愛情
※この話は「奥様はプロキシ」の「ぷちぷろ」のその後の話です。プロキシシリーズを読んだ後に読まれることをお勧めします。
長い入院生活を終え家に戻ったぼくは、しばらくの間は義母の家事を手伝いながら
ほとんどを家の中で過ごした。
あまりに長い病院での生活で体力が落ちていたこともあるし、何回かの手術を繰り
返したことで免疫力や抵抗力が落ちていたこともある。
負った怪我で一番非道いものが頭へのもので、顔の形が変わるくらい殴られたぼく
は左目の視力を損ない、平衡感覚の狂いと目眩、ちくちくと頭の中を針で刺され続け
るような頭痛に悩まされることになった。
もちろん病院から薬は貰ってはいるし、最初の頃に比べると随分症状は良くなって
来ている。
けれど時々立ちくらみのようになって座り込んだり、長く歩き続けていると気分が悪く
なって来たりするので外出は控えていたのだ。
「おまえ…すぐ無理するから」
「そんなことは無い、キミはぼくを過保護にしすぎだ」
棋戦を一年休んでいたこともあり、早く日常の生活に戻りたいという気持ちはぼくには
人一倍強くあった。
けれどそれと同じくらい進藤がぼくを思う気持ちは強く、つまらない無理をして却って回
復が遅れては何にもならないという彼の言葉は正論だったのでぼくは反論することが
出来なかったのだ。
でもその我慢も一週間を過ぎ、2週間を過ぎ、一ヶ月、二ヶ月を過ぎて、半年近くにもな
ってくると堪えきれない状態になって来た。
退院したのは春の終わりだった。
今はもう夏を過ぎて秋になっている。
こんなに大事に過ごして来たのだからそろそろ近所を歩くぐらいしてもいいのではない
か?
そんな気持ちが強くなり、ぼくはある日とうとう思い切って言ってみたのだった。
「お義母さん」
「はい? 何? アキラさん」
進藤の産みの親である義母は、「男のお嫁さん」であるぼくを受け入れて、実の子のよう
に可愛がってくれている。
血が繋がっているだけあって進藤とは性格がよく似ていて、だから義母もぼくの外出を止
めている一人だったのだが―。
「もう牛乳が後少ししかありません」
「あら、じゃあ後で買って来――」
「ぼくが買いに行きます。2丁目のコンビニならすぐですから」
言葉を遮り、思い詰めたように言ったぼくの言葉に義母は驚いたような顔をして、それから
あっさりと「そう?」と言った。
「じゃあお願いしようかしら」
低脂肪乳じゃなくて普通ので良いからと言われた時にはほっとしたけれど、ぼくは当然すぐ
に進藤が止めるものと思い、反対の言葉が飛び出してくるのに身構えていた。
けれどすぐ隣で鮭から皮を外そうと四苦八苦している進藤はいつまで経っても何も言わない
のだった。
「……止めないのか?」
「え? 何を?」
きょとんと聞き返されて気負っていたぼくは狼狽えてしまった。
「何をって今お義母さんと話していた…」
「ああ、牛乳だろ。おれも低脂肪より普通のの方がいいから普通のにして」
おまえ健康のためとか言ってよく低脂肪乳を買ってくるけど、あれは味が物足りないんだよ
なあと、それは全く普通の会話だった。
ぼくがこうなる前―健康だった頃にしていた会話とあまりにも変わらなかったので話を振っ
たぼくの方が驚き拍子抜けしてしまった。
「いいんだ?」
「いいよ? なんで?」
「いや――」
進藤はぼくが何を気にしているのかわからないと言った風で、ぼくはそれが不思議でたまら
なかった。
(ちょっと前までぼくが外に行こうとすると猛反対したくせに…)
義母も、そして義母の隣で静かにみそ汁をすすっている弟も何も言わないのが不思議だっ
た。
「…じゃあ、食事の片付けが終わったら行って来ます」
「はい、よろしくね」
にっこりと微笑み返されてぼくは気味が悪くなったくらいだった。
そして…。
土壇場になったら引き止めるかと思ったのにぼくが外出するために着替え、玄関で靴を履
いても進藤も誰もぼくを止めなかった。
「行って来ます」
「はい、行ってらっしゃい」
見送りに出て来たのも義母一人で、弟は学校に行ってしまい、進藤は二階から下りても来
なかった。
