親不孝
呼び出された時にそうでは無いかと思ったけれど、実際に面と向かって切り出されたのが進藤と
別れて欲しいということだったので、ああやっぱりと思ってしまった。
「ずっと薄々そうじゃないかと思っていたのだけれど、この間ヒカルからそう聞いて…」
ものすごくたくさん考えて、進藤のお父さんとも話し合って、それでもやはりその先に息子の幸せ
が見えないということで、ぼくと直接話をしようと思ったのだと言う。
「進藤はこのことは?」
知らないんだろうなと思いつつ、それでも尋ねる。
「言ってません。言ったら絶対怒るに決まっているから」
苦笑したような物言いは、大人になるまで育てて来て、散々手こずらされて来た経験からのこと
なのだろう。
「あの子はきっと私達がなんと言っても、あなたと…塔矢くんと別れないと言うと思います」
どんな苦労が待っていても、どんなにそれで差別や偏見を受けることになったとしても構わない
と言うと思うわと、ぼくもまた彼ならそう言うだろうと思ってしまった。
「きっとあの子は私があなたにこんなことを言ったと知ったら私たちを恨むと思います」
それでも、どんなに恨まれてもあの子には人並みに幸せを掴んで欲しいので敢えて言いますと、
改めて別れて欲しいと切り出されてぼくは黙った。
「恨まれてもいいんですか?」
「ええ」
「それで一生彼が家に寄りつかないようなことになったとしても?」
「ええ、それでもあの子が苦労を背負い込むようなことがなければそれで構いません」
きっぱりとした物言いに、改めてああ進藤はこの人の息子なんだなと思ってしまった。
「塔矢くんがどんな人なのかは私もよくわかっています。反対する理由も無いような、とてもいい
子なのは私だってよくわかっています」
でも、それでも男同士というのは許すわけにはいかないと言われて、それに反論する言葉が見
つからなかった。
「どうかお願いします―あの子と別れてやってください」
深々と頭を下げられた時、揺れていたぼくの心は決まった。
「お母さん。いえ、進藤のお母さん、どうかそんなふうにぼくに頭を下げるのはやめてください」
はっとしたように目の前の人は顔を上げた。
「反対されるお気持ちはよくわかります。こんなふうに言いに来られるお気持ちもよくわかって
いるつもりです」
「それじゃ―」
別れてくれるんですか? と、ぱっと明るくなる彼女の前でぼくはきちんと座り直し、それから深
々と頭を下げた。
「すみません、ぼくは進藤と別れることは出来ません」
「何故?」
「恨まれてもいい、それでも進藤の幸せを願うというお母さんのお気持ちはよくわかります」
そのために敢えて憎まれ役を買って出た、その気持ちを彼を愛する者同士、どうしてわからな
いわけがあるだろうか?
「ぼくもまた彼に恨まれても憎まれても別れるべきなのだろうとは思います」
「だったらどうして…」
ぼくは畳みに頭をすりつけたまま、すっと息を吸い込むとゆっくりと言った。
「それでも、それが進藤の幸せに繋がらないのであれば、ぼくは彼とは別れません」
彼がぼくを憎んでもそれで幸せになってくれるのであれば、ぼくはいつでも彼と別れる覚悟が
ある。でもそれは決してそうでは無いから。
「あなたと別れることでヒカルが不幸になると?」
「傲っていると思われても仕方ありません。でもぼくはそう思うので」
それは少しだけ嘘だった。
本当は誰よりも彼と別れて不幸になるのはぼく自身だと思うからだ。ぼくは彼を手放せない。
手放すくらいなら死んだ方がマシだと思ってしまう。
でも愛しているとぼくに言う、彼の気持ちもまたぼくと同じなのでは無いかと思っているのも真
実だった。
「一生お母さんに恨まれても構いません、どんなに憎んでくださっても結構です。それでもぼく
は―」
ぼくは死んでも彼と別れることはしませんと言い切った後に沈黙が起こった。
「そう…」
再び進藤のお母さんが口を開いたのは、随分時間が経ってからだった。
「そう、そうなの」
そしてまだ顔を上げられず土下座したままのぼくに向かって、静かな声が言った。
「それなら…仕方がないわね」
えっ――と、顔を上げた時目に映ったのは、進藤のお母さんが携帯電話を耳に当てている姿
だった。
「ええ、はい。ああ…そちらもそうだったんですか」
誰と話しているのか苦笑交じりの声が響く。
「こちらも…ええ。きっぱりと言い切られてしまいました」
ええ、ええ、そうなんです。はい、それじゃそういうことでと、そして電話を切った後進藤のお母
さんはぼくにまっすぐに向き直った。
「今、ヒカルも同じように塔矢くんのお母さんの所に行っているの」
「ええっ?」
「それで同じように別れるように説得されたらしいけれど」
ヒカルはあなたと全く同じことを言ったんですってと、そして再び苦笑した。
「最初からそうなるだろうとは思ったんですけどね」
それでも二人の気持ちを確かめずには許すことは出来なかったからと、そこまで聞いてようや
くぼくは事態を理解した。
「え……それじゃ………」
「試したりしてごめんなさいね」
バカで考え無しの躾の悪い息子ですが、これからよろしくお願いしますと再び進藤のお母さん
に頭を下げられて、ぼくは込み上がって来る涙を必死でこらえた。
「こちらこそ…こちらこそよろしくお願いします」
深く、深く頭を下げて額を畳にすりつけた時、目の前の人はゆっくりと伏せていた体を起こし、
それから小さな子どもにするようにぼくの頭に手を置いて優しくそっと撫でたのだった。
慈しむようなその指は、ぼくを―ぼく達を許していたとそう思う。
「ありがとうございま―」
言いかけて、でも溢れる気持ちに声は途中で途切れてしまった。
(親不孝だ)
有り得ないくらいの非道い親不孝だと―。
けれど、罵られても責められても仕方が無いこの関係をどちらの母も理解しようとしてくれた。
どんなにか揺らぎ苦しんだだろうに、受け入れてくれようとしたその気持ちが嬉しくて、けれど同
時に切なくて、ぼくはこらえきれずに泣きながら、進藤も今頃ぼくの母の前で涙をこぼしているの
だろうかと思ったのだった。
※母の日だって言うのに、なんだか不穏っぽい話ですみませんでした。でも母親だから手放しで賛成は絶対しないと思います。
でも賛成はしなくてもたぶん最終的には理解して受け入れてくれると思います。
2009.5.10 しょうこ