ…バカ」

持って来る途中で雨に降られ、でもケーキを濡らしたく無くて傘を買う暇も惜しんで歩いて
来たんだろう。


(なのに来たらおれが脳天気に誕生日を祝って貰ったりしていたから)

一切れのケーキを渡すに渡せなくなって帰ろうとしたのだと思ったらもうたまらなくなった。

「悪い、おれちょっと出てくっから!」

部屋の奥に向かって叫ぶと頓狂な声が返って来た。

「はあ? 主役がどこ行くんだよ!」

「ちょっと…急用!」

気位の高い、美人の捨て猫拾って来るからと、おれは大切な大切なケーキを冷蔵庫の中
に突っ込むと、雨の中、びしょ濡れで駅に向かっているだろう塔矢を追いかけて全速力で
走ったのだった。




※ツンデレ猫。でも進藤ヒカル初段の推理には間違いがあります。どこかで貰ったのでは無くて、アキラは
わざわざ遠方まで出向き、ヒカルの誕生日のためにケーキを買って来たわけなんです。でもホールで持って
行くのは大げさだし「進藤に気を遣わせてしまうし…」と、さんざん考えた末にお裾分けを装って家から切って
持って行ったわけなんです。いやいやそれ全然自然じゃないからアキラ…。


朝からケーキで頭が一杯だったので当然天気予報も見てません。未満の頃の話でしたー。
あ、もちろん追いかけるヒカルも傘無しです。びしょ濡れの二匹です。


2008,9,20 しょうこ