(なんだ…神経質になっていたのはぼくの方だったのか)
あまりに反対されるので諦めて外出したいと言うことを言い出さなくなった。
けれどその間にもぼくの体は順調に回復していて、もう外に買い物に出ても大丈夫なくらい
になっていて、それを解っているから皆誰も何も言わなかったのだと。
(だったらもっと早く言ってみれば良かった)
自分で自分を囲ってしまっていたのかと苦笑しながらぼくは一歩外に出た。
ふっと顔に当たる冷たい風にびくりとする。
今までも窓から外気を吸っていたし、庭にはよく出ていたというのに、こうしてどこまでも歩い
て行ける自由を得て出た外はなんだかとても新鮮だった。
家の中で感じるよりも風はもっと冷たく感じ、一瞬なんだか非道く心細い気持ちにもなった。
(何をバカな)
あまりに家に引きこもり過ぎて、心まで弱ってしまったかと、奮い立たせるように戸を閉めて
歩き出す。
行き先は歩いて5分程のコンビニで、買い物に行くというにはあまりに近い距離だった。
だからこそぼくも言い出した時にこの店を挙げたのだけれど、歩いてすぐにぼくは思ってい
たよりも大変かもしれないと思い直した。
やはりまだ平衡感覚がおかしいらしく、歩いていると段々と道の左に寄って行ってしまう。
筋力が衰えているせいなのか、それとも三半規管が正しく働いていないのかわからないが
足の下がふわふわと柔らかく、たかが5分のコンビニにたどり着いた時にはぼくはすっか
り気分が悪くなってしまっていた。
(でも、ちゃんと買い物をしないと)
自分で言い出して出て来て具合が悪くなったと言えばまた外出を家族に止められるように
なる。それはぼくにとっては今現在気分が悪いことよりも悪いことだった。
少しでも早く元の生活に。
歩いて電車に乗って棋院まで行けるように。
そのために少しでも「外」に慣れて行かないとと、帰り道は行きよりも更に歩きにくかったけ
れどぼくは頑張って歩いた。
ほんの僅かの距離なのに息が上がり、目が回る。
たった一つのパックの牛乳が重くてたまらなくてとうとうぼくは途中で公園で休んでしまった。
早く帰らないと心配されてしまうと焦る気持ちはあるものの、とてもそのまま帰り着くことは
出来なさそうだったからだ。
(…よし、もう大丈夫)
十分程ベンチに座って休憩して、それから息を整えて残りの距離を歩く。
結局ぼくは往復十分のコンビニに1時間近くをかけてしまった。
「ただいま…」
玄関の戸を開けた時には怖い顔をした進藤か心配そうな顔をした義母が待ちかまえている
ものと覚悟したのに、そのどちらもいなくてぼくはほっとするのと同時に全身の力が抜けるよ
うな妙な脱力感を味わった。
「あら、アキラさんお帰りなさい」
洗濯物を持った義母が顔を覗かせる。
「すみません遅くなって」
「あらそうだった? 洗濯していたから気がつかなかったわ」
義母はころころと笑ってそれからぼくに牛乳を冷蔵庫に入れておくように言った。
「はい―」
そして二階に上がって行くと進藤は買い物に出た時と同じように転がったまま雑誌をのんび
りと読んでいた。
「ただいま!」
その気楽な姿にぼくは非道く腹が立った。
ぼくが苦しみながら頑張って買い物をしていた間、この男は暢気にぼくを思い出しもせずに
雑誌を読みふけっていたのかと、それは理不尽な怒りだった。
「ただいまって言ってる!」
顔を上げもしない進藤に我慢出来ずにもう一度声をかけると彼はやっと顔を上げて「おかえ
り」と言ったのだった。
「どうだった外?」
「も、もちろん大丈夫だったよ」
一人でちゃんと買い物して帰ってこられたともと鼻息荒く言ったらきょとんとした顔をして尋ね
返された。
「おれは天気のことを聞いたんだけど」
あっと思って唇を噛む。
「今日は後で老人会の囲碁の集まりに行くことになってるからさ」
「天気は………良かったよ」
「そっか、サンキュー」
なんでも無い会話だった。
ごく普通の「日常」の会話だった。
あれ程自分が望んだ「日常」なのに、ぼくはそれに自分でも理解出来ない苛立ちを感じてし
まった。
(天気って…普通はぼくの体調のことを聞くものなんじゃないのか?)
