※この作品は春待宴様に投稿させていただいたものです。




酔龍



塔矢は酔いが顔に出ない。

相当したたかに酔っぱらっていても目の下がほんのり微かに赤くなるくら
いで、受け答えも理路整然として乱れないので余程注意して見ていない
と、酔っているのか酔っていないのか一緒に飲んでいる側にはわからな
いのだった。




その日、棋院で行われた囲碁ファンとの交流イベントが終わった後、おれ
は塔矢と二人で市ヶ谷の居酒屋で晩飯代わりに軽く飲んだ。


いつもならそういう飲み屋系には行かないのだけれど、日曜ということもあ
って、塔矢が好みそうな店はどこも満杯で入ることが出来なかったからだ。


それでもなんとか居酒屋のカウンターに席を二つ見つけ、肩を寄せるよう
にして楽しく飲んだ。


考えてみれば差し向かいで飲み食いすることはあってもこんなふうにぴっ
たりと肩を寄せて飲むのは初めてだったかもしれない。


塔矢もいつになく饒舌で、おれも非道く楽しい気分になって、軽く…とは言
うものの、それでも結構杯を重ねていたかもしれなかった。





「ラストオーダーですが」

追加注文はございますかと店員が端の席から声をかけているのを見て、
はっと時計を見る。



「あ、やべえ。もうこんな時間になっちゃってるじゃん」

「何か予定でもあったのか?」

「いや、予定なんか無いけど、あんまりのんびりしていると終電無くなるか
もだから」


「いいじゃないか無くなったら無くなったで。この近くにはビジネスホテルも
結構あるし、ぼくのマンションまでなら歩いて帰れないことも無いし」


「まあそれはそうだけど…」

「それにキミは明日は何も予定が無いんだろう?」


ぼくもだよと言われて焦って帰る気は無くなった。


「そうだな……じゃあせめて後一杯くらい飲んで帰るか」


そしてそれぞれ一杯ずつカクテルを注文してゆっくりとそれを味わってか
ら店を出たのだった。







「あーあ」

飲んでいた店は駅からは少し離れていて、予想はしていたものの終電は
気持ちよく去ってしまった後だった。



「どうする? ホテルでも探す?」


塔矢の口から漏れるホテルという言葉になんとはなしにドキリとしながら、
おれは酔いを覚ますように「いや、おまえさえ嫌じゃなかったら泊めて。
ちょっと距離あるけど歩いて帰ろう」と言った。



