節分会―せつぶんえ―
床に落ちた豆を踏まないように注意深く歩きリビングを渡る。
ベランダに向かう窓を大きく開け放つと進藤が肩越しにぼくの持つ升から豆をひとつかみ掴んで、
外に向かって思い切り投げた。
「鬼は外」
今時子どもでもこんなふうにやんないよなと笑いながら、今度はぼくの手に豆を掴ませて家の中
に撒かせる。
「福は内」
彼と共に住むようになって何度か過ごした節分は、昔らしく玄関に柊と鰯の頭を飾り、恵方巻きを
食べて豆を撒く。
「今時珍しいわねえ」と両隣の奥さんに笑われてしまったけれど、実家でも進藤の家でもずっとや
っていたことなので今更やめるのも気持ちが悪い。
日本の昔ながらの風習は、なんとなく体と心に染みこんでいて、由来や意味を本当にはわかって
いなくても時期がくるとやらずにはいられない。
「もう一回福は内って言って」
耳元に甘えるように囁いて進藤が言う。
「おまえが言うと本当に家ん中に福が来るみたいな気がするんだよな」と、だったらぼくはキミに福
を呼んで貰いたいのにと常々不満に思っていることを口にするとやんわりとダメとダメ出しをされて
しまった。
「いいじゃん、おれが鬼を追っ払っておまえが福を呼び込んで」
それで上手く治るならそれが一番いいような気がすると、それは毎年繰り返されるやり取りで、どうして
も進藤はぼくに鬼を払わせてはくれないのだ。
「おまえにほんのちょっとでも『魔』がつくなんておれ嫌だもん」
ほんの少しの染みも、ほんの少しの禍もおまえにつくことが無いようにしたいんだと、これはおれの我
が儘なんだけどと以前言ったのと同じことを進藤はまた拗ねたような口調でまた言った。
「おまえに禍があるなんておれ絶対に耐えられないから、例え気の持ちようだとわかっていてもおまえ
に鬼なんか払わせられない」
「それだったらぼくだって―」
ぼくだってキミに禍があるのは耐えられないと言いかける口を指で塞ぐ。
「うん、わかってるんだけど、わかって」
こんなの本当にタダの迷信じゃん?だからその迷信分くらい我が儘を通させてくれよと、ぼくの弱い苦
笑いのような、それでいて押しの強い微笑みで言われて今までどうしてもそれに逆らうことが出来ずに
いた。
「でも…いつまでもそのままだと思うなよ」
「ん?」
「ぼくは守られてばかりいるのに甘んじていられるような大人しい性格はしていない」
それを誰よりわかっているだろうと言ったら進藤はきょとんとしたような顔になった。
「もう何度も我慢して来たんだからもう限界だって言っているんだ!」
そして彼が呆気にとられている間に升から豆をひとつかみ取ると、まだ開けたままの窓に向かって豆を
思い切り投げた。
「鬼は外!」
声を限りに叫び、どうだと振り向いて升を渡し、さあ今度はキミが福を呼び込んでくれと言ったら進藤は驚
いたように目を見開いて、それから顔中をくしゃくしゃにして笑った。
「…おっかねえ、確かに今ので鬼はみんな逃げたな」
そして笑いながらも文句を言うことはせず、ぼくの願い通りにしてくれた。
一つかみ豆を握って家の中に放る。
「福は内」
これでいいんだろうと苦笑したように言う。
本当におれの恋人は鬼よりもおっかないんだからと、でも愛しそうにぼくを抱きしめた。
「大好き」
来年も再来年もこうやって互いの禍を払おうと、これからは交互に豆を蒔こうと言われてぼくも微笑んだ。
「そうだよ、最初からそうしていれば良かったんだ」
だってぼくの禍が彼の不幸であるように彼の禍もまたぼくの不幸であるのだから。
お互いが幸せでなければぼく達はどちらも幸せにはなれない。
「…じゃあ年の数だけ豆でも拾って食うか」
ぱらぱらと床に落ちる今年の福豆。
「ぼくはキミの撒いたものだけ食べたいな」
「そんなのわかるわけないじゃん」
「うん、でも」
それでもぼくはキミの撒いた福だけ食べたいと言いながらうろ覚えの豆を拾って口に入れる。
「ほんっと、おまえって頑固だよな」
でもそんな所も大好きと、進藤もまた床に屈み込むとぼくが撒いたとおぼしげな豆だけを指で縒り拾いあ
げると愛しげに口に運んで噛んだのだった。
※今年の恵方は南南東でしたか? 恵方巻きにはきっとヒカルの好きなものだけ巻いてあったりするんですよ。
二人でいちゃこら作ったりして具を入れすぎて太すぎる巻きになって、アキラに「責任取ってちゃんと食べろ」とか
言われてしまって喉に詰まらせそうになったりとか。
何をしていてもきっと二人なら楽しいんだろうなあ。 2008.2.3 しょうこ