少し元気になってきたからって、進藤もお義母さんも薄情だとそんなことを心の中で思った
りした。
「今日も買い物に行って来ます」
翌日の朝食の席でぼくはまた言ってみた。
「何か切れていた?」
「卵が…もう後二つしか…」
「そう、それじゃ買って来て貰おうかしら」
「卵だったらコンビニより三丁目のスーパーの方が安いですよね?」
「ええ。でも今日は特売日じゃないから別にコンビニでもいいわよ?」
「それでもコンビニよりはずっと安いでしょうから今日はスーパーまで行ってみます」
これもかなり勇気を出して言った言葉だったけれど、義母も進藤も反対することは無く、逆に
スーパーに行くならと切れかかっていた出汁昆布まで頼まれてしまった。
「じゃ…行って来ます」
昨日のことがあるので今日は用心深く杖を持って出かけた。
退院する少し前、父がぼくのためにと贈ってくれたもので、でもそんなものを使うのはプライド
が許さなくて一度も持ち出したことは無いものだった。
(でも今日はそんなこと言っていられない)
今日行くスーパーは昨日のコンビニより更に倍の距離があったからだ。
「行ってらっしゃい。昆布は利尻昆布にしてね」
無ければ日高昆布でもいいけれどお味が違うからと、それは実家の母も同じことを言ってい
たので微笑んで返す。
「はい、わかりました。気をつけます」
そして昨日より長い道のりをゆっくりと歩き出す。
昨日外出していたせいか、今日の方が幾分歩きやすい。
たった一日でそんなに変わるものでは無いだろうけれど、苦しいながらも行って帰って来られ
たということで僅かながら自分に自信がついたのかもしれなかった。
とは言うもののすぐに息が上がるのは同じで、だからぼくは行きにもちゃんと休憩をした。
途中途中で苦しくなると休み、息が整ってからまた歩き出す。非道く効率が悪いし時間もかか
るが、昨日のように一気に目的地に行こうとしなかった分楽で気分もそんなに悪くはならなか
った。
ゆっくり、ゆっくりと一歩一歩自分の体調でペースを計りながら道を歩く。
店の中でもあちこち見て回りたい誘惑を押さえて言われたものだけを買って帰途につく。
卵と利尻昆布とそしてぼくはミネラルウォーターの小さなペットボトルを買った。
それを帰り道の途中の休憩で飲んだら驚くほど美味しかった。
「…ただの水がこんなに美味しいなんて」
歩いて火照った体に染み渡るようで、本当に美味いと心から思った。
「風も…気持ち良い」
肌寒い秋の風は、どこまでも見通せるような青い空と合わさってとても心地よく体には感じら
れた。それは歩くので精一杯だった昨日は感じられなかったものだった。
「よし、帰ろう」
すっかり良い気分になり、元気が回復した所でぼくは立ち上がり、杖に体重をかけながら
帰り道をゆっくりと、でも少しだけ急いで歩いたのだった。
その次の日も、そのまた次の日もぼくは「近所」に買い物に行った。
それは百均の洗濯ネットだったり、足りなくなった調味料だったり、切れていた腹薬だった
り、どれもこれも細々としたもので、店も近い距離にある所ばかりだった。
ぼくは段々と「外」に慣れ、体力の無い体で歩くペースも掴み、杖で歩くこつもすぐに覚え
た。
毎日外に出ることが楽しくて嬉しくて、そのうちもう少し遠い距離にある店にも行くようにな
って行った。
「あら、こんにちは」
三軒隣の家の人に出会ったのは朝食用の食パンを買いに駅前のパン屋に行った帰りだ
った。
普通の食パンならコンビニでもスーパーでも買えるけれど、この店のパンは特製の石窯
で焼いていて、少しばかり値段は高いが味が比べものにならないのだ。
「こんにちは。お久しぶりです」