「おまえん所、ここから一時間もあれば着くだろ? だったら酔い覚ましもか
ねて歩こうぜ」


「そうだね、ぼくも歩きたい気分だった」


それならば途中まで桜を見ながら歩こうとJR沿いの土手の上の道を歩く
ことにした。


満開に近い花の下に続く道は、昼間から花見客が大勢陣取って騒いでい
たけれど今はその名残でゴミが落ちているだけで誰もいない。


ふっと笑うと塔矢が不思議そうにおれを見た。


「何が可笑しいんだ?」

「いや、どんなに酔っぱらっていても皆、終電には帰るもんなんだなあと思
ってさ」


なのにそこまで飲んでいないおれ達は悠長に電車を見送ってこうして夜桜
の下を歩いている。



「おかしなもんだなと思ってさ」

「別に…そんなに飲んでいないわけでも無いけど」


ゆっくりと歩きながら塔矢が言う。


「え? おまえそんな飲んで無いじゃん。中生一杯とギネスビールが二杯」


それに升酒とカクテルくらいしか飲まなかったじゃんと、まあそれでも飲ん
だことは飲んでいるが塔矢の許容量を知っているおれにすれば、それは
まだ可愛い飲み方なのだ。



「もっと飲んだよ」

「ええっ?」

「交流会の時にワインとカクテルを結構頂いたし、ビールも随分注がれたな」

「って、おれが見た時にはおまえウーロン茶飲んでたじゃん」

「あれは水割り」


キミ、今日は結構やることが多くて飲む暇が無かっただろうけれど、ぼくは
時間があったから結構飲んでしまったんだとにっこりと微笑まれ、しまった
ーと思った。


よくよく見てみれば塔矢の瞳はいつもより潤んでいるし、目の下もほんの
りとだが紅色に染まっている。これは相当酔っている証拠なのだった。


なのに隣り合わせて座っていたためにおれはそれに気が付かなかったの
だ。



「おまえ…大丈夫? 気分悪かったりしない?」

「気分? どちらかと言うとものすごくいいけど」


どうして? と塔矢は邪気の無い顔で聞いてくる。

それは以前やはりこういう感じで限界量を超えて飲んだ時、塔矢は一分前
まで普通に顔にも出さずに話していたのにいきなり吐いて倒れたからだ。



「本当の本当に気分良いのか? 本当はちょっと目が回ったりとか…」

「心配性だなあ、キミは。今日は本当に気分がいいよ。なんだったら走って
見せてもいいぐらいだ」


「いや、勘弁。お願いします。やめてください」


間違い無い。こいつはとんでもなく酔っている。なのにどうして気が付かな
かったのか。







「綺麗だね」

唐突に言われておれはドキリとした。


「え? 何が?」

「何って桜に決まっているじゃないか。満開でこんなに綺麗に咲いているの
に、ぼく達だけしか見ていないのが勿体ないくらいだ」


「あ、ああ。まあ…でもさっきまでは散々人に見られていたんだからいいん
じゃないか?」



桜だって少しは休まないと身が持たないだろうと言うおれの言葉に塔矢は
可笑しそうに笑った。



「キミは…親切だな。木にまで気を遣うなんて」

「そんなことはナイですけど…」


酔っぱらった塔矢は時々とんでも無いことを言うし、とんでも無いことをす
る。


だから今回はどんなことをやらかしてくれるんだろうかと、はらはらしつつ歩
いていると、いきなり塔矢は桜の下、細く長く続く道をダッシュし始めた。



「進藤、ぼくを捕まえられるか?」

「って、おい待てっ! 走るなって言ったじゃん」


走ればアルコールはもっと回る。

後に待っている惨状を想像しながらおれが追いかけて行くと塔矢は更に笑
って速度を速めて先まで走って行ってしまう。



「塔矢、待てってばおいっ!!!!!!」


自分も酔っているものだから思うように走れなくて、おれは途中で立ち止ま
ってしまった。



「待て、おいこらっ! そこの酔っぱらいっ!!」


止らないと川に叩き込むぞと言ったら塔矢はやっとぴたりと止った。


「なんだもう息切れか? キミは結構体力が無いんだなあ」

「おまえは酔いすぎてわけがわかんなくなってるだけだって!」


「そんなことは無い。気分は最高だし、今ならなんだって出来そうな気がす
る」


「あの…だからそれが酔ってる証拠だって言ってるんだけど…おい、おまえ
聞いてる?」



塔矢は聞いてはいなかった。

気持ち良さそうに頭上を覆うような桜のアーチを見上げつつうっとりと目を
閉じている。



「おい、塔矢ってば!」


とうとうキレておれが怒鳴りつけようとした瞬間、ざっと強い風が吹いた。

