笹飾り



大きな笹の前に塔矢が一人で立っていた。


辺りは夜なのか真っ暗で、でも空には星一つ瞬いてはいない。

あまりにも暗くて足元も覚束ない。

そんな中、塔矢はおれを待つかのように、闇の中、ぽつんと一人立っていた。




『おまえ何やってんの?』

笹を見上げながらおれが尋ねると、塔矢は七夕の飾り付けをしていたのだと言った。

『飾りって、なんもしてないじゃん』

笹には飾りはおろか、短冊の一つも吊されてはいない。

『飾ってあるよ』
『ねーよ、なんにもおれには見えない』


すると塔矢は苦笑のように笑って、あまりにたくさん吊してあるので逆に見えなくなって
しまっているのだと言った。


『こんなたくさんの願い事、されても笹も重荷なだけだ』
『そんなにたくさん何を願ったんだよ』
『教えない』


ぼくの願いは人の目に触れて良いものではないからと、張り詰めたような口調で言っ
て、それからふいにおれに向かって手を差し出した。


『何?』
『キミの短冊』
『え?』
『持って来ているんだろう?』


ぼくが飾ってあげるからと言われてどきりとする。

確かにおれはさっきからずっと短冊を一枚しっかりと大切に握りしめていたからだ。

『星からよく見えるように一番高い所に吊してあげるよ』
『いや、いい』
『なんで?』
『おれの願い事なんて別に―』
『叶わなくても…いいのか?』


静かな口調だったけれど、何かはっとさせるものが含まれている。そんな声だった。

『叶わなくていいわけじゃない。でも…ダメだから』
『何が?』
『何がって…』


短冊に記してあるのは口に出したことも無い、おれの中の本当の気持ち。

この先一生言うつもりもない、塔矢への嘘偽り無い気持ちだった。

『進藤』
『ダメだったら、ダメだったら、とにかく絶対にダメっ!』


短冊を後ろ手に隠して後ずさる。

『進藤…』

ざっと強い風が吹いて、笹が大きく葉を揺らした。まるで黒い影のように見えるその笹に、
一瞬おれはたくさんの短冊を見たような気がした。


あいつの几帳面な字で願い事が書かれているその短冊は風に煽られ、嵐のように揺れ
ていた。


『進藤』

見せてくれ、キミが大切に持っている、その短冊をお願いだから見せてくれと迫られて、
更に一歩後ずさった所で目が覚めた。





「暑…」

目が覚めたらもう夕方で、ちょっとだけ眠るつもりが結構長いこと寝てしまったと時計を見
ながらぼんやりと思った。


南側の窓からは傾きかけている日差しが強く入り込んでいて、風は入って来るものの部屋
の中はかなり蒸し暑い。


(だからあんな夢見たのかな)

意味深な、それでいてなんの意味もないような塔矢の夢。

短冊を見せてくれと迫って来た塔矢の声はまだ耳に残っている。

お願いだからと、その声音に恐ろしい程の真剣さが含まれていたのもまだ耳はちゃんと覚
えていた。


「…おれの短冊なんて、なんで見たいんだよ」

夢の中のことなのに、つい目の前に居るかのようにこぼしてしまう。

(おれの本当の気持ちなんか知ったら、きっとおまえ困るくせに)

それでも見たいと言うのなら、見せた方がいいだろうか?

見せて後戻り出来ない所まで行ってしまった方がいいのだろうか。

「って、バカだな、おれ。ただの夢なのに」

指先にこつっと固く携帯が触れる。

眠ってしまう前に着信があって、それを眺めながらついうとうとと眠ってしまったのだ。

『今日は七夕だから、市河さんがそれにちなんだお菓子を出してくれると言っているから、
キミも良かったら来ないか』


素っ気無く、必要なことしか記されていない、それはいつも通りの塔矢からのメールだった。

「…七夕っぽい菓子か」

白玉だろうか、蜜豆だろうか、それとも塔矢が好きそうな涼しげな和菓子の類かもしれない。

「食べ物で釣るなんて、おまえん中のおれはどんなんだよ」

苦笑して、それからえいと起きあがる。

「…このままここで寝ていても暑いだけだもんな」

今日はいい天気だし、この間の手合いの検討もしたい。

(それにやっぱり美味い菓子を食べたいから)

だから釣られてやるんだと自分で自分に言い訳して、おれは夢の中の短冊と揺れていた大
きな笹を頭の中から閉めだすと、塔矢に返事をするために携帯を手に取ったのだった。




※笹飾り、ヒカルバージョン。野生動物と野生動物みたいな。お互いに言いたいけれど言い出せない。
言うことによって変わることが怖いから。その気持ちの方が好きという気持ちよりまだ勝っている、そんな二人です。


2009.7.9 しょうこ。