微笑んで言うと微笑んで返してくれた。
「こんにちは。もうすっかり良くなったのねぇ」
昨日は薬局に居たでしょうと、どうやら気がつかない間にあちこちで姿を見かけてられて
いたようで、買い物に夢中で気がつかなかったぼくはばつが悪かった。
「すみません。まだ歩くのに精一杯であまり周囲を見ていませんでした。失礼をしてしまっ
て本当に申し訳ありません」
「あらやだ、そういう意味で言ったんじゃないのよ。夏祭りもまだ無理だからって来なかった
でしょう? みんな心配していたから良かったなって」
本当に顔色もよくなったわよねと微笑まれて胸が熱くなった。
「ええ、お陰様で。最初のうちは気分が悪くなったりもしたんですけど、今はもうすっかり慣
れて大丈夫になりました」
やっぱり外の空気を吸ったのが良かったのかもしれないですと言ったらその人は笑いなが
ら言った。
「それもあるだろうけど…旦那さんが優しいからじゃないの?」
ヒカルくんも小さい頃は本当にやんちゃで悪戯ばっかりの悪ガキだったけれど、大人になっ
たらすっかり落ち着いて優しいいい男になったわよねえと、うちの亭主やバカ息子に爪の
垢でも飲ませてやりたいわと言われて意味がわからずに首を傾げる。
「進藤が…優しいから…ですか?」
「いつもあなたが歩いている少し後をついて来ているじゃないの」
心配でしょうがないのねぇと感心したように言われてぼくは驚いて振り返った。その瞬間、慌
てて隠れたシャツの色にはぼくは確かに見覚えがあった。
「あら、知らなかったの? 余計なことを言っちゃったかしら…」
でもいつもずっと、あなたの後ろを歩いていたわよと、だから鬱陶しいと思っても怒っちゃだめ
よと言ってその人は去って行った。
(進藤がついて来ていた…)
振り返ってももう気配は無い。
たぶんぼくに見つかったので慌てて家に帰ったのだろう。
(なんでこっそりとそんなこと…)
考えるまでも無い、そんなことをされたらぼくが嫌がり怒るからに決まっている。
守られて歩いてもそれには何の意味も無い。ぼくはぼくの足でぼくだけの力で行って帰って来ら
れるようになりたかった。
それを誰よりもよくわかっていたから進藤はぼくが買い物に行くと言った時に止めなかったのだ。
でも体力的に不安のあるぼくを一人で街に出すのが心配で、それでこっそりと後をつけて来てい
たのだろう。
(そして、ぼくよりも先に家に戻ってずっと家に居たふりをしていたんだ)
なんの心配もしていなかった。おまえのことなんか気にもとめていなかったよとそんな顔をして、
走った息を整えていたのかもしれない。
「…バカだなあ」
本当にキミはバカだなあと思いながらゆっくりと家に戻る。
玄関の戸を開けるとそこには義母が待っていて、「気がついちゃったんですって?ごめんなさい
ね」とぼくにぺこりと頭を下げた。
「そんな…お義母さんやめてください」
「アキラさんはちゃんとした大人だし、自分で考えて行動しているって言うのにこんな子ども扱い
みたいなことをしてしまってごめんなさい」
きっととても怒っているだろうけれど、あんまりあの子のことは叱らないでやってねと、もう一度
深く頭を下げられて慌ててぼくも頭を下げた。
「すみません、ぼくこそ勝手を言って。進藤やお義母さんやみんなが心配してくださっているの
はよくわかっていたんですが、どうしても早く普通の生活に戻りたくて」
「今は大人しくしているけれど、そのうちきっと我慢が出来なくなって外出したいって言い出すと
思う…」
「え?」
「あなたが退院して少し経った時にね、あの子が私とのぞむくんに言ったのよ」