その風は満開の桜の枝を揺らし、花びらを雪のように吹き飛ばした。


「進藤」


視界を真っ白に横切る花びら。その中に立つ塔矢は本当に綺麗で思わず
おれが見とれていると、いきなり塔矢は振り返った。



「なんだよ」

「ぼくはキミと結婚したい」

「はあ?」

「いつか…いつでもいい。キミと結婚してずっと」


ずっと一緒に居たいんだと艶やかな笑みを浮かべて塔矢は言った。


「世界中の皆に言いたい。ぼくが誰を好きなのか」


キミを好きで好きでたまらないって、そう皆に言ってしまいたいと、言い切っ
てから少しだけ正気に戻ったのか俯いて黙る。



「塔矢…」

「キミを好きだよ」


誰よりも誰よりもキミのことを好きだよと、呟くような言葉におれもたまらず
叫んだ。



「おれだって好きだって!」


おまえのこと誰よりも誰よりも誰よりも誰よりも大好きだよと言ったら塔矢
は顔を上げてにっこりと笑った。



「そうか――良かった」


そして散る花の中、ばったりと倒れたのだった。






「……こういうオチかよ」

薄暗い土手の上を塔矢を背負って歩きながらおれは大きくため息をついた。

やはり塔矢は果てしなく、とんでも無く酔っぱらっていたらしい。

倒れた瞬間は青くなったけれど、かけつけてみたらもう意識は無くて、無邪
気な顔をしたまま塔矢は熟睡していたのだった。



「おい、起きろって、おいっ!」


頬を叩いても揺さぶっても起き無い。

仕方なしに背負って帰るはめになったのだけれど、気分が盛り上がった分
、酔いから出た言葉だったかと思うと落ち込みも大きかった。



「まったく…こいつの酔い方ろくでもねえ」


でもまだ吐かなかっただけマシかなと、ゆっくりと花びらが散る中を歩く。


「おまえさあ、今度は正気な時に言えよな」


こんなにおまえのことを大好きなおれの気持ちを弄んでくれるなとつい愚痴
をこぼしたら背中でぽつりと声がした。



「弄んでなんかいない」


酔っていても酔っていなくてもあれはぼくの本心だからと、驚いて振り返ると
まだ目の下を赤く染めた塔矢がうっすらと目を開けていた。



「キミが好きだよ、本当だよ」

「もう金輪際おれは酔っぱらいの言うことは信じないことにしたんだよ」


いいから黙って背中で寝てろと言うのに被せるように言う。


「好きだよ、本当に。起きたらまたちゃんと言うから」


だからキミもちゃんとぼくに言ってくれと言って塔矢はすうと再び眠りに落ち
た。



「わかった、わかった。ちゃんと言うって。………もう困った酔っぱらいだな」



そう思いながらふと何かに気が付いておれは肩を振り返って見た。塔矢は
ぐっすり眠っている。でもその目の下はもう赤く染まってはいなかった。



「―――――え?」


眠ったからと言ってそんなに酔いは速攻では覚めない。ということはさっき
まで頬が赤かったのは、もしかして酔っていたからでは無いのではないか



「おい、ちょっと起きろっておまえ、おいっ!」


酔っていたのは本当だ。疲れていたから普段より回りが早かったんだろう
とも思う。でももしかして、塔矢は実は全然限界を超えてなどいなかったの
では―――?


塔矢は元々酔いが顔に出ない。

だからどれくらい酔っぱらっているのかは実際の所おれにもいつもよくわか
らないのだ。



「塔矢、おいっ!」


揺すっても揺さぶってももう起きない。


さっきのが酔いから出た言葉では無いのなら、ずっと酔ったふりをしていた
のかと、そして酔った勢いのようにおれに告白したのかと尋ねたくても規則
正しい呼吸の音しか帰って来ない。



「おまえ………本当に最悪の酔っぱらいだ」


でも可愛い。

可愛くて心底非道いヤツだとそう思う。


「とにかく起きたら絶対に言ってもらうからな」


そしてお返しにおれも言うんだ。おまえが好きだ、大好きだってとそう考えな
がらおれは幸せな気分で塔矢を背中に背負ったまま、長い道のりを歩いた
のだった。





今回のテーマは「初めてお互いの気持ちを打ち明ける二人」です。
アキラはもちろん本心で告白していますし、酔いが覚めてもちゃんと自分のしたことを覚えています。
でもきっと激しく自己嫌悪に陥ると思います。
WDっぽくはありませんし、時期もちょっとずれていますが(汗)


2008年3月14日 しょうこ

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