塔矢は頭もいいし、優しいからおれ達が心配する気持ちを汲んでしばらくは大人しく閉じこもっ
ていると思うと。けれど、生来負けず嫌いで何もしないで居るのに耐えられない性格だからき
っとそのうち外に出たいと言い出すと思うと。
「進藤がそんなことを…」
「ええ。でもそれは自分で大丈夫だと思うまでは絶対に言い出さないはずだから、もし言ったら
その時は反対しないでやってくれって」
だからこの間あなたが買い物に行くって言った時にはドキリとしたわと言われて顔が赤くなる。
「本当はね、まだ大丈夫なのかなって私は思っていたから」
でもヒカルと約束していたから私も…のぞむくんも止めたくなるのを必死で我慢したのよと言わ
れて更に顔が赤くなった。
「のぞむも……気がつかなかった」
「テーブルの下で足がじたばたしていたわよ。きっとどんなにか『ダメ』って言いたかったでしょ
うね」
正直今もあなたが一人で出かけることはとても心配と言われて、最初の日を思い出して何も
言えずにぼくは俯いた。
「……すみません」
「あら、いいのよ。心配していたけれど、でもあなた最近本当に顔色が良くなって、表情も生き
生きしてきたもの」
やっぱり家の中だけに閉じこもっていてはいけないのねえと、しみじみと言われて頭が下がる
思いだった。
「すみません、本当にぼくは自分のことばかりで…」
「そんなこと無いわ。私たちに心配かけたくないからずっと我慢してくれていたんでしょう?」
「………」
「でも子どもじゃないんですものね。もっとあなたを信頼して自由にさせてあげるべきだった
かもしれない」
「お義母さん…」
「結局…やっぱりヒカルがあなたのことを一番よくわかっているってことよね」
「こっそりとついて来ていましたけど…」
「そう、こっそりとついて行ってしまっていたけれど」
顔を見合わせてふっと笑う。
「ヒカル、さっき大あわてで帰って来てそれからずっと上に居るから」
きっとあなたに怒られるってびくびくしながら待っていると思うからあまり厳しくしないであげて
と言われてぼくは苦笑のように笑い、それからなんだか泣きそうになった。
「はい…大丈夫です」
少なくも上から蹴り落としたりはしませんからと言ったら義母は明るく笑って、座布団を敷いて
おくわと言ったのだった。
「進藤」
階段を上がり、ぼく達が使っている部屋のドアを開けると進藤がこちらに背を向けて座ってい
た。
「進藤、キミ――」
「悪かった!」
ぼくがみなまで言わないうちに進藤はくるりとこちらを向くといきなりぼくに土下座をした。
「御免っ、とにかくおれが悪い、悪かったから許してっ」
おまえああいうふうにいらん気遣いされるのが一番嫌いだもんなあと言われて、最初から怒る
つもりは無かったのだけれど気が変わった。
「そうだよ、あんなことされて―ぼくは非道く不愉快だ」
「悪かった、でもどうしても心配でっ…」
「ついて来るならついて来るで堂々としていればいいものをこそこそとストーカーみたいにのぞ
き見ているなんて」
趣味が悪い、最低だと罵ったら進藤は更に深くぺったりと額をフローリングの床に押しつけた。
「ごめん。でももし万一おまえが途中で倒れたらって心配でたまらなくてっ」
「倒れたりするくらいなら最初から出かけない」
「わかってるって、悪かったよ」
本当にごめんなさいっ、もう絶対しないからと繰り返す彼の側に座るとぼくはそっと肩に手を置
いた。
「そんなに心配だったのに―どうして初日にぼくが気分が悪くて動けなくなった時、声をかけな
かった?」
「それは―」
だってそれはもしあそこでおれが声をかけてしまったら、おまえはきっと自信を無くすだろうか
らと進藤は言った。
せっかく自分で決めて行けると思って出かけたコンビニで具合が悪くなってしまったとしたら…
一人で帰れなくなってしまったとしたらおまえはきっと無意識にでも外へ出るのを怖がるように
なるかもしれないと。
「だからあれはどんなに具合が悪くても自分の足で帰らなくちゃいけないって思ったから」
せっかくおれ達の囲いから抜けだしたおまえが今度は自分で自分を囲わないように、いらない
手助けはしなかったのだと言われて心の底から感謝した。
「……ありがとう」
俯く頬を涙が滑る。
もしあの時進藤が声をかけていたら、ぼくを助けに駈け寄ってきたらぼくは間違いなくその手
にすがっただろうと思う。
そして自分から言い出して外出しただけに落ち込んで、その後彼の言う通り外に出ることに怖
じ気づくようになっただろうと思う。
「あの時本当はぼくは少し自信を失いかけていた」
もう大丈夫、普通の生活に戻って行けると、その自信をたった5分の買い物で失いかけていた
のだ。
「でもキミがぼく一人の力で帰させてくれたから、だから今日は駅前まで行けた」
つまらないプライドを捨てて杖も使うようになり、無茶をすることもしなくなった。
「ありがとう…キミのおかげだ」
「んなこと無いよ。おまえが頑張ったから」
おまえがすごく頑張り屋で頑張ったから外出出来るようになったんだと顔を上げた進藤はぼく
の涙を見て驚いたようだった。
「ごめん、泣く程怒った?」
「まさか―― 怒るわけなんか無い」
自分がどれほど幸せ者かを噛みしめていた所だと言ったらきょとんとされた。
「ありがとう、ぼくを信頼してくれて」
信じて好きなようにさせてくれた。
それが嬉しい。
どんなにか心配だったろうに敢えて手出ししないでくれた。
それはどんなに彼にとって辛いものだったろうか。
「…ぼくがキミだったらもっと過保護にしてしまうかもしれない」
「そんなこと無い。おまえもきっと同じことをしたよ」
「…いや、自信が無いな」
愛しているから、大切だから、心配のあまり自分の腕の中から離せなくなってしまう。
でも彼は愛しているからこそ離せる人であったのだ。
(それでも後はついてきていたけれど)
それも深い彼の愛情故なのだと思うと胸の奥が暖かくなる。
「ぼくの好きなようにさせてくれてありがとう」
「……うん。でもやっぱごめんな」
「いや、いいんだ本当に。だから今度は一緒に行こう」
「え?」
「今度買い物に行く時は一緒に…二人で行こう」
もう大分、歩くことにも慣れたからと、そう言ったら進藤は一瞬驚いたような顔をして、
けれどすぐに嬉しそうな笑みを顔一面に浮かべると、「うん!」と言ったのだった。
「行きたい。前みたいにおまえと一緒に牛乳とかティッシュとか、つまんない物買いに
町ん中二人で歩きたかった」
「ぼくも―」
ぼくもキミと歩きたかったよと言いながら、ぼくは胸が一杯になって途中で言葉に詰ま
ってしまった。
「ごめ…」
「いや、いいよ」
進藤はそんなぼくを包むようにすっぽりと抱きしめると、優しくそっと頭を抱え、それか
ら耳元に囁くように言ったのだった。
「ずっと…ずっとおまえと歩きたかったんだ」
おまえと同じ速度で―――と。
※久しぶりのプロキシです。ヒカルの「優しさ」はこういう感じです。そして実はアキラもそういう「優しさ」の人で
あります。似たもの夫婦。季節が少しずれていますが、まだ完全に回復していないアキラにさすがに正月の買
い物はさせられませんでしたので(^^;そんなことさせたらアキラのことだから頑張りすぎて倒れちゃう(汗)
でも一年のスタートをプロキシで切ることが出来て嬉しいです。
2008.1.1 しょうこ